ああ、こんなにヌルヌルになってる。
 下着の中を探るともうそこは勃っていて、先走りも浮かんでいた。こうなったら1度抜いてすっきりしないと集中できなくなる。そう思って、僕は少し濡れた下着を脱いでベッドに仰向けになった。
 レッスンスタジオに忘れてきた台本を取りに戻ったら、また水無瀬と顔を合わせてしまう。でも大切なものだから、置いて帰るわけにもいかない。だから様子を窺いながらこっそりスタジオに戻ったら、そこにいたのは水無瀬じゃなくて藍川さんだった。僕の台本を、水無瀬からの預かり物だと言って手渡されたのだ。
 あんなに遅い時間に藍川さんまで来るなんて、忘れ物でもしたのかな。とにかく、あのキスの直後にまた水無瀬と会わずに済んで安心した。
 家に帰ってからまた台詞の練習をしようとしたら、急に水無瀬とのキスを思い出した。僕から煽ったようなものだけど、まさか本当にされるとは思わなかった。僕の口内を犯すように、いやらしく動きまわる水無瀬の舌の感覚がまだ残っている。
 男とそんなことをする趣味なんかないはずなのに、僕は流されたまましばらく抵抗できなかった。理由は分かってる、あのキスがたまらなく気持ち良かったからだ。大嫌いなはずの相手、しかも男との初めてのキス。あんなのもう一生忘れられないよ。
 握りこんだ性器をゆっくりと上下に扱いて、快感を引き出していく。あのキスを頭の中で再現しながらそうすると、いつもよりずっと早く下半身が疼いて止まらなくなった。すぐにでも出ちゃいそうだよ。
 もう片方の手を胸に伸ばして、Tシャツの上から乳首を爪で引っかく。そうするともっと刺激が欲しくなって、今度はTシャツを上まで捲り上げて、硬くなった乳首を軽く摘まんだだけで僕の身体はびくっと震えた。
 僕はここも弱いから、初めてのエッチで舐められたり歯を立てられたりしたら……おかしくなる。
 何故か水無瀬にそうされている妄想をした瞬間、僕は自分の手の中で射精してしまった。
 溜まっていたものを全て吐き出した僕の胸に、ある欲望が生まれた。もう逆らえない、抑えられない。
 また、あのキスが欲しい。


***


 腰を痛めて入院していた寺尾さんから、今から事務所に来るようにとメールが送られてきた。用件は書かれていなかったけど、何やら重要な話みたいなので僕は急いで出掛ける準備をして事務所に向かう。
 この時の僕は油断していた。事務所が入っているビルの出入り口で、水無瀬に会ってしまった。多分僕と同じように寺尾さんに呼び出されたんだ。急に心臓が落ち着かなくなる。まるで、恋をしているみたいに。
 何も言わずにビルから出ようとする水無瀬を、僕は思わず呼び止めていた。
「ちょっと、水無瀬に用があるんだけど」
「その前に事務所行かなくていいのかよ」
「終わるまで待っててくれるとは思えないからさ……」
 僕は水無瀬を再びビルの中に連れ込んで、壁際に追い詰めた。したいことは決まっているから、なるべく人目に触れない場所を選んだ。
「この前みたいにさ、キスしてほしいんだ」
「えっ」
「別にお前のことが好きなわけじゃない! 演技の練習にどうしても必要なんだよ! 断ったら水無瀬に襲われたって言いふらすからな!」
 脅しに近い言い方で、僕は水無瀬に迫る。演技がどうのなんて嘘で、とにかくまた気持ちいいことがしたいだけ。もう少し穏やかに頼めば良かったかもしれないけど、どうしても水無瀬には素直になれない。
 やっぱり水無瀬は困った顔をしてキスをためらっている。待ちきれなくて僕からしようとした時、こちらの身長に合わせて身を屈めた水無瀬が、軽く唇を重ねてきた。まさかこれで終わりにするの? こんなの全然足りないよ。
 そんな気持ちをぶつけるように、僕は水無瀬の背中にしがみついて誘う。もっとこの前みたいな深いのが欲しいから、してくれるまで逃がさない。
 大胆になった僕に観念したのか、水無瀬の舌が僕の唇の隙間から潜り込んできた。待ち望んでいたそれを、僕は喜んで受け入れる。恋人同士みたいに身体が密着した僕達は、今は周りに人の気配がないとはいえ真っ昼間のビルの中だということも構わずに深いキスを続けた。


***


 キャプテンの藍川さんが研究生としての活動を辞退して、実家の商売を継ぐことになった。確か京都にある和菓子屋だ。
 それを事務所で寺尾さんから聞いた僕は、突然すぎて信じられなかった。あの絵に描いたような善人ぶりはともかくキャプテンとしては有能だったから、辞めた後の代わりが全く想像つかない。
 後日行われた夜公演で、藍川さん自身の口から観客に発表したらしい。本格的に映画の撮影が始まったので僕はその公演には参加できなかったが、藍川さんには根強いファンがたくさんいるから客席は大変なことになっていたと思う。
 藍川さんの最後のステージ、卒業公演は今月末に行われることになった。


***


「は……? 今、何て?」
『だから明後日の夜公演、アンタの代わりにみいちゃんにセンターやってもらうことになったから』
 車での移動中にかかってきた電話で、寺尾さんから衝撃発言を聞いた僕は間の抜けた声を出してしまった。
 地方でのロケが予定より長引いたので、本当は僕も出るはずだった明後日の公演には出られなくなった。だから研究生の誰かが代わりをやるんだろうとは思っていたけど、まさか水無瀬が?
「それって明後日までに、僕がセンターやってる10曲分の振り付けを覚えなきゃいけないってことじゃ……」
『そうよ、でもみいちゃんは引き受けてくれたわよ』
 あいつ何考えてんだよ、明後日までに10曲もある振り付け全部なんて無茶に決まってる。寝ないで頑張ったとしても、あと2日しかないんだぞ。そもそも寺尾さんも、まだ入ったばかりの水無瀬にやらせるっておかしいよ。
『アンタもしかして、みいちゃんのこと心配してんの?』
「いや、別にそんな……でもどうして水無瀬に頼んだんですか。あいつより上手く踊れる研究生なら他にも」
『アタシはね、これからみいちゃんは研究生の中心人物になるって確信してるわ。だからスカウトしたアタシの目に狂いがなかったこと、これを機会に確かめてみたいの』
 ちょっと何言ってんのか本気で分からないんだけど、僕疲れてるのかな?
 まさか寺尾さんは、藍川さんが辞めた後の新しいキャプテン候補に水無瀬を入れてるんじゃないのか。それとも僕とエースの座を争わせるつもり? どっちも有り得ない話だけど、寺尾さんがその気になれば明日でも現実になってもおかしくない。
『もし気になるなら、みいちゃんの様子見に行ってくれば?』
「誰があんな奴……全然気になってませんから!」


***


 地方ロケが終わって東京に戻った僕は、まさかと思ってレッスンスタジオに寄ってみると見事に予感が当たった。
 家に帰らず一晩中練習していたのか、床に倒れ込むように眠っている水無瀬がいた。飲み干したスポーツドリンクのペットボトルや、使ったタオルがそばに散らばっている。
「お前、もしかしてここで寝てたの?」
 僕が声をかけると目を覚ました水無瀬が、だるそうに上半身を起こした。明るくなっている窓の外を見て焦った顔をしている。だって明日までに10曲の振り付けを覚えなきゃいけないんだから、今の水無瀬にとっては1分1秒でも惜しいはずだ。
「どっかの誰かが出られなくなった公演で、センターやるためにここで練習してたんだよ」
「そうみたいだね。ま、その誰かはお前と違って忙しいから仕方ないよね」
「……ほんっと、憎たらしい奴。まじで」
 僕の言葉に呆れた様子でため息をつくと、水無瀬はまだ眠気が取れないのか目を擦っている。その仕草が何故か色っぽく見えて、思わずじっと見てしまう。すると水無瀬は急に僕から背を向けた。
「お前目当てで来るはずだった客が来なくなったり、公演でミスったら野次が飛ぶかもしれねえ。でも俺はそれよりも、お前に軽蔑されるようなパフォーマンスを晒すほうが怖いんだ」
 水無瀬は僕の代わりをやりきるために、こんなに真剣に練習している。入ったばかりでまともなダンス経験もないのに、寺尾さんの無茶な注文から逃げずに引き受けた。
 素人の水無瀬がそんな決意をしたのって、何か理由があるんだろうか。ただの責任感だけじゃないよね?
 数々の疑問をぶつけようとしたけどできなくて、僕は水無瀬の背中にしがみついた。
「ああ、汗くさい……朝から最悪」
「自分からくっついてきたくせに、なに文句たれてんだ。離せよ」
「前から思ってたけど水無瀬って、他の奴らと何か違う。普通はさ、男とキスするなんていくら脅されても嫌なものなのに、あんな激しいのするし」
「俺はそんな、特別な人間なんかじゃねえよ」
 こうして水無瀬の匂いや体温を感じていると、僕の中で落ち着いていた欲望がまた大きくなっていく。背中にしがみついた手を前に伸ばして胸元に触れた時、反応したのか水無瀬の身体が少しだけ跳ねた。
「水無瀬とのキスを思い出すたびに、身体が疼いて止まらないんだよ。何とかしてよ」
「何とかって、俺にどうしろってんだ」
「キスだけじゃ嫌だ……もっとすごいの、したい」
 とうとう言っちゃった。付き合ってもいないのに何度もキスをしたけど、もうそれだけじゃ足りなくなっている。ここで押し倒されたって構わない。さすがに演技の練習には関係ないとはいえ、男とキスできる水無瀬ならそれより先のことだって……。
 そんな僕の気持ちは、あっけないほどすぐに打ち砕かれた。水無瀬は僕の腕を振り払い、立ち上がるとすごい剣幕で睨んでくる。
「いつまでも調子に乗ってんじゃねえ、俺はお前なんか大嫌いなんだよ! 触るな!」
 何が起きたのか理解できなくて、僕が呆然としている間に水無瀬は荷物を掴んでこちらを振り返ることなくスタジオを出て行った。追いかける気力もなく、ひとりで残された僕はあふれた涙を止められない。
 あまりにも身勝手だったと今更気付く。キスしてくれたからって、水無瀬の言った通り調子に乗っていたかもしれない。
 お前なんか大嫌いだ、という言葉が時間が経つにつれて僕の心を重く、そして暗く覆った。




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