こうして二人は、朝の仕事に入る。
姜維は竹簡の確認、揮毫、印押しを行う。
は姜維の持ち帰った衣類の裁縫、洗濯を行う。
静かな朝は、仕事が捗る。
途中、が湯呑みを持って姜維のいる部屋へ入ってきた。
「終わりそうですか?」
が卓の端に湯呑みを置くと、姜維は筆を硯に立て掛けて、湯呑みに手を伸ばした。
「あと少しかな。思ったより量があって驚いた」
「春節祝いの対応が、思ったより多いですから」
「祝いの気分になれるものなのか」
ぼそりと呟いた言葉に、は「そうですね」と目を瞑った。
しまったと姜維は思いつつも、気を紛らわせるために茶を口に含んだ。熱さに舌先が痺れた。
「そういえば、あと少しで元宵節ですね」
ああ、と姜維が応える。
元宵節とは、春節(元旦)から数えて十五日目にあたる日のことをいう。一年の最初の満月の夜であり、この日は春節に次いでお祝いをする。
街路には華やかな提灯が飾られ、獅子舞いや龍躍りが披露される。各家庭でも家先に提灯を用意し、湯円と呼ばれる餡入りの茹でた団子を食して家族の団欒を祈るのだ。
「元宵節にまた、帰れそうですか?」
「どうだろう。帰れたらいいけど、その時の情況次第かな」
いまだ城内は落ち着かない。
本来なら終始拘束され登用されるはずのない姜維が、鍾会ら一部の将の推薦もあって魏に登用されている。
成都に残っていた不正を働く宦官たちは揃って逮捕され、有能な官吏は魏に登用された。また『蜀に熱い忠誠を誓う』文武官たちは、成都からこぞって遠ざけられた。
なぜ姜維だけが残されたのか、なぜ姜維は許されているのか、姜維自身まだ理解できずにいた。
「湯円、作りましょう!」
の明るい声が、止まっていた姜維の時を動かした。
「今夜は湯円食べて、あったまりましょう。湯円も、肉入りと胡麻餡入りの二種類にして! お鍋に隙間ないくらい沢山浮かべて、いっぱいいっぱい食べましょう!」
「そんなに」
そんなに食べられるかな。
苦笑する姜維に、は「足りないと言わせてみせます」と腕を捲った。
「じゃあ私は天灯でも用意しようかな。私と貴女の二人分」
「まあ素敵! 諸葛亮様直伝ですね」
「置くだけで飛ばしはしないぞ」
「楽しみ。また伯約の下手くそな天灯が見れるのですね!」
「貴女は失礼な人だな」
そう言って、二人くすくすと笑い出す。
天灯とは熱気球のことであり、諸葛亮が考案したものだ。大型の籠に紙を貼り、そのなかに火を灯して空中に飛ばす。戦時下において通信手段として用いたのだ。
姜維も諸葛亮から伝授されており、作成から実行まで熟知している。ただ自身で作成したものがいつもお粗末だったため、その度にから笑われていたのであった。
そうとなれば、朝の仕事を早々に終わらさなければならない。
休みだというのに忙しない一日が、姜維にとっては楽しくて、眩しくて、仕方がなかった。
昼ごはんは、胡餅と羮(あつもの)であった。
胡餅とは小麦粉を油で練って釜で焼いたものであり、表面の焼けたパリパリとした食感とふんわりした中の生地が絶妙で、何枚でも食べれた。
羮は細かく切った肉と野菜、溶かした卵でぐつぐつと煮えており、これが意外と濃厚で満腹感を与えてくれた。
これら全ての手作りである。
姜維の屋敷には、料理人はいない。使用人ですら必要最低限の人数しか雇っていない。
お金がないから、使用人の多さで誇示したくないから、というわけではない。
それだけで充分であり、満ち足りているから必要ないのだ。
もくもくと食事を進める二人の姿に、新しい白湯を持ってきた使用人はくすりと笑った。
午後。太陽の日差しはあるが、空気は冷たい。
屋敷の庭に出た姜維は、うんと背伸びをした。
吐く息は白く、日中だというのに朝から気温が上がることがない。踏みしめた土は昨夜の雪で濡れており、その上を草履で歩くと少しぬかるんだ。
(こんなにのんびりして、いいのだろうか)
敷地内にある倉庫に向かいながら、姜維は心のなかでそう呟く。
倉庫の錠を外し、冷たい門を開ける。
平生使用しない調度品や大型の家具が、眠るようにしてそこに並べられてあった。
光の入らないそこに、足を踏み入れる。
昔はここに、己の槍や武具を収めていた。倉庫も戦のたびに開けていたものだから、埃など被ってはいなかった。
(ここに入るのは、何年ぶりだろう)
魏に降伏したとき、姜維は剣門閣にて、は成都から離れた沓中にて拘束された。
当時宦官である黄皓との政治的争いを避けて、とともに暫く沓中に駐屯していた。
残された成都の屋敷は主人不在のまま踏み入れられ、武具等は全て魏軍に押収されたのだ。
ここ成都に戻ったのも、そもと再開したのも、ほんの最近であり一月前の話である。
の力で屋敷はもちろん荒らされた倉庫も整えられたが、以前とは違う空気に、姜維は形容しがたい気持ちに襲われた。
姜維は唇を噛み締めて、天灯作りに用いる道具を探した。
その頃は、調理場で餡作りと戦っていた。
「肉入りの湯円は鶏だしにしよう。餡は刻んだお肉と韮と筍、あとそれからそれから」
ぶつぶつ言いながら、右手の包丁さばきは止まらない。
「ああっ、でも甘いのだと胡麻餡の他にも小豆餡食べたいし、芋餡も素敵よね! そうよ、伯約は芋好きだし! でもそれだと甘いものばかりになっちゃう、夕飯なのに!」
ひいふうみいと、片手で数えて計算する。
「食べれるかしら、二人で……」
机上に並べられた食材の数々に、の腕が止まる。そしてその餡を包む白玉粉を練る作業を思うと、気が少し遠くなった。
「うん、伯約なら食べれるわ!」
良い笑顔でそう意気込むと、腕捲りして再び作業に移った。
の料理知識と技術は、諸葛亮の妻である月英に全て鍛えられていた。
月英の手料理はうまい。だが量がすごいと城内でも評判であり、その夫と夫の弟子はいつも月英の手料理で腹を満たしていた。
そして月英の弟子であるも、師匠と同じく作る量が多い。その夫たる姜維は、二代に渡ってその手料理を(量を)味わうことになるのであった。
ちなみに月英とは、夫よりよく食べる。
そもの出自は、少し複雑である。
幼いときに貧しさから黄家に奉公に出て、月英の侍女となった。月英の嫁入りとともに諸葛亮の屋敷へ移ったのだが、当時諸葛亮が侍女を持たなかったため、不便に思った月英がを推薦したのである。
そうして諸葛亮の侍女となったであるが、前述したように、巡りめぐって姜維の元に落ち着いたわけである。
は家族を思い出せない。
奉公というより、身売り同然に黄家にやって来たからだ。はそれを仕方がなかったと思っているし、こんな時世だからと諦めていた。
だが、月英や諸葛亮たちと出会って、は変わった。
家族同然に自分を扱ってくれる二人の優しさは、胸が苦しくなるほど嬉しかった。
そこに姜維も加わって、ますます賑やかになった。
四人で何度も会食をして、雑談をして、笑った。落ち着いた時には遠乗りにも出掛けた。身分を隠して街路を視察するため、変装して街中を歩いたこともある。今でも思い出すと笑顔になる。
家族みたいだなと、は思っていた。
諸葛亮様が父で、月英様が母で、姜維様は――、と考えたとき、「なんなんだろう、あの人」と首を傾げた時代があったのが、今に思えば懐かしい。
もう二度と、あの日々に戻ることは出来ない。
それはも、姜維も、分かっている。
残された二人は、二人だけで寄り添って、進むしかなかったのだ。
「うん、いっぱい作れた!」
机上に隙間ないほど並べられた白玉に、はうっとり笑顔を浮かべた。
- continue -
2016-02-01