聞き間違い、かと思った。そうでなければ、何故目の前の彼は笑顔なのだろう。
甘い笑顔とは対象的な発言に、頭の中が混乱する。
瞳をぱちくりとさせていたら、彼は、まだわかりませんか、ならもう一度言いますよと断ってから、
口を開く。
「 貴女には、今日死んでもらいます 」
「 ・・・・・・・・・は? 」
随分時間がかかって、だけど、ようやく声が出た。
い、意味が・・・わからない。今日、死ぬって、え・・・わ、私が!?
「 昨夜、貴女は見てしまいましたね。私が人を斬っているところを 」
「 ・・・・・・・・・で、も 」
「 斬ってる瞬間は見てない、とかどんなに惚けても屁理屈こねても無駄ですよ。
私はね・・・仕事柄、あまりないんですよ。自分の策が破られる、ということが。
あの時間、人は通らないはず。不意に、予想外の酔っ払いでも、迷い込まない限り・・・ね 」
くす、と苦笑する。
・・・この人、何者だろう。頭の中で考えていた言い訳を全部読まれたみたいで、気持ち悪い・・・。
それがそのまま顔に出ていたのだろう。彼は、訝し気な私を満足そうに見て、足を組み替えた。
「 現れた貴女が男なら、私は容赦なく斬っていました 」
「 ・・・女だから、斬らなかったと? 」
「 そうです。貴女には、利用価値がある 」
・・・こーいう展開って、まさ、か、身体・・・とか?
いや、身体だけならその場で襲われたはず( って、そんな展開を想像するのも嫌だけど )
慌てて自分の胸元を抱えたけれど、即座に、身体ではありませんよ?と彼が否定する。
が、思い直したようのか、陸遜はいや・・・と言葉を濁した。
「 私ではない、というだけでせね。貴女を抱くのは、別の男性です 」
ひく・・・っと顔が、引き攣る。
抱くとか抱かないとか・・・よくもまあ、そんなに淡々と告げられるものだ。
それも、本人を前に・・・平然と。生理的な嫌悪感が、ふつふつと湧き上がる。
拳に力が篭り、ぎゅっと握る。俯いた私に、彼の指が伸びる。
びくり、と大きな震えに、一度指を止めたが。
そのままそっと顎を持ち上げて、私へと邪気の欠片もない笑顔を向ける。
「 貴女は既に命を拾われた。それは、拾い主である私のもの。どうしようと勝手ですよね 」
「 ・・・私を、どうするというの? 」
「 ある男性に、嫁いでもらいます 」
「 間者として、ということ? 」
「 おや、そんな言葉、よく知っていましたね。残念ながら、違います。
素人の貴女に、専門職を教え込むのはいくら私でも無理です。
・・・ただし、教えるのは、貴婦人としての『 作法 』です 」
「 作法? 」
彼は頷く。そして睨んでいた私の眉根を撫でて、皺を解いた。
「 嫁ぎ先は、蜀の趙雲殿。呉の人間が嫁ぐ、それだけで彼の足枷になる 」
「 蜀・・・?って、貴方・・・・・・あ、 」
・・・その名をどこかで聞いたことがあると思ったはずだ!
庶民の私でも、その名を知っている。当時、国内では有名な話だった。
幼い年齢で『 家長 』に就いた少年は、王にその才能を見出された、と・・・。
ようやく気づいたのかと言いたげに、陸遜、さま・・・呉を代表する軍師は、妖しく瞳を光らせた。
「 呉に住む『 』というただの町娘は、今日遺書を残して失踪。
誰が探しても、遺体は見つからない。役所には、既に死亡届を提出する手筈を整えました 」
「 え・・・っ!そん、な!! 」
「 残念ながら、これで貴女の行方は完全に断たれたわけです。
誰に知られることもなく、殿、貴女という『 存在 』は消えてしまうでしょう 」
「 ・・・・・・酷い・・・・・・ 」
思わず絶句する・・・なんて、酷い・・・。
小さい頃の両親との思い出も、飯店で働いていたことも、そこで経験した苦しいことも楽しいことも、
全部ひっくりめて『 私 』だった。
一市民だった私は、きっと幼くして当主になった彼よりも平凡な人生だろう。
自慢できるような、そんな大層な人生歩んできたわけじゃない・・・それでも、私が一生懸命歩んできた『 道 』を
こんなにもあっさり片付けてしまうなんて。そう、こんなにも、あっさりと・・・。
涙が浮かんできた瞳に寄せる指は、優しかった。拭うと、彼は極上な笑顔を浮かべて。
「 その代わり、貴女は生まれ変わるのです。陸家家長たる、私の従兄妹として 」
光栄でしょうと言うけれど、そんなの、嬉しくない。
返して・・・『 私 』を返して。ただの、町娘の『 』に戻して。
「 辛いのも今だけですよ、殿・・・いえ、 」
思いは言葉にならず、涙と嗚咽に変わって、部屋に重い沈黙をもたらした。
けれど・・・目の前の『 従兄弟 』殿は、ただ笑いを浮かべるだけ・・・・・・。
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