April 2015


夜桜に酔わせて with 徐庶


 一時はどうなるかと思ったが、美味しい料理とワインと夜桜に、李典の必死なフォローのおかげで、どうにか女性陣の機嫌は良くなったらしく、互いの趣味や休日の過ごし方を話すぐらいには持ち直した。
 楽進の素直過ぎるほど素直な物言いには時々冷や冷やさせられるが、女性たちはちょっと変だけど真面目でいい人と理解したらしい。黙っていれば、楽進は顔がいいし、素晴らしい筋肉を持っているので、女性にもてるだろう。あとは、李典と楽進が女性たちの中から一人を選び出して恋人同士になってくれたらいい。
 ふうっと小さく溜め息を吐いて、徐庶は自分の目の前の女性を見た。彼女一人だけは、曖昧に微笑むだけで、心の底から楽しんではいないようだった。
 目の前にいる男が自分でがっかりさせてしまっただろうか。何か話すべきか。とはいえ、これといった話題はないのだけれど。

「あの……」

 居心地の悪さに耐え兼ねて、つい声が出たが続かない。
 彼女はこちらを一瞥して俯いてしまった。ちびちびとワイングラスに口をつけている。この場をさっぱり楽しんではいないことは分かった。
 もしかしたら、彼女も徐庶と同じく、無理矢理連れて来られたのだろうか。彼氏がいるけれど、友達にお願いされて断れず、来たはいいものの、人見知りなので何を話したらいいのか困っている。自己紹介の時も、話すのが苦手そうに感じたし、そうなのかもしれない。

「君も合コンには来たくなかったのか……」

 つい、心の声が出てしまった。しまったと思ったところで、彼女が顔を上げた。聞こえたようだ。

「す、すまない。変なことを言って――」
「あたしも……来たくありませんでした」
「え?」

 まさか同意が返って来るとは思わず、呆けた顔で聞き返した。
 顔を上げた彼女は、美女ではなかったが愛嬌のある丸顔で、控えめで優しそうな雰囲気の子だった。に出会っていなかったら、こういうタイプの子に惚れていただろう。下がり眉で自信なく、おどおどしている様子が、他人とは思えず、なんとなく自分に通ずるものがある。

「それは……どうして?」

 来たくなかったと言った自分が聞けたことではないが、気になってしまった。
 彼女は何事かを思い出して唇をかんだ。

「答えにくかったらいいよ。今のは忘れてくれ」
「いいんです。むしろ、男の人からの意見が聞きたいですし」

 深呼吸をした彼女は、残っていたワインを喉に流し入れ、よしと意気込んでから乗り出した。

「あたし、可愛いですか?」
「え?」
「綺麗ですか? イケメンと釣り合えますか?」
「ええと……」

 まずい。これは面倒くさい性格のようだ。話しかけなければ良かった。
 しかし、正直に答えていいものか。どちらかといえば可愛い方なのだが、イケメンと釣り合えるかと聞かれても、こちらはイケメンではないから分からない。
 返答に困る徐庶に構わず、彼女は語り出した。

「釣り合えないですよね。あたしも分かってるんです。イケメン彼氏に自分が釣り合うはずがないって。付き合ってるのかどうかも良く分からないし……。それでも、合コンに行ったら、彼が妬いてくれるかもしれないって、有り得ない期待をして、ここに来たんです。でも、ダメですね。彼のことばかり考えちゃって落ち込むばかりで。本当にごめんなさい。あたしなんかが前の席に座っちゃって」

 苦笑いを浮かべて彼女は自虐する。

 (これは驚いたな)

 まさか、ここに来た動機まで一緒だとは。
 しかも、彼女も自分にはもったいない人と付き合っていて、こんな自分が釣り合うわけがないと不安に怯えていて、愛情を確かめるために友達についてきた。まるで女性版の徐庶ではないか。

「謝らなくていい。俺もそうだから」

 徐庶も自分はに不釣り合いなこと、いつ振られてしまうのかと常に怯えていること、嫉妬してくれるのではないかと期待して参加したことを話した。
 彼女の表情は、みるみるうちに輝き始めた。

「もしかして、あなたも付き合ってる人が、なんで自分なんかを好きなのか思い当たらなくて悩んだりしてますか?」
「ああ。しょっちゅう悩んでいる」
「いつか振られるかもって不安になっちゃったりします?」
「ああ。常に不安だ」

 二人の間にあった淀んだ暗い空気は消え去り、澄んだ明るい共鳴の空気へと変わった。そこには恋人を作りにやって来た者はおらず、美しい恋人を持った悩める凡人同士がいた。
 取皿とグラスを退けて、彼女はテーブルに肘をついて身を乗り出すようにし、徐庶との会話に興味を示した。

「やっぱりそうですよね! あたしたちみたいな地味なのからしてみれば、住む世界が違うっていうか。彼は超イケメンのエリートで、女友達もたくさんいて――」
「俺たちみたいな十人なみは、並ぶだけでも恐れ多い気がするよ。俺の彼女も良家の出身で美女で、男の知り合いが多くて――」
「それ、絶対何人かは彼女さんに惚れてますってば!」
「君だってそうだ。彼に惚れてる女性は少なくないはずだ!」

 互いに言い合い、相手の意見は尤もだと、そろって肩を落とした。隣りの四人は恋愛観について、ああでもないこうでもないと盛り上がっているというのに、こちらは暗雲がかかっているかのように沈み込む。

「俺なんかのどこが良かったのか……」
「もっと素敵な人はたくさんいるのに、どうして、あたしなんかを……」

 気分はどんどん落ち込んでいく。それに比例して、徐庶と彼女は背を丸めていき、とうとうテーブルに鼻先が触れようかというところで、どうにか起き上がった。
 ふうっと溜息を吐いて、両者心を静めて向き合う。

「もしかしたら、あたしたちが浮気出来ないから安心だと思ってるのかも……」
「浮気?」
「出来ないですよね!」
「考えたこともなかった」
「美男美女はモテるから浮気しちゃうかもしれないけど、私たちみたいな凡人は美人と付き合ったら舞い上がっちゃって、捨てられないようにするのが精一杯だから浮気なんて出来ない。美人にとっては保険なのかも! 放っといても浮気される心配はないから安心で、もっと好きな人が出来るまでの繋ぎのようなもので、いざとなったら簡単にポイッて捨てられちゃうのかもしれない――」

 自分で言っておいて、彼女は涙ぐんでしまった。

「どうしよう。やっぱり、私、振られちゃうのかも。彼に捨てられちゃう」

 めそめそと泣き出した彼女に同調するのか、それとも「そんなことはない、きっと好かれているさ」と、根拠のないことを言って、この場を濁すのか。いつもの徐庶であったなら、その二択であったのに、今宵の彼は違った。

「本当に自分のことを好きなのか、彼に聞いてみたらいい」

 無意識に口をついて出た言葉に、徐庶自身驚く。不思議なもので、誰かに口だけ操られているかのように、ポンポンと言葉が出て来る。

「相手の本心を知るのは恐ろしいと思う。けど、このままでは辛いだけだ。本当に好きなら、きちんと向き合わなければいけない」

 おや、これはこれは――まるで自身に言い聞かせているようではないか。
 口にすればするほど、心にかかっていた靄が引いていくのを感じる。心が軽くなっていく。

「想っているだけでは伝わらない。伝えなければ、何も変わらない」

 自分はに伝えられているだろうか。想っているだけで、何も行動に移していないのではないか。
 振られるのが怖くて告白を躊躇っていた徐庶なんかに、は告白を二度もしてくれた。それも二年という月日が経ってから。いつもにばかり好きだと伝えてもらって、自分は勇気も出さず、ただ待っているだけ。これはいくらなんでも失礼ではないだろうか。

 (俺は何をやっていたんだ)

 “がどうして自分を好きなのかが分からない”
 “に振られてしまうのではないか”
 自分は何もしないくせに、全部におしつけてばかりで、一体何様のつもりだ。「俺なんかが」と卑屈になっているつもりで、我が身可愛さに胡坐をかいていただけじゃないか。傷つくのを恐れて逃げて、大切なものを見失ってしまっていた。

 (本当に行動すべきなのは、彼女じゃない。俺だ)

 こんな当たり前のことに、今更になって気づくだなんて。

「頑張りましょう、徐庶さん! 何事も行動あるのみですよね!」

 徐庶の言葉に感銘を受けたらしい彼女が、別人のように明るい顔でテーブルを叩いたのを、徐庶はどこか遠くで聞いた。





 お開きとなり、店を出た一行は駅を目指した。
 女性たちと連絡先を交換した李典は頬を緩ませっぱなしで、楽進は相変わらずの天然具合だったが、それも彼の個性と受け入れられたらしく、場の空気を壊さず上手くやっているようだ。
 四人の後ろを徐庶と、同じ悩みを持つ彼女がついていく。店を出る前に握手を交わした二人は、互いに頑張ることを約束し、有意義な時間を過ごすことが出来たと満足していた。当然ながら、連絡先は交換していない。彼らにはそれぞれ決まった相手がいるからだ。
 次に恋人に会ったときには、自分のことを本当に好きなのか聞いてみる。徐庶と彼女はお互いを励まし合い、幸せを祈った。
 今すぐに会いたい。明日呼ぼうと思ったが待てない。
 遅い時間だが、家に来てくれないかと聞いてみよう。帰宅してからの自宅まで車で迎えに行って。が忙しいようだったら、一目会うだけでいい。
 に連絡を取ろうと携帯画面を見れば、ちょうど連絡が来ていた。用事が早めに終わったので、これから会えませんかとのこと。以心伝心とは、このことか。も近くにいるようで、駅前にいるとメールを送信した。さっさとこの場から離れようと李典に背後から声をかけたちょうどそのとき、彼は大声を上げて前方を指さした。

「お前、なんで、こんなところに!?」

 明るい色の髪をした、とんでもなく美形の優男が、両腕に美しい女性を侍らせて、こちらを振り返った。どこの芸能人かと思ったら郭嘉だった。

「李典殿に楽進殿、それから徐庶殿か。奇遇だね。もし良かったら、これから一緒に飲もうか」
「嫌だね。俺の勘がお前とは二度と飲むなって言ってる」
「それはそれは……随分な嫌われようだね。ところで、その女性たちは――」

 郭嘉の眼差しが、李典から女性たちに移動する。まずいと李典が気づいた時既に遅し。こちらの女性たちは郭嘉の色気に当てられてしまっていた。ついさっきまで、李典たちといい感じだったというのに、彼女たちの中で今日出会った素敵な男性は、郭嘉一人に上書きされた。

「とても美しい方しかいないようだ。どうです? 私と一緒に飲みませんか?」
「おい、待て。お前は二人も連れてるだろ。こっちまでナンパするな」
「郭嘉殿、戦利品の強奪は許せません」

 こちらの女性にも興味を示す郭嘉は、さすがはあの絶倫と噂される曹操殿の右腕といったところか。
 李典と楽進が郭嘉に構っているため、徐庶は抜け出すタイミングを失ってしまった。愚図愚図していたらが来てしまう。彼らと会わせるのは色々と面倒だから避けたい。特に郭嘉とは会って欲しくない。
 どうしたものかと首の後ろをかいていると、隣にいた彼女が、わなわなと身を震わせ始めたと思ったら、李典と楽進の間を割って入り、郭嘉の前に出て彼の胸を拳で叩いた。

「郭嘉、ひどいよ! この女の人たち誰なの!?」

 李典と楽進と女性たちが、突然の彼女の行動に驚いている中、徐庶だけは冷や汗を流す。

 (彼女の彼って、まさか――郭嘉殿?)

 そのまさかだった。

「あたしのこと、どう思ってるの!? 本当に好きなの?」
「不思議なことを聞くね。もちろん、好きだよ」
「あたしのこと好きなのに、なんで他の女の子と会ってるの!?」
「彼女たちのことも好きだからかな」
「あたしたち、付き合ってるよね!?」
「そうだったかな。でも、君が言うなら、そうだったのかもしれないね」
「そんな……あんなにデートして……好きだって言ってくれて……」
「好いているよ。あなたも、この子たちも、皆等しく」

 そう言って、両腕に絡みついていた女性二人の肩を抱いた郭嘉に、彼女は大声で泣いた。

「このっ、女の敵が!」
「お待ちください、李典殿!」
「穏やかではないね。何をそんなに怒ることがあるのかな」

 殴りかかろうとする李典、それを止める楽進、微笑む郭嘉。とんでもない修羅場に遭遇してしまった。先程まで意気投合していた彼女が、郭嘉の被害者だったとは。またしても、郭嘉が泣かせた女性記録を更新してしまった。そろそろ背後から刺されてもおかしくないのではないだろうか。彼に悪気はないのが一番の厄介だ。
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ彼らの向こうの道路に見知った車を見つけた。の家の車だ。運転手にドアを開けてもらい、後部座席からが降りた。が一言二言告げると、運転手は頷いて車は発進させて去っていった。
 遠目からでも、すぐに見つけられるほどに、は可愛い。徐庶に気づいて、嬉しそうにはにかむ姿は更に可愛い。
 こちらに向かって来る彼女を抱きしめたいが、今は諍いの真っ最中だ。こんなところをに見せたくはない。徐庶はそっと輪から抜けだして、彼らにが見えないように背を向けて壁になった。

「先生、こんばんは。ちょうど会えて良かったです。何をされていたんですか?」
「ちょっと飲み会に参加していて……」
「あちらの方はお友達ですか?」

 上半身をずらし、徐庶の背中越しに彼らを見つけたが見上げてくる。徐庶は腕を伸ばしての目にかざす。

「何も見なくていいよ。さあ、帰ろう」
「でも――」

 徐庶の指は広げられ、隙間からの両目が覗いた。その目が騒ぎの彼らを映し、金色の髪を持った美青年をとらえた。

「おや、徐庶殿、そちらの美女はどなたかな? 私にも紹介して欲しいな」

 目敏い郭嘉の一言に、一斉に視線が集まったのを背中で感じ、徐庶は渋々振り向いた。

「俺の彼女だから、誰にも紹介したくない」

 今度こそ、堂々と言い切った。

- continue -

2015-04-01