腰に回った腕に力がこもる。
 有無を言わさぬ力で引き寄せられて、俺は今まで奈賀が随分手加減をしていたのを知った。ぎゅっと抱きしめられる。
 なんだか流されてしまいそうな気がする。奈賀の言うことはよく分からないが、奈賀の情熱に体が反応している。
 大体抱きしめるなんて、反則だ。スキンシップには弱いのだ。ずっと、飢え続けていたのだから。
 奈賀の腕の中で、溶けてしまうような気がする。とろけて、体の力が抜けてしまう。
 それに気が付いた奈賀は腕の力を緩め、二人の間に空間を作った。ほんの僅かな、キスをするのに必要なだけの距離を。
 目を閉じろよと囁かれ、瞼を伏せると、唇に柔らかいものがあたった。
 うわ、キスされているんだ、と不思議な感動が俺を襲う。マウストゥマウスのキスは初めてだった。
 変な感触である。
 抵抗されないのをみてとり、奈賀のキスが段々大胆になっていく。唇を舌で舐められ、口を開くよう促されて、俺は素直に従った。
 これが、ディープキッス。
 想像していたのとまるでちがう。勿論イチゴ味なんてしない。
 なんて馬鹿なことを考えるあたり、俺も焦っているんだか冷静なんだか分からない。
 奈賀のキスは苦かった。
 キスをしながらベッドに誘導された。浅く腰をかけると奈賀がのしかかってきて仰向けに押し倒されてしまった。手がもどかしげに俺のシャツのボタンを探っている。
 ぷつりぷつりとボタンを外される感触に、俺は緊張が高まるのを感じた。
 本当にやるのだろうか、なんて往生際の悪いことを考える。でもそんな余裕は奈賀の手が下腹部に伸びてくると同時に霧散した。
 ズボン越しに擦られて、思わず足がびくりと跳ねた。
「んん、ん!」
 口を塞がれているからイヤだと言うことさえできない。両手で必死に奈賀の体を押し戻そうとしたが、逆に強く掴まれて背中が反った。
 ジッパーの下ろされる音が聞こえる。
 意識してしまうと、重なりあった唇から漏れる濡れた音、しゅるしゅると鳴る衣擦れ、荒々しい息づかいが恥ずかしいほど耳に付いた。
 奈賀の手が、ズボンの中に侵入してくる。薄い布に隔てられた接触はもどかしくて、切ない。更に奥まで潜り込もうともぞもぞ動く奈賀の手に、俺は興奮した。
 少しひんやりした手が直接俺の中心を掴む。さらりとした感触に上下に撫でられ、俺は思わず声を漏らした。
「んっ」
 ようやく唇を解放し、奈賀が上半身を起こした。
「なんだ、もう半勃ちになってんじゃん」
 そう、俺を嬲ると、一度手を引き抜きベルトに手をかける。
 俺は無抵抗だった。
 もう、どうなってもいい、と思った。
 奈賀は器用にズボンとトランクスを脱がすと、俺の足の間に座った。されるがまま天井を眺めていた俺の中心をまた掴む。
「あ」
 反射的に膝を立て、奈賀を挟んでしまう。間に奈賀がいるので足を閉じることが出来ない。隠すことが出来ず、俺は焦った。
 他人に触れられたことのない部分をいじくられるのは、怖かった。ただでさえナイーブな部分である。乾いたままの手できゅっと敏感な部分を強く擦られると痛みが走った。思わず手で押さえようとしてしまう。
 だが、奈賀は容赦なく俺の両手を捕らえると、そばに投げてあったベルトで締め付けた。ごつい鋲がうってあるベルトは普通のとは異なり、端から端まで一定間隔で穴があいている。俺の手首をきっちり留めてしまうと、奈賀はまた俺を責め始めた。
「奈賀、ちょっと、待って…!」
 無表情な奈賀の顔が、なんだか怖かった。
 大体奈賀は服を着たままだ。自分だけが、下半身を剥き出しにした恥ずかしい姿で、いいように弄ばれている。
「ねえ、お願い、痛いよ」
 強すぎる刺激は苦痛を呼んだ。
 だが、それだけではなかった。同時にわき上がる快感に、俺はびくびくと体をひきつらせた。
 たまらず伸ばした腕は乱暴に振り払われた。ベルトの中程をシーツの上に押さえつけられると、それだけでもう、抵抗する術は失われてしまった。
 奈賀は俺の言うことをきいてくれる気がないのだ。
 そのことに気付いた途端すっと心が冷えた。
 さっきの繰り言。あれは、本当だったのか。
 奈賀は俺を嫌っていたのだ。
「あ、あ…っ!」
 イヤだと訴えながらも体は昇り詰めていく。自分でするよりずっと強い快感に、俺は惑乱した。他人にされるのがこんなにも気持ち良いだなんて、知らなかった。
 体が悲しい気持ちを裏切って暴走していく。
 スゴイ。
 どうしようもなくなる。
 自分の体がコントロールできない。
 何も考えられなくなる。
 怖いのに。
 イヤだって言っているのに。

 背中を反らせ、堅く目を瞑って、吐精した。放った精液がぱたぱたと自分のシャツに落ちる音を聞きながら、俺は知らずしゃくりあげていた。
 こんなのは、酷い。
 初めての経験で気持ちが高ぶっていたせいか、俺は恐ろしくセンシティブになっていた。悲しくて悲しくて、目を閉じたまま顔を背ける。子供みたいに体を丸めて泣いていると、手を拘束しているベルトを引っ張られた。いやだ、と叫んで抵抗すると、外すだけだからと宥められた。
 落ち着いた奈賀の声が憎たらしかった。
 奈賀は床に座り込んで俺のベルトを外した。俺は薄く目を開いて、ベルトが外される様子を眺めた。手首はうっすらと赤くなっていた。
「ごめん」
 俺の右手をとって、奈賀が呟いた。赤くなった手首に唇が当てられる。俺はそっけなく手を引っ込めた。優しい仕草に、かえって泣けてきた。
「奈賀は、俺のことがキライなんだ」
 声を震わせて糾弾すると、奈賀の眉根に皺が寄った。辛そうに、シーツの上に視線を落とし、俺を見ようとしない。
「そんなことない」
「じゃ、なんでこんなことしたんだよ! 俺はイヤだって言ったのに!」
「ごめん、本当に。俺が悪かった。どうかしてた。……阿井のことは、ちゃんと、好きだよ」
 途切れ途切れに言うと、奈賀は上目遣いに俺の様子を窺った。だが、そんな仕草で誤魔化されやしない。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「好きだったらこんなことする訳ない!」
 奈賀の顔が歪んだ。眼鏡を乱暴にむしり取ると、投げるように枕元に置く。それからマットレスに額を押しつけた。
 顔を隠す寸前に奈賀が見せた表情に、俺は目を疑った。
 泣きそうに、見えたからだ。
「奈賀。顔を上げろよ」
「俺は、最低なんだ」
「……なんか、あったの?」
 奈賀が、俯いたまま顔を左右に振る。
 オトナで強くて向かうところ敵なしだと思っていた奈賀の気弱な様子に俺は責める言葉を失った。
 よく考えればちょっと乱暴にされただけなのである。……自分もしっかり感じてイったのだし。
 俺は涙を拭った。少し迷ったが、手を伸ばし、奈賀の頭をぱふぱふと叩いてやった。途端に奈賀が顔を上げた。頭を振って手を振り払われ、流石にむっとする。
 だが、怒りは瞬時にかき消えた。
 奈賀は、本当に泣きそうな顔をしていた。口元を歪め、震える声で俺をなじった。
「おまえさ、なんで俺に苛められたのにそーゆーことが出来るわけ?」
「だって、おまえが泣いているから」
「そーゆーとこが、ムカつくんだよっ」
 俺は奈賀の訳の分からなさに呆れた。まるで子供が駄々をこねているみたいだ。大体俺が怒られるのは理不尽である。
「なんでそこで奈賀が怒るんだよ」
「ここでおまえにそういうことされるとな、自分がすんごい悪い人間みたいな気がすんだよっ! それに泣けてくるだろっ!」
 どういう論理なのだろう。俺は吹き出した。いきなりハイになっていた。奈賀がこんな駄々こねするなんて、可笑しい。でもって、カワイイ。
 すると奈賀も自分のバカっぽさに気付いたのだろう、ヤケみたいな笑い声を上げた。
 声が裏返っていたけれども。
 二人でバカみたいに笑って、ようやく我に返った。まだ半裸な自分の姿に気が付いて、俺は慌てて隠す物を探した。尻の下に敷いていたシーツをはぎ取って、腰を覆う。
「阿井、シャツ脱げよ。汚れている」
 言われて、俺は精液がべったりついていることを思い出した。そそくさとシャツを脱いで奈賀に差し出す。奈賀はそれを指先で摘み上げた。
「これさー、洗濯すべき?」
「制服なんかもう着ないから捨てちゃっていい」
 そう言うと、三年間着続けたシャツはあっさりゴミ箱の中に姿を消した。自分で捨てろと言ったのだが、なんかちょっと腹立たしい。
「ね、なんか服貸してよ」
 そう言うと、奈賀はちらりと俺を振り返って、目を細めた。
「あのさ、続き、やる気ない?」
「はぁ?」
「なんか、キた」
 そう言って擦り寄ってくる奈賀に、俺はシーツを胸元まで引き上げて後ずさった。しかし、シーツの上に奈賀が手をついたためにそれ以上逃げられなくなり、あたふた視線を泳がせる。なにせシーツの下はすっぽんぽんなのだ。
「さっきあんなことしといて、よくそんなこと言えるな」
「さっきの、う・め・あ・わ・せ。すっごく悦くしてやるからさ。ま、どーしてもイヤならやめるけど」
 うむむ、と俺は考え込んだ。押されたらはねのけることが出来るのだが、引かれると弱いのが俺である。
 でも
「…やめとく」
センチでやぶれかぶれな気分はどっかへ消えてしまっていた。
「そ?」
 奈賀はあっさり頷くと服を貸してくれた。後ろを向いていてもらい、急いで服を着る。奈賀の服は大きくて袖が余った。
「似合わねーな」
 奈賀が笑いながら袖を折り返してくれた。いつも通りの笑顔だった。だけどついでにほっぺにちゅうしてきたので、仕返しに首筋に食いついてやった。
 昔奈賀が高居にやってやったのと同じやつ。ささやかな意趣返しである。
 奈賀はそれを大人しく受けた。おかげで首筋にはくっきりキスマークが残った。
「ザマミロってんだ」
「イヤン、これがもとで彼氏に捨てられちゃったらドウシヨウ」
 ふざけた台詞に俺はどきっとする。
「えっ、あ、そっか。まずかった?」
 今更どうしようもないのだが、指で痣の上を擦ると、奈賀が笑った。
「だーかーらー、何で俺の心配すんのヨ。おまえ、人よすぎ。むかつく」
 それからしばらく二人でお菓子を食べながらゲームをして別れた。
 なんだかスッキリした気分だった。


 数日後、一通の封書が届いた。彼からだった。中には彼らしい汚い字で、新しい住所を知らせる手紙と、第二ボタンが入っていた。
 奈賀にも似たような文面の手紙が来ていた。俺達は夏になったら、彼の部屋を襲撃する予定をもう立てている。

 普通の友達として、俺達の関係はこれからも続いていく。


end
 

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