April 2015


夜桜に酔わせて with 徐庶


 あれから、一年。出会いからこれまでを思い返してみても、やはり分からない。
 はどうして徐庶なんかを選んだのか。
 いつか愛想を尽かされるのではないか、という不安から逃れることが出来ない。むしろ、一年経った今だからこそ、あきられてしまう頃かもしれない。
 には徐庶がいなくても、彼氏の座を今か今かと狙っている奴が大勢いる。年下になめられて、かっとなってしまい、彼女を置き去りにしてデートを中断する男など、振られてしまうに違いない。
 帰宅してから冷静になり、なんてことをしてしまったんだと青褪めた。咄嗟に電話をかけて謝り、は許してくれたが、罪悪感はずっと燻っている。
 明日は休日だから、が喜びそうなケーキでも買って家に呼ぼう。先週、用事があると言っていたが、それが終わってからでいいから、家に来て欲しい。自宅なら誰にも邪魔されずに、との時間を過ごせる。あわよくば、キスしたいし触れたい。抱きたい。は自分のものだと確認させて欲しい。ああ、でも……あんなことがあって、すぐにそんなことをしたら、甘寧に妬いて焦っていることが見え見えか。余裕がないから自分勝手になって、少し乱暴にしてしまうかもしれない。それではを壊してしまうから駄目だ。

 (俺はどうしてこうも、かっこ悪いのか……)

 孔明のような頭脳があったなら――
 周瑜のような美貌があったなら――
 甘寧のような存在感があったなら――
 自信を持って堂々と、の隣にいられたのだろうか。

 大きな溜め息を吐いて、退社するべくエレベーターに向かおうと顔を上げた途端、背後から肩をつかまれた。

「うわ!」
「李典殿、暇人を発見しました!」
「捕獲だ!」
「承知しました!」
「李典殿と楽進殿!?」

 とっくに退社したと思っていた二人が、何故まだ社内に残っているのだ。今日は大切な用があるから早く帰らなければと言っていたのに。

「予感的中! 誰か一人は残ってると思ったんだよな〜」
「さすがは、李典殿の勘ですね」
「急ぐぜ。間に合わなくなる!」
「はい!」
「は? え?」

 剛腕の楽進に背後から抑え込まれたまま、走るように促され、訳もわからず、三人で走って会社を出た。道路で待っていたタクシーの助手席に李典が乗り込み、投げ込まれるようにして後部座席に徐庶が乗せられ、その横に楽進が滑り込んだ。

「発車してくれ」

 李典の指示に、運転手は頷いてアクセルを踏んだ。

「ちょっと待ってくれ。どこに行くんだ?」
「我々はこれから男女の戦に向かいます。徐庶殿、気合いを入れてください。一瞬の気の緩みが命取りとなります」
「ええと……すまない。まったく理解出来ない」

 真剣な顔で言われても、なんのことだか、ちっとも分からない。
 馬鹿がつくほど真面目な楽進が冗談を言うはずがない。李典が吹きこんだことを誤解しているのだろう。
 埒が明かない楽進に、これ以上質問するのはやめて、助手席でこちらを振り返っている李典に、どういうことなのか説明してくれと視線で訴えれば、彼は頬をかいて苦笑いした。

「これから合コンに行く」
「は? 合コン?」
「いや〜、急に一人キャンセルになって、向こうは三人で来るっていうし、やばいと思ってたところに、あんたがまだ残ってたから」
「それは困る! 俺は――」
「金曜の夜に一人で会社に残ってるってことは暇だからだろ」
「そういうわけじゃ――」
「いい! 言わなくても分かるぜ! 休日前の夜に予定がないと認めたくない気持ちは、よ〜く分かる! それを今日で終わりにするために、俺たちはなんとしてでも勝つんだ!」
「いや、そうじゃなくて、付き合っている彼女がいるから、俺は合コンには行けない」

 きっぱり断ったというのに、李典は何故か憐れむような目で頷いた。

「それは妄想だぜ。いい加減覚めろ」
「本当に――」
「徐庶殿、ご安心ください。私も彼女はいません。あなただけではありません」
「だから、その――」
「あんたに彼女がいないのは、あんたが地味だからじゃない。出会いがなかったからだ。お、今、ピンと来たぜ! あんた、可愛い子を家にお持ち帰り出来るぜ。俺の勘が言ってるんだ。そうに決まってる!」
「それは絶対にないな」

 自分で言うのもなんだが、それは絶対に無理だ。付き合っている彼女をベッドに誘うことにも毎回難儀しているのだがら、初対面の女性を持ち帰るなんて妙技を出来るはずがない。

「悪いけど、諦めてくれないか。俺には彼女がいるし、それに俺が行ったら盛り下がってしまうよ」

 騒がしいのは嫌いではないが、自分の顔と雰囲気は場にそぐわないのだ。楽しい話題は思いつかないし、話を振られても面白い返事は出来ず、「ああ、そうだと思う」と答えて会話を終了させてしまう。もっと話上手だったら良かったのにと後悔したのは、一度や二度のことじゃない。

「俺じゃなくて、郭嘉殿を誘った方が――」
「あいつは女子全員を持ち帰りかねないから駄目だ」
「そ、そうか。うん、確かに……」

 社内一のイケメンで、彼に惚れた女性社員は数知れず。彼女が惚れただの、娘が惚れただの、妻が、母が、と幅広い世代の女性を惚れさせてしまう魅力がある郭嘉は、それだけでも男性社員から反感を買うというのに、仕事も大変優秀で社長からも絶大な信頼を得ているため、数多の羨望と妬みの視線を向けられている。
 そんな彼が合コンに来たら、勝敗は火を見るより明らかだ。李典たちの惨敗は避けられない。

「李典殿、徐庶殿がこんなに嫌がってらっしゃるのですから、我々だけで出陣した方がいいのではありませんか? もしかしたら、本当に彼女がいるのかもしれませんし」
「本当にいる!」
「そうだな。その架空妄想彼女とやらに嫉妬されるかもしれないからな。まあ、そんなことないだろうけどな」

 タクシーを降りる準備をしていた徐庶が動きを止めた。徐庶が合コンに行ったら、は嫉妬するだろうか。先週の“不良遭遇戦”のように、こちらが嫉妬することは多々あれど、が嫉妬しているところは終ぞ見たことがない。それほどまでに、徐庶が以外の女性とプライベートで接してはいないということだが、はそうじゃない。同居している従兄周瑜の他、大学には男がうじゃうじゃいるだろうし、旧家のお嬢様だから、その繋がりで甘寧のような知り合いもたくさんいることだろう。その中で一体何人の男がに惚れているのか。考えるだけで、不安になる。
 も同じように嫉妬してくれたら、どんなに嬉しいだろう。それだけ徐庶のことが好きだという証を見ることが出来たなら、この上無く幸せだ。

 (いや、それでも駄目だ)

 彼女がいるのに、合コンに行くのは不義だ。
 行ってはいけない。

 いけないというのに。

 一時間後、徐庶は合コンの場にいた。
 あのとき何故、自分は頷いてしまったのか。男三人、女三人で別れてテーブルを挟みながら、徐庶はここに来たことを悔いていた。
 しかも、場所は例の川の上にあるレストラン。「この日のために随分前から予約していたんだぜ!」と、誇らしげに胸を張った李典が眩しい。こちらときたら、予約日を間違えたせいで入店が叶わなかった駄目男だ。同じ職場に勤務しているというのに、この差はなんだ。
 乾杯をして、すぐに帰るわけにもいかず、徐庶はビールをあおった。
 集まった女性陣は同じ職場の先輩後輩だそうで、春らしさを感じる淡い色合いのオフィスカジュアルを着て、可愛らしいピアスとネックレスをつけ、おしゃれをしていた。彼女たちの万全の態勢から、合コンへの意気込みを感じる。仕事終わりのスーツ姿のままで参上した、こちらが申し訳ない程だ。
 李典は相当頑張ったようで、予約したデッキ席は一番桜に近いところで、夜桜が月明りで朧に光る川面にはらはらと舞い散る姿がとても幻想的で美しい。
 この景色をにも贈りたかった。歓声をあげる女性三人よりも可愛らしく微笑んでくれただろうに。
 ああ、やはり、駄目だ。どの女性を見ても以上はいない。
 李典と楽進は、別嬪ばかりだと囁きあっている。二人がを見たら違う感想を抱くのだろうなと、徐庶は思ったが言わなかった。

 さて自己紹介、となったところで、事件が起こった。持ち前の明るさで笑いを取り、親しみやすさが滲み出る朗らかな自己紹介を終えた李典の次に口を開いた楽進がやらかしたのだ。

「楽文謙と申します。本日はこの戦に勝利し、女性を家に連れ込み、送り狼になろうと思っております。よろしくお願いします!」

 ぐっと握り拳を作ってみせた楽進だったが、女性陣の目つきが一瞬にして冷やかなものに変わった。素っ頓狂なことを言い出した彼の評価は、見た目が美丈夫なだけに、だだ下がりだった。

「だああああっ!! こいつ、冗談が下手で! あ、あはははっ! つ、次! 次、徐庶!!」

 両手を激しく振って李典がどうにか誤魔化そうと、徐庶にシュートなみに力強いパスを送った。いやいやいや、受け取れるはずがない、こんなパスは!
 冷や汗をだらだらと流しつつ、徐庶はしどろもどろに名乗る。

「ええと、徐元直です。よ、よろしく……」

 最悪だと李典が額を覆った。女性陣は苦笑いも出ない。真顔だ。
 不器用男二人のせいで、もう春なのに冬に戻ったかのような寒さを感じるくらい場が盛り下がったのだった。

- continue -

2015-04-01