きゅ、と帯を結んで、皺くちゃの手が腰から離れた。
立っていた場所から2歩後ずさって、足先から頭の天辺まで数度往復するように窓辺に立ったままの 私を見やると、にこーっと彼女は微笑んだ。


「 よくお似合いで。子龍さまも、さぞ目尻を下げられるでしょうねえ 」
「 あ、ありがとうございます・・・あ 」
「 、支度はでき・・・あ 」


噂をすれば・・・短く扉を叩く音がして、子龍さまが入ってきた。
同じように完成された衣装を身を包んだ彼は、いつも以上に凛々しく見える。 私と同じ生地で仕立てられたはずなのに、彼が身に纏うとまた全然違う代物に見えた。 背が高いことを生かして考案されたという羽織には、金銀の糸で見事な刺繍が施されている。 目が眩むほど華美ではないのに、見る者を惹きつける美しさがあるのは・・・子龍さまだから、 というのもあるのかな・・・( こ、これは惚れた欲目かしら )


口を半開きにさせたまま、つい見惚れていると・・・子龍さまも頬を染める。
お互いの姿を無言で見つめ合っていると、部屋の隅からくすくすと笑い声が聞こえてきた。


「 さまも子龍さまも、言葉に出さないと伝わるものも伝わりませんよ 」
「 そ、そうだな・・・よく、似合っている。見違えたよ 」
「 子龍さまこそ素敵です!思わず、その、見惚れちゃいました 」


照れ笑いを浮かべると、何だか更に恥ずかしくなってきて顔が真っ赤になったのがわかった。
俯き加減だった私の顔に彼の手がそっと添えられる。見つめ合うように持ち上げられ、 更に深く紅に染まった。ねえ、と真剣な語りかける子龍さまの瞳を前に胸の動悸が隠せない。


「 を見惚れさせることができたなら本望だ。本当に?似合ってる? 」
「 は、はい、それはもう、あの、とっても!とってもお似合いです、よ! 」
「 どのくらい?例えば・・・今すぐ、此処で口づけしても怒らないくらい? 」
「 しっ、子龍さま・・っ!! 」


ひ、人前でなんてことを・・・!と動揺したのは私くらいで、壁際のおばあさんは 相変わらずにこにこ笑っているだけだ。湯気の出てもおかしくないくらい真っ赤な顔で口を ぱくぱくさせている私を見て、こっそり忍び笑いを受かべた子龍さまに頬を膨らませる。 痛くも痒くもないと知りつつもぺしぺしと背中を叩くと、ごめんごめん、と 大して反省していない様子で頭を掻いた( 意地悪なんだから! )


「 さて、お互い支度も整った。行こうか 」
「 はい! 」


いってらっしゃい、と手を振るおばあさんに頭を下げて、店を飛び出す。
子龍さまは私の手をとって、稀に見る人込みに飛び込んだ。成都が賑わうのは、祭りの時期のみ。




・・・そう、今日は劉備さまが国を挙げて行う、成都の収穫祭なのだ。












劉備さま、劉備さま、と人々の歓声を受けて、城門に姿を現した王が片手を上げると観衆が沸いた。
開催の言葉の後に太鼓や様々な楽器が辺りに鳴り響き、祭りが始まる。至る箇所に設置された 大舞台では、どこからか現れた舞妓たちが花を巻きながら可憐な芸を披露していた。
真っ青な空から降り注ぐ色とりどりの花びらを浴びながら、子龍さまと新調したお揃いの衣装で 散策していると呼び止められた。 人をかきわけてやってきたのは玉葉だった。城より知らせが、と差し出された伝令を訝しげに広げる。 悪い知らせだったらどうしよう・・・と暗くなるが、子龍さまは顔を綻ばせた。


「 を連れて登城するように、とのことだ 」
「 私もですか? 」
「 ああ、尚香さまからだ 」


控えていた玉葉に、後は頼むと告げると城へと続く道を歩き出す。
どこを歩いていても、今日の成都は音楽と花に溢れており、 すれ違うもの全てに後ろ髪惹かれるようにきょろきょろと周囲を見渡してしまう。 お陰で牛車並の速度でしか進まない。しかも、途中で花冠をもらったが私には大きすぎたみたいで、 ずぼりと首まで落ちたのを見て彼は笑った。 花が大きくて視界を半分塞ぐので、更におぼつかない足取りになった私を、子龍さまが手を引っ張っていってくれた。
ずっと繋いだその手の大きさに甘えて・・・少しだけ握り返す。


「 どうした、 」


不思議顔の子龍さまに、ううん、何でもありませんと首を振って微笑んだ。


「 手を繋げて、こうやって一緒に歩けて・・・嬉しいなあと思っただけです 」
「 そうか、ならばずっとこうしていようか 」


照れもせず、爽やかに笑った彼は、私を城門の中へと導く。輿に乗らずにくぐるのは初めてだ。 荘厳な門を大きく仰いでいると、子龍さまに話しかけてきた兵がいた。 彼についていく形で、城の奥へと案内される。 どこを抜けてきたのか全くわからなかったが、子龍さまは依然手を繋いだままでいてくれたなので不安はない。


「 あ、来た来た!ーっ!趙雲ー!こっちよこっちー! 」


遠くから尚香さまの元気な声がした。確認するように見渡すと、大きく手を振る姿があった。
手を繋いだまま現れた私たちに、馬超さまが野次を飛ばしては張飛さまに怒られている。 2人で苦笑して、まずは上座の劉備さまに拝謁する。拱手した私たちに、頭を上げよ、と声がかかった。


「 、健勝のようで何よりだ 」
「 劉備さま、遅ればせながら戦の勝利、誠におめでとうございます 」
「 ありがとう。そなたが蜀に嫁いでくれたことで、呉とはより強力な連携がとれたおかげだ 」
「 そんな・・・恐れ入ります 」


感謝されるようなこと、私は・・・何も出来ていないのに。
ふと涙腺を緩ませた私の背に、暖かい手を感じる。見上げると、隣で子龍さまが頷いていた。


「 さあ、2人も蜀のために祝ってくれ。我らも豊穣を喜び、大いに楽しもうぞ! 」
「 そうよ!はこっち。私の隣ね!間違っても馬超の隣なんか座っちゃ駄目よ 」
「 まだ迎えに行った時のことを引きずるつもりですか・・・しつこい女は嫌われますぞ 」
「 何ですって!?もう一度言ってみなさいよッ!! 」
「 まあまあ、尚香さま、馬超殿・・・間に挟まれた殿が困ってらっしゃいますよ? 」
「 孔明の言うとおりだ・・・そ、そうだ、何か音楽でも 」


と、劉備さまが合図の手を上げる。控えていた楽団が陽気な音楽を奏でると、その場の空気が一変した。 どこからか現れた美しい装束の舞妓が色とりどりの布を翻す。 そのうち尚香さまがその輪の中に加わろうと、私の手を引っ張った。


「 えっ、えええっ!?わ、私踊ったこと・・・ 」
「 何でもいいのよ、混ざったモンがちよ! 」


舞妓たちもクスクスと笑いながら、私たちを円の中に加えてくれた。隣の人と手を取り合い、 音楽に合わせて見よう見真似で足を動かす。歩調が合ってくると、どんどん速さが加速した。
ただ手を繋いで回るだけなのに、余裕が出てくると次第に楽しくなってきて・・・何だか笑いがこみ上げてくる。 舞台の上で飛び上がる。尚香さまときゃあきゃあはしゃぎながら跳ねて、とうとう足がもつれた。 輪から転げると、子龍さまが腕の中に抱きとめてくれた。
転び方次第では怪我をしたかもしれないのに、身体を丸めて笑いながら息を整えている私を見下ろし、苦笑を浮かべていた。


「 お転婆さん、楽しかったかい? 」
「 はあ、はあ・・・はいっ!楽しかった、です!とっても! 」
「 誰よりも元気があって、の踊る姿はとても可愛らしかったよ 」
「 ・・・そ、そうですか?、嬉しい、です・・・本当は、そんなことなかったとしても 」
「 そんなこと、ある。私には以外の女性は目に入らないからな・・・永遠に、貴女だけだ 」


顔が真っ赤に染まるのは、突然、口づけをされた・・・気づいた後。
黄色い声援と冷やかしの野次が飛んだが、意外にも子龍さまはなかなか解放してくれなかった。






「 愛してる、。趙子龍、この生ある限り・・・ずっとずっと、貴女の手を繋いでいよう 」






決意を含んだ愛の言葉は、囁かれる、というよりも他の人への牽制のように大きな声での『 宣言 』だった。 何もこんなところで言わなくても・・・!と慌てて旦那様の口を塞ぐ私の様子が面白かったのだろうか、 周囲からは笑い声が上がった。だけど・・・。






「 私も・・・子龍さま唯お一人を、ずっと愛していますよ 」






伝えずに後悔することは止めた。伝えられる時に、私もたくさんこの気持ちを伝えておきたい。


頬を染めたままえへへ、と笑うと、子龍さまも今日一番の笑顔で嬉しそうに微笑んだ。


















初恋は、燃え盛る炎のような恋だった。


突然自分を襲った業火に、身も心も焼かれた。 巻き込まれれば、自分だけじゃなく彼自身をも焦がす結果にもなる。それでも惹かれて止まない。 初めて手に入れた恋心は、互いを不幸にするだけだった。
だからこそ・・・離れた。
陸家の『 再興 』と軍師としての『 地位 』、それに対して一介の街娘である『 私自身 』。 天秤にかけるまでもないのに、彼は私を選ぼうとしてくれた。 彼に望まれて純粋嬉しい・・・でも今、心を引き裂けば痛いのは私だけだ。 彼に傷ついて欲しくなかった。私を選んだことを後悔して欲しくなかった。


この世の誰よりも、自分よりも、幸せになって欲しかった人・・・伯言。
まだ子供だった自分に、自分以外の誰かを愛する気持ちを教えてくれた。






二度目の恋は、流れる水のような恋だった。


穏やかなその流れは、最初の恋で傷ついた心を時間をかけて癒してくれた。 泣いて、泣いて、涙も枯れ果てたはずなのに優しい泉が心を満たしていく。本来の『 自分 』が生き返るようだった。
・・・彼の手をとったのは、誰でも良かったからじゃない。
他の人じゃだめだったの。子龍さまだから、好きになったの。
誰よりも私を想い、私だけを慈しんでくれる子龍さま・・・彼だからこそ。


涙が出るほどの幸せって・・・こういうこと言うんだ・・・。
彼の無償の愛に包まれて、私は心から幸せだった。
本心からずっと一緒にいたい、と想った。傍で、彼の支えになれればって・・・。






散る花は流水に身を委ね、流れ去る水がそれを乗せて運びたいと想う、相思相愛の気持ち。
平凡な生活を送るはずだった運命の輪から滑り落ちた私は、花びらのようにくるくると回って、 流れ流れて行き着いた先は・・・いつだって優しい眼差しで見守って下さった、子龍さま。


子龍さまが私を必要としてくれるより、ずっと私の方が必要としているってようやく気づいたの。
だから、いつか彼が自分の力で立ち直れない時は、私が力になりたい。
それが私たちを結ぶ夫婦の絆だって、確かに感じているから。


















どちらともなくお互いの首に手を回す。繰り返される口づけの嵐に、周囲から囃された。
祭事の歓声と相まって城を、成都を、国の隅々まで揺るがす『 声 』となる。










その歓声は、そこに住む人々の心の奥底まで響き渡る・・・いつまでも、いつまでも。










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