今から帰ります、と連絡したら、佐助さんがお迎えを申し出てくれたが、丁重にお断りした。
上杉道場と武田道場は、そこまでの距離がなく、十分歩いて帰れる範囲だったのだ。
海沿いの道路を、幸村くんと2人で歩いて帰る。相変わらず、隣に並ぶんじゃなくて、
私が幸村くんの背中を追っかけているように見える位置。だけど・・・。
・・・だけど。
「 本当にどこも悪くないでござるか? 」
「 うん、大丈夫 」
幸村くんが、歩調を私に合わせてくれている。
もうふらつくことはないけれど、確かに走るようなことまでは出来ないだろう。
明日は幸い土曜日で、お休みだ( お館様が、転入初日は疲れるだろうからと考えて調整してくれたのだ )
2日も休めば、今日の怪我なんてあっという間に治るだろう。
・・・週が明ければ。
きっと『 今まで 』とは違った学校生活が待ってる。あんな・・・かすがのように、私を『 私 』と
認めてくれるような友達はいなかった。だから、来週から送る学校生活は。
「 殿・・・嬉しそうで、ござるな 」
「 うん・・・ここにきて一週間も経ってないのに、今までとあまりに違っていて 」
「 違っていて? 」
「 ・・・泣きたく、なる 」
『 今まで 』の常識なんて、役に立たない。新しい感動ばかりで、胸が埋め尽くされていく。
どうして、あの頃はあんなに辛かったんだろう。なんて、自分は小さかったんだろう。
今・・・私はどうして、こんなに幸せだと思えるんだろう。
目の前に広がる海は、夕陽を浴びてオレンジ色に染まっている。やがてやってくる青の世界の中で、
あの日・・・私は縮こまって、座っていたのを覚えている。
もし・・・あの辛かった日々の代わりに『 現在 』があるだとしたら。
決して『 過去 』は無駄じゃなかったんだって、思えてくるから、すごく不思議。
「 殿に泣かれるのは・・・某、非常に困るのだが 」
「 あ、そ、そうだよね、ごめんなさい 」
「 いや、そうではない・・・その・・・ 」
言いにくそうに、というより、何て言ったらいいかわからない、という表情。言葉を必死に選ぶ幸村くんを見て、
私はその時がくるのを待っていた。そして、彼は口を開く。
「 泣きたいのなら、泣けばいい。涙を溜めるのは、身体に毒でござるよ 」
思いついたことが嬉しい、そんな笑顔を浮かべた幸村くんの顔が、途端に青くなる。
突然・・・私の瞳から、涙が零れたからだ。泣きたくなるとは言ったけれど、幸村くんの何気ない、
優しい一言が・・・すごく、嬉しい。
「 ううっ・・・ふ、え・・・ 」
「 殿っ!? 」
「 ご、ごめ・・・ううう、ひっく・・・ 」
心配しないで、ごめんね。そう謝りたかったけれど、もう言葉が言葉にならないほど、涙が溢れていたので。
その場に立ったまま泣いていると、私の頭をそっと撫でる手があった。
幸村くんの、手だ。ぎこちないけれど、一生懸命に。脂汗をかきながら、苦手な『 女性 』に
手を伸ばして、必死に慰めようとしようとしてくれてる・・・。
「 ・・・ふふっ 」
「 、殿、あの、某・・・やっぱり余計なこと、だったでござるか? 」
「 ううん、そんなことない。嬉しいの 」
「 ・・・なら、よいでござる 」
「 うん・・・ 」
鞄から取り出したハンドタオルで目元を拭って。オレンジ色の夕焼けに照らされた、幸村くんと視線を合わせる。
あの日も・・・幸村くんは、こんな瞳で私を見つめていた。星屑のような、優しい光を湛えた瞳。
青い世界で光る、一番星。
「 あーっ!いたいた、旦那ーっ!!ちゃーんっ!! 」
「 佐助 」
「 佐助さん! 」
手を振りながら歩いてくるのは、夕焼けの中でも目立つ赤毛の彼。
小走りに近づくと、私の額を見て、眉を寄せてため息を吐いた。右手で、そっと前髪を掻き分ける。
「 ・・・痛むかい? 」
「 ううん、謙信さんが手当てしてくれたおかげで、全然 」
「 連絡を受けた時はビックリしたよ。来るなって言われたけれど、心配でさ 」
「 ありがとう、佐助さん・・・ 」
「 どういたしまして。まったく、かすがちゃんも遠慮ないんだから・・・ 」
「 ・・・かすがのこと、知ってるの? 」
「 もちろん。この街の可愛い女の子は、みんなチェック済み♪ 」
「 さ、佐助!破廉恥なァ!! 」
「 旦那が色恋沙汰に興味があれば、そういう情報、教えてもよかったんだけど 」
「 そ・・・そんな、必要・・・ 」
「 はいはい、興味でたら色々教えてあげるから、言ってよね 」
真っ赤になって唸る幸村くんを、上手にあしらう二人は、本当の兄弟みたいだ。くすくすと笑っていると、
背後から私の名を叫ぶ、大きな姿を見つけた。幸村くんが、ぴんっ!と背筋を正すと、一目散に駆け出した。
「 おや・・・ 」
「 お館様ぁぁぁっ!!! 」
「 幸村ぁぁぁっ!!! 」
熱い拳を、出逢い頭に交えるのは武田流・・・とか?( え、でも、佐助さんのそんな姿は見たことないし )
怪我でもしないものかとオロオロしていたら、肩を抱き寄せる強い腕があった。
「 だーいじょうぶ。あの2人だけ、いつもああなんだ。武田の流派とかじゃないよ 」
「 ( ・・・見抜かれてる ) 」
「 さて、帰ってご飯にしよう!ちゃんも、心身共に疲れただろうし 」
「 うん・・・お腹、空いてきちゃった・・・ 」
「 よろしい!さあ、帰ろうか・・・置いてくよー、2人とも 」
「 幸村ぁああ!! 」
「 お館様ぁああ!! 」
騒がしい2人を横目に、私は佐助さんと笑いながら家路に着く。
ご飯の支度にとりかかる頃、汗まみれの2人が帰ってきて、先にお風呂に入ってもらった。
4人揃ったら、佐助さんお手製のお料理を中心に食卓を囲んで。
TVを観て、また笑って、おやすみの挨拶をして、今日一日を振り返りながら眠りにつく。
そんな『 当たり前の 』生活が、訪れるなんて思ってもみなかった。
お父さん、お館様みたいな、素晴らしい人が親戚にいて、幸せです。
お母さん、ここでは、佐助さんも幸村くんも、私を大切にしてくれるんです。
もう『 未来 』を疑わなくていいんです。
もう・・・不安に怯える必要が、なくなったんです。
私は祈るようにゆっくり目を瞑って・・・眠りの世界へと旅立った。
今日も、窓から絶え間なく潮騒が聞こえる。
そして、それはきっと明日も、明後日も・・・。