「矢野さんってどんな人だったの?」
 まさか僕からこの質問が出るとは思わなかったのか、水無瀬は動揺した様子で僕を見た。もはやセフレの域を超えて水無瀬を夢中にさせた人のことが、ものすごく気になる。喫茶店で声は聞けたけど、顔は全然見てないし。
 昨日の喫茶店のこともあるし、外だと安心して話せないからまた水無瀬の家に連れてきてもらった。部屋を見れば何となくだけど、その人の個性や趣味が分かるんだよね。でも引っ越してきたばかりでもないのに、水無瀬の部屋は最低限のものしか置かれていなくて、ポスター1枚すら貼られていない。
「……顔も身体もいかつくて、よく怖がられるみたいだけど本当はすげえ優しい人だよ。セックスの時も俺が上手くできなくてもバカにしなかったし、俺が悩んだりへこんでたりすると一緒にいて話聞いてくれるし。口数少なくて落ち着いてて、そういうとこが好き……だった」
「無理に過去形にしなくていいんじゃないの、今でも好きなくせにさ」
「でも、忘れなきゃだめなんだ」
 水無瀬はため息混じりに言うと、低いテーブルに突っ伏した。
 とっくに別れているはずなのに喫茶店でまた泣いてたし、今もこうやってうだうだしてる。
 この様子だと、僕が入り込む隙間すらないって感じ。話を聞く限りでは明らかに僕は矢野さんとは正反対のタイプで、つまり水無瀬の好みじゃないってことだよ。研究生では実力も人気もナンバーワンのこの僕が、大してイケメンでもない上に素人に毛が生えたようなレベルの水無瀬の眼中にも入ってないなんて、全然面白くないよね。
 ああ〜っもう、この理不尽すぎる現実に腹が立って仕方ないんだけど、僕からこの話を振ったわけだしそれなりのフォローは必要かな。
「矢野さんは昨日の喫茶店で水無瀬を突き放すようなこと言ってたけど、あれは水無瀬を新しい場所にちゃんと送り出してあげたかったんだと思う」
「新しい、場所……?」
「もう水無瀬はアイドルになったんだろ! 優しい言葉をかけるだけが愛情じゃないんだよ!」
 僕ってこんなに熱い性格だっけ? 全部水無瀬が悪いんだよ、いつまでも矢野さんのことを目の前で引きずってるから。
 矢野さんは水無瀬を見捨てるどころか、大切に想っているからこそ別れを決めたんだって、部外者の僕より水無瀬のほうが分かってるはずなのに。
 逆に、だからこそ辛いのかもしれないけど。
 ようやくテーブルから顔を上げた水無瀬は、僕の視線に気付くと慌てて目元を拭った。
「……水無瀬ってさ、結構涙もろいよね」
「お前に言われたくねえよ」
 ちょっと雰囲気が持ち直したところで時計を見ると、夜の8時を過ぎたところだった。いつの間にかこんなに時間が経っていたのか。
「ねえ、お腹すかない?」
「すいてるけど、今から食いに行くのか?」
「違うよ、僕が作るんだよ」
「ええっ!?」
 お前料理できんのか、みたいな顔をされた。いくら何でも失礼すぎだろ。確かに超人気アイドルと料理って、あまり結びつかないかもしれないけどね。まあ今日は色々あったし特別に許してあげるよ。
「ってわけでキッチン借りるからね」
 水無瀬の返事も聞かずに僕は立ち上がって、冷蔵庫の中身をチェックする。簡単でボリュームのあるものがいいかな。ここに入ってるご飯と卵と鶏肉、あと玉ねぎを使って……。


***


「ほら、でーきた」
 ケチャップライスの上に乗ったオムレツの真ん中にナイフを入れると、その中からとろりとした半熟卵が流れて広がる。
「おお、すげえ! レストランのやつみてえだ」
 それを見ていた水無瀬がテーブルに身を乗り出す勢いで、感嘆の声を上げた。すごいのは見た目だけじゃないけどね。スプーンで一口食べた水無瀬の表情が輝くのを見て、僕は誇らしい気持ちになる。だってこの僕が作ったんだから、美味しいに決まってるじゃないか。
 まさかこうやって水無瀬の家で、僕が作ったご飯を一緒に食べる日が来るなんて思わなかった。自宅でひとりで食べてる時よりずっと美味しく感じる。今までは、作ったものを褒めてくれる相手すらいなかった。
「伊織、今日はありがとな。お前のおかげで、何とか立ち直れそうだ」
「僕も映画の役を降板になった時、水無瀬に救われたからね。お互いさまだよ……とにかく元気出たみたいで安心した」
「お前、俺を心配してくれたのか?」
 水無瀬にそう言われて、僕は急に頬が熱くなった。そんなストレートに聞かないでよ! 喫茶店での件以来、気にしていたのは本当だけど。
 このままだと余計なことまで言っちゃいそうだから、これ食べたらさっさと帰ろう。


***


 それから数日、夜公演が終わった後の劇場ロビーで毎回恒例のハイタッチが行われた。僕達研究生と、公演に来てくれたお客さん達との1人数秒にも満たないコミュニケーションだけど、これも最後まで気を抜けない大切な仕事だ。
 公演に出演した研究生が1列に並んで、劇場を出て帰るお客さん達と順番にハイタッチをしていた時にそれは起こった。ひとりの女性客が水無瀬の前に来た途端にものすごく嫌そうな顔をして、両手を引っ込めた。
 その時の水無瀬がどんな顔をしたかは見えなかったけど、いい気分になるわけがない。こんなことは今までなかったから、間違いなく水無瀬の過去が公表された影響だと思う。
 女性客は僕の前に来るとすぐに笑顔になって、普通に僕と両手を合わせようする。でも僕はそれを拒んで身を引いた。その女性客を始め、周りの空気が張り詰めていく。
「僕達みんなを好きになれとは言わないけど、差別するようなことはやめてくれない?」
「い、伊織くん……」
「今日の公演は水無瀬も出るって分かってたはずなんだから、そんなに嫌なら来るなよ」
 僕がそう言うと例の女性客が泣き出して場が混乱する中、アイドルとしてとんでもないことをしたはずの僕の頭は恐ろしいほど冷静だった。


***


 最近の僕はすっかり問題児で、ハイタッチの後で劇場に駆けつけてきた寺尾さんは怒るよりも呆れ返っていた。
 お客様は神様ですって言葉があるけど、僕はそんな言葉大嫌いだよ。お金出してるからって何でも許されると思ってる奴まで神様だなんて思いたくないからね。
 寺尾さんのお説教から解放されてロッカールームに行くと、もう帰ってるはずの水無瀬がまだそこにいた。先に着替えていたけど、足元に荷物を置いて丸椅子に腰掛けている。
「お前を待ってた」
「……ハイタッチのこと、かな」
「ゲイの俺を気持ち悪いって思う客もいるだろうって、予想はしてたよ。でも、お前まで巻き込むなんて」
「僕は後悔してないよ、あのまま黙ってられなかっただけ」
 水無瀬に歩み寄った僕は、その手を取って両手で握る。男らしくてごつめの手だ。
「気持ち悪いだなんて、僕は全然思ってないよ。好きだよ」
「えっ!?」
「いや、その……水無瀬の、手が」
 よほど驚いたらしく目を見開いた水無瀬に、我に返った僕は慌ててごまかした。さっきの勢いで告白しちゃえば良かったかな、でもあんなことがあった後だからやめておく。
「あのさ、もし良かったらこれから何か食べに行かない? 公演で頑張ったからお腹すいちゃったよ」
 握っていた手を離して、話題を変える。告白はまだしないけど、前に水無瀬の家で一緒にご飯食べたこともあるし、食事に誘うくらいなら大丈夫だよね。
 すると水無瀬は真顔になって、離れた僕の手を急に握ってきた。何だこれ、わけが分からないんだけど一体どうなってるの?
「また、お前の作った飯が食いたい」
「僕の? えっ、ほんとに?」
「できればこれから、たまに作ってほしい……材料は俺が買っておく」
 僕の料理そんなに気に入ってくれたのかな。もしかしてこれはチャンス? また水無瀬の家に行けるってことだし……。
「お前の得意なやつ、何でもいいぜ。俺は好き嫌いねえから」
「い、いいけど……でも、材料は一緒に買いに行こうよ。まだスーパー開いてるよね」
「俺の近所なら、結構遅くまでやってるとこある」
 話がまとまって、着替えた僕はまた水無瀬に手料理をごちそうすることになった。




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