真っ暗な空に、ぽっかりと浮かんだ大きなおつきさま。
ああ、なんて綺麗な夜。ああ、なんて・・・気持ちの良い夜なんだろう。
夜風が火照った頬を撫でる。それは少しだけ冷たかったけれど、ほろ酔いの私には気にならない。
むしろ、その冷気が落ち着いた頃に、ぽっと蝋燭が灯るように身体が火照る。
その感覚が心地良くて、余韻に浸っている。
転ばないようにだけ気をつけながら、通いなれた裏通りを歩いていた。
・・・・・・ざわり、
突如、脳裏を過ぎった『 予感 』に、身体が反応して、その場で立ち止まる。
鼻を突く、強い匂い・・・鼻を押さえたが、もう忘れられない。これは、血の匂いだ。
自宅と、勤め先の飯店を結ぶ小道。毎日、それこそ何度も往復している道に・・・違和感がある。
大通りからずれた通りだから、極端に人目は少ない場所だったけれど、土地勘のある私には怖くない。
今夜は少し遅くまで飲みすぎてしまったから、女の一人歩きは危険だよ、と何度も仲間に注意された。
だけど、ほんの数刻なのだ、自宅までは。悪いヤツが出てきても、私、逃げ足にはちょっと自信があるんだ!
なんて軽口叩いて出てきちゃったけれど・・・( 本当は運動音痴のくせに )
「 ( ・・・どうして、こんな路地で・・・ ) 」
誰かが、死んでいるということだろうか。さっと酔いが醒めていく。
すぐそこの角をひとつ曲がって、少し歩いた先にある角をもう一回曲がる。
そうすれば、夜半でも比較的人の往来がある通りに出るはずだ。私は包みを抱えて、一つ目の角を曲がる。
「 ・・・・・・・・・っ!! 」
曲がったところで、足が止まった。つま先に、何かが伝ってくる。一歩引くと、ぴちゃり、と音がした。
それが血溜まりだったと気づいた視線の先に・・・蹲る『 何か 』と、立っている『 誰か 』。
空を仰いでいた『 誰か 』は、私の視線に気づいて、焦点を私へと向けた。
「 ・・・おや 」
ぶん、と両手に握っていた剣を振って血糊を落とすと、鞘に収める。
その優雅とも見える一連の動作に、私は見惚れていたけれど・・・彼が私に一歩、近づく気配に、
ぶるりと身体を震わせた。周囲の音が一切消え、頭の中に警鐘だけが鳴り響く。
だから気づかなかったのだ・・・背後から迫っていた、もうひとつの気配に。
視界の両端に、何かが映った、と思った瞬間、その手に口元を押さえられる。
「 ・・・・・・ッッ!? 」
「 っと・・・これは、まずいところを見られてしまいましたね・・・ 」
「 ・・・ん、んんんーっ!! 」
「 ふう、誰も通らないと思って連れ込んだんですけれどね 」
「 んんーっ!!! 」
ようやく声が出るようになったのに、大きな手のひらに塞がれてしまっては音になるのも一苦労だ。
恐怖と混乱で頭がいっぱいになり、涙がぼろぼろと零れ落ちてきた。
私の身体を押さえていた男が、涙に気づいて顔を覗き込んできた。恐怖に目を瞑っていた私には、
気配しか感じられなかったけれど。
・・・小さく、ひとつ溜め息が聞こえて。
「 ここで斬るのは忍びない。とりあえず、戻りましょう 」
斬る・・・というのは、やっぱり私のことだよね・・・?
ぶわわ、と溢れた涙も拭えずにだた慟哭する私の鳩尾に、強い衝撃。
あまりの出来事に、走馬灯を見ることもなく・・・涙の冷たさしか、感じること、なく。
意識が途絶えた。
夢の中にいたのは・・・両親を亡くして、墓の前で佇む自分の姿。
ほんの数年前のことなのに。それでも、私の中ではとうに過ぎたことのように思える。
流行り病で、あっという間に親を失った自分は、これからどうやって生きていけばいいのだろう・・・。
立ち竦んだ私に、、と名を呼ぶ声があった。その人は、母親の知り合いだと言っていた。
そういえば何度か顔を見たことがある・・・と思い、おどおどと顔を上げると、微笑まれる。
『 よかったら、うちで働かないかい? 』
なんせ、あんたの母さんの包子は、特に美味しかったからね。
娘のあんたも、仕込まれたろう?ならばその腕を、うちの飯店で生かしてみないかい?
・・・行くあても、なかった。だから頷いた。
それから私は、彼女の言うとおり、腕を生かして働いた。忙しく働くうちに、悲しい出来事も薄れていく。
私の味を楽しみにしてくれる人も出来た。あんたの包子は、美味しいねえと顔を綻ばせる。
それを見るのが嬉しくて、一生懸命、仕事をして、生活をしてきた。
でも、そんな私の人生も・・・こんなかたちで、終わりを迎えてしまったのか・・・・・・。
「 おや・・・気がつきましたか 」
「 ・・・・・・・・・・・・ 」
薄く開いた視界に容赦なく差し込む、窓からの光・・・それが自然のものであることに、気づく。
遅刻する!と反射的に飛び起きて、あわてて時刻を確認しようとする、が。
「 ・・・あ・・・貴方、誰・・・!? 」
それ以上に気になる存在が、此処に一人。
よく見渡せば、此処は、いつもの自宅ではない。自宅にはこんな高そうな調度品はない、とか
高級そうな籤など踏むのももったいないとか・・・どこもかしこも違っているのは、誰かの屋敷だからだ。
少しずつ、記憶が蘇る。路地にあった、あの紅い水溜り。月の光に照らされた、男の影。
私・・・殺されて、なかった、の・・・?( てっきり、もう死んだものだと・・・ )
ふと暗くなる。は、と顔を上げると、見知らぬ男が、私の寝ていた牀榻へと身体を伸ばしていた。
声が、出なかった。そのまま押し倒されるように、二人して寝そべった。
男は、ふむ・・・と軽く唸り、まじまじと私の顔を見下ろしている。
何てヤツ・・・!と思うと同時に、彼の顔がとんでもなく整った、美しい人相だとわかると、胸が高鳴る。
( こ、これは!女として当然というか・・・ )
そんな場合じゃないのにー!と目を反らした直後、胸を弄る手に、とうとう悲鳴が上がった。
「 きゃあああっ!?何する、のよっ!? 」
「 なかなか悪くない、身体つきも、顔も・・・まあ、十人並みですが 」
「 ・・・わ、わる・・・悪かったわね!! 」
「 その気の強さも、ね 」
男は、ふ、と頬を緩めて、身体を起こすと、私の腕も引っ張って牀榻から起こしてくれた。
そして、向かいに合った椅子に身体を沈ませると・・・。
「 私は、陸伯言。貴女の名前は? 」
「 ・・・ 」
「 、殿・・・そう、良い名ですね 」
とにっこり微笑まれば、女の子は誰だって気分良くなるだろう、と思えるほどの威力ある笑みだった。
す・・・素直に名前を教えちゃだめだって!!と、また混乱してきた私に。
更なる爆弾が、投下された。
「 貴女には、今日死んでもらいます 」
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