わたしは覚えていない。
「ねえ、法正。どうして徐庶がいないの?」
無邪気な問いかけが、幼子の心を引き裂いたこと。
両親に兄はそんな名前じゃないと叱られ、泣きわめいたこと。
やっと落ち着いた頃に、今度は幼馴染の少年に同じ質問をしてしまったこと。
彼らに与えた絶望の深さを、わたしは思い出すことすら許されない。
昔から、似てない兄妹だと言われてきた。
見た目も中身も全く違う。どちらかが養子なのではと疑われたこともあるくらいだ。その度に、法正はきっちりと報復していた。
二度とそんな世迷言が出てこないくらいに思い知らせる、と言って。
もしかしたら嫌われているんじゃないかと不安だったわたしは、その事実を聞いて安心してしまった。誰かが酷い目に遭わされたかもしれないのに、法正が本気で怒ってくれたことを嬉しいと感じてしまった。
「さて。忠実なる下僕が、我が君のためにドリンクをお持ちしましょう」
「酔ってるの? あ、わたしもお酒が飲みたい!」
「駄目です。二十歳になった途端に酒が飲めると考えること自体、底が浅い。考えが甘すぎますね。俺がそれを許すとでも?」
「とっておきのシャンパンを用意してもらったのよ。わたしでも飲めるからって」
「そうやって乗せられるのも相手を選べと、何度言ったら理解してもらえるんですかね」
「い、痛い痛い痛い・・っ」
今度はこめかみをグリグリされた。
片側から編み込んでハーフアップにしているけど、こめかみは隠れている。多少赤くなっても分からないと思っているのか、すごく痛い。
本当は優しい、とか前言撤回。
法正は意地悪で、人をからかったり、弱い者いじめしたりするチョイ悪おや・・・・じゃなくて、チョイ悪お兄さんだ。と思った瞬間、痛みがグレードアップした。
「いたたたた!!」
「何を考えているんです?」
「あーっ、セクハラ発見! って、実の兄妹でもセクハラは成立するんだっけ」
びしっと指を差しながら鮑ちゃんこと、鮑三娘が首を傾げている。
隣で関索が何やら囁くのをフンフン聞いているけど、助けるなら早く助けてほしい。片頭痛がしてきた頃に反対側から揉みほぐされて、怒るに怒れない状況になっているから。
それにしても一般的なペアルックと違って、対になった衣装も素敵だ。
互いの色を纏うのは二人揃ってこそだと思う。普段は柔らかなイメージのある関索も凛としていて、鮑三娘はふわっと花弁を広げる花のようだ。
「我が君?」
「法正、ソフトドリンクでも何でもいいから! 我慢するからっ」
「了解しました、オレンジジュースですね」
「ひゃうっ」
耳へ囁くのも息を吹きかけるのもNGだ。
どうせ関索がしているのを見て、いらぬ対抗心を燃やしたのだろう。法正にはそういう子供っぽいところがある。わたしが知っているのは、家族特権というやつだ。
「大丈夫? 法正さんってカッコイイけど、ドSだよねー」
「確かに、女の子を虐めるのはあまり感心しないな。優しくできないわけでもないのに、そうしないのはどうしてだろう」
「関索はいつでも優しいから! あたしは全然オッケー」
「ありがとう。そう思ってもらえて、嬉しいよ」
どうしてくれよう、このカップル。
普段は微笑ましく見守る余裕があるのに、今はちょっと無理。その理由も原因も分かっていた。さっきから探しているのに、ちっとも見つからない。法正に言われなくても、真っ先に突撃していくつもりだった。
たくさんの人がいても、グループごとにまとまっている。
鮑三娘と関索に導かれ、わたしは関一家のところへ来ていた。ちょうど劉備、張飛の家族もそろっていて、一通りの挨拶を済ませる。ほとんど国内に住んでいるから、年に何回かは顔を合わせている人たちだ。
軽く近況報告を交わして、法正の持ってきたオレンジジュースを飲む。
「それ、好きだな」
「違うし。法正が持ってくるだけだし」
「嫌がらないのは、好きと同じ」
「そうなのか?」
関平が不思議そうに問えば、関興がこっくり頷く。
そんな二人が持っているのはアルコール、日本酒だ。父親である関羽こと、雲長先生が大の日本酒好きなのが影響しているらしい。秘蔵コレクションを張飛が狙っているとかで、気を付けてほしいと星彩から言われている。
(あれ? なんでわたしも気を付けなきゃいけないんだろ)
首を傾げつつ、法正の持ってきたオードブルをつまむ。
立食パーティーなので、手でつまめるものが中心だ。デザートの出番がきたら、ちょっとした騒ぎになるかもしれない。今年は未来のパティシエが腕によりをかけたから。そしてオードブルは、色んな国の料理が並べられている。
じっくり見て回りたいけど、そんな暇はなさそうだ。
「あっ、久しぶりだねー!」
「銀屏ちゃん、久しぶりっ」
戻ってきた銀屏と手を取り合って再会を喜ぶ。
「白いドレス、すごく似合ってる。いいなあ、可愛い」
「銀屏ちゃんのも大人っぽくて素敵だよ。わたし、グリーン系が似合わないから・・」
「ええ、そんなことないよ〜。今度、一緒の服を買おう?」
「うんうんっ」
「その辺にしておきなさい、銀屏。を独り占めするものではないぞ」
名を呼ばれて振り向けば、長い髭を撫でる初老の男性がいた。
深い色の瞳が優しく細められる瞬間が、すごく好き。昔から、この人の子供である関平たちが羨ましくて仕方なかった。
「雲長先生」
「そう呼んでくれるか。嬉しいものだな」
「もちろんですよ」
高校時代の恩師にして、今もお世話になっている人だ。
そのおかげで関一家とはよく会っている。中学までは同じ学校に通っていたし、劉禅や姜維も含めて一緒に遊びまわっていた。子供の頃は難しいことを考えなくていいから楽だった。
彼らが近くにいてくれなかったら、わたしはどうなっていただろう。
内気で人見知りの、暗い性格になっていたかもしれない。
「彼も来ているのか?」
「ええ、たぶん」
雲長先生が何を示しているのかを察し、わたしは小さく笑った。
出席の返答をもらって、会場入りもスタッフが確認している。
「・・ようやく、だな」
「関興。余計な口を挟むんじゃない。、気にするなよ?」
「大丈夫」
情けない顔になっているのだろう。
心配そうな人たちに、本当の意味での「大丈夫」を返せないのが心苦しい。ずっとずっと思い続けて、余所見すらしなかったのを彼らは知っている。
おかげで二十歳になるまで彼氏ゼロ、だ。
このパーティーに出席できない友達も、できた。年末年始は家族や知り合いと過ごすのが定番だと話してあるため、そういう集まりに誘われたことはない。
- continue -
2016-01-01