後後編

 殆ど駆けるように近寄ってくると、俺の肩を軽く押す。無抵抗に横になった俺に、跨るようにベッドに乗ってきた。
 ますます緊張感が高まる。
 少し、怖い。
 キスをされた。
 Tシャツの裾をまくり上げられた。無言でぐいぐい引き上げるから俺も協力してシャツを脱ぎ捨てた。
 それからパジャマのズボンに手が掛かる。下着ごと引き下ろされて、俺はやはり協力して腰を浮かせた。
 全部が、露わになる。彼の目に晒される。恥ずかしくて、高ぶる。
 顔が熱い。多分いま、俺は真っ赤になっている。
 彼が手を伸ばした。指先で、触れるか触れないかの、あのもどかしいタッチで俺の胸に触れる。
 じっと俺の姿を見ながら。
 淡々と指先を滑らせる。
 どうにかなってしまいそうだった。
「あっ」
 芯を持ち始めた性器を掴まれ、息が詰まる。
 珍しいものでも見るかのように眺め回し、彼が両手で俺をいじる。
 みるみるうちに堅く育っていく自身が恥ずかしくて、俺は手を伸ばした。彼の手を引き剥がそうと試みる。
「ねぇ、ヤダ」
 剥がれない。逆に強く掴まれて、甘い悲鳴が漏れる。快感から逃れようと、俺はシーツの上で身を捩った。
「待ってよ、お願い」
 彼は何も言わない。それが、怖い。
 生の俺を見て、どう思って居るんだろう。平気で触れていじり回してはいるが、それは俺を『好き』な証明にはならない。面白い反応を見せる玩具で遊んでいるだけかもしれない。
 不安が胸に広がる。泣きそうになる。
 ねぇ、なんとか言って。
「あ……、あ、いや……」
 俺はむなしくシーツを掻いた。きっと変な顔をしている。泣き出す寸前の、醜く歪んだ顔。
 いやだ。
 見ないで。
 でも彼に与えられる快感は強烈だった。目を閉じるとその触感がますます俺を追いつめる。
 熱を持った手に追い上げられて、俺は全身を突っ張った。きつくシーツにしがみついて放出する。
 彼は、抱いてもくれなかった。
 自分の上に広がる空間が哀しい。
 ぽろりと涙がこぼれた。
 彼は、未だ俺の足の上に座り込んだまま、息を整えている俺を冷静に見下ろしている。
「分かった」
 小さな呟きが、俺の耳朶を打った。
 俺はのろのろと彼の顔を見た。何を言っているのか分からなかった。彼が今の行為をどう捉えているのかも。俺のことを本当はどう思っているのかも。
 いきなり上半身を倒して、俺の涙を舐め取ると、彼は邪魔だとばかりに腰に巻いていたバスタオルをはぎ取った。
 俺は目を見開いた。
「嘘……」
 思わず言ってしまう。
 彼はにやりと口元を歪めた。
 彼のモノは、完全にエレクトしていた。
「な、なんでっ、なんでっ」
「なんではないだろ。俺達セックスしてんだろ。勃つのはあたりまえじゃんか」
 そのあたりまえのことを、俺はまったく予想していなかった。頭の何処かで信じていなかったのかも知れない。彼の『好き』が、俺の『好き』と同じだと。
「……びっくりした」
「はは。俺も」
 身体が重なる。彼の唇が、俺の鎖骨をきつく吸い上げる。
「おまえ、かわいーのな。すげーそそられた」
 触れあった下半身が熱くて、たまらなくなる。擦りつけるように腰を動かされて喘ぐと、キスをしてくれた。
「ヤろーぜ、本番」
 俺は夢中で頷くと、彼に抱きついた。
 荒々しく俺を愛撫する手が、唇が、堅くなったモノが、彼が俺に欲望を抱いていることを確かに教えてくれる。
 身体で示されて、ようやく実感できた。
 本当に、俺のこと好きになってくれたんだ。
 嘘じゃ、ないんだ。
 体中が熱くなる。彼が与えてくれる刺激のひとつひとつが至高の幸福で、俺を有頂天にした。
 彼の腕の中で、乱れる。おさえても抑え切れぬ衝動に、俺は狂い、もがき、啼いた。
 身体の奥深くまで全部彼に暴かれる。
 好き。
 気が付くと、俺は泣きながら彼に訴えていた。
 好き。
 好き。
 彼が笑う。
 その笑顔がまたヨくって、俺は全身で彼にしがみついた。
 辛かった三年間が溶けていく。


 結局俺は、新幹線の指定席を変更した。彼が駅まで出かけ、手続きをしてくれた。
 俺が、怠くて起きあがれなかったからだ。
 ずっと俺の気持ちを無視してきた酷い男ではあるが、一度こうと決めたら行動はすばやかった。
 俺の目の前でカノジョに電話をかけ、つき合いを精算し、食事だのクスリだのを調達してきてくれた。(とは言っても、レトルトか出来合いの総菜であったが)
 帰ったのはその翌日。首尾良くゲットできた新たな指定席の隣には、彼が座っていた。
 夏休みいっぱい帰省することに決めたと言う。
 変わり身の早さが、嬉しくて可笑しい。


 帰ってきてから奈賀に電話をすると、怒られた。
『なんでもっと早く電話よこさねーんだよ! 一発やったらすぐ報告しろよ! てっきりダメだったのかと思ったじゃねーかっ!』
 奈賀の剣幕に、俺は思わず居住まいを正し、誰もいないのに頭を下げた。
「う……、ごめんなさい……」
『俺がお前らのためにどれだけ苦労したか、分かってる? 薬局はなかなか見つからないし、桑原は怒っちゃうしよー。結局USJも行けなかったんだぜ』
「桑原さんに怒られたの?」
『あーそりゃもー。お仕置きが、すごかったv』
 淫靡な響きのある声に、俺は赤面した。
『どんなお仕置きだったか教えてやろうか』
「……いや……、いい……」
 どうせのろけ話である。
 俺は話題の軌道修正を図った。
「そんなことより、とにかくありがと。奈賀のおかげだよ」
『いや、そんなことねーんじゃねーの。アイツ、最初からその気だったみたいだし』
「え、でも」
『まー、まだ迷いはあったみたいだけどな。いちいちおまえの反応窺っているあたり、かなり脈有りと俺はみてたね。実際うまくいったんだろ?』
「うーー、うんーー…」
『どうだった? 良かった??』
 なんてコトを聞くのだろう。
 俺はもじもじと尻の位置を移動した。
 良かったかどうか、なんて一概には言えない。
 身体は、辛かった。痛くて、壊れるかと思った。
 でも彼に受け入れられた感動は、それを上回る甘美さで。息を荒げ、俺を夢中になって突く彼の顔を見ていると、幸福感に死んでしまいそうな気がした。
『ま、初めてで気持ちいいわけないもんな。なんかあったら俺に言いな。色々教えてやる』
「ありがと……」
 色々って、何を。
 怖いのでツッコミはやめておく。
 電話の向こうで奈賀を呼ぶ桑原さんの声がした。
『あー、じゃあ、そろそろ切るわ。あのアホに宜しく』
「うん。奈賀も。桑原さんと仲良くね」
『ばーか、俺達はいつでも仲いーんだよ』
 笑い声を最後に、電話が切れた。
 受話器を台に戻し、俺は床に寝転がった。西日が部屋中をだいだい色がかった色彩に染め上げている。クーラーをきかせているから少し涼しいくらいだ。
 掃除は済んでいるし、さっきシャワーも済ませた。
 もうすぐ、彼がやってくる。


END
next