October 2015


Una piena luna. with 馬超


 満月が日に日に欠けていく。
 を屋敷に住まわせてから、数日が経った。
 職務のため屋敷を離れる以外では、馬超はとともに過ごすようにしていた。
 再会したあの日から、に何ら変わった様子はない。
 朝早い馬超の遥かあとには起床し、昼過ぎまで『探しもの』をしに外に出る。ふらりと屋敷に戻れば食事と睡眠を取り、馬超が帰宅する頃に起きる。そして共に夕餉を取ると、朝遅くまでぐっすりと眠るのだ。

 はとにかくよく食べ、よく眠る。
 武人の馬超と同じ量を胃におさめる姿に、家人も目を見張るぐらいであった。
 人であった頃のなら、食が細いからと普通の半分しか食べなかったぐらいだ。
 今の食べ方にも、違和感がある。
 美味しそうに味わって食べるわけでもなく、ただ食物を口に往復させるだけのその姿は違和感があり、異常にも思えた。
 指摘すると、は首を傾げた。

「わたしは天女ですから、地上に慣れるにはこれが手っ取り早いんです」

 いわく、まだ身体が地上に慣れていないのだという。
 慣れていないせいで身体はふらつき、異常な睡眠欲に襲われ、様々な身体の不調を招く。最悪は死に至るのだという。
 そのため身体を慣れさせるには、地上の物を摂取して同化させるのが一番なのだそうだ。

「これでも足りないぐらいなんですよ」

 そう言ってにこりと笑うに、馬超は真ん丸になったの身体を思い浮かべて思わず「やめろ」と呟いた。


 の生前の記憶についても、馬超は再会したその日に話をした。
 の生い立ち、西涼のこと、舞姫であったこと、馬超との出会い、そして別れ。
 馬超の知っている限りであったが、話せることは全て話したつもりだ。
 これでが、『』としての記憶を取り戻してくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いた馬超を裏切るように、の反応は薄かった。

「そうなんですか」

 まるで心にも響いていないような素っ気ない返事に、馬超は苛立ちを感じずにはいられなかった。
 その日はそのまま『記憶』について話す気にもなれず立ち去り、それから暫くはその話題に触れていない。

 あれほどが苦しみ、涙していたことを、一つも思い出せないのか。
 果物を指でつまみ、唇に運ぶを見ながら、馬超は眉を寄せた。
 目の前のは、であってではない。
 嫌というほどに叩き付けられた現実に、馬超の焦りは増す。
 こうなれば何としてでも思い出させてやる。
 馬超の心に火が点いた。


 の生い立ちは複雑である。
 少年少女であった二人が初めて出会った日から、間を置かずして少女は少年に会いに来た。
 正しくはの主が馬超の父親に用があるため、そのお供でもやって来ては馬超の元に足を運んだのであった。
 馬超はいつも決まって、愛馬の世話をしに厩舎にいた。それに合わせるようにしては顔を覗かせに来る。そして特別会話をするわけでもなく、馬超が世話をする様をはぼうと眺めるだけであった。主が戻れば、は手を引かれて帰っていく。
 お互い深入りすることもなければ、積極的に関わることもしない。
 馬超はの胸中を察することが出来ないし、でその逆だろう。
 帰宅するの背中を横目で見ながら、馬超はゆっくりと息を吐き出した。

 そんなある日のこと。
 いつもと同じく厩舎の隅で固まるに、いい加減見兼ねた馬超が声を掛けた。

「お前、舞はどうした」

 言外に「こんなところにいて良いのか、練習はしないのか」と匂わせる。
 それに気付いているのか気付いていないのか、無表情のままは首を横に振った。

「舞ってます。それが、お仕事ですから」

 仕事、という言葉に馬超は顔を顰めた。

「舞うのが嫌なのか」

 馬超の言葉は直球であった。
 その時珍しく、の表情が困惑したものに変わった。

「……嫌、ではありません。ただ、舞うことで天女と呼ばれるのが嫌で」
「なにがどうして嫌なのだ」
「だって」

 人じゃないと言われているようで。
 疎外されているようで、悲しかった。
 天女と呼ばれることが名誉だと思えないと、彼女は言う。

「嬉しくはないのか」
「いいえ、寂しいです。わたしは、ずっと、寂しかった。だってわたしは、疎外されて生きてきたから」

 がぽつぽつと語り出す。
 の産みの親も舞姫であり、ある村の天女として隔離されていたこと。そして生まれたときからも舞姫として指導され、世間から隔離されていた。

「なぜ隔離する必要があるのだ」
「……汚れる、から」

 だからの母が孕んだときも大事になったらしい。
 それで雨が降っていなければ母は罰せられていたかもしれないと、は笑って溢す。

「悪習だな」

 馬超が呟くと、は肩をすくめた。

「わたしが舞を覚えた頃に、母は病で亡くなりました。そして唯一残った舞姫として隔離され、必要とされる時だけ日の目を観れる。そんな毎日でした」

 毎日が恐ろしかった。
 雨が降らなければ自分のせいだと怯え、雨が降れば安堵し、期待と好奇の視線に耐えて、日々を過ごしていた。
 いつになれば、自分は舞わなくて済むのだろう。
 は日々の練習に痛む足を擦りながら、そう思った。
 同年代の子供は勿論、親しくする人など誰もいない。父は誰かすら分からない。もしかしたら母との逢瀬が判明して殺されたのかも知れない。
 ただただ息苦しくて、それでも生きるために舞うしかなかった。
 雨さえ降らせば、人々は喜んでくれる。自分はここにいていいんだ。

「でもそんな日々も、終わりました」

 村が賊に襲われた。
 は人目につかない場所へ隔離されていたお陰で、幸いに生き残った。
 だが村人は誰もいなくなった。
 これで舞わなくていいんだと思った。でもどうしたらいいのだろうと、絶望がを襲う。
 それ以外に、生きる術を知らなかったから。

「そんな時に今の主さまに拾って頂いて、こうやって置いて頂いているんです」

 西凉の地に、祝福の雨を。
 やることは変わらないが、隔離されることもなく生きることができた。
 だがどこに行ってもは一人だった。
 浮世離れしたを、人々はこう呼んだ。

「天女だって。わたしは人ではないのだと」

 結局、どこに行っても天女と呼ばれて、孤独を味わなければならない。
 慣れて麻痺してしまえばそれが当たり前になるのであろうが、は慣れることができなかった。周囲への憧れが、をそうさせた。

「だから馬超さまに、人間だろうって言ってもらえてとても嬉しかったんです。大げさかもしれないけど、初めてわたしは人間だって認めてもらえました」

 目元を潤ますに、馬超は反応に窮した。
 深い意味でそう言ったわけではない。そんな事情があったとは知らなかったのだ。
 馬超は口を開きかけて、次いで閉じる。
 悪かったと、馬超は口にせずともそう思った。

 の浮世離れした言動の理由が分かった。
 は世界を知らずに育ったのだ。

「馬の世話を、したことはあるか」

 思わず口が開いていた。

「え?」
「あるのかと聞いている」
「あ、ありません」
「ならば来い。そんなところで無駄に眺めているよりも、こいつらの世話をしてやれ」
「で、でもわたし、分かりません」
「誰がお前一人に任せるか。俺が教えてやる」

 えええと驚くの腕を握り、引き寄せる。
 握った腕は細くて、力を入れると折れてしまいそうだった。
 こんな身体で、誰にも頼らず一人で生きてきたのか。

「もっと食え」
「はい?」
「食事をもっと取れと言っている。そんな身体ではすぐに倒れるぞ」
「でもわたし、食が細くて」
「いいから何とかしろ」

 ぶっきらぼうにぷいと横を向く馬超に、は戸惑うばかりであったが、次いで噴き出した。
 じろりと馬超がを睨む。

「なぜ笑う」
「だって、楽しくって」
「何が面白いんだ、何が」
「こうやって会話することが楽しくて」

 お前が世間知らずなだけだと、馬超は呟いた。
 だが心のどこかで、とこれからの時間を楽しみにしていることに、馬超は気付かないふりをした。




 転生した(らしい)は、探しものをしによく一人で出掛けた。
 馬超も同行したがったが日中は職務があるため、なかなか叶わずにいる。
 今日も昼間に出掛けていたらしいは、夜になるとぐったりしていた。

「おい。食事中ぐらいきちんと起きて食え」

 瞬きを繰り返すに、馬超は叱りつける。
 はこくりと頷くと、箸を置いて目を擦った。

「一体何をしたらそんなに疲れるのだ」
「探しものをしていました」

 それは分かっている。

「……今日はどこを探していたんだ」
「森の中をうろうろしていました」
「お前は獣か」

 の『探しもの』の範囲は広く、山から街にかけて様々だ。
 探しているものが人なのか物なのか、はたまた場所なのか記憶なのかが定かではないため、手当たり次第に探していくしかないのだという。
 あまりの効率の悪さに、馬超が頭を抱える次第だ。だが明日はようやっと時間が取れた。

。明日は俺も共に探しものをするぞ」
「いいんですか?」
「いいもなにも、お前一人では期日までに間に合わないだろう」
「否定できません……」

 そう言ってしょんぼり落ち込む姿に、まだ『探しもの』の成果がないことを察する。

「いいから、よく食っておけ」

 そう言って、馬超ははっとした。
 昔のならまだしも、今のに「よく食っておけ」などという台詞は似合わない。
 昔の癖だなと、馬超は自嘲した。 
 急に無言になる馬超には首を傾げる。

「はい。いっぱい食べておきます」

 そう言ってどんどん摂取する量を増やしていくに、馬超は「もうそれ以上食うな」と溢すのであった。


 その日の深夜のことであった。
 寝台で眠る馬超の上に、何者かが覆い被さる。
 気配で察していた馬超は、近付くその者の腕を掴み、反対に寝台へと押し倒した。

「やはりお前か」

 足取りや気配で察していたが、案の定、であった。
 やはり間者なのかと疑ったが、薄い寝間着一枚の滑稽な姿に言葉が出てこない。こんな女に何が出来るのだとの腕を離す。対するに驚いた様子はなく、無表情にゆっくりと身を起こした。

「こんな深夜に何用だ」
「傷を、見に来ました」

 傷、と馬超が反芻する。
 再会したその日に『天女の証拠』として治すといった、あの傷のことか。

「良くなっているのか、見に来ました」
「なぜ寝ているときに来た」
「だって、見せて下さらないから」

 確かにその通りであった。
 そもそもあの日に「治っているか時折傷を見る」といって、結局一度も見せてないのだから、がこうやって来ても仕方がないだろう。
 だからと言って、夜分に押し掛けてくるのは如何かとは思うが。
 馬超はため息を吐き、頭をかく。
 だがに見せる必要はないと、馬超は思っていた。

「確実に、良くなっている」

 あと数日で完治するだろう。
 数ヵ月掛かると言っていた医者も、驚いた様子でそう言っていた。馬超は納得いかなかったが、結果が伴えば仕方がないことだ。事実を認めたくないが、認めざるを得ないだろう。

「お前は天女だろう」

 だがまだ完璧に天女だと信じたわけではない。
 それを信じてしまえば、昔のはいなくなってしまうような、否定してしまうような気さえしていた。
 そんな事は本人に言えそうにないがと、馬超は心の中で一人ごちた。

「良かった。傷、よくなったんですね!」

 それは屈託のない笑顔であった。
 心から安堵したように表情を明るくするに、馬超は複雑な思いを抱く。

「分かっただろう。いいからもう部屋に戻れ」
「はい。でも、その前に」

 唇に、柔らかいものが触れる。
 の顔が近くなったと思った瞬間、口付けられていた。
 ぎょっとした馬超が身を引き掛けると、の手が馬超の肩を掴んだ。
 寝台の上に膝をついて、正面から馬超を抱くようにしてぴったりと寄り添う。寝間着越しにの熱が伝わってくる。

(何を考えているのだ、この女は)

 突き放すわけにもいかず、馬超は黙って口付けを受け入れていた。
 次いで押し当てられた唇の狭間から、熱い舌が馬超の唇に触れる。ちろりと舐められ、息を呑む。思わずの頭に手を当てて、強く遠くへ押しやった。

「何をする」

 顔を顰めてを睨むと、は不思議そうに首を傾げた。

「なにって、接吻ですか?」
「そういうことではない!」

 なぜそんなことをしたのかと馬超は聞きたいのだ。
 は「あぁ」とようやく察してか、にこりと微笑んだ。

「これで、傷はすぐに治りますよ」

 その言葉に呆然とする馬超をよそに、は何事もなかったかのように室を出ていった。

 あれがなわけが、あるか。
 馬超は寝台を強く殴った。

- continue -

2015-10-06