兄弟(義兄弟)/奈賀視点

 インターフォンに急かされるままドアを開けると、恋人に良く似た男が立っていた。俺の姿を見た途端、不機嫌そうに顔を歪め、ふんと鼻を鳴らす。
「んだぁ、その態度は」
 挑発されるままに凄んでみせると、背後に立っていた男がまあまあと仲裁に入った。そんなので気が収まる訳はないが、俺は拳を納める。こいつと本気でやりあうのは得策ではない。相手もその事を承知している。
 くるりと踵を返し、茶を淹れるためキッチンに戻る。桑原は不在だったが、二人も勝手知ったる他人の家とばかりに図々しく上がり込んできた。

 こいつらは俺の恋人・桑原の弟と従兄弟だ。
 短慮な恋人がカミングアウトしたために、俺は彼らと事ある毎に渡りあわねばならないことになった。
 俺への牽制のつもりか、二人はしょっちゅう俺と桑原の愛の巣にやってくる。そしてちくちくと俺をいびる。まるで小姑に苛められる嫁だ。一時はストレスにやられ、桑原と別れようかとまで思いつめたが、最近ではつっかかってくる弟殿をうまくあしらえるようになってきた。
 大事な恋人の弟だと思うからいけないのだ。
 恋人によく似たアホゴリラだと思えば良い。噛みついてきたら蹴飛ばして、ついでにヘッドロックでもかましてやれば良いのだ。
 俺たちの恋愛はどう頑張っても祝福されることはない。だったら要らないご機嫌取りをするだけ無駄だと開き直れば、二人、いや主に弟・辰昭のみみっちいイジメに対抗するのはそう難しくない。
 ……まぁ、桑原への愛のため、ちっとは努力するようにしているけどな。

 湯を沸かし、最高に美味しい緑茶を淹れて居間へ運んでいくと、二人はぎょっとして俺を凝視した。
「なんだその格好は」
 辰昭が失礼な事をのたまう。俺は盆を炬燵の上に置くと、しゃなりと腰をくねらせてポーズを取った。
「可愛いだろ」
「まぁ……可愛いけど……自分で買ったの?それ」
 仁は苦笑している。俺もにやりと笑うとフリルの付いた裾を摘んで広げた。
「まーな。裸エプロンすんのに丁度良いと思わねぇ?」
 俺が着ていたのは、これでもかと言うくらいふりふりのエプロンだった。ご丁寧にもハート形の胸当ての周囲はフリルがぐるりと取り巻いている。大の男にはまるきりそぐわない。だがそんなことは百も承知だ。これは、いやがらせなのだ。
 俺の思惑通り、辰昭が両手で顔を覆って悶絶した。
「あああああああ、ヤメろっ! 裸エプロンとか言うなっ! 男の癖に気持ち悪いっ!」
「何言ってんだよ。裸エプロンは男のロマンだろうが」
 各の前にお茶を配る。お茶請けは貰い物のチョコレートだ。編集さんが置いていったのだが、あんまり美味しくなかったので辰昭に喰わせてやろうと取って置いた逸品である。
「そうだね。俺も大好きだよ。女の子が着ているんならの話だけど。……で、兄さんとやったの? そのエプロンで」
 何気にものすごい質問を発する仁に、俺は流石に赤くなった。
「ふははははは。それは企業秘密だ」
 実は、やった。外出から戻り、セクシーな俺の出迎えを受けた桑原は目を白黒させたが、あっさり誘惑に陥落した。ベッドまで移動することも出来ずキッチンの床で交わした情熱的なセックスは、珍しくハードで激しくって、…燃えた。
 次は何時やってやろうかな、なんて考える。
 いやらしい思考が顔に出てしまったのか、辰昭の顔が赤味を増した。
「脱げっ! そんなもん俺の前で着るなっ。脱げーっ!」
「げっ」
 桑原に良く似た太い腕が俺を掴む。
 後ろでふんわりと結ばれたリボンを解こうと伸びた手を、俺は慌てて振り払った。
 イヤガラセはまだこれからだ。
 これから帰ってくる桑原を、このエプロン姿で迎えるのだ。桑原はあの興奮を覚えていて、俺がこのエプロンを着てみせる度、なんというか、エロい目つきを見せる。
 それをこのクソ辰昭に見せてやるのだ。そして桑原と裸エプロンの俺のいやらしい姿を妄想して貰う。
 なんて素晴らしいイヤガラセであろう!
 その為にはこのエプロンを脱がされる訳にはいかない。
 しかし辰昭の手は執拗だった。うまく逃げられない。挙げ句、バランスを崩して俺は仰向けにひっくり返ってしまった。勢いづいた辰昭が俺の上に飛びかかる。その膝が、俺の微妙な部分に乗りあげそうになる。気が付いた辰昭が咄嗟に手をついたお陰で潰されずに済んだが、ぐり、と刺激を与えられ、不覚にも『あン』なんて色っぽい声が出てしまった。
 それを聞いた辰昭が、壊れた。
 俺の上で脱力し、潰れてしまう。
 辰昭は桑原と同じく、重量感のある体躯をしている。その躯に押しつぶされそうになり、俺は背中を叩いた。
「ギブ、ギブ!」
 仁が乾いた声で笑っている。
 俺も流石に恥ずかしかった。良いイヤガラセにはなるかもしれないが、閨中の俺の声を聞いて良いのはやはり桑原だけだ。
 ひーひー言いながら、脱力した辰昭の躯を引っ張り、押し退け、俺はやっとの思いで辰昭の下から抜け出した。こんな所を桑原に見られたら、またおしおきされてしまう。
 死んでいる辰昭の傍に片膝を立てて座り、息を整える。
 そして俺は辰昭の背中を見下ろした。
 短く刈り込んでいる桑原の髪に比べれば、辰昭の髪は長い。綺麗にセットされている髪は、今は乱闘のせいでくしゃくしゃに乱れている。思いついて鼻を寄せると、体臭まで似ている気がした。
 やっぱり兄弟だな、と思う。
 セックスも、似ていたりするんだろうか。
 …って、俺は一体何を考えているんだ!
 下らない方向に走った思考に自分でびっくりし、俺は瞬いた。後ろめたい気分をかき消そうと、辰昭の背中を勢いよく叩く。
「おい、いつまで寝ているんだヨっ。もしかして、起きられないのか? 勃っちゃったとか〜?」
「んな訳あるかーっ!」
 がばと辰昭が起きあがる。こういうアホな面は、桑原にはない。
「どれどれ?」
 見たところ、確かにソコは平静さを保っているようだ。だが、俺はイヤガラセついでに辰昭の股間を撫でた。まさかそこまでされるとは思っていなかったのだろう。辰昭が文字通り飛び上がる。
「しっ、信じらんねぇ。もうイヤだこいつ〜!」
 ずりずりと後ずさる。その股間を、俺はじいっと目で追っていた。俺に触れられたソレは、僅かに膨らみを増したように見えた。
 俺は唇を舐めた。
 そろりと仁を見上げると、困ったように笑っている。
 仁も、分かっているのだ。
 本当に嫌悪しか感じていない相手に触れられて、アレが大きくなる訳がないってことを。
 俺は床に手をついて、更に辰昭に向かって乗り出す。辰昭の顔は怒りと興奮のせいで赤く染まっている。その目は本人は気付いていないだろう当惑と不安で、きょときょとと蠢いている。

 この男はキライだ。
 この男が俺を好きになってきたんじゃないかなんて、甘い事を言うつもりもない。
 だが、会った当初にあった燃え上がるような憎悪は、いつの間にか姿を消していた。

 なんでだ?
 俺は用心深く、己の心の中を覗き込む。

 しょっちゅう押し掛けられて、望むと望まざるとに関わらずお互いの理解は深まった。
 何をしたらこいつが一番嫌がるか、俺はようく知っている。
 好きな食べ物も、嫌いな酒の銘柄も、どんなにお兄ちゃんに懐いているかも。
 なんだかんだ憎まれ口を叩いても、他の親族に俺たちのことをばらしたりしないということも分かっている。
 扱い方が分かってしまえば、猛獣だって飼い慣らせる。俺はもうこの男を恐れていない。

 同じ事は自分にも言える。容認こそしないが、辰昭は俺が桑原を駄目にするとは、もう思っていない。
 俺たちはお互いに慣れ始めている。安全な距離を保ってお互いの隙を窺う、豹みたいなものだ。油断なく相手を睨みながら、寝そべったり水浴びをしたりできるようになった。

「なんだよ。あっち行けよ」
 ずりずりとカーペットの上を尻でいざりながら辰昭が吠えた。大きな声に僅かに目を細め、俺は更に犬のような格好で辰昭に迫る。
 辰昭の背中が仁にぶつかった。俺は追いつめられた辰昭の足の間に割って入り、その目の中を至近距離からまっすぐに覗き込んだ。
「なぁ。ドキドキした? 本当はそんなに嫌じゃないんだろ? 辰昭」
 辰昭の唇が一文字に引き結ばれる。その顔を見て、俺は苦笑した。この男が応と言う訳がなかった。
「何言ってんだ。近寄るな。変態がうつる!」
 かわいくない。
 俺はニヤリと笑うと躯を擦り寄せた。びくりと竦んだ巨体にのしかかる。辰昭が無様なわめき声も上げた。背後にいた仁も潰され、慌てた声をあげる。
「そこまで言うならうつしてやるよ。てめーも変態の仲間入りv」
「ふざけんな、この変態!」

 その後くんずほぐれつの大乱闘の最中に帰ってきた桑原に俺たちが説教された事は言うまでもない。

おわり 2004.11/22

「夜半の月」の一年後くらいのお話。
実はその前に一悶着あって、辰昭はちょっと立場弱くなっています。
(同人誌「続・思い初めにし」参照。読まなくても分かるようにしたつもりではあります)

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