中中編
ショックだった。
自分以外の人間に『好き』と告白する彼の姿など見たくなかった。
彼は興奮して頬を紅潮させている。瞳の中には奈賀のカレシしかうつっていない。
どうして。
どうして。
男性に興味は無かったんじゃないの?
叫びだしたい衝動を必死に噛み殺す。
みっともない姿はみせたくない。
でも
弾かれたような笑い声に、停止していた思考が蘇った。
奈賀が腹を抱えて笑っていた。笑いすぎてソファから落ちそうになっている。途中でまだ口の中に残っていたお好み焼きにむせて咳き込み、じたばた暴れ、ようやく一段落つくと、ぜーはー言いながらソファの上にそっくりかえった。
それから言った。
「愛の告白みてぇ」
「えっ」
彼の頬に朱が昇る。狼狽してあたふたする様子に、俺は少しだけ希望を抱く。
「いえ、そうじゃなくて。あの、ファンなんです」
「ーー…ああ、ありがとうございます」
硬直していた桑原さんの身体から力が抜けた。慣れた様子で会釈を返し、奈賀の隣に腰を下ろす。
俺はまだ何のことかわからない。
ファン、ってなんだろう。桑原さんは一体何者なのだろう。
「あ、じゃあ奈賀の付き合っている人って、桑原さん!? うわ、すげっ」
桑原さんがびくりと反応した。心配そうに奈賀をうかがう。
「言ったのか?」
「んー、まーねー」
最後の一片を飲み下し、奈賀は手を払った。
「だってもう、隠す必要ねーだろ。クラスメートじゃなくなったんだし、トラブルっても実害は無い。したら会わなきゃいいンだしな。他人に触れ回る程ヤな奴じゃないとは思っているし?」
「たりめーじゃんか。俺がダチにそんなことするワケねーだろ! そういうこと言う、おまえの方がヤな奴だ!」
興奮状態の彼は語気荒く奈賀に言い返した。
確かに失礼な言い方だ。まるで彼の人間性を信じていないみたいだ。
冗談にしてもタチが悪い。
しかし奈賀は、至極真面目に頷いた。
眼鏡の奥の瞳が冷たい。
「ウン、そうした方がいいよ。バカやらかしたら、相手がおまえでも許すつもりねーから」
さらりと恐ろしいことを言う。
「ナニ、ナニ、何だよそれはよーっ!」
ぎゃーぎゃーわめきながら絡む彼を無視し、奈賀は桑原さんを俺に紹介してくれた。
彼の反応の理由も、『好き』の意味も分かって、俺はようやく落ち着きを取り戻した。変に勘ぐって焦った自分がバカみたいである。
見れば見るほど、桑原さんは奈賀とお似合いだった。多分無意識なのだろう、奈賀は身体を斜めにして桑原さんに寄りかかっている。警戒心の強い猫みたいに、いつも他人と一定距離を保っていた奈賀が、である。桑原さんもそれを当たり前のように受け止め、奈賀がみじろぎする度、びくりと腕を動かしかけてはやめている。
腰を抱きたいな、とか、手を握りたいな、と思っているに違いない動きである。
照射されるラヴラヴ光線に、俺はへこたれそうだった。
アテられて、目眩がする。
ぐりぐり桑原さんに身体を擦りつけながら、奈賀は次に俺を指さした。ぞんざいに紹介してくれる。
「んで、このちまいのが、例の、阿井な」
「阿井?」
俺の名を聞いた桑原さんの目に、突如強い光が浮かんだ。穏やかだった表情に剣呑な色が加わる。
「ああ、君が。奈賀が、随分お世話になったようで」
「え」
棘のある口調に俺は首を傾げた。何か、桑原さんの気に障ることをしただろうか。それに『奈賀の世話』?
……思いあたることはひとつしかない。
瞬時に血が上る。かあっと顔が熱くなり、俺は俯いた。
どうして桑原さんが知っているのだろう。奈賀が言ったのだろうか。やっぱりあのキスマークのせいで、バレたのか?
「え、なに? なに?」
様子のおかしい俺と桑原さんに気付いて、彼が首を突っ込んでくる。俺は反対にソファの隅で小さくなった。
彼には絶対に知られたくない。
助けを求めて奈賀を見ると、にやにや笑っている。
嫌な奴だ。
「そーだ阿井。いいもんやるよ!」
突然奈賀がわめくと、桑原さんの鞄に手を伸ばした。奈賀、桑原さん、鞄の順でソファに並んでいるから、身を乗り出すと桑原さんの膝に乗るような格好になってしまう。だが奈賀は頓着せず、旅行用の大きなボストンバッグを勝手に開き、なにやら紙袋を引っ張り出した。
桑原さんの顔がひきつった。
「待て奈賀。よせそれは」
「いーからいーから。ホラ。コレ」
押しつけられた紙袋の中身を覗き込み、俺は絶句した。
便乗して覗き込もうとする彼の目を避け、慌てて袋の口を丸めて閉めると、奈賀に突っ返す。
「要らないよ! 大体必要ないしっ!」
「何? 何なの!?」
「いーから。やるっつってんだから! ガンバレっつーの!」
「だから何!」
押しつけあっている紙袋を横からひったくり、彼が覗き込んだ。
俺は真っ赤になった。慌てて奪い返そうとしたが、果たせない。
彼はへらっといやらしく顔を歪ませた。それから奈賀が何に使えと指示しているのかに思い当たり、固まった。
ゴムとローション。その他諸々。
奈賀は実に楽しそうである。桑原さんは気まずそうにソファに懐いている。
彼がこわごわ質問した。
「あの。いつもこんなモノ持ち歩いてんですか?」
桑原さんは首まで赤くなった。
「いや、その」
「バッカ、察しろよ。俺達これから一緒にホテルに泊まるんだぜ!? 何か準備しておかねーと男同士だとツライからな。これは桑原の優しさってワケ」
奈賀が悪戯が成功した悪ガキの顔で笑う。他の三人が居心地の悪い思いをしていることになどお構いなしだ。すっかりハイになっている。
「奈賀」
流石に呆れた桑原さんが奈賀をたしなめようとしたが、効き目は薄かった。
「怒ンなよ? 後でサービスすっからさ。薬局寄って行こうな」
げらげら笑いながら奈賀が首を仰け反らせ、桑原さんの頬に唇をぶつけた。ちゅっとあがった高い音に、乱暴ではあるけれどキスをしているのだと気付く。
じろじろ見るべきではないと思いつつ、目が離せなかった。
これは本当に、俺の知っているあの奈賀か?。
冷たい雰囲気を身に纏い、どんな時も傲慢に取り澄ましていた男か?
何の拘りもなく恋人に甘え、のびのびと振る舞う奈賀は、見知らぬ他人のように遠く感じられた。
すごく、幸せそうで。
腹立たしくて、切ない。
俺は一人なのに。
みせつけんなよな
「さって、いこっかなーっと。あー、阿井、ちょっとちょっとっ」
手招きをされて、俺は立ち上がった。肩を奈賀に掴まれる。強引に引き寄せられて、足が縺れた。
奈賀の顔が近づいてくる。
どっかで止まるだろうと思った奈賀の顔は、止まらなかった。近すぎる距離に焦って、反射的に目を閉じる。ほとんど同時に生暖かいモノが唇にあたった。
「ちゅっ」
音高く吸われ、くらくらする。
キス、されたのだ。
また、奈賀の悪ふざけだ。
でも、なんでなんだろう。
彼も、桑原さんも見ているのに
「奈賀っ!」
桑原さんの怒声と共に俺と奈賀の身体が離れた。無抵抗な奈賀を、桑原さんが羽交い締めしていた。
俺の身体にも背後から腕が回り、奈賀から引き離していた。その腕が彼のものだと気付き、俺は目を見開く。
だって、彼に俺と奈賀を引き離したい理由なんて無い。
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