「寺尾さんは水無瀬をどうするつもりですか」
 劇場の廊下で藍川さんの声が聞こえて、僕は死角になる場所に身を隠すとこっそり様子を窺った。人目につかない廊下の奥では、藍川さんと寺尾さんが向かい合って話をしていた。寺尾さんは壁に大きな身体を預け、腕を組んで立っている。
 あと1時間で自分の卒業公演が始まるという中で、藍川さんは水無瀬を助けるために寺尾さんをここに呼び出した。時間ぎりぎりまで説得するつもりらしい。
「過去を承知でスカウトしたとはいえ、みいちゃんをこのままにするわけにはいかないわ」
「水無瀬は研究生として、ずっと頑張ってきました。歌もダンスも、そして伊織の代わりも引き受けて、10曲分のセンターの振り付けを2日で覚えました。俺はこれからも水無瀬の活躍を、そばで見ていたかった……」
 藍川さん、そこまで水無瀬を気に入って期待してたんだ。本当は辞めたくなかっただろうな。
「俺の卒業公演の時間を使って、水無瀬自身の口から今回の件をファンに説明させてほしいです。こういうことは、無駄な憶測が広まる前に手を打ったほうがいい。これ以上沈黙を続けていてもマスコミに好き勝手書かれて、水無瀬はますます復帰できなくなります!」
「ち、ちょっとアイちゃん、落ち着きなさいよ」
「明日からは水無瀬に何があっても、俺は助けてやれません。でも今日までなら……寺尾さん、俺の最後のわがままを許して下さい! お願いします!」
 そう言って勢いよく頭を下げる藍川さんに、あの寺尾さんがすっかり圧倒されていた。事務所の社長相手でも、後輩のためなら構わず突っ走る。藍川さんは最後の瞬間までキャプテンであろうとしているんだ。
 寺尾さんは深くため息をつくと、藍川さんに頭を上げるように言った。
「ねえアイちゃん、アンタもしかしてみいちゃんを……として認めているの?」
 僕のそばを通りかかった数人のスタッフの話し声に邪魔されて、肝心なところが聞き取れなかった。何て言ったの? 気になるけど僕はここで黙って見守るしかできない。
 寺尾さんの問いに藍川さんは真剣な顔で、「はい」と返した。
「そう……じゃあタイミングは任せるからアンタの好きにしなさい。でも今日のお客さんがどんな反応をするかは、分からないけどね」
「水無瀬は俺が最後まで守ります、大丈夫です」
 話し合いが終わって、寺尾さんがこっちに向かってくるので僕は慌ててこの場を離れた。
 寺尾さん、ああいう真面目で熱いタイプに弱いのかな。水無瀬もそんな感じだから気に入られてるのかもしれない。


***


 藍川さんの卒業公演はセットリストの半分まで進み、次は少人数のユニット曲だ。一旦ステージを降りた藍川さんは、自分の携帯を取り出して誰かに電話をかけ始めた。誰っていうか、もう予想はついている。
「水無瀬、急で申し訳ない。とにかく今から劇場に来てほしい」
 それから数分のやり取りの後、藍川さんは何とか水無瀬を説得できたらしい。寺尾さんには許可を貰ったことと、何があっても水無瀬は自分が守るという約束をして、電話を切った。何とか次の曲には間に合いそうだ。


***


 卒業公演のセットリストが全て終了して、後は藍川さんの最後の挨拶を残すのみになった。今日出演した研究生達がステージで横1列に並び、その真ん中に藍川さんが立ってマイクを持っている。
「本日は、俺の卒業公演に来てくださって本当にありがとうございました。研究生として活動する中でキャプテンを任されてから、どうしたら皆を上手くまとめられるか、スタッフの方々と協力して良い公演をお見せできるか、自分なりに考えながらここまで走り続けてきました。歌やダンスのレッスンを重ねて、ステージでその成果を披露する劇場公演は、俺にとって最高に楽しくて素敵な時間でした。これからもずっと、忘れません」
 そう言って藍川さんが頭を下げると、客席から大きな拍手が起こった。
 藍川さんが出る公演には必ず来ていた、長身で整った顔立ちの若い男も泣きそうになりながら拍手をしている。名前も年齢も分からないけど、藍川さんの熱心なファンのひとりだ。
「……それから先日、週刊誌に掲載された記事の件では驚いている方も多いと思います。彼は今、指示があるまで謹慎中の身ですが、できるだけ早く本人から皆さんに今回の記事についての説明をしたほうが良いと考えました。水無瀬、こっちへ」
 ステージ袖に向かって藍川さんが呼びかけると、いつものステージ衣装ではなく私服の水無瀬が出てきた。突然の展開に客席から大きなざわめきが起きる中、水無瀬は藍川さんからマイクを受け取って一呼吸置いた後で話し始める。
「……水無瀬です。藍川さんの卒業公演の最中に、突然すみません。先日雑誌に掲載された俺の記事ですが、全て事実です。研究生になる前、ゲイビデオの男優として活動していました」
 あの記事を本人が認めたことで、客席だけじゃなくステージにいる研究生達の間にも動揺が走る。
「色々あってゲイ男優を辞めた時、街でスカウトされて研究生になりました。全てが初めてだらけでしたが先輩達の支えもあり、俺はここで歌やダンスに打ちこむ毎日が本当に楽しくなって、ずっとこの世界で生きられたらいいと思いました。先輩達も公演のスタッフも、そして公演を見に来てくださった全ての方に感謝しています。今まで、本当にありが……」
「辞めないで、水無瀬くん!」
 やっぱり辞める覚悟を決めていたらしい水無瀬に、客席にいた女の子が立ち上がって叫ぶ。
「今日、水無瀬くんが休演するって聞いて……やっぱりあの記事が原因だって分かっていたけど、もし何も聞けないまま辞めてしまったら、すごく悲しかったと思う。やっぱり私は、ステージにいる水無瀬くんが好き。だから辞めないで」
 女の子の必死な訴えに、水無瀬は驚いた顔をした後で目頭を押さえた。ステージの上なので泣くのを我慢しているらしい。
 藍川さんが電話で水無瀬を説得していた時、『こういう状況で本人が沈黙し続けることが、ファンにとっては1番きついんだ』と語っていた。水無瀬ファンの女の子は、ここで本人から話を聞けたことで救われたみたいだ。
 後は水無瀬が、謹慎明けに何とか解雇を免れればいいんだけど。


***


 藍川さんの卒業公演から1週間後、水無瀬のグラビアやインタビューが掲載された週刊誌が発売された。ファッションやメイク、そして男の俳優やアイドルを中心に扱っている若い女性向けの雑誌だ。
『19歳、ゲイ男優だった俺がアイドルになった日』という文字が大きく書かれた表紙には、ジーンズだけを穿いた水無瀬のモノクロ写真が使われている。鍛えられ、引き締まった裸の上半身をしっかりアピールした渋い雰囲気の写真だった。
 でも長いインタビューが載ったページには事務所で撮影された水無瀬の笑顔とか、普通の19歳な部分もちゃんと伝わるようになっている。寺尾さんと長い付き合いのある雑誌だからか、水無瀬に関してかなり好意的に書かれていた。
 これは解雇を取り消す代わりに、寺尾さんが水無瀬に持ってきた仕事らしい。
 インタビューの中でも特に僕の目を引いたのが今後の目標として、『伊織を越えてトップアイドルになりたい』と水無瀬が語っている部分だった。こういうところで宣言するってことは、結構本気なんだね。
 いいよ、その時はこっちも全力で戦うから。


***


「寺尾さん、僕にもう1度俳優としてのチャンスをください」
 ダンスレッスン前に寄った事務所で、僕は必死の想いで寺尾さんに頭を下げた。
 降板のことがあってもう俳優は諦めろって言われたけど、あの騒ぎの中で勇気を出して皆の前に出てきた水無瀬が、復帰後にまた研究生として頑張っている姿を見て僕も刺激を受けた。やっぱり僕は、夢を諦めたくない。
「今度こそ、あんなことがないように頑張ります! だから」
「……伊織、アンタあの演技力で本当に俳優やれると思ってんの? 今までのドラマや映画は単にアイドル枠として出られただけなのよ。それにこの前の降板騒ぎね、アタシあの後色々大変だったんだから」
「あの時は……申し訳ありませんでした」
「まあ、アンタは研究生の中じゃトップの稼ぎ頭だからね。これからたくさん稼いでもらわなきゃ困るわけ。アタシの知り合いに演技指導の先生がいるから、ガンガン鍛えてもらいなさい。その代わり他の仕事もちゃんとやってよね」
「はっ、はい! ありがとうございます!」
 こうして僕は学校やアイドルとしての仕事と共に、演技のレッスンにも通うことになった。発声練習とか、基礎の基礎から教えてもらえるらしくて有り難い。忙しかった毎日がもっとハードになったけど、夢が叶うのならいくらでも頑張れる。
 まだ15歳だし、体力には自信があるんだ。


***


 今日の仕事が終わった後に寄った喫茶店でメニューを眺めていると、背後から覚えのある声が聞こえた。
「矢野さんがせっかく俺に気を遣ってくれたのに、本当にごめん」
「俺の葛藤は何だったのかねえ……ま、いいか。お前もいろんな意味で有名になっちまって」
「そのうちみんな飽きるさ、寺尾さんは今が名前を売るチャンスだって言って仕事持ってきてくれてるけど」
 2人連れみたいだけど、片方は水無瀬だ。その相手のほうは分からないけど、矢野さんっていう人らしい。まさか……水無瀬が言ってた、セフレだった人?
 僕が座っている長椅子の背もたれを挟んだ向こうに、水無瀬がいる。僕達はお互いに背を向けて座っている状態だから、振り返ってこちらを覗き込まない限りは僕の存在を気付かれることはない。
 別に悪いことをしているわけじゃない、僕の後ろに水無瀬達が偶然座っていただけだ。声だって勝手に聞こえてくるんだから仕方がない。そう開き直りながらも僕は、必要以上に顔を伏せてメニューを選ぶ振りをする。
「ご注文はお決まりでしょうか〜?」
 やけに語尾を伸ばして喋る女性店員が僕のところにやってきた。僕は顔を伏せたままメニューの適当な部分を指さして何かを注文する。なるべく声は出したくないので、更に指さしたメニューの部分を指先で強めに叩いて強調した。メニューを確認する店員の声を聞き流しているうちに、水無瀬達の話は進んでいた。
 ああもう本当に何してんだろ僕、勝手に聞こえてくる声を気にしてこんなに挙動不審になっている。ていうかずっと下向いてるせいで首が痛いよ。
「俺から先に手を離したんだ、こちらのことは気にしなくていい」
「あんたのことさっさと忘れて次を見つけろって? そんなの……できねえよ」
「お前が俺を好きだと言ってくれたのは嬉しかった、でも俺はアイドルのお前と一緒に歩いていける人間じゃねえんだ」
 セフレってさ、確かエッチするだけの関係だよね? もしこの矢野さんって人がそうだとしたら、僕がイメージしてるセフレとちょっと違う気がする。だって明らかに、別れる寸前の恋人同士の会話にしか聞こえない。
 水無瀬より6つ年上らしいから25歳か。顔は全然見てないけど、すごく落ち着いた低い声。番組で共演しているそれくらいの歳の芸能人(一般の人は関わらないからよく知らない)に比べて、浮ついた感じが全くない。まさに大人の男。
 やがて矢野さんはひとりで席を立ち、残された水無瀬は泣いているのか、時々鼻をすすりながら座ったままだ。とても声をかけられる状況じゃない。次に会った時は何も知らない振りをしようと思っていたら、
「あの、もしかして伊織くんですかあ!?」
「やばい可愛い!かっこいい! 握手してください!!」
 突然現れた女子高生の集団に声をかけられ、僕は変な汗が出た。恐る恐る後ろを振り返ると、泣いたせいで目を赤くした水無瀬が思い切りこちらを見ていた。


***


「お前、ずっとここにいたのか?」
 女子高生の集団が去った後、立ち上がった水無瀬が僕のそばに来て真顔で問いかけてくる。あんな気まずい会話を全部聞かれて、嫌な気分にならないわけがない。
 ここには今来たばっかりだと嘘をついて乗り切ろうとした途端、
「お待たせしました〜! 期間限定☆キラキラお星さまパフェでーす!」
 よりによってこのタイミングでさっきの店員が来て、僕の前にパフェを置いた。グラスの中で積み上げられたピンクや黄色のアイスに、星型にカットされたフルーツが乗っている。甘そう! しかも量が多い!
 ろくにメニューも見ずに適当の指さしたのが、このでかいパフェだった。さっきまで泣いていたはずの水無瀬が、僕とパフェを見て吹き出す。
「キラキラお星さまパフェ……」
「ち、違う! これは僕の趣味じゃない! こんな子供っぽいのなんか」
「でも美味そうだぜ、これ」
 そう言って水無瀬は、パフェに添えられていた長いスプーンで星型のフルーツをすくって食べた。
「ちょっ、勝手に食べるなよ!」
「こんな子供っぽいのはいらないんだろ?」
「お金払うのは僕だぞ!」
 僕はひとりじゃこのパフェを食べ切れないから、結局水無瀬に手伝ってもらった。
 その夜、僕と水無瀬が向かい合って一緒にパフェを食べている隠し撮り画像がネットに流れて、「研究生カップルのラブラブパフェデート!」みたいなコメントまで付けられていた。
 その結果、2人揃って寺尾さんにお説教を受ける羽目になった。特に水無瀬はゲイばれして騒ぎになったばかりだから、僕よりきつく怒られていた。




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