その日、蜀の地に星が降る。














 予言したのは、自分の師だった。弟子である自分には、その言葉を疑う余地は無い。
 流れ星は、今まで何度か見たことがあった。
 蜀の地ではなく、つい最近まで籍を置いていた魏にいた時にも。
 そう思っていても、姜維の机の上には読書用の蝋燭が一本灯っているだけ。
 出来るだけ暗くして、降る星に一番に気づけるように。それが新参者である自分の役目だと思ったから。


「 ( といっても、夜明けが近い・・・ ) 」


 山間が白くなっている。夜空に浮かんでいた星々は、今にも消えそうだった。
 丞相の言うことに間違いは無いが、こんな予言めいたことが外れても誰も咎めはしない。
 一晩中灯していた蝋燭は既に短くなっていて。
 ふっと溜め息と共に、火を吹き消した・・・その時だった。


「 ・・・・・・あ、れはッ!! 」


 視界の端に、疾る閃光。
 反射的に、光を追って部屋を飛び出せば、自分より先を走る影。


「 丞相!! 」
「 西の草原のようです!先に行きますよ!! 」
「 は、はいッ!! 」


 馬を駆った姜維の師である諸葛亮は、腹を蹴って屋敷を飛び出していった。
 自分も慌てて厩から馬を一頭連れ出すと、西の草原へと向かう。
 街を抜け、城門をくぐれば平野が広がっていた。
 当然、武将だった姜維の方が馬術は優れている。西を目指して走れば、あっという間に諸葛亮に追いついた。
 ちょうど馬から降りているところだった。真っ暗な地面に、彼の視線は釘付けだ。
 彼の足元、そこに・・・何かがあるのだろう。


「 じょ、丞相!危険です、離れてください!今、私が確認に・・・ 」
「 ・・・心配は要りませんよ、姜維 」


 突然、自分の纏っていた上着を脱ぎ出した諸葛亮に、姜維はぎょっとした。
 何を・・・と問いかける前に、彼は膝を追って地面に上着を広げた。
 そしてひとつにまとめる。どうやら・・・何かが包まれているらしい。
 ふっと微笑んだ諸葛亮は、馬上の姜維に包んだ『 それ 』を差し出した。




「 どうやら・・・これが『 星 』の正体だったようです 」




 手に持った時の、予想外の重さに身体が傾いた。
 揺れに、袍の中からぶらりと垂れ下がったもの・・・それは、ヒトの腕。




「 ・・・・・・え、ッ!? 」








 緑の袍から現れた白い肌。長い睫。


 それは・・・紛れもなく『 人間 』の、小さな少女の身体だった。












































「 姜維ーっ!! 」


 ぶんぶんと無邪気に振り回す腕を見て、苦笑する。
 仕方ないな・・・と手を上げて応えると、彼女は嬉しそうに更に振り回す。
 だが、隣の月英にたしなめられたのか、しゅんと肩を落として手を下ろすと舌を見せる。
 叱られちゃった、というように苦笑する彼女に、たまらず姜維は吹き出す。
 歩みを速めてようやく屋敷に辿り着くと、彼女・・・が犬のように飛びついた。


「 お帰りなさい、姜維! 」
「 ただいま、・・・また月英殿に、女の子らしくしろって怒られたのかい? 」
「 えっへへ・・・私が悪いんだ。姜維に逢えたのが嬉しくって、ついつい手を振っちゃったから 」


 苦笑したが、照れたように頬を染めて自分を見つめる。


「 私も、久しぶりにに逢えて嬉しいよ 」


 姜維は、彼女の頭を撫でてやった。
 自分だって、彼女と同罪だ。逢えた喜びに、ついつい手を上げて応えてしまったのだから。
 月英が、姜維とに近づいて頭を下げたので、姜維は背筋を正す。


「 お帰りなさい、姜維。山賊討伐、お疲れ様でした 」
「 ただいま戻りました。私は先発隊でしたが、丞相は夕方頃戻っていらっしゃると思います 」
「 わかりました。お疲れでしょう、しばらく休んでいてください。、夕食の用意を手伝ってくださいな 」
「 はい!月英さま 」


 じゃあね、とこっそり手を振ると、彼女は月英の後を追う。
 走るのははしたないですよ、とまた注意をされているようだが、は相変わらず笑っている。


 ・・・それもそのはず。が月英を、月英がを嫌うことなんて、まずあり得ない。
 6年前、何もわからずにいた彼女を擁護してきたのは、諸葛亮の妻である月英なのだから。
 言葉すらろくに喋れず、泣いてばかりいた少女が、こうして生活できるようになるまで・・・。
 姜維は二人の後姿を見送ると、自分も部屋へと足を運んだ。


 この家で与えられた自室は、討伐に出かける前よりも随分と綺麗になっていた。
 ・・・が片付けてくれたのだろう。姜維がよく開く書物だけ、机の端に置いてある。
 姜維自身のことを知らないと、そこまでの心遣いは出来ないだろう。
 それに、その本を愛読していると知っているのは、頻繁に部屋を訪ねてくる彼女だけだった。






「 ・・・ 」






 諸葛亮が拾い、彼の手元で育てることになってから、ずっと妹のように思ってきた。
 親代わりだと敬う彼女と、やはり諸葛亮を崇拝し蜀に降った自分は、どこか似ている気がした。
 血の繋がりは無いが、信頼と尊敬という絆が、自分たちを結んでいる。
 彼女もそう思ってか、諸葛亮たちと同じように、家族の一員として姜維を慕ってくれた。


 ・・・だが、自分の想いはとうに『 家族 』という範疇を越えている。
 姜維の胸をうずかせるものが何なのか、数年前から自分でも気づいていた。






 誰よりも自分を理解してくれる彼女。空から降ってきた『 星 』の娘。


 彼女が・・・どんな正体でも、私は構わない。










 愛しているのは・・・という、その『 存在 』そのものなのだから。










 姜維がいつ帰ってきても良いようにと毎日生けてくれたであろう、飾られていた花ひらに触れる。
 それだけで、愛しい人の存在を感じて・・・自分の肩からようやく力が抜けていくのを感じた。










index : next

Material:"青柘榴"