: after and ever
幾つもの春を、夏を、秋を、冬を過ごす。
季節は、そうして巡っていく。時間は、移ろう景色と共に過ぎていく。
小太郎さんを思い出さない日はない・・・だけど、思い出す回数は少しずつ減っていく。
それが、刻が経つということ。いつの間にかあの本も消え、夢も見なくなり・・・。
覆われていた殻を脱ぐように、日々成長しながら、私は『 今 』を生きていく・・・・・・。
「 さん、お昼はもう行ったかしら? 」
「 まだこれからです。この資料だけ整理したくて・・・ 」
「 先に行ってらっしゃいな・・・ふふ、ありがとうね。
資料の片付けなんか気にせず、卒業していく人が多いのに。とっても嬉しいわ 」
「 いえ、とんでもないです・・・じゃあ、お言葉に甘えて 」
そうしなさいな、と微笑んだ顔に綺麗に皺が浮かぶ。
この教授の、細やかな心遣いに触れるのが好きで、大学に来ているといっても過言ではない。
( いや・・・もちろん、卒論を仕上げなきゃいけなかったのもあるけれど・・・ )
自宅から一時間半かけて通うのは大変な時もあるけれど、ゼミだけ出れば良い4年生になってからは、 随分と楽になった。おかげで、こうして穏やかな時間も、たまに味わえる。
歴史学の権威である教授の元で学べるのは、すごく幸運なことだった。
良識があり、人柄にも優れていた教授は、普通の学生より、随分と遅れて入学した私のことも、 他の学生と同じように接してくれた。
おかげでこの4年間・・・もう悔いがないといってもいいほど、多くのことを学んだ。
もうすぐ、卒業。
その前に、ゼミ室に散乱していた大量の資料を、少しでも片付けようと思ったんだけど・・・。
学食に行く前に、図書室に寄って行こうと、資料を担いでドアまで近づいたところで・・・。
両手が塞がって、扉も開けられないことに気づいた。
・・・ど、どうしよう。一度扉を開けてから、担ぎ直すしかないかな。
どこか資料を置ける場所を目で探していると、偶然にもその扉が開いた。
「 ・・・・・・・・・っ!? 」
自動で開く訳がない。
当然、扉の向こうに居た人物が、急に目の前に現れた資料の山に、息を飲む音がした。
「 あっ・・・ごめんなさい!あの、その扉、閉めないでもらえますか!? 」
「 ・・・・・・はい 」
私の声に、教授が奥からやってきた。
そして、ああ、とのんびりした声を上げて、彼の名前を呼んだ。
( 私には、聞き覚えのない『 名前 』だった・・・ )
「 彼ね、来年からうちのゼミに入ることが決まっているのよ 」
そう言ってころころ笑った教授に、ぺこりと彼は一度頭を下げると。
持っていた資料が急に軽くなる・・・どうやら、彼が大半を持ってくれたらしい。
遠慮しようと思ったけれど、止める前にもう部屋の外へと出て行ってしまった。
せっかくだから手伝ってもらいなさいな、と教授は言って、また奥の部屋へと戻っていく。
私は慌てて、廊下をゆっくりと歩んでいく・・・彼の背中を、追いかけた。
ここでいいです、というと、スチール製の棚の前で立ち止まる。
私は、棚に並んだ冊子の隙間へと、資料を戻していく。
それを見ていた彼も、持っていた資料を手際よく棚へと返してくれた。
自分よりも頭ひとつ分以上背の高い彼のおかげで、梯子を利用せずに済んだ。
二人でやれば、すぐに終わった。あっという間に片付いた棚を見上げて、私は満足そうに頷く。
「 助かりました。私一人だったら、もっと時間がかかってたかも 」
「 いえ、俺は・・・ 」
ふるふる、と首を振ると、長めの前髪が左右に揺れた。
今時珍しい・・・謙虚な姿勢に、こっそり笑う。
「 ありがとう 」
その言葉に・・・彼が、はっとしたように顔を上げる。
・・・けれど次の瞬間、私の顔を見るなり、驚いたように口を開いて。
顔を真っ赤にしたかと思えば、今度はすぐに青ざめた。
・・・それも、そのはず。
私の瞳から・・・突然、涙が零れ落ちたからだ。
「 ・・・・・・あ、れ 」
泣くつもりなんか、これっぽっちもないのに・・・( どう、し、て )
その上、止まらない。いくら資料室に人気がないとはいえ、ちょっと恥ずかしい。
初対面の、それも後輩の前でとめどなく泣くだなんて・・・。
焦れば焦るほど、流れてくる涙に困っていたら、す、と何かが差し出される。
赤い顔をした彼が、私へとハンカチを差し出していた。
「 ・・・ごめん、なさい・・・ありがとう・・・ 」
「 ・・・・・・・・・ 」
申し訳ないな、と思いつつもそのハンカチを受け取って、涙を拭いていると。
一体、どうしたというのだろう・・・伝染したかのように、今度は彼が泣き出す。
同じように戸惑っているのが、わかった。私は手を伸ばして、そのまま彼の頬に触れた。
「 ・・・・・・・・・っ 」
「 ふふ・・・何だか、変なの。どうしたんだろうね、私たち 」
「 ・・・そう、ですね 」
大人しく涙を拭いてもらった彼が、少しだけ微笑んだ( この笑顔・・・どこか、で・・・ )
記憶の中の『 誰か 』と一致するようで、しばらく思案していると、さん、と呼ばれた。
「 ・・・どうして、私の名前を? 」
「 教授に・・・読ませてもらったんです。さんの、忍者をテーマにした卒論 」
「 そっ、それは・・・あの、とっても恥ずかしい、です 」
「 すごく面白かった、です。あんな奥深い文章、書く人に、一度逢ってみたかったんです 」
「 奥深い・・・かなぁ 」
「 ええと、なんていうか・・・読んでいて温かくなる、というか・・・ 」
そう言ってて、彼も恥ずかしくなってきたのか、頭を掻いて俯いた。
真っ赤だった私の頬が、次第に緩んでいく。ふふ、と笑って、彼に手を差し出した。
「 です。どうぞ、よろしく 」
「 こちらこそ・・・先輩が卒業する前に、お逢いできて本当に良かった 」
きゅ、と握った手のひらが、温かい。私を真正面から覗いた瞳が、優しい光を称えていた。
「 私、これからお昼なんだけど・・・もう、済ませた? 」
「 いえ・・・ご一緒しても、いいですか 」
「 もちろん、ぜひ!! 」
よかった・・・と、はにかんだような彼の微笑みに、自分の頬の熱が上がるのが解った。
( わっ・・・私ったら・・・何で、急に、ときめいて、るんだろう・・・ )
照れを誤魔化すように、肩から提げていた鞄の紐を握って、資料室の出口まで足早に進む。
静かに自分の後を着いてくる気配が、この扉をくぐって来た時よりも、ちょっとだけ愛しく思えた。
背の高い彼の隣に並んで、私たちは、歩き出す。
少し早い、春の気配を含んだ温かな風が・・・寄り添った二人の間を、吹き抜けていった