りーんりーん・・・と耳の奥まで響いている。


 単体だと然程気にならないのに、集まれば大合唱となる虫の声。目覚まし時計みたいだ。








「 ( ・・・目覚まし、そういや・・・ ) 」


 今朝はちゃんと止めたはずだ。なのに、私はどうしてまた眠ってしまったのだろう。
 陽の光はない。今、私の目の前に広がるのは、星空のような淡い光を湛えた・・・・・・・・・。


「 ・・・・・・っ!!! 」


 と、そこでようやく意識がはっきりして、慌てて身体を起こす。星空のような、じゃない。星空だ。
 それも絶対都会じゃお目にかかれない、砂漠の砂を撒いたように細かい光が散りばめられている。


「 ( え、っと・・・どういうことだろう・・・ ) 」


 ぽかんと見上げていた視線を下ろして、私は辺りを確認した。
 右を見ても左を見ても、真っ暗で何も見えない。
 でも、明らかに『 此処 』は私の知っている場所じゃない。それだけは不思議と・・・解る。


 ・・・では、どこなのだろう。次第に大きくなっていく高鳴りを沈めるため、まずは深呼吸。
 次に、身体の至る所を触ってみれば・・・うん。どこも痛いところはないし、立てそう。
 それに身に着けているのは、感触からして学校の冬服だと解った。
 着慣れたものに触れて、少しだけ平静さを取り戻す。
 セーラーのリボンを直し、スカートの裾を払って、靴を履いたままの私は静かに立ち上がった。


「 ( うーん・・・状況がさっぱり掴めない上に、この暑さが辛いよぉ・・・ ) 」


 季節は、秋も終わりの頃だったはず。
 木々の葉は赤く染まり、落ち葉が増えてきたなあと思ったのを覚えている。
 そろそろマフラー引っ張り出してこなきゃね、なんてクラスメイトと話したばかりだったのに。
 私は、袖口についていたスナップボタンを外して捲る。肘まで持ち上げると、今度は反対側も。


 そうこうしているうちに、ようやく目が慣れてきた。


 ところどころに草が生えている。その間には、月光を浴びて揺れる白い花。
 それから・・・背後には建物があった。でも、全然見たことのない造りだ。人、住んでいるのかな?
 どうやら自分は、その建物の前のむき出しの地面の上に横たわっていたらしい。
 ・・・でも、何でこんな庭先に??私はさっきまで学校にいて、帰宅途中だったはず。
 今日は早く帰ってきてね、とお母さんに言われていた。
 だから私、ホームルーム後すぐに教室を出て・・・あれ?それから、どうしたんだっけ・・・??


「 ( ど・・・どこで、どこで・・・『 道 』を『 踏み外した 』んだろう ) 」


 途中の記憶が曖昧になってる。霞んだ記憶に手を伸ばすけれど、欠片も掴めない。
 それでも必死に頭の中を整理しているのに、考えれば考えるほど謎が深まっていく・・・。
 だ・・・だんだん、気分が悪くなってきた。突然、足が震えてきて、立っているのもやっとだ。
 じわりと額に浮かんだ油汗を拭って、私は・・・すうと息を吸い込んだ。


「 あ・・・あのっ!すみませーぇえんッ!! 」


 声を出さないと、本当に発狂してしまいそうだった。
 やかんが沸騰を知らせるような警告音が頭の中を満たす一歩手前で、背後からの声に我に返る。








「 ・・・誰ですか、こんな時間帯に 」








 突如開いた窓の音に、私は思わず首を竦めた。一瞬固まって、そろりと振り返る。
 手に蝋燭の明かりを携えた少年・・・ううん、青年、かな?
 兎にも角にも、自分以外の『 人 』を認めて歓喜に震える私とは対照的な表情で。
 彼は私を一瞥すると、大きく溜息を吐いた。


「 出口なら壁を伝って右手の通路奥です。お帰りください 」
「 ・・・あ、あの、私・・・ 」
「 どこのご令嬢か存じ上げませんが、今の私は誰とも婚姻する気はありません。
  ましては姫の方から夜這いなど・・・無礼にも程があります。自分の妻は自分で決めます 」
「 よっ、夜這い・・・!!! 」


 思いのほか大きな声が出てしまい、はっと口を押える( な、なな何て単語を!! )
 顔を顰めていた彼も驚いたような顔をして、そのまま更に眉の皺の溝を深めた。


「 何を驚いているのですか?そのつもりで来たのでしょう 」
「 違います!あの、私、どうしてここにいるのか・・・自分でも解らないんだけど・・・ 」


 お互いの温度差に、どうしようもなく戸惑いながら、私は今の正直な思いを素直に語った。
 何となく気圧されて、すみません、と小さく呟く。
 怯えた様子を不快に思ったのか、彼は瞳を細めて眼光を強めた。


「 解らない・・・?陸家の私を訪ねていらしたのではないのですか? 」
「 りく、け??りくけ、って何・・・?? 」


 聞きなれない単語に首を傾げると、はっと鼻で笑われる。
 ・・・初対面の相手に、ここまでコケにされて何も感じないほど鈍感じゃない。
 わざとやっているようにも見えたけれど、それを流せるほど今の私には余裕がなかった。
 私はむっと眉を寄せて、窓枠から悠然と『 眺めて 』いる彼を睨んだ。


「 では質問を変えましょう。貴女は、何故私の屋敷の庭にいるのですか 」
「 え、えっと・・・どうして貴方の庭にいるのかは、さっきも言ったけれど、私にも解らないの 」
「 不法侵入の上にしらを切るとは、往生際の悪い人ですね 」
「 違うわ!不法侵入なんかしていない!ただ、気が付いたらここに寝ていたみたいで・・・ 」
「 貴女は『 気が付いたら他人の家の庭で寝る 』習性でもあるのですか? 」
「 あ、あるわけないでしょ、そんなもの!でも、本当に解らないのよ!! 」
「 私も貴女の仰っていることが少しも理解できません。納得できる理由を用意していただけますか 」
「 理由っていっても・・・その辺の記憶が曖昧で・・・『 迷った 』みたいなの・・・ 」
「 はあ・・・? 」


 言い訳を口に出せば出すほど、自分でも何を言っているのかわからなくなってきた・・・。


「 ( この人の言うことも一理ある。でも、私だって誰かに説明してほしいくらいなんだから ) 」


 状況も経緯も把握できていない私には、それ以上説得するような言葉が見つからなくて。
 ああでもない、こうでもないと考えるうちに・・・もどかしい気持ちが、瞳から零れ落ちる。
 あっという間にぽとり落ちて、土の中へと音もなく消えた。
 それを見て、今度は堰を切ったように涙が零れていくのを止めることができなかった。
 滲んだ視界の中で、彼がぎょっとした表情を浮かべた。


「 な・・・何を泣くのですか!?まるで私がいじめたみたいじゃないですかっ! 」


 非難の声を浴びせられるも、一向に反論も謝ることもできず、私はただ泣いていた。
 足だけじゃなくて、肩が、全身が震えて、次第に嗚咽が漏れてくる。
 ・・・私だって泣きなくて泣いているんじゃない。
 困らせる気なんてさらさらない、むしろ助けてほしいと思ってる。
 ただ今は考えをまとめることができないくらい混乱して、どうしたらいいか解らないだけ・・・。


「 ( って言いたいのに・・・だめ、全然言葉にならない ) 」


 両手で拭うけれど全然止まらなくて・・・と、ふいにぱたん、と窓が閉じる音がした。
 その音に顔を上げる。窓辺の明かりが遠ざかり、再び闇の中に独りきりになった。


「 ( ・・・唯一、私の声に気付いてくれた人だったのに・・・ ) 」


 とうとう見捨てられた、と思うと、孤独の方が恐ろしく、あんなに嫌味な人でも恋しくなる。
 ひう、ともう一度喉の奥から上がりそうになった嗚咽に重なる・・・足音。
 その足音はだんだんと大きくなってきて、俯いた私の足元の陰がふと照らされる。
 涙も鼻水もそのままに、弾かれたように顔を上げると・・・ぶす、と少し仏頂面をした・・・。


「 こんなところで泣かれては堪りません。さ、こちらへ 」


 窓辺で見た姿の通り、蝋燭の明かりを携えた彼だった。
 両手を覆っていた手をとってどこかへ連れて行こうとするので、私は反射的に手を払おうとするが・・・。


「 大丈夫ですよ。取って食う訳じゃありません。とりあえず私の部屋で休みましょう 」


 ね?と子供を宥めるように、打って変わって優しい口調で私に語りかける。
 動かない私の背をぽんぽんと叩いて手を引かれると、自分でも不思議なくらい素直に足が出た。
 一歩、二歩・・・と彼に案内されるまま進むうちに、急に足の力が抜けた。


「 ・・・・・・っ! 」


 彼の息を呑む音。私も声を上げたはずなのに、自分の耳には届かなかった。
 ・・・優しくされて、ほっとしたのか。
 足の力だけじゃなくて身体中の力という力が抜けて、そのまま意識までも放り出す。
 頭の片隅はなぜか冷静で、失神するなんて漫画みたいだって思った。






 崩れる身体を抱きとめてくれる腕の暖かさに、またひとつぶ・・・涙が頬を伝ったのだけは解った。






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