約1時間前に、俺はバイトをクビになった。
 ものすごい久し振りに買ったアルバイト情報誌をめくりながら、自分に合いそうな仕事を探す。接客なんか多分無理だし、赤点ギリギリで教師のお情けで高校を卒業できたようなものの俺には、家庭教師なんか論外だ。
 何とか今日中に面接の約束まではこぎつけたい。今後の生活がかかっているので、この際贅沢は言ってられない。ひとりで住んでるアパートの家賃とか、色々と問題は山積みだ。
「アンタ、もしかして仕事探してんの?」
 野太い声が頭上から聞こえてきて、ベンチに座っていた俺は顔を上げた。するとそこには力士並みにでかい身体の女……いや、男? 昼過ぎの平和な雰囲気の公園には場違いの、とにかく異様な存在感の奴がそこにいた。
 そいつはやけに俺の顔や身体を舐めるようにじろじろ見てくるもんだから、ある種の危険を感じ取った。狙われてる? そんなバカな。
「まあ、はい、さっきバイトクビになったんで新しい仕事を……」
「そうなの!? ねえアンタ、アイドルやってみない? いや、やるべきよ!」
「はあ?」
「アタシ、こういう者だけど。今新しい子を探していたのよぉ」
 そう言いながらスパンコールが全面に貼りついたド派手なハンドバッグに手を突っ込み、俺に名刺を差し出してきた。 そこには聞いたことのある芸能事務所の名称と、寺尾松子という名前が書かれていた。え、やっぱり女?
「さっきからずーっとアンタのこと見てたんだけど、どこにでもいる普通の学生っぽい感じがたまらないのよ! マジでうちに来ない? お金欲しいんでしょ!」
 鼻息荒く俺の両肩を掴みながらガクガクと揺さぶってくる。その振動で黒ぶちのダテメガネがずり落ちそうになった。
「俺そういうの興味ないんで結構です!」
 慌てて寺尾の腕を振り切り、俺は鞄を掴んでその場を走って離れる。
 とんでもないことだ、昨日まであんなことしてた俺がアイドルなんて。もっとテレビに映るのにふさわしい男がいるはずだ。
 だいぶ走ったのでもう大丈夫だろうと思いながら振り返った途端、俺は凍りついた。
 さっきのでかい女があの体型からは想像がつかないほどの猛スピードで、俺を追いかけてきている。
「待ちなさいよ! 逃がさないわよアタシの飯のタネ、じゃなかった、ダイヤの原石!!」
 本音が漏れてやがる!
 再び走り出そうとした俺の後頭部に突然、強い衝撃が走った。よろめいた足元に落ちていたのは、先ほど寺尾が持っていたあのド派手なハンドバッグだった。


***


「実は俺、昨日まではゲイビデオの男優やってたんです。半年くらいかな……でも全然売れなくて」
 強引に連れて行かれた喫茶店の隅の席で、俺は向かいに座っている寺尾に抑えめの声で打ち明けた。 引かれるかと思いきや、寺尾は表情ひとつ変えずに話の続きを待っている。
 俺は昔から女の子よりも男が好きで、ゲイビデオの男優は自分に向いていると思い、高校卒業後に迷わず業界に飛び込んだ。
 しかしフェラは下手だし早漏だし、まともな主演作も発売されないまま結局契約を打ち切られてしまった。男が好きなだけじゃどうにもならない厳しい世界だったと痛感した。
「そりゃそうよ、使えない男優雇い続けていてもしょうがないじゃないの。向こうも商売なんだから」
「まあ、確かに……」
「ゲイビ男優の仕事は残念だったけど、アタシは真剣に考えているのよ。アイドルならアンタの隠された才能を生かすことができるわ」
 特に顔が良いわけでもない俺を、寺尾がどうしてここまで熱心にスカウトするのか。
 もし仮に俺がアイドルになってテレビにも出るようになったら、ゲイ男優時代の知り合いに見つかるかもしれない。 そしてステージ衣装のままどこかに監禁されて、お前にはマイクよりこっちのほうが似合ってるぜなんて言われながら紫色のぶっといバイブを尻穴に突っ込まれて、 あれでもずっとタチ役だった俺はそっちのほうは全然慣れてないから、そんなのダメおかしくなっちまう……と、ここまで考えて我に返った。
 テーブルの下では股間がいつの間にか膨らんでいて、もしかしたらタチ役が合わなかっただけかと今更ながら思った。我ながら往生際が悪い。
「もし気が向いたらいつでも連絡してよね、アンタのこと待ってるから」
 今までカメラの前で男とセックスしまくった俺がアイドルやることに抵抗を感じていたが、むしろそんな俺をここまで求めてくれていると、自然に心が揺れてしまう。 それに次の仕事が見つからない状況の中、これは大きな救いかもしれない。
「ああ、そうそう。アンタ名前は?」
「水無瀬です、みなせ」
「はいはい、じゃあ待ってるわよ。みいちゃん」
 いきなり妙な呼ばれ方をして戸惑う俺を残して、寺尾はふたり分の伝票を握りながらひとりでレジへと向かって行った。
 そういえば話している時に気付いたが、寺尾にはしっかりと目立つ喉仏があった。男なのか女なのか、わけが分からなくなってきた。


***


 数日後、寺尾の元を訪れた俺は正式に契約を交わした。今日から俺はゲイ男優ではなくアイドルとして再出発するのだ。
 寺尾の案内で、ロッカールームでジャージに着替えた後でレッスンスタジオへ向かう。研究生として早速ダンスや歌の練習が始まる。
 大きな扉を開けると、鏡張りの壁の前に座っている数十人の研究生達の視線が一斉にこちらに集まった。中学生から20歳前後までと年齢層はそこそこ広いが、全員男だ。
 俺は息を飲んだ。これから毎日この中で過ごせるかと思うと、いろんな意味での興奮が抑えきれない。


***


 飯食って風呂も入ったし、寝る前にお気に入りのゲイDVDで一発抜こうとしてパンツを下げた途端に、ものすごいタイミングで電話が鳴った。
 パッケージを手に取っただけで興奮して勃起した俺のブツは、思わぬ邪魔が入ったせいで萎えてしまった。くそっ、慰謝料を請求したいくらいだ。
 ベッドに放っていたスマホを手に取り、もう片方の手で再びパンツを上げる。
「はい……」
『ちょっと、みいちゃん! ノンケの研究生に手は出しちゃダメってあれほど言ったでしょ!』
 スマホの向こうからでかい声が俺の耳にガーッとなだれ込んできて、何事かと思った。
 名乗られてはいないが、電話をかけてきたのは俺をスカウトしてきた寺尾だ。
 力士並みにガタイの良いオネエ系で、名刺では松子とかいう女の名前になっていたが、後から本人に確認して男だと分かった。
 寺尾は俺が先週から所属している芸能事務所の人間で、周囲からの話ではかなりのやり手らしい。
「出してねーって! というか話が全然見えないんですけど!」
 じゃあゲイの研究生なら手を出してもいいのかと聞きたかったが、一応今の空気を読んで胸に留めておいた。
『アンタがゲイでもバイでもアタシは構わないけどね、面倒なトラブルを起こすのはやめてちょうだい! 今日のレッスン終わった後、伊織と派手に揉めたらしいじゃないの』
「イオリ? ああ、あいつか」
 ダンスの先生に散々しごかれて、疲れ果てながら帰宅しようとした俺の前に立ちふさがった男の顔が浮かび、重いため息をついた。
 同じレッスンを受けている研究生で、俺より背が低くて女みたいな顔をした高校生だ。 それまでは大して気にとめていなかったが、研究生だけで行う劇場公演の中の1曲を何故か俺がセンターをやることになり、しかもそれは今まで伊織がいたポジションらしく、急な変更にどうやら怒りを買ったようだ。
 別に俺が立候補したわけでもないのに、有り得ない逆恨みをされても困る。
『何でこの僕が、大してイケメンでもないお前にセンター奪われなきゃいけないんだよ』
『はあ? そんなの知るか、決めたお偉いさんに言えよ。夏本タダシとかいうプロデューサーのおっさんに』
『お前が現れなきゃ、ずっと僕があそこに居られたんだ! 身の程知らず! 辞退しろ!』
 俺と伊織はしばらく無言で睨み合ったまま1歩も譲らなかった。
そもそもセンターというただの真ん中の位置には特別こだわりはないが、俺がこんなに伊織にイライラするのは他に理由がある。 ゲイ男優をやっていた頃、俺には言葉の通じないマッチョな外人と3Pしたいという願望があり、それを同じ事務所の友人にも口癖のようによく言っていた。
 ある日、まさにそれが叶うような仕事が舞い込んできたが、他の奴にあっさりと奪われた。名前は思い出したくないが、よく可愛いと言われる女顔で細くて、更に相手をイカせるテクもすごいから俺より遥かに人気があった。 ずっと俺がやりたかった仕事を持っていったあいつの、俺だけに向けたドヤ顔が今でも忘れられないほど最高潮に腹が立った。
 つまりそいつと伊織の雰囲気が似ているのだ。顔を見ているだけであの時の抑え難い怒りがよみがえり、冷静さを失っていた。
『お前は大してイケメンでもない新人の俺に負けたんだよ。悔しかったらセンター奪い返してみろ、きゃんきゃん吠えてるだけのクソガキ』
『言ったな! ただじゃおかないからな覚えてろ!』
 ……というやりとりを思い出して頭が痛くなった。
 せっかくたくさんの男に囲まれて楽しい研究生ライフを送れると思ったのに、あのうるさいガキのせいで台無しだ。
 かなりねちっこそうな奴だから、どこかで嫌がらせを仕掛けてきそうな気がする。
 電話の向こうからは延々と、寺尾のオネエ口調の説教が聞こえてくる。それをよそに俺は、レッスンが休みになる明後日の予定について考えていた。 ゲイ男優をやめてから会っていなかった知り合いと、「遊ぶ」約束をしているのだ。


***


「しっかし、お前がアイドルとか悪い冗談かと思ったぜ」
「前のとこクビになって金がやばかったんだよ、すがるしかねえだろ」
 ベッドの上で笑う男に覆い被さった俺は、久し振りのキスに溺れた。煙草の苦い味は未だに慣れないが、ぬるぬるとした舌の感覚に煽られて身体の芯が熱くなる。
 矢野というこの男は、俺より6つ年上の25歳で普通のサラリーマンをしている。ゲイの集まりで知り合って以来、セフレの関係が続いている。お互い恋愛感情はなく、こうして時々会ってはホテルでセックスしていた。
 強面で目つきが悪いのでよく極道の人間と誤解されがちだが、暴力とは縁遠い穏やかな性格をしていて更にエッチも上手いので、居心地が良く最高の相手だ。いつまでもこの付き合いが続けばいいなと思う。
 待ち合わせ場所の喫茶店で先に座っていた矢野は、仕事帰りだったらしくスーツ姿でノートパソコンを広げていた。 画面を見ながらこの長い指でキーを叩く姿は、俺が知っているセフレではなく真面目な社会人だった。
「っ、ぐ……」
 キスを終えた後でふたりで全裸になり、矢野の性器を口に咥え込む。吸いつきながら首を上下させると喉の奥まで亀頭を飲みこんでしまい、息が詰まった。
「おい、無理すんな」
「こんなんだから俺、ゲイ男優続けられなかったんだよな。使いもんになんねーってさ」
「俺は好きだぜ、お前のフェラ。いつまでも初々しくて」
 それを証明するかのように、矢野の性器はすでに硬くなり上を向いていた。次々に浮かんでくる先走りが生々しい。太い竿の匂いを嗅ぎながら舐め上げていると、現実の厄介事を不思議なくらい忘れられた。




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