「兄貴! ようこそお越しで。そっちの別嬪さんは……まさか、お嬢ですかい!? お久しぶりでございやす! いや〜、ますます美しくなられて」
「おう、邪魔するぜ。今から入れるか?」
「もちろんっす! 一番いい個室用意するんで、ささ、どうぞ入ってくんなせえ。野郎ども! 兄貴とお嬢のご来店だ!」
店内方方から一斉に野太い「いらっしゃいませ」が響き、はビクッと体を震わせた。思わず、甘寧の背後に隠れる。
「甘寧、ここは?」
「俺の舎弟がやってる店だ。先月出来たばかりでよ。気に入ったら贔屓にしてやってくれや」
「そうだったんですか」
「お嬢も知ってんだろ? さっき会った奴」
「はい。何度かお見かけしたことがあります」
彼のことは覚えている。スーツがパツパツになるくらいの肥満体型に、眉を剃ったスキンヘッドだったので、他の舎弟よりも強烈に記憶に残っていた。見た目は怖いのに、実はすごく優しくておしゃれで可愛いもの好きな彼とは、何回か話をしたことがあったし、誕生日には可愛いリップグロスをもらったりして、同性の友だちのように親しくしていた。
こんな素敵なお店を持つことになったのは驚きだが、乙女心の分かる彼であれば納得する。
スタッフは顔が怖い人ばかりだが、お揃いのグレーシャツとブラックのカマーベストが似合っていてかっこいい。店内のインテリアも明るく清潔感があるもので統一されていて、天井のシャンデリアや卓上のランプやお花など、女性が喜びそうなものばかりだ。
どれもオーナーのセンスなのだろう。見た目からは想像もつかないが。
「素敵なお店ですね」
「気に入ったか?」
「はい。とても」
「そりゃ、良かった。周瑜の旦那に殺される覚悟で拉致した甲斐があったぜ」
「周瑜従兄さまは、そんなことしないですよ」
「お嬢の前では、しねえよ。旦那はお嬢がいねえとこでは容赦ねえからな」
「まるで、ひどい目に遭ったような言い方ですね」
「ひどい目には寸でのところで遭ってねえが、釘はさされたからな。これでもかと、えぐるようにな」
「そんな大げさな」
「お嬢に近づくのは命懸けだったぜ」
難儀だったと両手を軽く上げてみせる甘寧に、は苦笑して顎に手をやった。
を恋愛対象として見ていないくせに、よく言うものだ。
(期待しない。都合いいように考えたら駄目……)
気を抜けば、ときめいてしまいそうな心を、落ち着くように言って宥める。
甘寧の何気ない言葉に過度の期待をして、その度に落胆してきたことを思い出せ。
もしかしたら、甘寧ものことを好きなのではないか。そう思い込んで喜んで、やはり違ったのだと落ち込むことの繰り返しが嫌だったから、今まで甘寧のことを忘れようと努力して来たのだろう。全てを無駄にする気か。
(わたしには、楽進がいるんだから……もう甘寧のことは、なんとも……あっ)
そういえば、楽進に振られそうだったことを思い出した。これからも付き合っていくのか、それとも別れることになるのかが明後日に決まる。
楽進は何故、三ヶ月も猶予をくれたのか謎だが、今の段階では、まだ楽進の彼女なのだから、判決が出るまでは、彼氏以外の男とご飯を食べるのは避けるべきだろう。いくら昔からの顔なじみで、これっぽっちもを女だと意識していないのだとしてもだ。
やっぱり帰ろう。
こんな中途半端な状態で甘寧とご飯を食べるのは色々と危険だ。
楽進から別れを告げられるのは秒読みの段階ではあるが、現時点では一応、楽進と付き合っているのだし。
どうせ、いつもの甘寧の気まぐれだ。こんなことで、気持ちを乱されてはいけない。冷静にならなければ。
スキンヘッドの店長が気を利かせて、店で一番素敵な個室に案内してくれたのは有り難いが、早々に帰らせてもらおう。まだお冷しか来ていない今がチャンスだ。
よし、と意気込んで椅子から立ち上がった。
「あの、わたし、用事を思い出したので帰りま――」
「おまたせしやした! 優しさたっぷりしゃきしゃきミモザサラダです!」
「おう、ここに置いてくれや。どうした、お嬢? 突っ立ってねえで座れよ」
踊るような動きで明るく登場した店長は、山盛りのサラダの皿を持って現れ、タイミングを逃したは、甘寧に言われて腰を下ろした。
(なんてタイミングの悪い……)
取り皿を使わずに食べようとする甘寧を制し、ぱぱっと二つにサラダを分けて、フォークを使って一口食べる。
(わあ、美味しい)
レタス、キュウリのしゃきしゃきとした歯触りと、瑞々しいトマト、炒めたベーコン、茹でたブロッコリーにドレッシングが絡んで美味しい。卵黄の鮮やかな黄色も美しい。見た目にも華やかだ。家で真似したい。
「美味いか?」
「はい! とても美味しいです!」
「どんどん来るからな。いっぱい食えよ」
「はい!」
美味しさに頬を緩めて元気良く答えてしまったが、そうじゃないだろうと自分に突っ込んだ。
(帰るんだから、これ以上食べちゃだめだってば!)
しかし、皿にあるサラダを残すのは忍びないので完食する。
(これ全部食べてから! 全部食べたら帰る!)
そう決めて、一口食べて、にんまり。もう一口食べて、にんまり。
頬に手を当てて、幸せを噛みしめていると、店長が踊るように再登場。
「ペペロンチーノ、ジェノベーゼ、カルボナーラです!」
パスタ三種が到着。
「チーズの盛り合わせ、ハムの盛り合わせ、シュリンプのオーブン焼き、ガーリックライスです!」
続々と料理が届き、甘寧がビールを二杯飲み干し、店長おすすめのワインを片手に、一皿ずつ平らげていく。
帰るタイミングを完全に失ったは、諦めて料理を味わうことにした。
(おいしーい!)
目をキラキラさせて、舌鼓を打つ。
(うう……帰るのが嫌になるくらい美味しい。幸せ〜!)
目的を忘れて、ぱくぱく、もぐもぐ。どれもすごく美味しい。
幸せをかみしめて、ジュースを飲み干した。
「何か飲むか? お嬢は相変わらず酒は飲めねえんだったよな?」
「お酒飲めます」
おっと、甘寧が目を瞬かせた。それが癪に障り、は少しだけ口を尖らせる。
「もう大人ですから」
「大人か。そうか。そうだったな」
くつくつと喉の奥で笑って、甘寧はにメニュー表を手渡した。
好みのカクテルを選んで伝えると、甘寧が店長を呼んで注文をしてくれた。
「昔は一口飲んだだけで、狼狽えてたってのにな」
「あれは、初めて飲んだからです。今は違います」
そうだ。昔とは違う。今のは、あのときと違って成長したのだ。
甘寧が子どもだと思っていたときのとは違うのだ。
「わたしは変わりました。もう、昔とは違うんです。お酒も飲めるようになったし、一人暮らしもしてますし、自炊だって出来ます。甘寧が知ってる、わたしじゃないです」
「変わらねえよ、お嬢はお嬢のままだ」
「変わりましたよ」
「唯一、変わったとしたら、綺麗になった。前から一等綺麗だったけどよ、もっと綺麗になった」
かちゃり。音を立ててフォークを置いた。
こんなに美味しい料理を前にして食べる気を失せるなんて罰当たりだが、そんなことは言ってられないくらいに、甘寧が変なことを言うのだから仕方ない。
「やめてください……そんな、心にもないこと……」
「また、惚れちまうか?」
動揺を隠そうとカクテルを喉に流したところで動きを止めずにはいられなかった。
グラスを戻して、ゆっくりとスローモーションのように嚥下する。
「お嬢はオレのことが好きだったしな」
の動きを止めてしまうだけのことを発しておきながら、甘寧は酒を煽る。
どういうつもりで、こんなことを言うのだろう。甘寧の顔を見つめても意図は読めなくて。
の頭の中は、当時の感情や思い出が否応なしに甦っていくのだった。
- continue -
2015-12-01