気がつけば、雪が降っていた。






 白く染まっていく庭木に、小十郎は手を止める。
 深深と、降り積もっていく雪を見ながら、その光景に見惚れていた。
 ・・・いや、とうに心は此処にあらず。見惚れる、というより、呆けていたが正しい。
 小十郎は僅かに首を振ると、筆をおいて、溜め息混じりに席を立つ。
 畳の上に置いていた羽織を着流しの上に纏い、縁側の柱にもたれた。


「 ( ・・・道理で、冷えるわけだ ) 」


 ごつ、とこめかみに当てた柱は、随分と冷たかった。
 しばらく見つめていれば、雪はあっという間に降り積もっていく。
 このままいけば、明日は見事な雪景色を拝めるだろう。
 そして、この雪が溶けきれば、奥州にはきっと春がやってくる。


「 ( その頃、アイツは・・・知らぬ顔の男の元に、嫁いでいくの、か ) 」


 昼間聞いた『 知らせ 』が、小十郎の頭から離れることはなかった。
 政務も手つかずに居た彼を見兼ねた城主は、追い出すように帰宅を進め・・・現在に至る。
 屋敷に戻って何時間も経つのに、開いた書物はそれ以上頁をめくることはなかった。
 ぼんやりと部屋に篭って過ごす主を見て、誰も何も言わなかったが。


 ・・・この時間になって、少しだけ、屋敷が騒がしくなったことに気がついた。


「 小十郎様・・・ 」
「 おう、どうした 」
「 ・・・あの、それが・・・ 」


 やってきた小姓が、躊躇うように口を開く。
 その口元が少しだけ緩んでいるのは、『 それ 』が彼の心に灯を点すであろうと知っていたから。
 返事を待つのももどかしかったのか、目を瞠った彼の前に飛び込んできた人影を見て、息を呑んだ。


「 小十郎、さん・・・っ! 」
「 ・・・、 」


 胸元に抱きとめた小さな身体。羽根のように軽かったが、たじろいだのは『 心 』の方だ。
 その双肩が震えているのを見て、小姓に、何か温かいものを、と申し付けた。
 主に頭を下げるのも忘れて、厨房に走り去っていくのを見届けて。
 少し冷静になって・・・こんな夜更けに一体どうしたのだ、と彼女に尋ねた。


「 武家の女が一人で出歩くような時間じゃねぇ・・・何か、あったのか? 」
「 ・・・・・・・・・・・・ 」
「 きょ・・・今日は、綱元がお前に何か話をする、と噂が・・・ 」
「 ・・・・・・ご存知、だったんですね 」


 俯いてばかりいたが零すと、今度は小十郎が黙る番だった。
 黙った小十郎に、ようやく彼女は顔を上げるが・・・その大きな瞳には、今にも零れ落ちんばかりの、涙。


「 綱元さんが・・・兄様が、私に縁談を持ってきたんです。鬼庭家の、娘としての 」


 は・・・元々、鬼庭家の生まれではない。
 その前に、彼女自身が『 此処 』の生まれではない。彼女は、成実に拾われた。
 途方もつかないほどの時空を越えて『 此処 』に放り出されたところを。ちょうど、こんな雪の日だった。
 身体にも、心にも。見えないたくさんの傷を癒すのに、時間はかかったが・・・。
 治っていく彼女の傷とは対照的に、小十郎の中に打ち込まれた楔は、日々成長していく。
 鬼庭家の養女と認められ、世界に順応していくけなげな姿に、形容出来ないほどの愛を積もらせていった。


「 この世界の者でもないのに、養女にしてもらったのだから、我侭言ってはいけないってわかってます 」
「 ・・・・・・ 」
「 これが『 此処 』の決まりなら、それに従うのが当然だって・・・でも、でも、っ 」


 身体を震わせて、泣きじゃくる彼女の肩に纏っていた羽織を乗せて。
 小姓の持ってきた茶を受け取ると、冷気を避けるように自分の部屋へと誘導した。
 ひっくひっくと泣いたままの手に、湯呑みを握らせる。勧めると、一口だけ口をつけた。
 胃の中が少し温まると、涙の勢いが弱まる。それを見た小十郎はほっとして・・・を見つめた。


「 ・・・綱元が、お前に縁談を持ち帰る、と。俺も今日、本人から聞いた 」
「 兄様、が・・・? 」
「 ああ。だがお前には甘い、アイツのことだ。不幸になるような縁談ではないだろうと思っていた 」
「 ・・・・・・・・・・・・ 」
「 お前が『 此処 』で生きていくと決めたのなら・・・綱元の、言うように・・・ 」
「 小十郎さんは・・・それが、最善の道だと、思うんですね・・・? 」


 蝋燭の光が、の瞳の中で揺らいでいた。でもその視線は真っ直ぐに、小十郎を捕らえていた。
 呼吸すら、ままならない。ごくり、と喉がなるのがわかった。
 ・・・彼女が嫁ぐと知って、誰よりも動揺したのは、小十郎だ。
 ずっと、欲していた。だから・・・鬼庭家の養女となることに賛成したのだ。
 自分の家に迎え入れるのは、養女としてではなく、妻として入ってほしいと思ったから。


「 ( 政治の道具として、が養女になることを喜んだわけじゃない・・・ ) 」


 計算高い凍将のことだ。『 すべて 』を見越しての縁組に、小十郎が口を挟むことは出来ない。






 ・・・の婿に、と名乗りを上げない限り、は。






「 ・・・・・・・・・ああ 」
「 ・・・そう、ですか 」


 長い沈黙の後の答えに、は素直に頷いた。
 膝の上で握っていた拳に、一度ぎゅっと力が込められ・・・解かれた。
 湯呑みを置いて、彼女は裾を押さえながら立った。小十郎の羽織を返しながら、頭を下げる。


「 突然お訪ねしまして、申し訳ありませんでした・・・これで、帰ります 」


 もう彼女は、顔を上げなかった。だから、彼女がどんな表情でこの羽織を差し出しているのか、わからない。
 小十郎に出来たのは・・・その羽織を、受け取ることだけ、だった。
 の白い腕が、羽織の下から覗く。その手を胸の前で組むと、彼女はもう一度頭を下げて、踵を返した。
 小さな背中に向かって、呼んでやりたかった。彼女の名前を。
 このまま帰せば・・・もう、逢えない。行くな、どこにも行かないでくれ。
 ・・・だが、は鬼庭の娘。綱元に将来を預けた身。その将来を、奪うことがあっていのか。
 羽織をぐっと握り締め、固まったままの小十郎の目に・・・それが、映った。


 ふと足を止めた彼女が、思い切ったように振り返る。






「 でも・・・でもっ、私、私は・・・・・・っ!! 」






 一瞬の、光。


 それがの涙だと気づいた時、小十郎の中で・・・・・・何かが、途切れた。






「 ・・・・・・んむ、っ! 」


 翻った彼女の白い腕を引き寄せる。
 右手で頭を固定させて、動けない彼女の唇を奪った。何度も、何度も・・・。
 舌を挿れると、の身体が大きく震える。一歩引いたが、しばらくすると抵抗しなくなった。
 むしろ、彼の動きに答えようと、不慣れながらも舌を絡ませようとしてくる。


 口の端から零れた唾液を、吸い上げ・・・小十郎は、を見つめた。


「 ・・・ずっと、好きだった。愛している。そして、これからも、ずっと・・・ 」


 ・・・お前だけを。
 その言葉だけで充分だ、というように、真っ赤になりながらも、彼女は微笑んだ。


「 私も、です・・・大好きです、小十郎さん 」










 抱き合った二人に、それ以上の言葉は要らなかった。






 降り積もった真っ白い雪の上に・・・音も無く、椿の華が、堕ちた・・・・・・。











いとしさはその指先



( 手放したくない、手放せねえよ・・・もう、お前以外、俺には見えちゃいねえんだ )

title:Shirley Heights



後半はR-18です。性描写がありますのでご確認の上入室してください >>>