浮気 09/阿井視点


「だめ」
 機械的に俺は応えた。
「さっきの、良かったろ?」
 ささやく唇が、俺の耳たぶに触れている。言葉と一緒に吐き出される空気が、俺の敏感な部位を撫でる。でもアルコールのせいか、その感覚は常よりも鈍かった。
 おかげで淡々と応えられた。
「別に」
「傷つくなァ」
 大して傷ついた風でもなく、奈賀が言う。その舌が俺の耳の下を舐めている。濡れた粘膜の感触に、流石に俺も顔をしかめた。
「やめて」
 奈賀は作戦を変えた。
「なァ。あいつ、下手だろ」
 ぎくり、とする。
 薄々そうなのではないかと、俺も思っていた。しかし認める訳にはいかない。
「そんな事ないよ」
 なんでもない体を装ったけれど、声が硬くなった。
 俺の脇腹に当たっていた奈賀の掌に、力が籠もる。浴衣の上から緩く撫でられ、俺は慌ててその手を上から押さえた。そこは、弱い。
 ……彼に触れられただけで、声を出しそうになった事はないけれども。
「この間。俺が福引当てた日。おまえ熱あったろ」
 ぎくぎくっ。
 俺は驚いた。厚かましくも泊まっていったから、てっきり気付いていなかったのだと思っていた。
「そうだっけ?」
 俺はそっぽを向く。奈賀が畳み掛ける。
「つか、あいつが来る度、調子崩しているだろ」
 ぎくぎくぎく。
 なんでそんな事まで知っているのだろう。
 ……それは、本当の事だった。彼との行為の後には、必ず微熱が出る。後ろも痛くて、本当にしんどい。
 でも俺は強情に言い張った。
「そんな事ない」
 奈賀の声のトーンが変わる。
「おまえ俺がそんな嘘に騙されると思ってんの?」
 俺は唇を引き結んだ。
「あのな。男同士の行為っつーのはどーしたって無理があるし、気持ち良いだけでは済まねーんだけどさ。普通はヤる度に熱出したりはしねーの。躯に負担をかけないやり方ってのがあるんだよ。挿れる角度とか、下準備とか。何回かヤれば要領が分かるもんだけど、おまえら全然進歩してねーな? 指挿れただけで分かったぞ。おまえのカラダ、痛みに脅えて竦む癖がついている。阿井、てめー痛くても黙って我慢しちゃったりしてんだろ。そんなんじゃあいつだって上達しよーがねーぞ」
 ……その通り、だった。
 言えないのだ。文句を言ったら、彼がその気を無くしてしまうかもしれない。
 煩くて面倒な奴だと思われるのはイヤだった。痛くても、抱いて貰えなくなるよりはよっぽど良い。だから黙っていた。時には悦い、ふりまでしていた。
「そんなの奈賀には関係ないじゃんっ」
 浴衣の下に侵入しようとしている奈賀の手をつねりながら俺は噛み付く。
 奈賀はいていてと呻きながらも、俺を更に抱きしめた。
「心配してやってんだろ」
 じん、と来た。
 なんだか急に泣きたくなる。
 奈賀は俺をぬいぐるみのように抱きしめている。髪の中に顔を擦り寄せ、かき口説く。
「さっき、指入れられただけで分かったろ? あいつがヤるのと全然違って、ただただ気持ち良かった筈だ。指じゃなく、俺のを嵌めさせてくれればもっと気持ち良くしてやれる。絶対痛くなんかしない。やり方次第でどれだけ違うか、教えてやるよ。そうしたら今度はおまえがあいつに教えてやりな。これはあいつとのセックスをもっと良くするためのお勉強だ。そう思えばいいんだよ」
「……嘘」
 嘘だ。
 酔っぱらってぼやけた頭で、俺は思った。
 奈賀は口が上手い。ホスト顔負けのセールストークで俺を騙そうとしている。
 分かっているのに俺の気持ちはぐらついた。
「桑原だって最初は下手だったんだぜ? 俺が教え込んでそれなりになったんだ。男との経験が少ない上、攻めた事しかねー奴が下手糞なのはあたりまえなんだよ。それこそおまえが教えてやらなきゃ」
「でも……」
 いつの間にか浴衣の下への侵入を果たした指が、俺の胸を摘む。緩く捏ねられて、胸が反る。
「それに。もっとあいつを気持ち良くできる方法も、教えてやるぜ……?」
「あ……っ」
 俺は、喘いだ。
 きゅ、と爪を立てられた乳首から生まれた快感は電流のように、俺の神経の末端まで走り抜けた。
 彼をもっと気持ち良くさせる方法。それは、知りたい。
 彼をこんな風に気持ち良くしてあげられたら、もっと俺を好きになってくれるかも。
 それが、とどめだった。


2006.11/11



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