はら、ひらり。
本丸に植わる樹木の中で、最も大きい桜の樹が満開を迎えている。
春風に舞った花びらが、主の部屋へと続く階段にも落ちていた。
そっと摘んで、開け放った窓から放つ。はら、ひらり・・・と再び舞ってどこかへと消えた。
俺はそれを見届けると残りの階段を昇る。室の前につくと、主、と室内へ声を投げた。
「 主、俺だ 」
「 どうぞ、まんばくん 」
すぐに返答があり、襖を開ける。
広い執務室を右に。萌木の襖の向こうには、柔らかな日差しが差し込む窓辺に彼女お気に入りの円卓があった。
備え付けた椅子に座る2つの背中。俺の主・と、乱藤四郎だ。
主の髪をいじっていた乱だけ振り向き、俺の姿を認めるや否や、にこっと笑った。
「 さあ、あるじさん、完成だよ!! 」
乱は結い終わった主の髪から手を離し、俺の隣へととと・・・と駆けてきた。
彼女は、乱が離れても、円卓に置いた鏡の角度を変えつつ心配そうに自分の姿を確かめていたが。
「 どっ・・・どうかな!? 」
照れた様子で振り向いた彼女は・・・とても美しかった。
今日のためにと歌仙が選んだ着物と帯は、まるで彼女のために織られたのかと思うほど。
次郎が着付けを、加州と乱が化粧を施し、いつもの主とはまた違った魅力があった。
もじもじと動く度に、しゃん、と簪が鳴り、どこからともなく甘い香の薫りがする。
紅を引いた顔は別人のようで、胸の高鳴りが収まらなかった。
黙り込んだまま惚ける黙り込んだ俺の横腹を突く指。
見下ろすと、横の乱が『 何か言いなよ! 』と言わんばかりの表情をしていた。
あ、ああ、と慌てて声を出すと少し上ずった。けれど、
「 その・・・よく、似合っている 」
精一杯の気持ちを述べると、は笑って
「 ありがとう 」
と嬉しそうに言った。
・・・もう少し気の利いたことを言えればよかったのだが。
どうにも、こういった状況には慣れていなくて、在り来たりの、それも簡素な言葉しか出ない。
赤らめたの頬が林檎のようで、まるでその熱が映ったかのように、何だか俺も・・・熱い。
しばらく二人して黙っていると、ぱたん、と襖の閉まる音がした。
−−−いつの間にか乱が出て行ったらしい。
気を利かせてくれた、ということに、また恥ずかしくなってきて。
誤魔化すように二人でひとしきり笑うと、肩の力を抜いた主は立ち上がって窓の外を覗いた。
「 階下からいい匂いがするね。今日は御馳走かな 」
「 ああ、燭台切が張り切っていた。今、大倶利伽羅や太鼓鐘も厨を手伝っている。
一期一振を中心に、藤四郎兄弟が大広間の飾りつけをして、他は桜の下にいるはずだ。
大広間で食事をした後、皆で桜の下で花見をしようと言っていた 」
「 ふふっ、そこまで大掛かりにしなくてもいいのに・・・でも、嬉しいな 」
部屋に吹き込む春風が、主の簪を揺らす。
静かに瞳を閉じて風に揺蕩いながら、本丸の刀剣男子たちに想いを馳せている様子だった。
彼女の言う通り、今日は本丸中が賑わっている。何故なら・・・。
「 審神者一周年、おめでとう、主 」
祝辞を述べると、彼女は驚いたように振り向いて、まじまじと俺を見つめた。
「 ・・・まんばくん 」
「 一番先に・・・誰よりも先に、あんたを祝いたかったんだ 」
俺の素直な言葉に、更に目を丸くしたが、その瞳が今度はきゅっと細められる。
みるみるうちに透明の滴が浮かぶのを見て、苦笑しながら指先を添えた。
「 なっ、泣くと、乱たちの苦労が泡になるぞ 」
「 そ、だね・・・解ってはいるんだけど、っ・・・!
まさか、まんばくんの口から、そんな素直なお祝いの言葉をもらえるなんて思わなくて 」
「 ・・・そうか? 」
「 そうだよ! 」
クスクスと笑って、主は徐に涙を拭った俺の手をとった。
祈るように、自分の額にこつん、と当てて、胸の前で握りしめた。
「 主・・・ 」
「 まんばくんも、初期刀一周年おめでとう、だね 」
主の言葉に、胸を突かれたように息を詰まらせて、気づく。
そうか・・・そうだな。審神者一周年、ということは、俺も一年になるのか。
ぶわりと目の前を覆う記憶の渦。初期刀部屋から外に出た俺にかかった声が、耳に蘇る。
『 私、と言います 』
一年前の今日。固いが、必死に明るく振る舞おうとしていた。
刀剣男子として顕現して、初めて耳に入った第一声だった。目の前に差し出された、細い手。
ぶっきらぼうに握手したが、あの瞬間、俺は『 人間 』になったんだ。
血の通った手を、血の通った手で握り返したことで、俺は初めて自分の肉体を実感した。
ーーーそして、俺たちは降り立った。大きな桜が聳え立つ、この本丸に。
たった一年しか経っていないのに、真新しい廊下ではしゃいでいた様子が懐かしい・・・そういえば・・・。
「 なあ、主。あんた、研修先で別の俺・・・山姥切国広に逢ったと言ってたな。
そいつを見て、初期刀を決めたと。どんな奴だったんだ 」
縁側で目を細めたあんたは、確実に好感を持っていたはずだ。
あの時、胸をちくりと刺したものが何か・・・今なら、わかる・・・。
俺の問いに、はきょとんとした顔をしていたが、相手の山姥切国広を思い出してか少し頬を染めた。
その様子にむっとしてしまうのは、あの日の同じ『 痛み 』のせい。
だが、彼女は俺に気づかずにこう言った。
「 ・・・研修先の本丸で挨拶した時にね、私、思いっきり転倒したのよ。
よろしくお願いします!って頭下げたら、勢い余って。って、思い出すだけで恥ずかしいんだけどね!
隣にいた先輩審神者も刀剣男子たちも呆気に取られてる中、大丈夫かって声をかけてくれた人がいた。
手を差し伸べて、起こしてくれたのは貴方・・・山姥切国広だったの 」
主は熱を持った頬を押さえて冷ますと、一度言葉を切って、俺を真っ直ぐに見据えた。
「 彼の手は温かかった。頭では解っていたけど、その時に実感したんだ。
ああ、刀剣男子とは血の通う人間の身体をもった神様なんだってこと。
私もいずれ、本丸で彼らと共に歴史を護るために戦う審神者になるんだって。
別の本丸の山姥切国広とはいえ、まんばくんが、審神者になる覚悟を教えてくれたんだ 」
主の清々しい笑顔は、晴天の輝きを帯びていた。
が、一瞬で頬が染まり、委縮したように背を丸める。
でも、その時のこと思い出すと、ドジな自分の姿がどうしようもなく恥ずかしくて・・・と呟いた。
「 ( ・・・そう、だったのか ) 」
だから、あんな瞳をしていたのか。
胸に落ちるものがあった。そこにあったのは、俺の想像していた感情ではなく、憧れと崇拝だった。
けれど・・・想像してみると、確かに恥ずかしいな、それは。あんたって奴は意外にドジだよな。
何を言わず、表情を変えたつもりはなかったが、彼女にしては珍しく聡くて頬を膨らませた。
そして、ふっと肩の力を抜いたように微笑んだ。
「 この一年、私が一番感謝しているのは貴方よ、まんばくん。貴女を選んで正解だった 」
「 それは・・・他の本丸の山姥切国広がきっかけで・・・俺は、更にその写しで 」
「 この本丸で私を支えてくれたのは、今、目の前にいる貴方だよ。
誰の写しでも代わりでもない、唯一の・・・ちょっと、烏滸がましい言い方かもしれないけど 」
断ってから、彼女は少しの間、考え込むように瞳を瞑る。
そしてゆっくり開いた瞳に真っ直ぐ俺だけを写す。彼女の紅い唇が丁寧に弧を描いた。
「 ありがとう・・・私の山姥切国広 」
その瞬間、ぶわりと桜が舞った。
風もないのに、俺の周りを舞った花びらは、光の粒に変化して淡雪のように消えた。
には見えていないだろう。嬉しそうに微笑んではいるが、驚いた様子はない。
「 ( ・・・見えていなくて、良かった ) 」
同じ刀剣男子なら、今・・・俺がどんなに感激しているか、この花吹雪で解ってしまうだろう。
だからこそ必死に顔に出さぬよう平静を保っていたが、
「 刀剣男子は、昂るとその背に桜の花を纏うとか 」
と呟かれて、あからさまに固まってしまう( まさ、か、見え・・・!?いや、そんな馬鹿な! )
否定と肯定が脳内を忙しく廻り、徐々に自分から血の気が引いていくのが解った。
けれど彼女はさして気にした様子もなく、残念そうに表情を曇らせた。
「 この一年・・・まんばくんをはじめ、辛い時も悲しい時も皆がいてくれたから乗り越えられたんだもの。
どれだけ感謝しているか、なんて、言葉だけではとても言い表せそうにないよ。
だから、私にも同じことが出来たらいいのにって思う。そうしたら少しでも皆に伝わるのに・・・ 」
は小さく溜息を吐いたのを見て、少しだけ肩の力が抜けた。
何だ、そういうことか・・・。しかし、どんな言葉をかけたらいいのかわからない。
誉桜は恥ずかしいぞ!自分の感情がダダ漏れになる!・・・は違うな。
羨ましがるのだから、むしろ彼女としては漏れて欲しいのだろう。
かといって、俺的に誉桜があってよかったことなど・・・・・・。
はら、ひらり。
俯いた彼女の背後に、そっと降り立ったそれを見て、口元が綻ぶ。
まんばくん?と首を傾げる彼女に頷いて、俺は窓から見える大樹を指差した。
「 誉桜が舞わずとも、この本丸の桜が、今日のあんたの誉桜だ 」
刀剣男子は主を選べない。なのに、俺たちはあんたに出逢えた。
他の誰でもなく、に。誰よりも俺たちを慈しんでくれる審神者に。
一年経っても傍に居たい。二年目も三年目も共に今日という日を祝いたい。
−−−そう思える俺たちは、どの本丸の俺たちより幸せな刀剣男子だ。
「 あんたが、主でよかった 」
一周年を迎えるあんたの・・・誇りに満ちた輝かしい表情が、俺たちにとって最高の誉になる。
ぽっと頬を染めたが、まんばくん・・・とうわ言のように熱い吐息を漏らした。
潤んだ瞳が光を帯びて煌めいている。綺麗だ、と思った。俺なんかより、ずっと・・・ずっと・・・。
俺は続けて言葉を紡ごうと唇を開いたが、階下から主を呼ぶ声が聞こえた。
宴の準備ができたのだろう。我に返った俺はふっと口元を緩めて、彼女にを差し伸べた。
「 行こう。皆が、あんたを待ってる 」
「 ・・・うん! 」
は頬を紅潮させたまま頷いた。
重ねられた手を握り返して、俺とは皆の待つ大広間に向かって歩き出した。
「 ( 審神者の行く先が、俺たち・・・この本丸の未来でもある ) 」
彼女ならば、道を違えることはないだろう。
・・・だが、時には小石に躓きそうになることもあろう。その時は手を差し伸べてやりたい。
足元の穢れを払うのは、初期刀である俺の役目だ。誰にも譲れないし、譲る気もない。
写しであろうとなかろうと関係ない。これは『 俺 』の確固たる意思だ。
すべてはと、彼女と共に過ごす、穏やかでかけがえのない日々のために。
改めて決意の火を灯すと、鼓舞するかのように本丸の桜が春風に枝を揺らしていた。
それはまるで、俺の言った通り主の心境を表したようで・・・気高く、美しく、一生忘れられないであろう光景だった。
この旅路は桜色
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Title:"春告げチーリン"
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