浮気 05/阿井視点


 甘い誘惑が耳を擽る。奈賀の声は麻薬のようだ。脳髄までとろけそう。まずいことに、躯もこれ以上ない程奈賀を欲している。でも俺の頭は、躯より賢明だった。考えるより先に言葉を吐き出す。
「だめ」
 奈賀の笑みが深くなった。猫のように狡猾な笑みだ。身を堅くした俺のペニスに、奈賀の指が巻き付く。
「だめ? 冗談だろ。こんなになっている癖に」
 俺は慌ててその手を押し戻した。
 奈賀の表情が強ばる。
「ざけんな。ヤらせろよ」
 凄みのある声だった。胃がきゅっと縮む。心臓もピッチをあげ、さっきまでとは違う不安なリズムを刻み始める。でも俺は虚勢を張った。奈賀の手首をきつく握り、深い茶色の瞳を見つめる。
「奈賀。桑原さんを好きだろう?」
 奈賀が顔を歪めた。
「ああ? ……ここでそーゆー質問をするか、普通」
「桑原さんを好きなら、これ以上はだめって、分かっているだろう?」
 奈賀の、クールに保たれていた表情が崩れた。計算し尽くした演技なんかじゃない、本物の憤りをにじませ、奈賀が怒鳴り散らす。
「うるせーよ。ばーか。なんであいつがいない所でまでいい子ちゃんしてなきゃならねーんだよ。ガキが出来る訳じゃあるまいし。いーじゃねーか、セックスくらい。ヤらせろよ。どうせ言わなきゃバレやしねーよっ」
「そういう事じゃないだろう?」
「バッカかおまえ! あいつらに操立てて何になるんだ。あいつらは俺達とは違うんだぜ?」
 まただ、と俺は気付いた。あの荒んだ色が奈賀の目を覆い尽くしている。
「奈賀? 何を言っているの?」
「あいつらは俺達と違う。分かってるんだろ、あいつらはいつか俺達の元から去っていく。俺達は取り残される」
 俺ははっとした。
 奈賀の瞳の中には俺と同じ恐れが巣くっていた。
 ヘテロ、あるいはバイの恋人を持つが故の怖れ。いつか恋人を異性に奪われるのではないかという、恐怖。
 とても意外だった。奈賀は綺麗で強くて、胸焼けがしそうな程桑原さんに愛されている。なんとなく、奈賀はそんな不安とは無縁なのだろうと、勝手に思っていた。
 奈賀が俺を強く抱きしめる。拘束されているというより、縋られている感覚の方が強く、俺は抵抗できない。
「阿井だけだ。俺とおんなじなのは」


2006.10/15



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