三浦は最初から目立っていた。
その存在を上原が認識したのは、正式にコーチとして部員に紹介されたときのことだ。
これまでの上原の輝かしい実績を強調し、とうとうと並べ立てる恩師の言葉を、上原はこそばゆい気持ちで聞いていた。
誰もが憧れを含んだ眼差しを上原に向け、説明に集中している。その視線が気恥ずかしい。
だが、その中に、つまらなさそうにそっぽを向いている男が一人だけいた。
それが、三浦だった。
鼻の頭を掻いたり、右足にかけていた体重を左足に移動したり。
目立たないようにはしているが、三浦は群を抜いた長身の持ち主だ。落ち着きのない様子は、上原の注意を否応なくひいた。
鼻にかけるつもりはないが、これまで築いてきた実績は、一介の高校球児にとっては夢のようなものである。それらは上原の誇りであり、これから野球部を教えていく上での礎になるはずだった。
それが、つまらない?
不意に上原は自信が揺らぐのを感じた。
不安は最初からあった。生徒たちはちゃんと自分の言うことを聞いてくれるだろうかとか、他の先生方と上手くやっていけるかだろうかとか。環境が変わるときには誰でも抱くような、そんな不安。
だけどその時上原が感じたのは、まったくレベルの違う不安だった。
着実に積み上げてきたと思っていたものは、本当に自分が思っているほどの価値があるものだったのだろうか、とか。
自分でそう思っていただけで、本当は、取るに足らない、つまらないものなのではないだろうか、とか。
自分にこの子たちを率いていくだけの能力があるのか、とか。
そんな根元的な不安。
上原はじっとり汗をかいた掌を握りしめ、視線を走らせた。
整列する部員たちは皆熱心に上原を見つめている。三浦だけだ。パーセンテージに直せば1%未満。
99%は自分の価値を認めてくれている。気にする必要はない。
だけどその一人が気になって仕方がない。
見なければ良いのだと思うのに、気がつくと視線が三浦に吸い寄せられている。
不意に、少年と呼ぶにはあまりにも大人びた三浦が、顔をあげ、ちらりと上原を盗み見た。
全く表情の読みとれない、深い色の瞳だった。
がっちり視線があったものの、三浦はすぐに何気なく視線をはずし、今度は上原の左後方を眺め始めた。
そこに、体育館扉が開口しているのを上原は知っていた。中では女子バトミントン部が練習をしている。
そこに視線を据えたきり動こうとしない横顔を眺め、上原は密かに奥歯を噛みしめた。
その日上原は部員たちのデータを借りて帰った。
部屋に帰るなり鞄を放り出し、パソコンの電源を入れる。
起動するまでの短い間にジャケットをハンガーに掛け、電気ポットのコンセントを差し込み、カーテンを引いた。
洗面所でコンタクトをはずして眼鏡をかけると、ちょうど立ち上がったパソコンの前に座り込んだ。
CD-Rに焼いて貰ったデータを読み込む。画面をスクロールさせ、三浦の名前を見つけると、上原は目を細めた。
ポジションはピッチャー。
かつての上原と同じである。
びっしり並んだ文字の列を、上原は丹念に読み込んでいく。
体力測定値。打率。球速。これまでに試合で上げた成績。コーチによるメモ。
最後まで舐めるように読み込むと、上原は深いため息をついて瞠目した。
所詮高校生の成績である。引退時の自分の能力と比較すれば劣るのは当然だ。
だが、自分が高校生の頃、これだけ安定したピッチングが出来ていただろうか。
六年後、この少年は、どんな選手に成長するのだろう。
コツンとディスプレイのてっぺんに額をぶつけ、上原は歯を食いしばった。
きっと三浦は、自分の成績など歯牙にもかけていない。彼の目指すものはもっと上、はるかな高みにあるのだろう。
脱力感に襲われテーブルに手をつくと、右肩がぎしぎし軋んだような気がした。
のろのろと右手でマウスを掴み、次々と画面を流していく。
まだたった十七才の、才能溢れる少年たちの記録に目を通し、上原は無性に切なくなった。
教師になど、なるつもりではなかった。
教職を取ったのは、取れる資格はとっておこうというせこい思惑でしかなかった。
そのせいで、ただでさえ練習でいっぱいいっぱいだったスケジュールがますますキツくなり、忙しさに輪がかかったが、専門とまるで違う講義はそれなりに面白かった。
でもそのころの上原には夢があったから、そう身を入れて学んでいたわけではない。
本当は、プロ野球選手になりたかった。
小さな頃から近所のチームに入って野球漬けの日々を送っていた上原が、何時の頃からか抱いていた夢だった。幼い頃は無邪気な夢でしかなく、中学生の頃は夢は夢でしかないのかもしれないと思ったこともあったけれども、高校で甲子園に行って。知り合った選手がプロ入りするのを見て、それは遠い夢なんかではないのだと知った。
リアルな、夢。
実際、上原の投手としての能力は高く評価されていた。流石に高校卒業と同時にプロ入りは出来なかったが、速球とフォークを武器に勝ちを重ね、大学二年の頃には、上原は夢の尻尾をしっかり捕らえていた。
全日本の選手に選ばれたのだ。
上原にとってそれは、輝かしい未来が開けたのと同義だった。
それなのに、試合が始まって間もなく、上原は肩を痛めた。
はじめは、大したこと無いと思ったのだ。たまたま控えの投手が風邪を引いていて、上原は苦痛を堪えながら投げてしまった。それが取り返しのつかないことに繋がった。
馬鹿だったと思う。
夢を断念せざるを得なくなり、上原は初めて教師になることを現実に考え始めた。
普通のサラリーマンになるよりは良いと思った。これまで自分の全てをつぎ込んで打ち込んできたものを捨て去るだけの勇気は無かった。
未練がましいと思いながらも、野球の近くにいたかった。
教育実習先には母校を選んだ。
私立であるせいか、上原が通っていた頃の教師はまだ数多く残っており、上原を快く迎え入れてくれた。
授業の進め方を指導してくれると同時に、真剣に教師になりたいという、上原の相談にも乗ってくれた。
教員は、常に供給が需要を上回っている職種である。卒業してすぐに就職できるとは限らない。
上原の先輩には、就職浪人も、妥協して予備校や塾の講師になった者もいた。臨時教員のまま何校もかけもって、ようやく生きる糧を得ている者もいる。上原自身もすんなり教師になれるとは思ってもいなかった。
だが秋口、上原は母校に呼び出された。来年から採用したいという内々示だった。
内緒だよ、と笑いながら校長は採用スケジュールと学校行事一覧、野球部の予定表を上原に渡した。もちろん採用試験で合格をせねばならないが、クリアできれば上原を採用する。その代わりに新学期から野球部の指導に来て欲しいという条件が付けられた。
採用には体育科の先生方の後押しがあったのだという。何の実績も経験もない自分を推してくれた先生方に上原は心から感謝した。
同時に、期待に応えなければと強く思った。
Y学園の売りは野球部である。
九月から、上原は大学に通いつつ、高校に通い始めた。
学校は上原の教員としての能力をかったのではない。野球プレイヤーとしてのスキルをかったのである。
低迷している野球部の梃子入れが上原に与えられた課題。そのことを上原はよく理解していた。
元々野球部に関わっていきたいと思っていたから、上原には渡りに船の筈だった。
野球部は居心地が良かった。顧問もコーチもかつての教え子の参画を喜んでくれたし、数年前まで華々しい成績を上げていた上原を生徒たちは憧れの眼差しで迎え入れてくれた。
…三浦、以外は。
|