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「 ・・・小太郎、さん・・・ 」

呼べば、すぐに駆けつけてくれた忍は・・・もう、居ない。
整えられた病室のベッドを撫でる。皺一つないシーツ。

ここに・・・彼は座って、ずっと手を握っていてくれたのだ。











『  』











頭の中で反芻した、小太郎さんの声無き『 声 』にリンクするように・・・。
自分の名前を呼んでくれている声が、私の中に響いた。
ゆっくり瞳を開くと・・・てっきり、小太郎さんが居てくれていると思ったのに。
そこにいたのは、離れて暮らしていたはずの、両親だった。

「 ・・・・・・お、父さん・・・お母さん・・・ 」

破顔する二人の間に、小太郎さんを探してみたけれど、見つけられなかった。
( 忍である彼を、私が見つけられることなど、出来はしないのだけれど・・・ )

その後、麻酔が解かれたことを知って顔を見せた先生が、手術の成功を告げた。







それから・・・退院までの間。
呼んでも、探しても・・・小太郎さんが、姿を現すことは無かった。

小太郎さんは・・・旅を終えて、還ってしまったのだ。







撫でていたシーツに屈んで、頬を寄せた。
ここに在った温もり・・・それを忘れることなんて、出来やしない。
だって、確かに『 彼 』は存在していたのだから。
それを覚えているのが、たとえ私だけだったとしても。

私が覚えてさえいれば、小太郎さんがこの時代に存在した『 事実 』は消えないのだ。

、と私を呼ぶ母親の声が、病室の外から聞こえた。
入院中、今までの時間を埋めるように両親がずっと傍にいてくれた。
そして・・・療養の必要がなくなったので、これを機に実家へと戻ることになった。
両親の住む家が、これからの私の『 家 』になる。
・・・もう、ここを訪れることは無いだろう。



だから・・・これで、最後にするの。
小太郎さんの姿を追い求めるのも、探すのも・・・彼の名前を、口にすることも。



「 小太郎さん 」



私、本当はいっぱい聞きたいことも、伝えたいこともあったんです。
けれど・・・無理だった。聞いてしまえば、伝えてしまえば、崩れてしまうと思った。

彼が、私と誰かの面影を重ねていて・・・それが『 姫様 』だということは、途中で気づいてた。
それでも良かった・・・どんな理由があろうと、小太郎さんの視線は、私を見てくれている。
( それは、あの時代では叶わなかったことだから・・・ )
重ねていても良いんですよ、と告げれば、彼の動揺は解かれたかもしれない。
どうして知っているのだと言われても、最初から説明すれば、いずれは納得してくれただろう。
時空間を越えてきた小太郎さんだからこそ、きっと私の話を信じてくれる。

でも・・・小太郎さんの口から『 姫様 』のことを聞くのが、怖かった。
一度口にしてしまえば、紐を解くように、私も彼に尋ねてしまうだろう。
もう二度と見れなくなってしまった『 夢 』の結末を・・・。

他の女性のことを聞くのが嫌だなんて・・・醜い女の嫉妬だと、笑われてしまうかな・・・。



『 姫様 』と小太郎さんの『 幸せ 』を願っていたはずなのに。

今の私が・・・が、小太郎さんに愛されていると・・・知ってしまったから。



「 小太郎さん、好きです 」



小太郎さん、小太郎さん。
私たち、どうして逢うことができたのかわからないけれど。
今はその出逢いに・・・心から感謝しているんです。

小太郎さん、小太郎さん。
どうか、時空の果てに戻ったとしても、貴方に限りなく愛している者が居ることを忘れないで。
二度と逢えなくても、小太郎さんが好き。だから私は、時間も場所も越えて、想いを送ります。



私は此処で生きて、この時代を生き抜いて。

一生、貴方を忘れずに・・・今度こそ貴方の『 幸せ 』を心から祈っています。



「 ・・・ありがとう 」



ありがとう・・・私と出逢ってくれて、私を愛してくれて、ありがとう。
私も、小太郎さんのこと、本当に・・・本当に、大好きでした。



「 ・・・小太郎、さん・・・ 」



最後にもう一度だけ・・・『 彼 』の名前を呟いて。
私は、荷物を詰め込んだバッグを持って、頭を下げる。
ふいに頬を伝う雫が、ぱたり、と床に落ちた音がした。



・・・窓は、閉めたはずなのに。
さらりと肩を滑り落ちた髪が、応えるように、一瞬だけ風に靡く。

いつも・・・手の平に言葉を綴る優しい指先のように、そっと掠めるだけの・・・・・・。








それは、小太郎さんが私の為に置いていった『 風 』に、間違いないと思った。