May 2015



 芯の強さは、目を見た時に分かる
 情の厚さは、紡がれる言葉と行動で分かる
 妙なところで脆く、変に警戒心が緩い
 女のくせに汚れることも、傷つくことも厭わない
 そして次の行動が予測つかないせいで、目も離せない



脳内改装工事中 with 夏侯惇


 


「・・・・ということあったんです、夏侯惇様」
「そうか」
 顔も上げずにたった一言。
 余計なものは「ほとんど」置いていない執務室に、山盛りの書簡を置いていくついでの雑談だ。もとより長居するつもりはないし、そんなことで迷惑を掛けたいとも思っていない。でも言いたいことは今言っておかないと後悔すると知っているから。
「でも、ただの風邪だったんです。もう何年も前の話ですけど」
「そうか」
「びっくりさせすぎですよね、夏侯惇様」
「そうだな」
「だから戦場に出してください、元譲様」
「どうしてそうなる。双方却下だ、出直してこい」
 にべもない。
 ぷくっと頬を膨らませれば、横目でちらりと見る。すかさずとっておきの笑顔を向ければ、倍以上の速さで目を逸らされた。失礼な。
 いや、もしかすると照れかもしれない。うん、照れだ。
「にやにやするな」
「夏侯惇様も素直じゃないなあと思って」
「何のことだ」
「こちらのことです。洗脳は順調ですねー、うんうん」
 腕組をして数度頷く。満ち足りた気持ちで気分がいい。
 眉間にくっきり山脈ができていたって、兵卒が竦みあがりそうな鋭い眼光で睨んできたって、不思議と「怖い」なんて思ったことはない。すごい顔芸だなあと本音をぽろりして、場が凍りついたのはいつだっけ。
 わたしはいわゆる箱入りだったので、人付き合いが上手くない。
 おかげで今も、郭嘉兄さまに制限をかけられている。曰く兄さまが許した相手以外と口を利くことも、目を合わせることも、すれ違うことすら禁止。わたしはどんな危険人物だ。
 そんなわけで夏侯惇様は、数少ない知り合いなのである。
 昔、若気の至りで作っていた武具も使ってくれているらしい。正体は明かしていないから、制作者わたしっていうことは知らない。
 そうそう、武具について語る横顔も好き。
「・・何だ」
「うふふ。なんでもありますけど、秘密です!」
「ふん」
 夏侯惇様は厳しくて、優しい。
 間違ったことをしていれば、たとえ主君である曹操様にも容赦しない。でも良い行いをしていれば、一兵卒にだって褒める。顔が怖いからって避ける人たちも多いけれど、こっそり尊敬している人もいる。わたしもその中の一人。
 少しずつ距離を詰めていきたいのだけど、上手くいかない。
 兄さまは褒め殺して、あっさり落としていくのに。これが男女の違いというものだろうか。一度だけ夏侯惇様の落とし方を教授してもらおうと相談してみたら、笑顔のまま吐血したから二度とやらない。
 そこまで難易度が高い相手ということだろう。
 難攻不落の砦も落とす兄さまが無理なら、わたしにも無理・・とは思いたくない。
「そもそも戦に出たがる理由は何だ? 女子供には向かん場所だぞ」
「前も言いましたよ、夏侯惇様。女子供だろうと、守るべきもののために戦うのです。人殺しがしたいから戦に出たい、と言っているわけではありません」
「当たり前だ!」
「わたし、夏侯惇様の認める水準は満たしているはずですけど。鍛練の様子はご覧になられましたよね?」
「・・ああ。しかしだな」
「兄さまのことなら、ご心配なく。とっくに説得済みですの」
 にっこり微笑めば、ますます苦い顔になってしまった。
 まず一番に反対しそうな相手を懐柔しておくのは、軍略の常道だ。
 武具製造を止める代わりに、勉学の道を志すまでは良かった。両親も最大の懸念が取り除かれたことで、気が緩んでいたのだろう。曹操様の片腕として働いている兄さまの助力もあって、最低限の知識は身についたと思う。
 さすがに文官になるところまではいけなかったけれど。
「あまり奴を困らせるな。最近、あまり思わしくはないのだろう?」
「夏侯惇様のお話をしなければ大丈夫です」
「・・・・はあ」
「まあ、大きなため息! 幸せが逃げてしまいますよ」
「放っておけ」
「嫌です」
「・・・・・・」
「い、や、です」
「二度も言わんでいい」
 この人に疎ましがられているのだろう、わたしは。
 外に出るため、貴族の嗜みを覚えた。丁寧な言葉遣いと礼儀作法もきっちり体に叩きこんだ。離れに引きこもっていたから痩せっぽちで、女らしさの欠片もなかったわたしが頑張ったのは夏侯惇様に会ったからだ。
 運命の出会いといっても言い過ぎじゃない。
 あれはさすがに、ちょっと恥ずかしいので割愛するけれど。
「とにかく! わたしは夏侯惇様を元譲様とお呼びできるようになるまで頑張るのです」
「呼びたいだけならかまわんが」
「もちろん、それだけではありませんの」
「・・だろうな。やはり却下だ」
「素敵! 今、心が通じ合いましたよね。ついでに想いも通じ合わせましょうっ」
「何故そうなるっ」
 がたっと椅子を鳴らして、焦った様子の夏侯惇様が立ち上がりかける。
 こんな風に調子を狂わせるのが好き。困らせたり、悩ませたりするのが好き。兄さまから真っ直ぐな愛情を受けてきたのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
 立ち直りが早い夏侯惇様が、じろりとこちらを見上げてくる。
「こんな髭面親父の、どこが」
「あら、一晩でも語り倒せますわ! 今宵、お時間よろしいですか?」
「馬鹿者!! 今更貞淑さを持てとは言わんが、女からそういうことを言うものではない!」
 かなり本気で怒られてしまった。
 何気にひどいことを言われている気がするけど、夏侯惇様なりに心配してくださっているのだろう。女だてらに武官として働くわたしのことを、城で働く官吏たちは陰で笑っている。郭嘉兄さまがいるから、大っぴらに何か言ってこないだけだ。
「だって・・、きっと信じてもらえないもの」
「む?」
「いいえ」
 わたしは微笑んで、首を振る。
 この人を見て、一目で恋に落ちた。それは本当のこと。

『兄さま、あの素敵な方は誰!?』

 今なら分かる。その感情は、ただの憧れだった。
 初めて誰かに目を奪われたから、思い込んでしまっただけだ。思いが想いへ変わったのは、兄さまに夏侯惇様を紹介してもらった日のこと。

『あ、あれは・・』
『何だ?』
『い、いえ、何でもありません。ごめんなさいっ』
『おやおや、。私の後ろに隠れてしまっては、挨拶ができないよ』
『でも・・っ』

 もう造らないと決めた武具を、それも初期の頃に造った子が部屋に飾ってあった。
 かなり派手に壊れてしまって、かろうじて形を留めている状態には心が痛んだけれど。それで命を救われたと語る夏侯惇様に、その優しい声に涙が出そうになった。
 用を為さなくなった武具はほとんどの場合で解体され、融かす。
 大事にされている武具を見て、わたしもこの人に大事にされたいと思ってしまった。年の差とか、見た目とかはあまり関係ない。いや、重ねた年月と渋みのある顔も大好きだ。
 戦に出ようと決めたのは、兄さまが床に臥す日が増えたから。
 夏侯惇様のなくした左目の話を聞いたから。
「昔のわたしは何も知らなくて、狭い世界で満足していた子供でした」
 武具に心惹かれたのは偶然だ。
 物語に出てくる弓の美しさに感動して、自分で作ってみたくなった。兄さまが褒めてくれるから嬉しくて、鉄くずから武具を造れる面白さにのめり込んでいった。
 誰にも理解されなくたって、兄さまがいてくれればよかった。
「夏侯惇様は、兄さまの次にわたしを認めてくれた人なんです」
 だから好きになった。
 思い込みでも何でもいい。
 たくさん与えられた分の少しでも、返せるならと思った。甘い気持ちで「戦に出たい」と言っていた頃と、今は違う。軍師としての仕事も、武将としての仕事も、綺麗事だけじゃないって知っている。
 兄さまが必死に隠そうとしてきたのも分かっている。
(だって、羨ましかったんだもの)
 ちらりと部屋の奥にある武具棚を見やる。
 かろうじて支えられている鎧は、武器ばかり造っていたわたしの気まぐれだった。矛盾という言葉があるように武器に耐えうる強さ、防具を貫く強さというものを知りたくなった。でも作り始めると動きやすさや軽さも気になってきて、試行錯誤を繰り返した。
 初めての完成品。
 実際に着たのが兄さまじゃなくて、夏侯惇様だったのが驚きだけれど。
 今も大事にされているのが羨ましくて。
「おうっ、惇兄! ちぃーっとばかし頼みたいことが・・・・、ありゃ?」
「淵」
「わ、悪い。お邪魔だったか、あははは」
「かまわん。俺に用があるんだろう? 行くぞ」
「いやいやいや、惇兄。この子を置いていくって、そりゃあないだろ」
「そろそろ心配性の保護者が回収に来る頃合だ」
「あー、なるほど。って、置いてくなよ!」
 早口で「ゴメンな」と謝って、夏侯淵様が走っていく。
 部屋を出ていくまで、夏侯惇様はこちらを一瞥すらしてくれなかった。ここで仕事している時は、たまに優しい目で鎧を眺めたりもするのに。
「まっ、負けないもん!」
 ふんぬと力めば、開いたままの扉からくぐもった声が洩れる。
「・・兄さま、笑うなんてひどいわ」
「いやはや、いくつになっても可愛らしいね。私の姫は」
 部屋の主がいなくなったのに堂々と入ってきて、兄さまはさっと腕を広げる。わたしはその中へ飛び込んで、額をぐりぐりと押し付けた。
 背に回った手が、宥めるように撫でてくれる。
「元譲様がおちてくれない」
「まあ、頑張りなさい。私もの晴れ姿を見るまで死ぬつもりはないよ」
「ダメよ。それじゃあ、いつまでも元譲様の妻になれないじゃない!」
「ふふ、嬉しくて寿命が延びそうだ。そう簡単に、私の可愛い姫を渡すつもりはないしね」
 あれっと思う。
 夏侯淵様が来なかったら、先に部屋へ現れていたのは兄さまだ。わざわざ部屋までやってきて、夏侯惇様に何を言うつもりだったのだろう。
「どうかした?」
「応援しているのか、邪魔しようとしているのか分からないわ」
「うん、両方かな?」
「からかわないで、もう。兄さまったら」
 ふくれっ面を隠す理由もあって、ますます顔を押しつける。
 これが通りがかった人から人へ話が広がって、兄さまが夏侯惇様の部屋で逢引をしていたという噂になってしまった。更に相手の女性は夏侯惇様の想い人でもあり、最近になって微妙なやり取りをしている原因だとか何とか。



「もう我慢ならないわっ。夏侯惇様、既成事実を作りましょう!」
「待て、落ち着け! どうしてそうなるっ」
「どうしてもこうしてもありません。早くしないと、兄さまが邪魔しにくるんです。さっと、ぱっと作りましょう。そうしましょう!」
「・・・・っ、知識もないくせに軽々しく言うものではない。いい加減離せ」
「勉強してくればいいんですね。分かりました!」
「は?」
「待っていてくださいね、夏侯惇様っ」
「・・ああ、夏侯惇殿? 少々お話が」
「郭嘉。俺と話す前に、向こうを何とかしてくれ・・」

- written by 武藤渡夢 -

2015-05-01