サンセット・ダンシング / ハングオーバー
				
				ぐったりとソファに腰を下ろした夏生の前に再び満たしたグラスをおき、壱岐が薄嗤った。
				「君が、これほど淫乱だとは思わなかったな。どうだ、気持ちよかったか」
				思わず視線を上げた夏生はすぐまた、うつむき、唇を噛む。結局、壱岐は乳首を嬲る以外、何もしなかった。一人で昂ぶり、自分の手でいったのは夏生なのだ。
				ビデオに昂ぶり、自慰をして果てた――それでもなお、満たされないものがある。
				――あのビデオ‥‥
				夏生が果てたあともなお淫靡にもだえ続けていた白い身体――
				「どうして‥‥」
				思わず口走る夏生の耳に壱岐は口を寄せささやいた。
				「あんな風にして欲しいのか」
				再び、ぞくりと、背筋を戦慄が走る。身を固くした夏生が微かにうなずいた。
				「それにはな――」
				
				それには――
				
				
				
				部屋を出た夏生はエレベータで一階におりる。
				ぼんやりと開くドアを見つめていたが、思い出したようにエントランスに踏み出す、その夏生と入れ替わるようにエレベーターに乗り込んだ影に、ふと視線を誘われ振り返る、夏生の前にドアが閉まった。
				視線を上げる、夏生の目に、点滅する光が十三階で止まった。
				壱岐の部屋だ‥‥
				脈絡もなく思う。他の部屋だとは思わなかった、そのわけが不意に胸を突く。
				ほんの一瞬、すれ違っただけの人影に覚えがあることに気付いたのだ。
				あの‥‥ビデオの‥‥
				仄白い裸身を曝していた若者だったと、思った瞬間、ずきりと、どす黒い疼きに胸を咬まれ、夏生は呻いていた。
				
				
				
				       *
				
				
				
				「来たのか――」
				開いたドアの前に立つ夏生に、壱岐は苦笑を含む。
				夏生は顔を伏せた。その頬が屈辱に染まっている。一瞬の愉悦を双眸に絡め、壱岐は半身を開いて誘い入れた。
				リビングに夏生を置き捨てるようにキッチンに向かう。
				ロウテーブルの上からビデオのリモコンを取り上げたまま、スイッチも入れずに、冷蔵庫からコーヒーのボトルを取り出す壱岐を眺める、夏生が言った。
				「昨日‥‥会いましたよ‥‥一階で‥‥」
				その声に、壱岐がグラスを並べながら視線を投げる。
				「ああ?――」
				「この人‥‥ですね‥‥」
				合わせることを避けるように視線を逸らしビデオのスイッチを入れた。
				「で?――」
				「別に‥‥」
				口ごもる夏生には取合わず、両手にグラスを持った壱岐がリビングに戻りソファに腰を沈めた。
				「かけないのか?――」
				素気ない声だった。夏生は恨めしげな視線を戻す。くわえた煙草に火をつけるためにうつむいた顔には狼狽のかけらもなかった。
				あ‥‥ああっ‥‥あ‥‥ッ‥‥
				リビングを満たす切迫した喘ぎが、夏生の頭のなかに爪をたてる。
				淫らに、誇示するように、スピーカーからあふれだす声――思わず視線を向ける、夏生は干上がった唇を舐めまわした。
				「今日は‥‥いいんですか‥‥」
				「何が?――」
				画面では白い裸身が弓なりに腰を浮かせ、股間に漲り立ったものを両手で激しくしごき上げていた。
				「脱が‥‥なくて‥‥」
				上擦る声に唇を噛む、夏生にチラと視線を投げ壱岐は嗤った。
				「脱ぎたければ脱げよ。汚さずにすむ」
				突放すような声に、顔を伏せた夏生は、すでにズボンをつき上げてこんもりと盛り上がっているものを泣きそうな顔で眺めた。
				どうか‥‥している‥‥
				鼻の先であしらわれて‥‥どうして帰らないんだ‥‥
				ヒイッ〜〜ッ――
				夏生の煩悶を引き裂いて奔る嗚咽に、顔を上げた。視界に飛び込む白い股間。アングルが変っていた。思い切り開かれたそこを正面からとらえた映像はあまりにあからさまだった。薄い茂みに被われた双球をもみしだく浅黒い手、谷間の奥の窪みに赤くぬめりを帯びた襞を押し広げて抉りこまれた二本の指、その動きにあわせて痙攣する大腿――ぞわりと絡みあがる疼きに、夏生は己が股間を両手で押さえ込んだ。全身がかっと火照り、胸が息苦しく弾む。
				もう、我慢できなかった。ベルトを緩める手ももどかしく下着ごとズボンを引き下ろし、剥き出された己れを両手に握り込む。
				白々と据えられた壱岐の視線も、その視線の前に恥部を曝す屈辱も、もうどうでもよかった。
				夢中になって己れをしごき上げる夏生に同調するように画面のなかで白い裸身がうねる。耳を聾する喘ぎはスピーカーから流れ出たものか自分の口が放つものか――
				やがて、
				一際高く放たれた声とともに画面に白濁が散り、ノイズが流れた。
				フロアに膝をつき手のなかに果てた分身を握ったまま、喪然と、ちらつく画面を眺める、夏生の口に吐息が這う。
				どうして‥‥
				こんなはずではなかった。あまりに、あっけなかった。画面のなかに見た激しい官能の高まりに同調していたつもりが、あえなく果てて、置き去りにされた期待感だけがいまなお股間にくすぶっている。
				もっと‥‥
				もっと――なんとかしてほしい、泣きたくなるようなもどかしさに焙られ、救いを求めるように夏生は首を巡らせる。
				壱岐はだが冷めた視線を外した。
				壱岐の手で停止されたビデオに、リビングを充たしていたノイズが止む。
				静寂が、あたりを押し包む。
				壱岐さん‥‥
				喉が干上がっていた。
				夏生はグラスを取り、今では甘く感じるようになったブラックのアイスコーヒーを一息に飲み干す。
				「壱岐さん‥‥」
				それでもたちまちに干上がる喉に、弱々しい声はかすれ、ひび割れる。
				「何?――」
				「‥‥し‥て‥‥」
				「聞こえなかった――」
				「して‥‥ください‥‥」
				「何を?――」
				その白々しさに夏生は顔を歪めた。
				「続きを‥‥昨日の‥‥」
				唇の片端で笑う、壱岐の薄く開いた口に舐めずるようにうごめく舌が見えた。
				「いいよ――こいよ――」
				のろのろと立ち上がった夏生は下半身を曝したまま傲然とソファに背を預けた壱岐の前に立った。
				壱岐が腕をのばし、その、夏生に触れた。 それだけで、ぞくりと背筋を噛み上がる痺れに、夏生は小さな喘ぎを洩らす。たちまちにそそり立っていくものを、壱岐は触れるか触れないかのタッチでなぞり上げ、なぞり下ろした。そのつど、小刻みに体を震わせていた夏生がやがて、焦れたように呻いた。
				「壱岐‥‥さん‥‥」
				「何――」
				わざと手を止めて、壱岐が問い返す。
				「もっと‥‥」
				「もっと?――何――」
				「もっと‥‥強く‥‥して‥ください‥‥」
				「こうか?――」
				いきなり、だった。絡めた指に、容赦なく双球をひねり上げられ、夏生は体を二つに折るように腰を引いた。
				「ヒッ!――」
				激痛に喉をひきつらせ折り伏せた上体で壱岐の腕にしがみつく。
				「やめ‥‥て‥‥放して‥‥」
				涙をすすりながら切れ切れに哀願する声に、壱岐の指がゆるんだ。
				「悪い――ちょっと痛かったか?――」
				しれっと聞き返す壱岐に恨めしげな視線を上げる、夏生のものは、だが、まだ捉まれたままだった。
				「上も――脱いだらどうだ――」
				不様に腰を折り、痛みに下肢を震わせる夏生に、底光りのする視線を据えて壱岐は薄笑う。
				「放‥‥して‥‥」
				「このままだって脱げるだろ?――」
				言いながらやわやわと揉みたてる壱岐に、喉を震わせながら、夏生は真白い開襟シャツのボタンを外していく。
				夏生が一糸まとわぬ姿になるのを待って、壱岐はソファの上で腰をずらした。
				「かけろよ――」
				壱岐の手に捉まれたものを引かれてよろめく、夏生はソファに腰を落とし、身動いだ。ソファのレザーが不快に素肌に貼りつく。
				「脚を――上げろよ――」
				目顔で背もたれを示す壱岐に、夏生がたじろいだ。凍りついたように動かない夏生に、つと、壱岐の手が離れる。
				夏生は唇をかみしめた。
				肘掛に背をあずけた夏生は、片脚を背もたれにかけ、片脚を床に下ろしたあられもない姿で壱岐に向かい合うことになった。
				「なかなかな、眺めだな――」
				からかいを込めた言葉にうつむく、夏生の曝け出された股間を壱岐の視線が舐めずるように這い回る。
				だが、それだけで息を荒らがせる夏生に、壱岐が嗤った。
				自ら昂ぶっていく夏生がこらえきれずに焦れた視線を向ける。そうなってようやくに壱岐は夏生のものをなぶりはじめた。執拗に、容赦なく――
				なぞり上げ、握り込んだそれを、きつく、緩く、扱き、擦りたてる手に、やがて、白い下腹が、妖しくうねりだす。
				「ああ‥‥あはッ‥‥あ‥‥」
				あらがいようもなく衝き上げてくる、熱い喘ぎが喉を爛れさせる。
				壱岐の手に紡ぎだされる快感のうねりはだが、高処に弾けることはなかった。登りつめようとする刹那、スッとはずされる手に突放されるもどかしさ――
				官能の炎はじりじりと体の芯を焙り、燃え尽きようとはしない。夏生はいつか腰を浮かせ、おのれのものをさらに強く壱岐の手に擦りつけるように、くねらせていた。
				静まり返った室内にねっとりと這う吐息だけが澱んでいく。
				どれほどの間、それが続いたのか。
				「壱岐‥‥さん!‥‥」
				突然、泣きせがむような声に沈黙を破って、弱々しく夏生が叫んだ。
				「もう‥‥焦らさ‥‥ないで‥‥」
				「焦らす?――」
				その反問に夏生の顔が歪む。
				「でも‥‥」
				「そう――焦らしてるのさ――」
				壱岐は人の悪い笑いに口元を歪めた。
				「君は――あのビデオのように感じてみたい――だろ?――」
				その言葉に、夏生の視線がゆらいだ。
				「いくだけなら――自慰で充分だ――」
				その間も、壱岐の手は夏生のものを弄び続ける。熱くいきりたったものは堅く頭をもたげ、壱岐の手の動きにあわせその先端からぬめった糸を引いてヒクついている。
				「壱岐さ‥‥ッ――」
				不意に、弓なりに胸を突き出し腰を沈めた、夏生の息が詰まった。腰が溶け落ちる‥‥強烈な痺れだった。だがそれもまた、突き抜ける手前でぐずりと勢いを失い、鈍い疼きがじりじりと股間を食む。
				「無理だな――」
				夏生はすすり泣いた。
				「なんとか‥して‥‥もう‥‥」
				すがりつくように、ソファに爪をたてていた手がぎくしゃくと、股間にのびる。
				もう‥‥たまらない‥‥
				「壱岐‥‥さん‥‥」
				それと意識しない媚を含む声に、壱岐の目が細められた。
				目の奥にひそめられた愉悦を、だが、夏生は見てはいなかった。潤んだ双眸は淫らに開かれた股間に向けられ、己れをいたぶる手に絡めた指で必死に求める動きを促していた。 だが――
				それでもいかせてはくれない、壱岐は悪意さえ感じさせて執拗だった。
				暗い双眸の底に陰火をともし、夏生が焦れ狂うさまを貪るように、悶えさせ、泣かせる――
				その壱岐の腕にむしゃぶりついて、夏生は嗚咽した。いかせて‥‥と哀願する全身が小刻みに痙攣する。
				そうなって、ようやくに――
				巧みに、峻烈に、加えられる刺激に、夏生は生まれて初めて知る、視界が曝れるほどの快感に貫かれ――果てた。
				
				冷蔵庫が開かれ、閉じる、鈍い音が響く。 快感の余燼の中で、夏生はぼんやりとそれを聞いていた。
				マンションにきたのは昼前だったのに、部屋の奥にはすでに薄闇が漂いはじめている。
				「いつまでそうしているつもりだ?――」
				からかうような声が落ち、にぶい視線を返した夏生の前にアイスコーヒーのグラスを置き、壱岐がソファに戻った。
				果てたときのままに、淫らに股間を曝した姿でソファにもたれ込んでいる夏生を、壱岐の指がやんわりと弄ぶ。
				「まだ――したりないのか?――」
				まばたきし、頬を赤らめる、夏生のものはその刺激にまた形を変えはじめている。
				「元気なものだ――」
				壱岐は邪険にその先端を指で弾き、鋭く夏生を喘がせておいて、煙草に手をのばす。
				「壱岐さん‥‥」
				ゆるゆると吐き出した煙ごしに冷めた視線を向ける壱岐を、夏生は恨めしげに見上げた。
				わずかの間に羞恥心をかなぐり捨てたような夏生だったが、まだあからさまに、してほしい――とは言えない何かを残していた。そんな心とは裏腹に、体は知ったばかりの刺激を求めて底無しだった。
				脚を閉じるのさえけだるいのに、夏生のそこは、うずうずとくすぶり続ける執拗な痺れに熱っぽく脈打っている。
				無数の虫がうごめき、這いずり回っているような‥‥たまらなさ‥‥
				もう‥‥一度だけ‥‥
				怖ず怖ずと誘うように下腹に滑らせる手を、壱岐はだが冷たく一瞥し、言った。
				「シャワー、浴びてこいよ――」
				夏生は凍りついた。
				やがて、のろのろと背もたれに投げ上げていた脚を引き下ろし、ソファを立った。
				脱ぎ落としてあったシャツを拾おうと背を屈める、夏生がふと思いついたように顔を向ける。
				「壱岐さん‥‥さっき、無理って‥‥」
				「ん?――」
				「なぜ‥‥」
				「――あの、エクスタシー――あれは、ここでは得られない――」
				壱岐の右手が折り伏せた腹のしたに差し込まれ、半ば立ち上った夏生のものを握り締めた。
				「これを使わなければな――」
				左手が背筋を流れ、切れ込んだ谷間をなぞるように伝い落ちた。弾かれたように背を起こした夏生の喉が鋭く鳴る。痛みを覚えるほどに強く、壱岐の指がそこに押しつけられていた。
				ズキン――と。脈打つ。
				次の瞬間、壱岐の手は離れていた。夏生の脚が萎えた。シャツを握ったまま床に膝を落とす。
				「飲めよ――」
				テーブルから取り上げたグラスを夏生の顔の前につきつける。
				夏生はひったくるようにグラスを取り、冷たい液体を貪り飲んだ。
				よろめくようにバスルームに向かいながら、夏生は背後に微かな笑いを聞いたような気がした。
				
				
				       *
				
				
				路上にでた夏生を埃っぽい熱気が包み込む。
				陽は西に傾きはじめていた。
				ずるりと重怠い下半身を引きずるように歩いていた夏生は、やがて、道脇に脚を止める。
				家並みの間にのびる細い道は人影もなく、長くなった陰のなかに熱気を澱ませて静まり返っていた。
				その影の中に、うずくまるように、夏生は腰を落とした。
				背後に――そこにまだ壱岐の指が押しつけられているような痺れがあった。前に、握り締められているような重熱い疼きがあった。明日も‥‥来ていいですか‥‥と。口まで出かかって、呑み込んでしまった言葉が、頭のなかをぐるぐると駆け回っている。壱岐の前に曝した己れの痴態が目の裏にちらつき、我知らず、夏生は呻いていた。
				最低‥‥だ‥‥
				だが。呪縛されたように、夏生の思いは壱岐に向かってしまうのだった。
				その、長く繊細な指、その指に絡められて知らされたあの感覚――自分では決して得られなかった、頭の芯が白光に貫かれるような、灼熱感――
				もう‥‥いちど‥‥
				餓えたようにそれを求めている自分に気付き、弾かれたように立ち上った夏生はしゃにむに走りだす。
				違う――と、声にならない叫びを上げながら、懸命に走った。
				脚がもつれる。熱い息が喉を焼く。夏生の脚が止まった。
				どこか歪んだ翳りをまつわらせ人を見透かすような目が、からみつく。
				応えるように、ズクリ――と。荒く息を弾ませる夏生の股間が、疼いた。
				最低‥‥だな‥‥
				
				寝苦しい夜が明けて、両親もとっくに出かけたらしい、
				シン‥‥と、静まったダイニング、クリスタルガラスの仕切ドアごしに見えるリビング――昼前の外光は風でゆらぐレースのカーテンでやわらかく減衰し、室内は薄い影をたたえていた。
				微かな足音を響かせてガラスのドアを開ける。
				室内は家族のぬくもりを感じさせる、ベージュを基調としたシックなインテリアをしゃれたアクセサリーが飾っている。
				壱岐の部屋の、いっさいの温みを削ぎ落としたような冷たさを思い返す。
				あの‥‥ソファ‥‥
				冷たい、だが肌にねっとりと絡みついてきたレザーの感触が甦える、それだけで夏生の股間がズキリと疼いた。
				その疼きに駆り立てられるように、夏生は着ているものを脱ぎ落とし、ソファに横たわった。あの時壱岐に求められたように片脚を背もたれにかけ大きく股間を開き。白々と明るいリビングで全裸を曝して。己れを握り込み扱き上げる。双球をつかみ摺りあわせるように揉みたてる。
				弓なりに腰を浮かせ、荒い息に喉を焼きながら、だが、あの、腰がとろけそうになった痺れは来なかった。
				意識を晒す灼熱感も、なかった。
				最後の瞬間、夏生の理性はティシュをとり己れの迸しりを包み込むことを忘れなかった。
				滑稽だ‥‥
				嗤おうとして、このようなときにまで己れを捉えて放さないものに激しい息苦しさにかられ、夏生は喘いだ。
				かすれた、悲鳴を思わせる、喘ぎだった。