浮気 11/阿井視点


「あなたが奈賀を放り出して寂しい思いをさせるからいけないんだ。仕事仕事って、仕事がどれだけ大事なのさ。奈賀の方が大事に決まってるだろ 奈賀がどんなにあなたを好いているか分かってんの? あー、聞かなくても分かるよ。ぜーんぜん分かってないに決まっている。分かっていたら、奈賀をこんなに粗末に扱う訳ないもんね」
「ちょ……っ、阿井?」
 奈賀が泡を食って俺を止めようとする。俺は負けてはならじと奈賀を押し返した。どうせ奈賀は桑原さんにこんな事言えやしないのだ。だったら俺が代わりに言ってやるまでだ。
 ……俺は自分で思っていた以上に、酔っぱらっていた。
「弟さん達の事だってそうだよ。苛められて奈賀が傷ついているのに、どうせ気付いてもいないんだろ」
「阿井!」
 奈賀の抵抗が激しくなる。あんまり煩いのでちょっと乱暴に押したら、奈賀はひっくり返ってしまった。
 そう言えば夕食に出たビール五本の八割は奈賀が片付けたのだ。
「適当な事を言うな。こいつは辰昭達とはうまくやってくれている」
 桑原さんは、現実を認めようとしない。
「そうだよ阿井。もういいから、おまえは黙っていろよ」
 奈賀も自分の事なのに邪魔をする。折角奈賀の為に言ってやっているのにと、俺はムキになった。
「黙ってなんかいられないよ! じゃあどうして奈賀はあの人たちが来る度、俺の所に来るのさ。辛そうな顔してさ。しんどいしんどいって、いっつも泣いてるじゃんか!」
「馬鹿野郎、何フカしてんだよっ。俺が泣いた事なんてあるか」
「涙は流してないってだけだろ。何年友達してきたと思ってんの? 見れば凹んでいるの位分かるんだよ。しょぼんとしちゃってさ。桑原さんと付き合い出す前はあんな顔したりしなかったのに」
 桑原さんが唇を引き絞った。その目は俺を止めようと暴れる奈賀に据えられている。
 俺を黙らせようと必死な奈賀に引き倒され、俺も畳の上に膝を突いた。でも口は閉じない。
「奈賀はあなたの為に無理して頑張っているんだ。本当はすごく辛いのに平気な顔してさ。それってあなたの事がすごく好きだからだよ? 分かってる? なのになんでもっと奈賀の事考えてあげないの? あなたが鈍感すぎるから奈賀だってヤケになって無茶するんだ。それって全部あなたのせいなんだよ?」
 俺の口を塞ごうとした奈賀の手を、俺は噛んだ。
「もっともっと奈賀を大事にしてあげてよ。俺と遊んでいても奈賀は桑原さんの話ばかりするんだよ。すっごい幸せそうにさあ、桑原さんがどーしたこーしたって…っ」
「阿井っ! 頼むっ! お願いだからもーやめて。黙って下さい」
「むぐ」
 座布団を顔に押しあてられ、ようやく俺は黙った。鼻と口が完全に塞がれ、呼吸が止まる。窒息しそうになり、俺は必死に首をねじ曲げ座布団の下から逃れた。
 辺りは妙に静かだった。桑原さんは両手をだらりと垂らし、気まずそうに突っ立っている。奈賀は俺の腹に跨ったまま、うなだれている。両手で隠した顔が赤い。
 奈賀が長い溜息を吐いた。片手を上げ、奈賀らしくない弱々しい声で宣言する。
「あの。今のは、忘れてください。全部無かったとゆー事でお願いします」
「えー!」
 俺の盛大な抗議は、腹部へのパンチで途切れた。
「阿井。てめーはいーかげんに黙れ」
 ひどい。俺は奈賀の為に言ったのに。
 悶絶する俺の上から、奈賀がどく。何事もなかったかのように落ち着いた声で桑原さんに聞く。
「晩メシは、食った?」
「そんな暇あるか」
 折角奈賀が気を使ってあげたのに、桑原さんの返答は素っ気ない。だがその声から怒気が消えていた。
 奈賀はさりげなく桑原さんの片手を握り、廊下に向かって歩き出した。桑原さんも自然についていく。
「じゃあ、何かもらえないかおばちゃんに聞こう。ついでにもう一部屋用意してくれないか、頼まなきゃな。今日は泊まるだろ?」
「そうせざるをえないだろうな。久しぶりに車の運転して、疲れた」
 二人の姿が廊下に消える。
「車って? レンタカー?」
「辰昭から、借りた」
 段々と声が遠くなる。彼が扉を閉めると、完全に聞こえなくなった。
 俺はのろのろと躯を起こした。なんだかまだ、ふわふわしている。アルコールが完全に抜けていない。
 座布団を抱いてぼうっとしていると、彼が近づいてきて、俺の前にしゃがみこんだ。ひどく沈んだ顔をしている。練習を抜けてきたのか汚れたジャージ姿で、汗が匂った。髪もほこりっぽい。それでも男前だ。ワイルドで、いい。
 俺がじいっと彼の顔を見つめていると、彼はちらりと舌を覗かせ唇を舐めた。それから小さな声で聞いた。
「阿井。俺って……ヘタクソか?」
 俺は凍り付いた。
 彼は一体何処から奈賀と俺の話を聞いていたのだろう。
 ざあっと全身から血の気が引く。これは……ヤバい。いやヤバいなんてもんじゃない。
 俺は力一杯断言した。
「そんな事ないよっ!」
「そういえば、いつもおまえ辛そうだったもんな。そういうモノなのかと勝手に思っていたけど……そうか、普通はそうはならないのか」
 目が虚ろだった。俺はその頬を両の掌で包み込んだ。俯こうとする顔を引き寄せ、目の中を覗き込む。
「あの、えっと、ほら! 俺達たまにしか出来ないじゃん? 奈賀みたいに毎日ヤって伸びている訳じゃないじゃん! だからだよ、きっと。あなたが下手なせいじゃないよ」
 一生懸命言い繕うが、彼の目は俺を見ていなかった。
「ゴメ……」
 畳を見つめたまま、ぼそりと呟く。
 俺は愕然とした。伏せられた彼の目が潤んでいる。鼻の頭まで赤くて、マジで泣きそうだ。彼がこんなに凹んでいる姿なんて見たことがない。
 どうしよう、どうしよう。
 俺はとりあえず彼の背中に両手を回した。ぎゅっと抱きしめてぽんぽんと背中を叩く。
「あのさ、好きだよ?」
 無駄かもと思いつつ囁いてみる。案の定、彼は無反応だった。
おわり
お疲れさまでしたー!中途半端な終わり方で申し訳ない。
最大の被害者は彼でした。
なにげに阿井、奈賀に対してヒドイね…。

2006.11/26



novel