夜通し起きて見張っていようと思ったのに、どうやら眠ってしまっていたようです・・・。






 うつ伏せになった身体を起こせば酷く凝り固まっていて、今にも骨の軋む音が聞こえそうだ。
 身体を伸ばし、大きな欠伸をひとつ。いつも念入りに伸ばさないと、元に戻りそうにない。


「 ( 仕方ありません。牀榻は譲ってしまいましたからね )」


 ちらり、と振り返れば、御簾のかかった寝台の奥に人影があった。
 私は身支度を整えて牀榻に近づき、床まで降りた御簾をそっと持ち上げる。
 そこに横たわるのは、見慣れない紺色の服に身を包んだ一人の少女。
 持ち上げた御簾の隙間から朝の光が射しこみ、少女の顔を照らす。
 んんっ、と唇の端から声が漏れ、睫毛を震わせると・・・彼女の瞳が音もなく開いた。
 何度か瞬きを繰り返してはいるものの、まだ夢心地なのか、なかなか焦点が定まらないようだ。


「 おはようございます 」


 声をかければ、彼女の視点がぐるりと巡って私の顔を捉えた。


「 ・・・・・・お、はよう、ございま・・・・・・ 」


 私が『 誰か 』は解っていないが、反射的に答えたといった様子だった・・・が。
 そこで大きく目が見開かれ、彼女が悲鳴を上げて飛び起きた( ・・・正直、ちょっと驚きました )


「 学校!学校、行かなきゃいけないのに、私、何時まで寝て・・・ 」
「 どうやって行くというのですか?貴女は『 迷子 』なのでしょう 」


 ぼさぼさ頭の彼女が何か反論しようと口を開いてて・・・全てを思い出したのか、そのまま飲み込んだ。
 そうだった・・・と小さく呟くのがわかった。目に溢れんばかりの涙を浮かべるのも。
 咄嗟にぎょっとして、気を逸らそうと必死に話題を探して話しかける。


「 な、名前は?貴女のことを、私は何と呼べばいいですか!? 」
「 ・・・・・・え?名前??あ、えっと・・・、です・・・ 」


 変わった音韻だったので、それが名前だとすぐに判断できなかった。
 ・・・と歌でも口ずさむように声に出して馴染ませる。
 ・・・それにしても、随分と小さい声。昨日窓辺で叫んでいた声と同じものとは思えない。
 ( 状況を飲み込めないのは私も同じですが、女性である彼女の方が不安に思うのも無理はありません )
 私はよし、と頷いて、肩を落としている彼女と目線を合わせるため、牀榻の端に腰を下ろす。
 不安そうな顔を持ち上げた彼女を安心させるように、笑顔を作って見せた。


「 、ですね。ええっと・・・私の名前はご存知ですか? 」


 そう尋ねるのは馬鹿馬鹿しい上に、何だか恥ずかしい。
 夜這い目的の姫ならば、さすがに床を共にする相手の名前くらいは知っているはず・・・。
 が、はぷるぷると勢い良く首を振ると、また項垂れてしまった。
 ( そういえば昨夜も『 陸家 』すら知っているようではありませんでしたっけ )


「 では自己紹介します。私は陸伯言、陸遜と言います。及ばずながら呉で軍師を勤めております 」
「 ・・・・・・呉?? 」
「 ・・・まさかとは思いますが、貴女は自分がいる場所もわからないのですか?? 」
「 呉って国の名前?ここは日本じゃないの?? 」
「 日本・・・?それは国の名前ですか? 」
「 そうだけど・・・って、え、ま、待って!呉って、日本じゃなければどこなの!? 」


 彼女の反応だけでも驚いているのに、知らない地名まで出てきたことに更に目を丸くする。
 も動揺しているのか、言葉は通じているのに・・・と顔を青くしていた。


「 ( 日本などという国名、聞いたことがありません。本当に私の知らない国から来たのでしょうか? ) 」


 此処の地名を知らないというならともかく、国の名を知らぬものはさすがにいない。
 呉を知らないのであれば、きっと彼女は蜀や魏といった呉に並ぶ国の名前も知らないのだろうか・・・。


 十分混乱していたが、室を訪ねてきた侍女の気配に、人差し指を差し出して彼女の口元に当てた。
 国は違えどその意味は通じたのか。最初は驚いた様子のも、ひとつ頷くと口を噤む。
 陸遜さま、起きていらっしゃいますでしょうか、という侍女に、ええ、と返事をした。


「 朝餉の前に、湯と・・・それから、官服を用意してもらえますか?朝餉は多めに持ってきてください 」


 かしこまりました、と傅いたのが、御簾の向こうからも見えたらしい。
 無事にやり過ごしたことにほっとしていると、横から強い視線を感じた。
 打って変わった様子で、が珍しいものを見るように私を見つめていた。
 何です?と尋ねると、瞳をくりくりと丸くして拍子外れなことを言い出した。


「 ・・・えっと、り・・・りく・・・ 」
「 陸遜です 」
「 りく、そん、さんは、ここでは偉い人なの??あ、お坊ちゃま?? 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 嘘や芝居なら見抜く自信はあったが、この反応を見る限り、本当に何も知らなさそうだ。
 ・・・『 知らなさそう 』ではなく、本当に何も『 知らない 』のだとしたら?


 彼女が言う通り『 迷子 』・・・それも彼方の地から来た、としたら・・・?


 と、そこまで考えて頭を振る。そんな訳あるはずがない。仮説自体があり得ない。
 例え彼女が辺境の地から来た旅人だとしても、陸家内で一人、迷子になる確率は皆無に等しい。
 きっと昨日の今日で、彼女も私も混乱しているだけだ。
 落ち着いて状況を把握すれば、何がどうしてこうなったのか、きっと思い出せるはず。


「 ( 私は軍師です。摩訶不思議な可能性より、現実的の仮説から答えを導き出さねば・・・! ) 」


 そうこうしているうちに湯の張った盥と官服が届いた。
 侍女から受け取り、再度下がらせると、未だ私を崇めるように見つめるに渡す。
 湯と官服と私の顔を交互に見比べるに、いいですか?と諭すように言った。


「 まず、その目立つ服を何とかしなくては、落ち着いて話もできません。
  私のもので申し訳ありませんが、湯で身体を清めてこの官服に着替えてください。
  聞きたいことは山ほどありますが・・・出仕する途中で聞きます。とりあえず朝餉にしましょう 」
「 これって着物、だよね。私、一人で着れないんだけど・・・ 」
「 ・・・下着の上にこれとこれを重ねて紐で巻く、ところまでは自分でやってください 」


 こくんと頷くと、すぐさま着ていた紺色の服を脱ぎだそうとするので、急いで御簾を下ろす。
 焦る私など気にした様子もなく、淡々と動く音がした。湯に入ったのか、気持ちよさそうな吐息が聞こえた。


 ・・・普通、女性はあんなに潔く服を脱ごうとしないものだと思っていましたが・・・。
 襟だってあんなに開けないし、髪も短い。素足だって見せていた。どこぞの令嬢には到底見えない。
 やはり、私が知らぬほど遠い地からやってきたのだろうか・・・いやそんな非現実な考えは如何なものか。
 考えれば考えるほど堂々巡りを繰り返す。だから、すぐには気がつかなかった。


 が御簾からそっと手を伸ばして、私の袖を掴んだことに。


「 ねえねえ陸遜、こっちの着物はこの紐でいいの?? 」
「 え、あ・・・・・・ッッ!! 」


 御簾の端から覗いた彼女は、肩と・・・その、ほんの少し下の、上胸まで無防備に曝していて。
 振り向いた私は、上昇する衝動のままに、思わず袖を掴んでいたの手を振り払う。
 うぎゃ!と悲鳴が上がり、続いて水の弾ける音が室に響いた。盥の中でひっくり返ったのだろう。
 思わず駆け寄ろうとして・・・慌てて、その場で踏みとどまった。


「 あっ、あの、!?すみません!!その・・・だ、大丈夫ですか・・・? 」
「 うん、大丈夫だよ!それで、紐は・・・ 」
「 どれでも構いませんっ!! 」


 あ、そうなんだ、とあっさりとした声が聞こえた。
 しばらくすると湯浴みから上がったのか、衣擦れの音がしだすと、遂に耳を塞ぎたい気持ちになった。
 ( この衣擦れの音と言うのが・・・つい『 続き 』の想像をかき立てられる、といいますか・・・ )
 だ、大体、悪いのは彼女の方です!私は故意的に見ようとしたのではありませんっ!!
 ・・・み・・・見えたとしても、ほんの一瞬ですし・・・( なんて言い訳がましいでしょうか )


 なのに、ああして無防備な姿を見てしまう方が、罪の意識が強くなるのは何故だろう・・・。






「 ( これが彼女の『 常識 』ならば、い、一刻も早く保護者の元へ帰してしまわなければ ) 」






 出仕すれば、誰かしら彼女のことを知っているかもしれない。
 幸いにも名前も解っているし、ちょっと風変わりな姫で・・・と説明すれば、気が付く者もいるだろう。
 ( もちろんその前提として、が『 陸家にふさわしい高官の娘 』なら、ですが )
 が嘘を吐いているとは思わない。自分を騙そうとしている気配もない。
 だが・・・軍師としての『 常識 』に則れば、それを簡単に認めるわけにはいかない。


「 よしっ、でーきた!んんー、でもこれでいいのかな・・・ 」


 彼女の『 常識 』に負けて、揺らぎそうになる自分の『 常識 』。
 こんなことでは、呉の軍師など名乗れない。今度こそ・・・簡単に、動揺などしないように。




 官服を纏って御簾から出てきたに、本日二度目の『 笑顔 』を浮かべた。






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