サンセット・ダンシング/夏生
暑い――
日差しが白い路面に照り映えて、目を射る。
夏生が五年ぶりに壱岐と再会したのは明日から夏休みという日だった。
終了式も終わり、駅に向かう途中、夏生は、不意に呼びかけられて我に返った。
「相良――確か夏生くんだったな――」
見上げた顔は、覚えがあった。
知的に整った冷たい顔――二十代後半の怜悧な目をした長身の男だった。
「壱岐‥‥さん、ですか?‥‥」
「覚えていてくれたか――」
そうだった。
五年前、中二の春からの半年、家庭教師だった、その壱岐克美――
容姿と同様、怜悧な教え方で、夏生の成績も上がり、両親の受けもすこぶるよかった、その壱岐が突然辞めた時、残念に思ったのは両親ばかりではなかった。
密かに、あこがれた相手だった。
「乗ってかないか――近くに停めてある」
カジュアルなシャツにスラックスというラフな姿で軽い笑みを浮かべて手にしたキーを上げる、かつて自宅を訪れていた頃とは別人のような親しみやすさを感じさせる壱岐の長身を、整ってはいるが表情に乏しい顔をそれでもわずかに紅潮させ夏生は見上げた。
ダークグレーのRV、その助手席におさまった夏生に、一瞬視線を流した壱岐の口端が苦笑めいて歪む。
「相変わらずだな――」
「え――」
車はインターから高速に入っていた。渋滞もなく、軽快なスピードに乗って走る窓の外に見慣れぬ景観が流れ去る。
「孤独が友人――か」
「いけませんか」
いくぶん刺を含んだ夏生の言葉に壱岐は乾いた笑声をあげた。
「――いや」
それきり言葉は途絶える。
改めて水を向けようとはしない壱岐に、言葉の接ぎ穂を失った夏生は窓外に視線を流した。
傾きかけた午後の日差がビルの壁面を白く光らせて目を射る。街を埋める無数の色が光に曝れて微細な塵と化し、埃っぽい大気のなかに溶け混ざり浮遊しているようだった。たちこめた熱気にゆらめいている。
気まずい沈黙の中に、親しみが薄れ後悔が兆す。やがて、問うでもなく呟く。
「どうして――」
「迷惑だったか――」
「――そんな」
「変わらないといえば変わらないが、変わったといえば、変わった。多少は懐かしくもあるしな――」
「何、言ってるんです‥‥」
「少しは、大人になったな――ということさ」
「わからない」
「だいぶガキっぽくなくなった――」
「いやだな」
切って落とすように応える夏生のひんやりと無表情な横顔に視線をなげた壱岐が、また乾いた笑声を上げた。
「一見、気弱そうで、けっこうきついか――」
「それって、馬鹿にしてませんか――」
「感心している。気に障ったか――」
「そんなこと――ないですけど――」
「けど――」
「壱岐さんて――意外だと思って」
「それは、どうも――」
車はいつか高速を下り市街地に入っていた。
やがて、壱岐が車を止めたのは、このあたりにも近頃ふえてきたオートロックの高層マンションの前だった。
「寄っていくか――コーヒーくらいなら出る――」
壱岐の住居は贅沢な広さの2LDKだった。
グレーを基調にしたシンプルなインテリアに統一されたリビング――十五階建ての十三階の眺望に思わずバルコニーにむかう夏生に、カウンターごしにキッチンから声がかかる。
「アイスコーヒーでいいかな――」
その声にふりかえった夏生がうなずく。
冷蔵庫から取り出したボトルからグラスに注ぐ手元を視線で追う。
「何を――」
「ん?――」
「いま、何をしているんですか、家庭教師、バイトだったんでしょ」
「まあ――いろいろとな」
キッチンからでてきた壱岐が両手にもったグラスを応接セットのテーブルに置いてソファに腰を下ろした。バルコニーを背に立ったままの夏生をおもしろそうに眺める。
「仕事について、聞きたい?――」
「ええ、」
「自営業――」
あいまいにこたえ、取り出した煙草の箱から一本くわえ火をつける。うつむいた顔に突然、得体の知れない男を見て、夏生は息をつめた。
視線を上げた壱岐が苦笑する。
「よせよ――」
深々と吸い込んだ煙をはきながらソファに身を沈め、長い脚を組んだ。
「かけろよ――」
わずかに肩を落しむかいの椅子にかけた夏生がグラスを取り口に運ぶ。砂糖もミルクも入っていないコーヒーは苦かった。それでもそれがインスタントではないのが、夏生にもわかった。
「退屈――しのぎですか――」
「お互い様さ――帰りたくないんだろう?」
「――でも‥‥帰ったほうがいいのかもしれない――壱岐さんて、本当は恐い人だったりして」
「よせよ――」
壱岐は口端を歪める。
「時間――もてあましませんか」
「なぜ――」
「ぼくは――あまり会話って得意じゃないから――なぜ、誘ったんです――」
「けっこう楽しんでるがね――」
突然喉の渇きを覚えて夏生はグラスを呷った。
「これ――変った味ですね‥‥」
「オーダーメイドだ。下にサテンがあったろ――」
「ああ」
夏生は思い出す。ビルの一二階を占めたテナントのなかにしゃれたコーヒーショップがあったのを。
「病み付きになる――」
声に、
「え――」
問い返す夏生には応えず、ソファを立った壱岐は壁に作り付けの書棚からビデオテープのカセットを取り出した。
渇いた音を立て、再生をはじめた画面に目をやった夏生の顔に血が昇る。
明るくなった二十九インチの画面のなかにうごめくのは、全裸の人間だった。スピーカーから流れ出す声は、説明の必要もない。ほっそりと白い体を押し開いて浅黒い体がのしかかっていた。絡みつき、鮮やかに赤い乳首をもみしだく指に、白い喉がのけぞり、うわずった悲鳴を洩らしたとき、夏生は立ち上がっていた。
「か――帰ります――」
「いいのか」
その声にふと意識が眩むような覚束なさにとらわれる。これが現実とは思えない‥‥頭がぐらぐらするような、
非現実のなかに迷いこんでいくような‥‥乖離感――
ずきりと、股間が疼いた。夏生は自分がそれを期待していたことを、知った。
「好奇心は猫を殺す――知ってるか?」
「猫‥‥ですか‥‥」
「そう――」
「そんなに緊張しなくたって、とって食いやしない――」
壱岐が、薄く嗤った。
「君がいやならな――」
言って、腕をのばした壱岐が、そろりと、ズボンの上から夏生の股間をなぞり上げる。夏生は上擦った声を放ち、後ずさった。痛いほどにしなり立っていたそれを刺激されゾクリとするような快感が腰を這う。たまらなかった。
「ズボン、脱げよ――」
冗談事のように言いながら、見透かしたような壱岐の視線が重く絡みつく。夏生の顔に血が昇った。だが、股間の疼きはどうしようもなかった。
やがて、のろのろとベルトを外し、ズボンを脱ぎ落とす。男にしては色白のほっそりとした脚が露になる。
「ズボンだけ脱ぐというのも――なかなかにエロチックだが――その下も、脱いだほうがいいんじゃないか――」
顔のまわりに紫煙をくゆらせながら、なおも言いつのる壱岐に、すがるような視線を投げた夏生があきらめたように下着に手をかける。
腰を被っていた清潔な布地に押さえ込まれていたものが鎌首をもたげた。
「これはまた――ずいぶんと刺激されたものだ。かなり豊かな想像力の持ち主だな。君は――」
シャツの下に露わになる、薄い下腹と大人になりきっていない茂み、そこから突き出した先端はじっとりと潤み、ぬめった糸を引いている。
理性では考えられない自分の姿だった。言われるままに、親にさえ見せない自分の恥部を曝す‥‥ばかげている‥‥どうかしている‥‥すぐにズボンをはいて帰るんだ‥‥
頭の隅にささやく声を聞きながら、だが、夏生は動こうとはしなかった。
夏のせいだ‥‥この、熱気の‥‥
視線をさまよわせる夏生の耳を淫靡な喘ぎが満たす。
「ビデオみろよ、いいところだ」
声に誘われた視線の先に、自分と同じ年配の、際立ったところのない容姿の若者が、空ろに顔を歪め、仰け反っていた。その乳首を執拗に責めなぶっていた男がやがて体を起し、細い下半身が露になった。
両足を真横にまで押し広げられ、曝け出された股間に男の手が流れると、喘ぎはさらに高まった。
その、手元が映し出される。
握り締めたものを揉みしだくようにうごめく手に、息苦しさを覚え夏生が喘いだ。その耳に熱い息が吹きかけられる。
「してやろうか――」
いつのまに背後に回ったのか、壱岐の声に体が硬直する。夏生は応えなかった。
いや。応えられなかった。
して――と言うには抵抗があったが、嫌だと、退けることができなかった。
して‥‥ほしい、されて――見たい、頭の芯を焼く欲望が喉元まで出かかって、弾む息のしたに押さえこまれる。
だが、答えを待たず、壱岐の両手はシャツの下に潜り込み、左右の乳首を摘んでいた。
「あっ‥‥」
上擦った声を走らせる、夏生の股間をずきりと快感が突き刺した。執拗にすりあわされる、壱岐の指の下に甘く疼きだす。夏生は眉間を寄せた。耳にざらりと熱く舌が差し込まれる。頭のなかを舐め回されるような湿った音が耳にこもる。
「壱岐さ‥‥‥」
声は喘ぎに呑まれる。信じられなかった。ただ乳首を刺激されただけで、夏生のものはビクンと首を振り白濁したものを溢れさせていた。
「‥‥もっと‥‥」
思わず、口走る、夏生に、
「もっと――何かな」
白々しいと思える壱岐の声が返る。夏生はすすり泣いた。
「もっと――して‥‥」
「何を――」
「あんな風に――あ、あそこを――」
「あそこ?」
「ペ‥‥ニスを‥‥」
「ペニス――」
壱岐が薄笑う
「ペニスを?」
「‥‥しごいて‥‥」
「驚いたな、これを、しごいて欲しいのか――」
ぞろえりと、壱岐の手がそれをなで上げた。
「ああっ――」
ガクガクと膝が震える、もう耐えられなかった。壱岐の手を待たず、夏生は自ら、それをしごき上げていた。