浮気 01/阿井視点


 初めて、浮気する人の気持ちが分かった。
 今までは、全然分からなかった。俺には彼が全てで、他の人に欲情する日が来るなんて、想像したことすらなかった。
 でも。
 今、この行為はとても自然に思われた。こうなるのが運命だったんじゃないかって気さえ、した。
 彼の不在と夕暮れ時のオレンジの光、そしてひぐらしの声が生み出した魔法だ。
 頭の片隅では、ちゃんと分かっていた。こんな事をしちゃいけない。彼に対して、不誠実だと。そう思いながらも、躯の奥底から沸き上がる誘惑に、俺は勝てなかった。
 だって、寂しかったんだ。寂しくて切なくて、たまらなかった。
 奈賀とのキスは気持ち良かった。唇の柔らかな感触にぞくぞくする。戯れるような浅いキスがもどかしい。思わずもっととねだりたくなる。
 くちゅ、と濡れた音が漏れる。
 俺は奈賀の肩に腕を回した。
 奈賀の両腕が、俺の体表を撫でている。
 奈賀のやり方は、俺の彼と全然違った。他意はありませんよと言わんばかりのさりげなさなのに、ものすごく感じる。上手い、からなのだろうか。するりと指先が皮膚を滑る度、総毛立ってしまう。
「ん……ふ……」
 甘えた声が漏れた。
 唇を甘く噛み、奈賀がキスする場所を変える。耳の下を強く吸われ、舌でやわやわと愛撫され、下腹部がどくんと疼く。
「だ、め……」
 溜息のような抗議は、我ながらねだっているようにしか聞こえない。
「だめ?」
 くすりと奈賀が笑う。いつもの皮肉っぽい笑みとは全然違う、優しい響きにとろけてしまいそうになる。
「こんなになっているのに?」
「あっ」
 緩く勃ちあがっていたペニスを掴まれ、俺はおののいた。
「ここはもっとしてって言っている」
 ひぐらしの声にかき消されてしまいそうな低い囁きを直接耳の中に吹き込まれる。同時に其処を撫でられた。
 くん、と喉を反らし俺は喘いだ。もう、どうしようもなかった。俺は完全に欲情していた。セックスしたくてしたくて、仕方がなかった。
 でも、だめ。
 俺はなけなしの自制心を振り絞り、懸命に抗った。
「だめ。本当に、だめ、だよ。からかわないで。分かっている、でしょ? こんな事しちゃいけないって」
 奈賀は、無邪気に首を傾げた。
「わかんない」
 その間も、奈賀の手はゆるゆると動いている。俺もどんどん堅く張り詰めていく。
「桑原さんに、怒られちゃうよ」
 殆ど、ささやくような声で俺は脅した。
「知られればね。でもあいつは今、ここにいないし?」
 しれっと答えられる。
 奈賀が桑原さんに対してそんないいかげんな事言うなんて、信じられなかった。
「桑原さんが、好き、なんでしょ?」
「それは否定しない。でも俺は、オンナじゃない。オスでもあるんだ。阿井みたいに可愛いコを抱きたくてたまらなくなる時だってある」
 もう一度、キスされた。
 ふざけている風ではなかった。眼鏡越しではない奈賀の瞳は、俺と同じく情欲に囚われた色をしていた。
 ヤバい。本気だ。
 男は、こう言う時、本当にダメになる。いけないと思っても自制がきかないのだ。欲望を解放する事しか考えられなくなる。
 抜き差しならない。
「ン……だめ……」
 唇を甘く吸われる。
 きっとすごく上手いのだ。よく分からないけれど、奈賀のキスは柔らかくて、焦れったくて、俺をどうしようもない所に簡単に追い込む。
 俺は口を開き、奈賀を誘い込んだ。積極的に舌を絡め、更なる快楽をねだる。
 躯の奥からぶわっとなにかが膨れあがるのを感じた。
 もうおさえなんてきかない。

2006.9/10



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