最近、彼が冷たい。
 殆ど家には帰ってきてくれないし、帰ってきたとしても、自分は既に眠っている時間だったり、起きていてもまた、顔も見せずに出ていく。
 仕事が忙しいから、なんて言っていたけれど、それが何処まで本当かなんて分からないものだ。
 だから、今日こそは、真意を問い詰めてやろう。
 私を放っておいた罪は重いぞ、克樹。

 最近、彼が苛立ってる。
 分かってるよ、それは。
 あんたがどうしようもない寂しがりの甘えっ子だってことくらい。
 でも、仕事が忙しいって言ってあるはずなのに。
 そんな事で駄々を捏ねるほど、子供じゃないって信じたいんだけど……無理か。
 そろそろ……潮時かな、清一郎。


「克樹、今日こそは私と会話をして貰うぞ」
「……なんだよ。今こうして「会話」してるだろ。聞いてるから勝手に話せよ」
「その前に、その手を動かすのは止めて貰おうか」
「時間がないんだよ。また、研究室に行かなきゃ。着替え取りに帰っただけだし」
 鞄の中からせっせと汚れた衣類引き出しながら、清一郎の方をちらりとも向かない。
「目も見ないで会話が成り立つわけがないだろうが」
「どけよ。邪魔」
 清一郎を無理に押し退けて、出した衣類を洗濯機に放り込む。
 そしてやはり清一郎を顧みることなく、鞄を持って自室に下がる。
「克樹!」
「入ってくんなよ! プライベートには立ち入らないって約束だろ」
「しかし、」
「なんでそんなに聞き分けが悪いんだ? 仕事が忙しいって事は、言ってある筈だろう? もうちょっとの辛抱だからさ。我慢しろよ」
「そう言って、もうほぼ半年だぞ!」
「たった半年だろ!!」
 きっと清一郎を睨み付ける。清一郎はたじろいだが、それよりも克樹への想いの方が上回るらしく、何とか踏みとどまった。
「もう何日君に触れていないと思っている」
「帰ってくる度触ってるだろ。2、3日のことじゃないか。……ああ! もうこんな時間だ!! 早く戻らないと!」
「待ちたまえ! まだ話は終わっていない!!」
「じゃあね、清一郎」
 服を詰め込んだ鞄を肩に引っかけ、克樹は軽く背伸びをして清一郎の頬にふっと口付けた。
 その事に清一郎が気が付く前に、嵐が去るように克樹は家を出ていった。


 克樹は、とある大学付属の工学系研究室の研究員だった。
 ロボットだとか……まぁ、清一郎の認識では、ともかく夢のある研究をしている。
 詳しい話を聞けば嬉々として説明をしてはくれるものの、そもそも理系畑ではない清一郎には分からない話が大半でちゃんと理解できているかは別の話だった。
 清一郎は、大学時代に始めた販売業がそこそこに当たり、この不況の中でもかなりの売り上げを誇る、しかしまあ小さな会社の社長だった。起業家の手腕もさることながら、その弁舌とモデル以上と評されるビジュアルから、雑誌やテレビなどでも取り上げられることが多く、そちらの方でもそこそこの稼ぎを上げている。
 そして何より、清一郎は克樹の研究室の出資者の一人だった。
 清一郎はビジネスマンとして相当に現実主義者ではあったが、それと同じくらい、筋金入りのロマンチストでもあった。夢のロボットを作るという克樹達研究チームの話に乗ったのも、その流れからだった。
 その二人が何故一緒に住んでいるのかは……まあ、何年間かの付き合いのうちに済し崩し的だったりもするのだが。
 そしてまた、二人が恋人同士の様な関係になったのも……まあ、人生なるようになるものだという見本の様なものだった。

 しかし、だ。
 清一郎が思うに、ここ半年ばかり克樹の態度が妙に冷たい。
 克樹の言い分としては研究が大詰めで忙しいらしいのだが、それにしても放って置かれている気がする。
 日曜出勤は当たり前だし、帰ってくる時間もまちまち。研究室に泊まることも多い。
 避けられているような気がするのは、多分気の所為ではないだろう。
 帰ってくる度、唇だけは許すものの、どうしてもその先に至る前に家を飛び出していた。
 清一郎としては、克樹と暮らして以来、非常に身辺も清らかに、克樹だけを大切にしてきたつもりではあるのだが……いかんせん、出会う前の遊び倒しは周知の事実だったので、強くも出られないのが実体だった。


 このままではいけないことは分かっている。
 克樹は飛び出したマンションの、一階ロビーのソファにどさりと鞄と自分の身体を下ろした。
 本当は、仕事はもう山を越えて、後は細々したところの修正と、最終チェックだけだ。
 克樹が幼い頃から憧れ、清一郎も便乗した夢が、もうじき形になろうとしている。
 なのに。
 清一郎の事を嫌いになったわけではない。
 まあ、克樹自身、性に関するモラルはそう高くなかったらしく、なんとなく始まった付き合いだったので、好きで仕方がないだとか、愛しているとか、そんな風ではなかったのだが。
 それでも、一緒にいるときの空気は心地良かったし、沈黙さえ怖くなかった。
 克樹が心地よく感じる距離感でいてくれる、そう言った意味では安心できる人間でもあった。自分の欲望に一見忠実な様でいて、実は不必要なまでに相手を気遣うその性格が、嫌いではなかった。

 苛々と考え込んではみるものの、どうにも落ち着かない。
 とりあえず、ここでじっとしているわけにもいかない。
 鞄を担ぎ直し、駐輪場に駐めてあった中型の愛車に跨り、仕方なく研究室を目指した。


「ただいまぁ〜〜」
「……帰ってきたのか? って、その前に、ここはお前の家ではないんだが……」
「いいじゃん。泊めてよ」
 同建物内にはまだ他の研究室員が大勢詰めているようだったが、克樹の所属する研究室に残っていたのは、室長で一応克樹の上司に当たる野村光陽と、技師の平村の二人だけだった。
 よろよろと部屋の片隅の仮眠用ソファに倒れ込む。
「こら。今日はみんな家に帰って仮眠室が空いている。そっちで寝ろ」
「いいじゃん……人がいた方が落ち着くし……」
「お前も帰らせた筈なんだがな」
「家出! 光陽までうるさく言うなら、ホテルでも行こうかな……」
 もう暫くまともに干した記憶のない毛布をずるずると胸の辺りまで引っ張り上げ、抱き込むようにして目を閉じる。

 実際、今夜の仕事は計器類の定期チェックくらいしかなかった。
 二人残っていたのは、一人だと仮眠が過ぎるかも知れないし、何より暇だからというだけの理由だったりもする。
「んじゃあ、俺がいるから、どっちか帰れば?」
「家に帰っても変わらんからな、俺は」
「いや……ちょっと慧子と喧嘩して……」
 光陽は単身赴任、平村は恋人と喧嘩中……克樹は、ぷっと頬を膨らませた。
 心を許している相手にだけは、そこそこに子供染みた仕草も見せる。
「なんだよ。俺と変わらないじゃないか」
「しかし、家があるのに半年近くもここに住み着いているのは、お前くらいのものだぞ。そんなに長らく喧嘩をしているというわけでもないんだろうが。それに、彼はこの研究室にとっても、」
「分かってるよ!!」
 怒声で光陽の台詞を遮る。強く二人を睨んで、克樹はぱっと毛布を頭まで被った。
「朝まで寝る。起こすなよ」
「…………お前、まだあのことを引きずって……」
「関係ないよ。お休みっ!」


 今日こそはと決意したものの、ああも邪険にされるとさしもの清一郎もかなり傷付く。
 暫く傷心のまま玄関に立ち尽くしていたが、決意を覆すほど打たれ弱くも出来ていない。
 半年は待った。
 この年になれば半年もそう長くは思わないが、それでも、清一郎も少々くたびれてきている。
 半脱ぎの仕事着というラフさにも構っていられず、キーケースとウォレットをスラックスのポケットに突っ込んで、玄関脇にあるクロークから赤いロングコートを出し、軽く羽織って部屋を出た。

 克樹の仕事場へは、プライベートでは行ったことがなかった。仕事でも、契約して数年経つがその間に1、2度しか訪れてはいない。いつも、克樹や、プロジェクトの責任者が清一郎の職場に出向くので、あまり必要がなかったためだ。
 ロボットを作るというのはとても興味の引かれるものだが、克樹はあまり清一郎に来て欲しくないようだったので、清一郎としても恋人の機嫌を損ねることはしたくなかった。出資者とプロジェクト遂行者という関係上、仕事の上でも親しくするのは望ましいことではない。克樹の態度はそうした考えに基づいたものなのだと思っている。
 だが、だからこそ、家の中でくらい親しくしていたかった。優しい言葉を掛け合って。愛し合って。
 公私の区別をはっきりさせられる自信はある。
 地下駐車場へ向かうエレベーターの中、苛立たしげに階数を示す表示を睨み続ける。
 エレベーターの中だと言うことも構わず、胸ポケットから煙草を取り出して火を点けた。克樹が嫌うため家で吸うことはないが、仕事中は常備している。仕事着から着替えてはいなかったので、ポケットに入ったままだった。
 思えば、自分は克樹のためにどれ程我慢をしているだろう。惚れた方が負けだとはよく言ったものだ。

 つきん、と微かに棘が刺さったような感触を胸に覚える。
 今更考えることでもないが……克樹は、自分をどう思っているのか。
 お互いに、そもそもホモセクシュアルではなかった。それが、まあ、「そういう関係」になって、今までにも悩むことがなかったわけではないが、その度に、面と向かって話し合い、それなりに解決してきたつもりでいた。
 しかし、今の克樹は自分の話を真面に聞きもしないし、話し合う時間もくれない。
 少しの疑心暗鬼も当然のことだった。

 灰を携帯灰皿に落とし、また深く吸う。
 その目の前で扉が開き、駐車場にたどり着いた。片隅に駐められた車に乗り込み、半分ほどしか吸っていない煙草を灰皿に押し付ける。
 そして、思い切るようにアクセルを踏み込んだ。


 克樹が所属する研究所は郊外……というより、既に隣の町との境界にあった。国道は通っているものの、そこからはそれて脇道に入るし、周囲には研究に関する施設以外、山と茂みばかりだった。
 夜になると、一人で行動するのはかなり怖い。誰かに襲われる、とか、そう言う類の怖さではなく、「人ではないもの」に対する怖さだ。
 そんなところを車でひた走りながら、研究所の明かりが見えたとき、清一郎は心底ほっとした。
 研究所までは一本道で、克樹とすれ違いや行き違いはないし、行き倒れている彼を見つけることもなかった。そして何より、清一郎は非科学的な存在が大変苦手だったからだ。

 建物自体からは少し離れた場所にある駐車場に車を駐め、足早に研究所へ向かう。
 しかし、守衛室には誰もいなかった。そして、清一郎はその建物の玄関の開け方を知らなかった。
 カードキーとナンバーキー、そして指紋。かなり厳重である。
 ドアを前にして立ち尽くす。
 来客用のインターホンがあるにはあるが、連打してもなんの反応もない。
「ちぃっ」
 歯噛みし、ドアをノック……というには過ぎた力で乱暴に叩く。
「いるんだろうが!! 克樹!!」]
 夜の静寂も手伝って、清一郎の声はひどく良く響く。しかし、防音の効いた建物の中まで聞こえているかと言えば、かなり怪しい。
「克樹っ!!」
 ただ虚しく声ばかりが響き渡った。


「……エンジンの音」
 微かに毛布から顔を出して、克樹は呟いた。
「ん……? あぁ、大方、他の研究室の人間が買い出しにでも出ていたんだろう」
 周囲が静かなので、窓に近ければ外の音も少しは届く。
「…………清一郎の馬鹿……」
「何か言ったか?」
「何も。…………誰かが怒鳴り込んでくるかも知れないけど」
 エンジンの音は、克樹にとってはひどく良く聞き慣れた音だった。そして、この研究所の辺りでは聞いたことのない音だった。
「人の気も知らないで……」
「どう言うことだ、克樹」
「知らない。誰か来ても、俺はいないって言っといてくれ」
 再び毛布に埋もれ、寝返りを打って光陽に背を向ける。
「…………平村、ここを頼む。俺は少し、外を見てくる」
「はい……何だってんです?」
「知るか。だが、克樹がこう言っているからな」
「結局暇なだけでしょ」
「まぁな」


「………………不審者か?」
「……そういうな。ここを開けてくれたまえよ」
 ヤモリ宜しくドアのガラスに張り付いていた清一郎に、こめかみを押さえながら光陽は近寄った。
 はっきり言って、このまま回れ右をして研究室へ帰りたい程だが、出資者と研究者という関係上、そう言うわけにもいかない。
 仕方なく、ロックを外して清一郎を中に入れる。
「助かる」
「何をしてるんです」
「話がある。克樹を出してくれ!」
「今何時だと……」
 必死の様子の清一郎とは裏腹に、光陽は呆れかえって疲れすら覚えた。
「克樹に会いたいと思うのに、時間など関係がない!」
「今仮眠を取っている。明日の研究に差し支えるから起こせない」
「時間は取らせん」
「貴方だって、明日の仕事があるでしょう」
「私一人どうということもない。私の部下は皆優秀だ」
「生憎、うちは人手が足りないものでね」
 そう言って踵を返した光陽の腕を掴んで引き止める。
「頼む!! 克樹に会わせてくれ!」
「……貴方の声は響きすぎる。時間をわきまえて貰えませんかね」
「すまない。しかし、」
 目に見えて暗く沈んだ清一郎を見て、僅かながら憐憫の情が浮かぶ。
 自分の人の良さに溜息を吐きながら、光陽は腕を掴む清一郎の手をそっと開かせた。
「………………これ以上騒がれては他の研究室に迷惑だ。……仕方ない。ついて来て下さい」
「ああ! ありがとう、野村君!!」


「……………………光陽なんて嫌い」
「そう言うな。玄関で騒がれたら他の研究室に迷惑だろうが」
「追い返せば良かったんだよ」
 克樹は毛布から出てくる気配も見せず、ただ光陽を詰った。
「今日こそは会話をして貰うと言った筈だ」
 問答無用で毛布を剥ぎ取る。最後まで抵抗して、克樹はころりとソファから転げ落ちた。
「いたっ!………………貴方からその台詞聞いたのは昨日の話だろ。それに、昨日、ちゃんと「会話」したじゃないか」
 決して清一郎と目を合わせず、克樹はぶつぶつと文句を垂れる。克樹の言うとおり、既に時計の針は12時を過ぎていた。
 光陽は呆れ顔で傍観を決め込み、また、平村は煎餅を囓りながら成り行きを眺める。暇を持て余していたところに丁度いい見せ物だった。
「光陽……他の研究室の人、気付いてなかった?」
「誰も来てはいなかったが……声は響いていたかも知れんな」
 克樹は重々しく溜息を吐き、ソファに座り直した。
 そして、冷たい視線を清一郎に向ける。
「だから嫌なんだよ。貴方、俺の立場、何だと思ってるわけ?」
 清一郎は剥いだ毛布を抱くようにして、克樹の膝元……床に座った。
「騒いだのは済まなかった。だが……こうでもしなくては、君と真面に話も出来なかっただろう?」
「…………確かに、真面に相手しなかったのは悪かったと思ってるよ。でも、だからって仕事場まで来るなんて……それが大人のすることかよ。これじゃあ、公私混同してるって言われたって仕方ないじゃないか!」
「プライベートでここに来たのは初めてだろう? 誰かにそんなことを言われたのか?」
 素朴な清一郎の疑問に、克樹はあからさまに表情を強張らせた。
 その表情に勘付いて、二人の間に光陽が割って入る。
「あのな、清一郎。克樹は疲れているんだ。今日はこの辺りで解放してやってくれ。そろそろ本格的に最終調整に入る。克樹の睡眠時間確保は重要なんだ。何せ、うちのエースだか……克樹、」
 克樹の手が光陽を押し退ける。
「いいよ。光陽……気を使ってくれなくたって」
「しかしな、」
 困惑した表情の光陽を制し、清一郎に再び視線を戻す。

「そうだよ、清一郎。貴方がこんな……夢ばっかりでちっとも実用的じゃない研究に出資してくれるのは、貴方が俺を気に入ってくれてるから、だろ。はなっから公私なんて区別なかった。俺が腰振って貴方に媚びて、それで出資してくれてる。それが嫌になったから、貴方から離れようと思った。もう、実用機の試験レベルまで研究も来ているしな。貴方と別れて、お金がなくなっても何とかなるところまで来てるし。……これでいい? 説明終わり。だから、帰ってくれないか?」
「克樹、言い過ぎだ!」
 声を荒げたのは清一郎ではなく光陽だった。清一郎は呆然として言葉も出ない。
 克樹の表情はより険悪になる。話は打ち切りだと言わんばかりに、固まったまま身動ぎも出来ない清一郎の手から毛布を引ったくり、頭まで被ってソファに寝転がった。勿論、皆には背を向けて。
「克樹、お前、いい加減にしろ!」
 光陽は勢いよく克樹から毛布を剥ぎ取った。
「何だよ、もぅ……眠いんだよ」
「お前、自分で何を言っているのか分かっているのか!? 寝ぼけているんじゃあるまいな」
「いい、野村君…………克樹の考えは……よく分かった…………」
 何故か自分事のように怒っている光陽のスラックスの裾を掴み、清一郎は諦めたような微笑みを見せた。しかし、強いショックからは立ち直れないらしく、立ち上がることは出来ないようだった。
「……克樹、仮眠室へ行け」
「…………分かったよ」
 ここでは寝られないと判断して、渋々毛布を抱えたまま立ち上がる。
「清一郎もだ」
「何で!! 清一郎が来るなら、俺はここで寝る」
「つべこべ言わず、さっさと行けっ!!!!」
 光陽の怒声が轟く。本気で怒っている光陽に逆らうのが得策ではないことを、克樹は良く知っていた。
 ひどい膨れっ面になりながらも、渋々従う。その後を、小さくなったままの清一郎が追った。

「仲直りするまで出て来るな」
「何で!? 横暴だ、光陽!!」
「克樹、いい加減にしろ!」
「何だよ……今更契約打ち切られたって平気だろ」
「常識でものを考えろ! それに、よしんば出資が必要なくても、お前には清一郎が必要なんだろうが!!」
 光陽の一言に、克樹は息を飲んだまま硬直した。
 唇が言葉を探して震える。しかし、思う様に台詞も出てこないまま、震えは肩にまで回る。
「俺が仲直りしたと納得するまで、鍵は開けてやらんからな」
 固まった克樹の背を押して清一郎の前に進ませ、光陽は部屋を出た。

 カチャリ、と外から鍵のかかる音がする。
 この仮眠室には、外からと内側からの二種類の鍵が付いていた。使っていない時には研究室の方から鍵をかけているし、使用中には勿論中から鍵がかかる。
 仮眠室と名は付いているが、それらしいものは簡素なベッドが一つあるきりで、部屋の8割は研究室から溢れた資料やこまごました部品で埋め尽くされていた。ベッドの一部まで浸食され始めている。その上、合間にはカップ麺やスナック菓子の空き袋などのゴミ類も窺える。
 足の踏み場がない、程度ではない。床が見えない。ものを踏まないことには、身動きどころか立っていることさえ出来なかった。


「……凄い部屋だな……」
「…………光陽が怒ってる……でも、片づけてもすぐにこうなるから……最近は諦めたみたいだ」
「座ろうか。ベッドの上なら、辛うじてスペースがあるな」
「…………うん…………」
 先程までの剣幕は何処へやら、克樹は覇気もなく清一郎に言われるままベッドに上がった。靴と靴下とを適当に脱ぎ散らかす。
 清一郎もそれに続いてコートと靴を脱ぎ、ベッドに上がった。
 足を下ろしておくスペースさえも怪しい部屋だ。完全に上がってしまう他ない。
 ベッドはあくまで家庭用シングル。大人の男が二人も上がれば、自然に至近距離になる。

「野村君にはああ言われてしまったが…………君が、本当に……私と別れたいのなら……私にもプライドがあるからな。潔く別れても見せよう。しかし……」
 清一郎の瞳が間近に迫る。澄んだ青い瞳が心の中まで見透かすようで、克樹は思わず目を反らした。
「私は、君を抱く代償に出資をした覚えはない。君だって、それは理解していると思っていた。今の今まで、仕事とプライベートを混同した覚えはない。今ここにいる私は出資者ではなく、君の恋人だ」
 克樹は俯いたまま顔も上げない。清一郎は焦れて、小さな溜息を吐いた。
「君は、混同していたのか? お互い家に仕事を持ち込んだことはなかった筈だし、仕事場に家庭の事情を持ち込んだのも今日が初めての筈だが」
「…………混同なんてしてない」
「しかし、先程の君の言では、仕事の為のプライベートだと言わんばかりだったぞ」
「プライベートと仕事は別物だ。……そんなことくらい、分かってるよ」
 至近距離で問い詰める清一郎の身体を押して、僅かに離れる。ベッドの端まで逃れ、小さく体育座りになる。
「克樹……なら、もう少し私を納得させることを言いたまえよ」
 躙り寄る。克樹の逃げ場は失われた。壁に背が付いてしまっている。
「寄ってくるなよ」
「君が逃げるからだ」
 迫る清一郎に対し、怯えるように身を竦ませる。
「泣くことはないではないか」
「泣いてなんか……っ」
 強引に頤に手がかけられ、上を向かせられる。咄嗟に振り払おうとした手は絡め取られ、壁に押し付けられた。
 細い手首が清一郎の力に負けて悲鳴を上げる。

「痛いだろ、離せよ!」
「素直にならない君が悪い」
 片手で清一郎に抗することは出来ない。力の差は歴然だった。
「十分に目が潤んでいるぞ」
「清一郎なんか大っ嫌いだ!」
 顎を掴んだ手の手首に爪を立てる。しかし、清一郎は怯みもしない。
「……また爪を噛んでいるのか……あれ程磨けと言っているのに」
 清一郎の顔が近付く。そして、爪を立てたままの克樹の指に舌を這わせる。
「っ! ぅ、や……」
 びくりと克樹の身体が震える。逃れるように清一郎から手を離す。深爪の御陰で、爪痕は残っていない。
「何すんだ、馬鹿っ!!」
「君のイイ声を久々に聞いた。やはり……いいものだな」
「なっ…………このエロオヤジ!!」
「仕方がないだろう。あんな声、何ヶ月聞いていないと思っている」
 言うなり顔が近付く。克樹は咄嗟に唇を引き結んだ。
 清一郎の舌が下唇を、そして上唇を何度も辿る。その先を知る克樹の唇が薄く開けられるのに、さほどの時間は要しなかった。

 唇が合わさる。歯列と歯茎を辿る舌先が、その間からもっと奥へと滑り込む。
「んっ……ふ…………」
 克樹の身体から緊張が解けていく。清一郎はとんでもなくキスが巧かったし、克樹はキスに弱かった。大体、求められるということ自体に弱い。与えられることより、与えることにより強い快感を覚える。
「ぅ……ぁ……」
 絡み合う舌。濡れた音が克樹の羞恥をそそる。いつの間にか閉ざした瞳の縁が、仄かに紅く染まっていた。
 離れて彷徨っていた手は清一郎のシャツを掴み、精一杯清一郎に応えようと微かに震えてさえいた。
 混じり合った唾液を嚥下する。溢れ零れた分が頤を流れ、喉を伝った。

「っ……は、ぁ……っ……」
 僅かに目の焦点が合っていない。清一郎は克樹のそんな様子に満足し、舌先で唾液の跡を舐め取ってやる。
 キスで火の点いた身体は、そんな刺激にさえ簡単に反応を返してしまう。
「ぁっ、や、清一郎、嫌だ……」
「身体はそうは言っていないようだが?」
「…………恥ずかしいこと素面で言うなよ! だから"オヤジ"だって言うんだ」
 そう怒鳴りながらもぎゅっと清一郎にしがみつく。快感の余韻が克樹を不安にさせていた。

 この半年というもの清一郎にも触れさせていない身体に、触れた人間などいる筈もなかった。
 溜まった熱は自分で逃がす。けれども、その先の快楽を知る身体では、そう上手くいくものでもなかった。
 それでも蟠(わだかま)る感覚に目を瞑り、ちょっとした解放の他は仕事に打ち込むことで昇華させてきた筈だった。
 しかし…………。

「いい顔をしてくれる」
「ふぁ……や……」
 耳元で囁きながら耳朶を喰む。克樹は清一郎の身体に腕を回し、強く抱き付いた。
 半年ぶりの克樹の感触が堪らなく心地いい。克樹のふわふわとした癖毛を撫でながら、それとなく首筋や背中に愛撫を施す。軽く触れる度に小さく震える様が、とてつもなくいとおしかった。
 克樹にとっても、清一郎の手も、温もりも、声も、何もかもが抗いがたいものだった。

「や……やめろ、清一郎……」
「何故? 君だってこんなに心地良さそうにしている」
「駄目……だ…………」
「無理をする必要はない」
「声……」
「ん?」
 必死の思いで温もりを突き放す。克樹は胸の辺りのシャツをぎゅっと掴んで俯いた。
「声……響くから……」
「気にするな。聞かせてやればいい」
「…………光陽達じゃなくて……その…………他の……」
 睨むように顔を上げる。けれど言葉尻は消え、視線は諭すような清一郎の瞳にぶつかって表情が歪んだ。
 何かを言いたげな表情だが、それ以上言葉は出てこない。
 言葉を紡ぐように唇が戦慄いたが、それだけだった。
「他の……何だ? 野村君達が気にならないなら、他の人間だって気にしなければいい」
「そういうわけに行くかよ!!」
 不覚にも、気が昂ぶりすぎて眦から涙の雫が零れる。

 頬を伝う冷たい感触にはっとして、克樹は顔を覆って俯いた。
「克樹…………何があった」
 克樹の様子に尋常ではないものを感じて、清一郎はそっと克樹の肩を支え、顔を下から覗き込んだ。
「言いたまえ」
 ふるふると首を横に振る。
「野村君達は気にならない、と言うことは、彼らではなく、他の研究室の人間に関係するのだな?」
 克樹は動かない。
「何をされた?」
「何も……」
「何を言われた?」
 突き放すように、清一郎の身体に手を当てて押す。しかしそれは力無く、何の意味も為さなかった。
「何を言われたのだ」
「…………何も…………」
「何もなくて泣くのか、君は」
「…………そうだよ。放っといてくれ……」
「こんなに一人悩み苦しんでいる君を放っておける程薄情な人間ではないぞ、私は」
 大きな手で頬を包み、涙に濡れる顔を上げさせる。そして涙を吸った。

「ん……」
 克樹の瞳は閉ざされ、けれども清一郎を受け入れる様子で抗いはしない。
 額や頬、瞼に口付けを繰り返す。清一郎の優しい行為に、再び克樹の身体から力みが抜ける。それを見計らって、清一郎は克樹を強く抱き締めた。
「君の苦しみは私の苦しみだ。何故もっと素直にならない? 私は君に苦しんで欲しくなどないのだ」
「ぁ……清一郎……」
 どさり、と、そのままベッドに押し倒す。スプリングのないベッドは、少々乱暴にしただけですぐに軋む。
 克樹は清一郎に口付けるように首を伸ばした。しかし、清一郎の顔はするりと克樹を擦り抜け、首筋に吸いつく。
「駄目……だってば……」
「君だって、私を欲しているだろう?」
「駄目…………」
「声なんて気にすることはない。まあ、余人に聞かせるのは勿体ないが」
 首筋を強く吸う。克樹の顎が跳ね上がり、唇から熱い息が洩れる。
「っ……や…………清一郎、駄目だ……」
「君が欲しいよ」
「……………………家に……帰ろ……?」
 丁度克樹の口元は清一郎の耳の辺りにある。
 甘く熱い声が、清一郎の耳を擽った。
「家に帰りたいよ。……ここじゃ、嫌だ……」
「…………分かった。君がそう言うなら。……話すことも、触れる事も、許してくれるのだな?」
 克樹は躊躇いながら、けれどもはっきりと頷いた。
 それを見て取って、清一郎は身体を起こし、克樹も起こさせて衣類を整えた。
「聞き分けがいいな」
「久々に君のいる家で眠れるのなら、私は何だってするさ」
 喜々とした清一郎の言葉を嬉しく思う自分に気が付き、克樹は自分も相応に清一郎を求めていたことを痛感する。

「野村君、聞こえるか? 私達は仲直りをしたぞ!! 家に帰りたいから開けてくれたまえ!」
 さっさと靴を履いてコートを羽織り、ドアを何度か叩く。克樹もそれに続いた。
「開けて、光陽。俺も家に帰りたいから。……清一郎と一緒に」
 最後は恥ずかしいのかひどく小さな声だったが、克樹も光陽を呼ぶ。
 暫くして、鍵を回す音がした。
 開いたドアの向こうには、光陽が仁王立ちしている。
「まったく人騒がせな……」
「ごめん……」
「とばっちりを食らうのは御免だぞ」
「うん……あの、俺達、帰るね。……ありがと」
 申し訳なさそうに上目遣いで見詰める克樹の髪を、光陽は自分の子供達にするのと同じようにくしゃりと撫でた。
 清一郎はとてつもなく何かを言いたげな表情になったが、また話を拗れさせるのも嫌なので何とか台詞を呑み込む。
「行くぞ、克樹」
「うん。……あ、光陽。明日、休んだらごめんね」
「構わん。期待しとらんからな。それよりは、ゆっくりしていろよ」
「ありがとう。じゃ、ばいばい」

 部屋を出て並んで階段に向かう。階段には数人の人影があった。
「っ……」
 人影の人相が分かると、克樹は唇を噛んで足を速めた。
「克樹?」
 克樹の行動の意味が分からず、克樹に合わせて歩く速度を上げる。
「こんな夜中に騒ぎやがって、他人の迷惑も考えられねぇのかよ」
 下卑た声が掛けられる。
「ホ●に何言ったって無駄だぜ。常識なんて持ち合わせてるわけがねぇだろうが」
「なっ……君達、今の言葉、」
「清一郎。行くよ」
 反論しかけた清一郎の手を掴んで強く引っ張る。
「克樹、しかし、こいつらは」
「行くよったら……」
「へっ、良くやるぜ。さすが、自慢の尻で誑かしてるだけのことはあるよなぁ」
「っぅ……」
 無遠慮な手が克樹の双丘をぐいっと掴む。しかし、克樹はただ声を呑んでそれを堪えた。
「貴様……」
 間髪入れず、容赦のない清一郎の手がその手を掴み捻り上げた。
「くそっ、痛ぇじゃねぇか、放せよ!!」
「清一郎!! いいから、放せ!」
 克樹の鋭い声が飛ぶ。
「しかし、こいつらは君を侮辱したのだぞ。その上、よりにもよって君に触れるとは、許せるものか」
「放せ! 問題を起こすなよ」
「お前ら、目障りなんだよ! どうせ金と身体の関係のくせに! そんなに餓えてるなら、美少年でも美女でも連れてきてやるよ。だからうちにも金を寄越せってんだ」
 清一郎の気配が殺気立つ。
 克樹はより強く清一郎を引っ張った。そして、男の手を掴んだままの清一郎の指を強引に開かせる。
「清一郎。帰るんだろ。こんなの持って帰るつもりか」
「君はこのままでいいのか!?」
「だから、あんたがここに来るの、嫌だったんだよ…………いいよ。好きにしろよ。俺は一人で帰るから」
 きつく清一郎を一瞥すると克樹は手を放し、一切を無視して階段を駈け降りた。
「あ、克樹、待ちたまえ!!」
 克樹に置いて行かれては堪ったものではない。男達を放り捨て、清一郎も階段に続いた。


「待ってくれ、克樹。すまなかった」
「……いいよ。早く帰ろ。車、開けてよ。バイクは置いて帰るから」
「ああ」
 開けられた車の助手席を少し倒し、身を沈める。高級車らしく、シートの座り心地も寝心地もかなり良い。
「克樹……彼らは、いつも君にあんな振る舞いを?」
 慎重に車を発進させながら、隣で目を閉じている克樹に話しかける。怒りはまだ覚めやらない。
 しかし、克樹は黙ったままだった。
「あれだけ侮辱されて黙っているのか!!?」
「…………侮辱されてるのは貴方もだろ!! それに、俺は……」
 寝返りを打つように清一郎に背を向ける。車のシートとしてはそう狭くもないが、大の大人が横になるのに広いわけでもない。
「「俺は」なんだ?…………君が研究室で言っていたのは、彼らが言った事なのだな? 君が本気でそんな事を考えていたとは思えないが?」
「…………だって……」
「何だ? こっちを向きたまえ」
 器用に運転しながら、克樹の肩を持って自分の方を向かせようとする。
 克樹は嫌がりながらもそれに従い、清一郎の顔が自分の方を向けないことを知りつつ見詰めた。

 …………やっぱり、綺麗な顔だった。
 怒っても……いや、怒って感情がむき出しになっているからか、余計に綺麗だった。
 男の顔に見惚れることなど滅多にある経験ではないはずだが、清一郎と一緒にいるとそう珍しいことでもない。
「……見詰めないでくれないか。気恥ずかしい。それに、そんな事では誤魔化されんぞ」
「そんなつもりじゃないよ」
 克樹には、自分が貶められていることに対する苛立ちは殆どなかった。それより腹が立つのは、彼らの言い分が、清一郎のことも貶しているように聞こえることだ。
「貶されてんのは、貴方もだろ……。あの人達が、研究行き詰まってるわ、資金調達も滞ってるわで殺気立ってるのは分かってるし…………俺一人なら、何言われたって大丈夫だけど……でも……俺らを二人纏めて貶されると、めちゃくちゃ腹立つ……」
「克樹……」
 ふわり、と清一郎の表情が緩む。
「それは、私の為に怒ってくれたのだと受け取っても良いのかな?」
「……勝手にしろよ」
 克樹の可愛い台詞に、清一郎の怒気は空気に溶けて消えた。しかし、それだけで全てを許し受け入れられるほど、心の広い人間にもなれない。
「……まさか、彼らの為に、私を半年も避けていたのではあるまいな?」
 肝要な部分をズバリ聞く。
「そんな事……あるわけないだろ」
 言葉のキレが悪い。

 清一郎は深夜で人通りもないのをいいことに路肩に車を寄せ、車を駐めて克樹に覆い被さった。
「なっ……退けよ」
 近付く顔に、手を当てて押し返す。しかし、清一郎も負けてはいない。
「嫌だ。……君が真実を口にするまでは」
「………………だったら、どうだって言うんだよ。あいつらの為に貴方を避けてたとして、だから、何? 無用な争いをさっきまでしなくて済んでたんだから、それでいいじゃないか」
「あんな愚か者共の所為で君が傷付き、そして、私が長らくお預けを食っていたのなら……許し難いからな」
「何、それ…………そりゃ……貴方を放って置いたのは……悪いと思ってるけど……」
 微かに押し返す力が弱まる。その隙に、清一郎は克樹の柔らかな頬に口付けた。
「っ、や……もう……離れろよ」
「半年分のツケは大きいからな。分割払いにしてあげようというのだ。少し我慢したまえよ」
 まだ顔に触れたままの指に、分かり易い動きで舌を這わせる。にやりと笑った顔の壮絶なまでの色香に、克樹の顔がさっと紅く染まる。
「家に帰るんだろ!?」
「勿論。少し触れ合いたいだけだよ」
「全部纏めて家で一括払い」
「駄目だ」
 舌先が指を絡め取り、くちゅりと濡れた音を立てて転がす。
 震えた背筋に、克樹は抵抗の無意味さを知った。
「………………ちょっとだけ……だからな」
「聞き分けの良い君が好きだよ」
「子供扱いすんな」
「分かっているさ。子供にこんな事は出来ない」
 長く綺麗な指がシャツのボタンを外していく。克樹は諦めて目を閉じ、清一郎に一切を委ねる。

 かくん、と、シートが更に倒れる。清一郎の手が伸ばされ、レバーを引いていた。
「……最後までは嫌だからな」
「分かっている。こんな狭いところで無理をして君に傷でも付けたら大変だろう。少しばかり君を味わいたいだけだ。あんまり君が可愛いことを言ってくれるものだから、家まで私が持たない」
 肌蹴たシャツの間から手が差し入れられ、慈しむように何の柔らかみもない胸を撫で擦る。
 半年ぶりのその感触に肌が粟立った。手の暖かみが心地いい。胸の突起を指先が掠める度身体が跳ねる。
「ぁ……清一郎……」
 抵抗を止めた手から口を離し、避けるように首筋へと舌を這わせる。受け入れるように上げられた頤を辿り、喉元へ軽く歯を立てる。
「君の肌は、相変わらず甘いな……」
 熱を秘めたハスキーな声で囁かれると、ひどく落ち着き、甘えたくなる自分を自覚する。
「……エロオヤジ」
 素直にはなりきれない。しかし、清一郎には全てお見通しだった。
 お見通しだ、と言うことを分かっているから、克樹は余計可愛くない口を利く。それが、清一郎には愛らしく、いとおしく思えてならなかった。
「ぅ…………や……」
 器用に手が滑り、ズボンのファスナーを下げる。
 入り込んだ手が微かな反応を示している克樹のモノをやんわりと包み込む。
 克樹は腕を伸ばし、清一郎を抱き寄せた。

「っ」
 狭い車内で、清一郎は腰の辺りをハンドルにぶつけた。そもそも、克樹はともかく清一郎は車内で動けるほど小柄ではない。
「君だけではなく、私も怪我をしてしまいそうだな」
「……だから、家に帰ってからって言ってるんだよ」
「では……」
 にやり、と笑う。こんな時はろくでもないことしか考えていないのを知っている克樹は、嫌な予感に眉を顰めた。
 トランクスを掻き分け、克樹自身を晒す。何をしようとしているのかに気付き、咄嗟に逃げようと動いたが、どだい無理な話だった。
 克樹の腕から半ば抜け、そこに顔を寄せる。
「ぁ……っや……ぁ……」
 清一郎を抱く腕に力が入る。コートを掻き毟るように掴んだ。
 熱い舌が絡み付く。
「……駄目……だ…………。汚れる……」
「心配はいらない。全て受け止めるさ」
「……っ、馬鹿……話すな……」
 口に含んだままで話されると、微妙な振動がより伝わる。無意識に逃れようと腰を捩るが、場所の都合もあって難なく制される。
 半年の無理は随分と祟るようだった。
 口唇で軽く扱かれると、それだけで抗い難い感覚が突き上げてくる。
「っ……ふ……ぅ……」
 片方の手で清一郎の髪を掴み、もう片方の手の甲を口元に当てる。
 強く目を閉じた。もう、抗う意識も持てない。
「ぅ……ぁ……あ、っ……ぁ……」
 堪えることも出来ず、あっさりと清一郎に屈する。
 それ程の溜めも、昂ぶった想いもないまま清一郎の口の中に精を吐き出す。

「………………早いな」
「……………………うるさい…………仕方ないだろ……」
「安心したよ。私以外の誰も、君には触れていないのだな」
「当たり前だろ!! 貴方じゃないんだから!……もう、いいだろ。早く帰れよ」
 無理矢理清一郎を押し退け、さっさと衣類の乱れを直す。
 清一郎は憮然とした表情で身体を起こし、微かに口の端についていた粘液を手の甲で拭った。
「聞き捨てならないな。私だって、数ヶ月前に君として以来、誰とも夜を共にしていないのだぞ」
「え?……………………………………あれ? マジ?」
 克樹は心底意外そうな顔をして清一郎を見詰めた。
「誰を抱いたところで、君ほどしっくり来る相手はいないだろうからな。付き合い始めた頃に痛感している。…………君、ねぇ……もう少し、私のことを信用してくれたまえ。君だけを愛しているのだよ、私は」
 怒っていると言うよりは悲しげに見詰め返されて、克樹は申し訳なさそうに俯いた。
 確かに、さすがに酷い事を言った気がする。
 煮詰まっていたのは自分だけではなかったのだ。それに気付けないほど、余裕を失っていたらしい。
「…………ごめん……」
「……まあ、信用がないのは今更かも知れないが」
「だって……貴方の事なんて、周りの女の人達がほっとかないじゃん…………貴方、据え膳食わぬは男の恥、って感じだし」
「武士は食わねど高楊枝、だ」
「それじゃあ、本当は食べたかったんじゃん」
「………………………………さて、帰ろうか」
「そこではぐらかすなよ」
 ぷぅっと頬を膨らませる。けれど、言葉と表情ほどには、克樹は怒っていなかった。
 海綿が水を吸い込むように、清一郎の言葉と醸し出す空気が自分の中に染みこんでいくのが分かる。
 清一郎との他愛もない会話に餓えていたのは、どうやら自分の方だったらしい。膨らませていた頬の空気を呑み込み、小さく苦笑を洩らす。
「車出せって。あれだけで終わる気はないんだろ?」
「あっ、ああ」
 その微妙な変化にはついて行けなかったが、克樹はシートを倒したまま背を向けてしまったので、清一郎は仕方なく滑るように車を発進させた。


「あっ……あぁ、や…………」
 清一郎の手が蠢く度、克樹の身体が切なげに震える。既に立っていることも難しく、清一郎の手と背後のドアだけが身体を支える術の全てだった。
「や……ぁ……は……」
「大人しくしていたまえ」
「っ……ゃだ…………ベッド……」
「これ以上待てない」
 着ていた筈のシャツは既に腕にかかるだけになってしまっていた。ズボンも同じ事で、足首まで下がって身動きを抑えている。
 玄関のライトに当たり、清一郎の舌が這った痕跡が濡れて光っている。
 あっさりと陥落した身体は、清一郎の与える快楽にひどく従順だった。

 マンションの自室に帰り着くなり、閉めたばかりのドアに克樹は押し付けられ、長らく唇を奪われた。
 抗う間もなくシャツやズボンのボタンを外され、手が身体中を張った。
 唇が離れてもそれは止まず、耳朶、首筋から肩口、鎖骨、胸の突起、二の腕に至るまで、味わうように丹念に舌を這わせられ、清一郎の手が股間にまで到達した頃にはすっかり克樹は身じろぎも出来なくなっていた。

 暫く股間を嬲っていた手が太腿を掴み、上に上げる。
 するりとズボンから足を引き抜き、もう片方の足も同じようにする。
 何をしようとしているのか、克樹は霞みがかる頭の片隅でぼんやり考えた。
 立ち上がった茎から滲む粘液を絡め、清一郎の指がその奥を弄る。
「ぁ……っん……や」
「嫌、とは言わせない。君だって……ほら、私を欲しがっているだろう?」
「やっ、ぁあ!」
 意地の悪い指先が、ピンと茎の先を弾く。克樹の身体が面白いように跳ねた。
 シャツが絡んで動かし辛い腕を必死で伸ばし、清一郎に強く縋り付く。今頼りに出来るものは、確かな清一郎の身体しかなかった。
「私だって、君が欲しいのだよ。分かるね?」
 耳朶を甘噛みしながら囁かれ、克樹は何を考える余裕もなくただ繰り返し頷いた。その様子を見て清一郎がどんな微笑みを見せたのか、幸いにして視界には入らない。
 指が奥まった襞の間に潜り込む。前から滴る液体を塗り込めるように蠢かせ、更に深いところへと進入を果たす。
 快楽を得ることを覚えて久しいにも関わらず半年の間誰も触れていなかったそこは、ひどく狭く、しかし十分な熱を孕んで清一郎の指を銜え込んで引き込もうとする。
「っあ……いた……い…………」
「久しぶりだからな。我慢したまえ。慣らしてあげたいが、私が持たない」
 そう言う清一郎の呼吸も荒い。
「ちが……っ……せ……なか…………」
 指先が清一郎の背を掻く。爪が短い所為で指が滑るらしく、何度も繰り返しシャツを掻き毟る。
「すまない。これならよいな」

「やっ、嫌だっ!!」
 強引に手を離させ、克樹の身体をひっくり返す。
 途端に克樹は激しく抵抗し、力の抜けた身体ながら必死で清一郎を突き放した。
 しかし、すぐにくたりと力が抜け、ドアに縋りながら床に膝をつく。
 その克樹の背に、清一郎は覆い被さった。
 これ程の痴態を見せられて、我慢もいよいよ限界に達している。
 問答無用で克樹の細い腰を掴んで上げさせ、指を3本押し込んで抜き差しさせながら背筋に舌を這わせる。
「ぁ……やっ……清一郎……ぃ……やだっ……」
「我慢したまえ」
 あっさり一言で応え、スラックスのファスナーを下ろす。既に十分いきり立ったモノをもどかしげに取り出し、指を引き抜いてもまだ緩みきってもいないそこにぴたりと当てる。
「っ……くぅ……」
 それでも更に抵抗して、克樹は無理矢理上体を捻って清一郎の方を向いた。
 唇が物欲しげに開き、赤い舌と白い歯が微かに覗く。
 吸い寄せられるように清一郎はそこに口付けた。もう、限界だった。
 舌を絡ませあいながら、清一郎は一気に腰を進めた。
「ふっ……ぅぐっ!……んっ、んぁ……」
 衝撃に克樹の瞳が大きく開かれる。しかし、それでも苦しい体勢を止めようとはしない。片腕を後ろに伸ばし、清一郎を求めて彷徨わせる。
 清一郎は清一郎で、そんな克樹の様子に気を遣う余裕すら失っていた。
 抵抗するような仕草に煽られ、頭を無理矢理ドアに押し付ける。征服欲、独占欲、そういったものが清一郎の全神経を支配していた。

 頬がドアに押し付けられる。
「嫌……清一郎、嫌だ……っ」
 逃れようと藻掻く度、より押さえ付ける清一郎の手に力が籠もる。
「いや……清一郎っ、嫌、だって……!!」
 こんな乱暴な行為を求めた覚えはない。
 ただひたすら込み上げる嫌悪感と恐怖心に克樹は今までより強く抗い、ぐいっと無理に振り向くやいなや、渾身の力で清一郎の頬を平手で打った。

「いい加減にしろっ!」
 克樹は肩で息を吐きながら、涙と汗に塗れた顔で清一郎を睨み付けた。

「……あ……克樹……?」
 口の中に鉄錆びた味が広がる。その味わいに、微かに清一郎に冷静さが戻った。
「こんなっ……こんなの……嫌だっ……」
 堪えることも出来ないまま、克樹の瞳から大粒の涙が止め処なく流れ落ちる。
「克樹……私は……」
「そりゃ、俺の我が儘でっ……貴方に無理させてきたのは分かってるよ!! だけどっ……俺っ…………俺だって……………………貴方の顔見ながらじゃないと嫌だ……こんな……強姦紛いなんて嫌だっ…………もっと、ちゃんと…………」
 強く唇を噛む。
「ちゃんと…………」
 それ以上自分の口ではどうしても言えなくて、克樹は唇を震わせて言葉を呑み込んだ。
 言いたいことは沢山ある。しかし、その全てが見えない壁にでも阻まれているようで、どうしてもその先に出てこない。
「……すまない……克樹…………」
 荒い呼吸を何とか落ち着かせようと、溜息混じりに清一郎が呟く。どんな状況であっても、結局清一郎に出来る事は克樹の意思を優先させることだけだった。
 華奢で柔和な外見とは裏腹に、克樹はかなり我の強い方で、気も強く滅多に泣き顔など見せない。情事の最中にだって、涙を零すにまで至ることは殆どなかった。
 その克樹が大泣きしている。その事実だけで、清一郎を正気に返すには十分だった。
「……どうかしていた、私は…………」
 泣き崩れている克樹の頬には、ドアに押し付けられた痕がくっきりと残っている。
「っ……ぅあ……」
 正気に返っても萎えてはいないモノを引き抜き、克樹を抱き起こす。
 犬が傷を癒すように、頬の紅い痕をぺろぺろと舐める。涙と汗で、そこは塩辛い味に濡れていた。
 服は着たまま逸物だけを出している、という情けない恰好もそのままに、克樹を抱き上げる。
「すまない…………ベッドなら……許してくれるか?」
 慎重に確かめる声に、克樹はこくりと頷いた。そして、清一郎の首に腕を回し、しっかりと抱き付く。
「ちゃんと…………してくれるなら……何処でもいい……」
 拗ねた声がどうしようもなくいとおしい。
 清一郎は寝室に直行した。

 柔らかなベッドマットとスプリングが克樹の身体を優しく受け止める。
 もう、先のような抵抗はなかった。
 目を細め、愛撫を施してくれる清一郎を見詰め続ける。
 そんな表情をされてはこれ以上勢いに任せて組み敷くことも出来ず、清一郎は優しく克樹に触れた。
 その間にも、器用に服を脱ぎ捨てる。
「清一郎…………きて…………」
「珍しいな。君からそう言ってくれるとは」
「……………………我慢してたのは……貴方だけじゃないんだからな……」
「そんな台詞を言うときは、せめて睨むのは止めにして貰いたいものだな」
 指先がつ、と克樹の瞼を撫でる。心地よさそうに閉ざされたそこへ、軽く口付ける。
「……今日は、顔を見せてくれるのだな。いつもは恥ずかしがるのに」
「…………………………だって、そうじゃないと……貴方の顔が見えないだろ……」
 薄く開いた瞳に清一郎の姿を捉え、儚げな笑みが満ちる。
 覆い被さる身体に腕を伸ばし、しっかりと抱き寄せる。互いに女のような柔らかみはないのに、触れ合う肌がどうしようもなく心地いい。
「君にそう思って貰えるとは…………少しの時間をおくことも、大切なものだな。……だが、二度と御免だぞ」
「分かってるよ……」

 片手が克樹の癖毛や頬を擽る。そうしながら、清一郎はもう片方の手の指を舐めて濡らし、早くも乾きかけている克樹の奥まった粘膜に触れた。
「っ……」
「こんな事がまた起こったら、私は君に何をするか分からんぞ。…………君を二度と……外には出さないかも知れない」
「ん……っ…………いいよ……」
 微かに上体を上げ、克樹は清一郎の唇に囓りついた。
「そこまで…………してくれるのなら…………」
 清一郎の顔を手で包み、深く唇を合わせようと引き寄せる。唇の間から濡れた音が立った。
 その音に耳を犯されるようで、克樹の身体が小さく震える。
「本気にするぞ」
「……いいよ…………でも……貴方も、ずっと、一緒だからな…………」
 絡み合う舌。その合間の会話。
 どちらのものとも判別の付かない唾液を嚥下しながら、とてつもない充足感に包まれる。
 清一郎の手の動きが妖しさを増す。
「ぁ……ひ……ぁ……」
 無理矢理ながら一度怒張を受け入れた襞は容易く指を呑み込み、それでは足りないと言いたげにひくついている。
「克樹、いいな……」
 また抗われては堪らない。
 清一郎の情欲に掠れた懇願に、克樹は来るべき衝撃に目を瞑りながら、確かに頷いた。

「く……ぅぁ……あぁっ……」
 先に受け入れたとはいえ、やはり清一郎の逸物は十分すぎる重量感だった。半年ぶりのその質量に克樹のそこもなかなか馴染まず、ただ押し開かれる圧迫感に引き攣るような声が洩れる。
 なんとか呼吸を整えて受け入れようとはするものの、微かにでも身動きされるとすぐさま清一郎の背に爪を立ててしまう。
 清一郎は清一郎で、こちらも半年ぶりの熱い感触を茎に感じ、すぐさま放ってしまいたい衝動に必死で堪えていた。
 律動を始めずとも、無意識に蠢く襞とその奥のみっちりと包み込まれる感触に気が遠くなる。
 今まで相手に不自由をしたことはなかったし、ここまで餓えた思いをしたこともなかった清一郎は、かなり馴染みのない類の焦燥感を覚えた。
 初めての時のような感覚に、二人して苦笑が洩れる。
「大丈夫か、克樹」
「ぁ…………貴方こそ……っ……」
「いつも程には持たんぞ」
「ん……俺も………………若い……よね、俺達も……案外……」
「ああ……そうだな…………」
「……動いて……」
「大丈夫か?」
「いいからっ…………慣れる……から……」
 ぎゅっと清一郎に抱き付く。
 女が受けるよりかなり腰が不自然に上げられていて体勢は辛いのだが、そんな事に構っていられるだけの余裕はなかった。
 克樹に促され、清一郎は抽送を始めた。
 唇に齎される甘い口付けも、身体を貫かれる衝撃も、最早認識されるにはいたらず、ただただお互いの熱と存在に翻弄されるだけだった。


 それから数週間後。

「何だ、克樹。帰っていたのか。総仕上げの時期なのだろう? こんなに早くに帰ってきて、大丈夫なのか?」
 堪りに堪った鬱憤を晴らした後の清一郎は、実に物分かりのよい、いい恋人になっていた。
 お預け期間の終わりがはっきり見える様になってきたというのも、清一郎の安心感に繋がっている。
 克樹の研究室は今、数日後に控えた企業相手のプレゼンの準備で大わらわの筈だ。
 時刻はまだ夕方から夜に変わったばかりである。最近はずっと午前様や朝帰りが続いていたので、ひどく珍しい時間だった。
「う、うん…………早く帰らせて貰った」
 玄関で清一郎を迎えた克樹は、慣例のお帰りなさいのキスを清一郎の頬にしながら、にっこりと笑った。ひどく機嫌がいい。
「大丈夫なのか?」
「うん。…………それより、さ。お土産が、あるんだ。早くリビングに来て」
「? 珍しいな。君から私に贈り物など」
「偶には……ね。この間は、貴方に凄く迷惑かけちゃったし」
「気にすることなどないのに」
 上着を玄関のクロークに掛ける間ももどかしいらしく、克樹は清一郎の手を取って引っ張った。
「子供だな、君は」
「いいから、ねぇ」
「分かった分かった。そう急かすな」

 リビングには、一抱えか、それには少し余るかも知れないくらいの大きな段ボール箱が置いてあった。
「何かな?」
「開けてみてよ」
 始終にこにこしている克樹の顔から目が離せなくなりつつも、促されて梱包のガムテープを剥がす。
 中には、発泡スチロールと緩衝剤に包まれた丸いものが入っている。
「何だね、これは」
「出してから聞いてよ」
 箱から出してみると、思ったほどには重くない。
 スチロールと緩衝剤を取り除くと、直径20センチほどの紫色をしたまん丸い物体が5つ程連なった物が現れた。
 紫と言っても艶消しのメタル色で、手触りもそこはかとなく優しげだった。
 色がこうまで奇抜でなければ、国営放送で暫く前に放映していたクレイアニメのキャラクターに似ている。
 それはとても見覚えのある形をしていたが、清一郎の認識上にあるものとは色がかなり違った。
「…………プレゼン用のものを持ち出したのか?」
「まさか。これは、貴方専用。プレゼン用なんかと一緒にするなよ。思いっきりカスタマイズしてあるんだから。それに、あっちはこんな一般受けしそうにない色には塗ってないよ。この色…………前に貴方が好きだって言ってたと思うんだけど……違った?」
「いや……よく覚えていたな。しかし、」
「製作に必要な機械類は借りたけど、材料費はちゃんと自分持ちだよ。……現実的なこと考えるなよ。…………嬉しくない?」
 不安そうに首を傾げて清一郎を見詰める。
 それを見た清一郎のなけなしの理性は、あっけなく崩れ去った。

 手にしていた球体を箱に戻すやいなや、克樹の細い身体を抱き締める。
「ちょっ、ゃっ、ぅん……」
 いきなりの事に抗う間も与えられず唇を貪られる。
「んっ、んーー!」
 叩いても引っ張っても動じない清一郎に、気の済むまで喰らい尽くされ、克樹は疲弊して清一郎の腕に体重を預けた。
「っ……は、ぁ…………もう…………いきなり、……何」
「余りにも君がいとおしいからだよ。ありがとう、克樹。愛しているよ」
 美しい顔に輝かんばかりの笑みを浮かべてそう言われ、克樹は真っ赤になって顔を背けた。
「………………恥ずかしいだろ。馬鹿」
「こういう時は、君からも言って貰いたいな」
「やだ。それより、機能の説明してやるから、離れろ」
「ああ。君が私にくれた大切なものだからな」

 ………………しかし、清一郎が少しばかり後悔したのはそれから数分も経たないうちだった。
 手渡されたマニュアルの厚みと、それからほぼ一晩続いた克樹の愛の籠もった(何に対しての、かは言わずもがなだろう)レクチャーに、清一郎の泣き声が響いたとか、響かなかったとか。

おしまい
作  水鏡透瀏

 拍手! 
↑WEB拍手です
現在のお礼SSS 5本 詳細

戻る