俺が出演した夜公演のラストで、キャプテンの藍川自身から研究生としての活動を辞退する件が観客に伝えられた。
 客席からは、いつも来ている藍川推しの女性ファンの嘆く声が聞こえてくる。俺が公演に出てから、研究生のこういう発表に居合わせたのは初めてだった。 これまでの盛り上がりが一転したのが、客席からの空気を通して伝わる。
 この劇場の観客は、研究生の誰かがこの種類の発表をする時は直前の雰囲気で薄々と感じ取れるらしい。 ラストで全員揃って観客に礼をするタイミングで藍川だけが1歩前に進み出た途端に、小さなざわめきが起こったのだ。
 藍川は今月末に行われる卒業公演で、自分の役目を継ぐ新キャプテンの発表を行うことも告げた。


***


 出張から帰ってきたらしい矢野からメールが来て、居酒屋で飯を食うことになった。
 俺達は恋人でも友達でもないただのセフレなので、会うと基本的にホテルに入り浸ってやることやって雑談して別れるだけだ。なので2人で外食をするのは珍しい。
 店員に通された個室で出張土産の菓子詰め合わせを受け取り(まさか土産をくれるとは思わなかった)、運ばれてきた飲み物にそれぞれ口をつける。
「お前んとこって、恋愛禁止のオキテみたいなのあるのか?」
「恋愛っつーか、俺限定でゲイばれ禁止の掟ならあるけど」
 俺がそう答えた直後、向かいの席に座ってビールを飲んでいた矢野がジョッキの中で吹き出し、肩を震わせながら笑う。
「なんで笑うんだよ」
「いや、悪い……別にバカにしてるわけじゃなくて、お前限定でゲイばれ禁止……くくっ」
「やっぱバカにしてんだろ!」
 やがて笑うのをやめて真剣な顔になった矢野が、まだ中身の入ったジョッキをテーブルに置いて俺を見つめてくる。
「なあ水無瀬、アイドルの仕事楽しいか」
「ん、初めは生活費目当てだったけど最近本気になってきた。歌もダンスもすげえ楽しい」
「だったら尚更、俺と一緒にいて大丈夫なのか? ゲイがばれたらクビになるんだろ、俺とホテル出たところを撮られたりしたらまずくねえか」
 そういえば矢野には今まで伝えていなかった。隠していたわけではないけど、セックス抜きでじっくり語り合う機会があまり無かったのだ。会えばすぐに抱かれたくなるから。
 俺は矢野が25歳のサラリーマンで、ゲイでセックスが上手いということしか知らない。他には背が高くていかつい面構えをしているが、実は穏やかで優しい性格だとか。
「……確かに、まずいかもしれねえ。でも俺はあんたと離れたくない。今まで頑張れたのは矢野さんが話を聞いてくれたり、会うだけでその、何て言うか安心できて」
 話しながら、何故か泣きそうになっていた。矢野とのキスやホテルから出る瞬間を撮られてゲイの証拠が広まってしまえば、俺はアイドルではいられなくなる。
 寺尾いわくまだ研究生の身分でも、公演に出て客を相手に仕事をしているならアイドルを名乗ってもいいという。同時に、掟は守らなくてはならない。
 恋愛禁止でありながら密かに好きな相手がいるアイドル達も、こんな気持ちなんだろうか。応援してくれるファンのために、ひとりの人間である自分を抑えて夢を与える立場であろうとする。
「身体だけの関係だって割り切ってたのに、俺は矢野さんのこと……好き、だ」
 俯いた俺のそばに来た矢野に強く抱き締められ、驚いて頭が真っ白になる。セックスの最中でもこんなふうにされたことはなかった。まるで愛されているような錯覚に溺れる。
 温かくて、俺の好きな大人の男の匂いがして心地良い。
「水無瀬、今日はお前と別れるつもりで来たんだ」
「え……?」
「さっきの話を聞いて、完全に気持ちが決まった。もう俺とは会わないほうがいい」
「せめてただの友達には、なれないのか? 矢野さんと会えなくなるなんて、そんな」
「無理だ、会えば絶対にお前を抱くから」
 ごつくて長い指が俺の髪を撫で、頬や耳に唇が押し当てられる。それだけのことで、どうしようもなく胸が苦しい。
 もしかして俺は矢野がずっと好きだったけど、単なるセフレだからといって無意識に気持ちをごまかしていたのだろうか。 そうでなければ、突然訪れた別れがこんなに辛くて引き裂かれるような気持ちになるはずがない。
「アイドルやるなら、トップ目指せよ。そんなお前をいつか俺に見せてくれ、ずっと応援してるから」
 売れないゲイ男優だった俺が、ある日突然アイドルになった。そこから更に頂点へ向かう道のりは厳しい。まずは研究生のセンター、伊織を越えなきゃならないのだから。
 矢野の最後の温もりを全身で感じながら、俺は胸の奥で大きな決意を固めた。


***


 ゲイ同士の交流が目的で開かれたオフ会で、俺は矢野と出会った。
 カラオケの大人数部屋に集まった20人近くで自己紹介をして、その後は好き勝手に歌ったり話をしたりと盛り上がる中で、矢野だけが異質な雰囲気を放っていた。
 派手な柄シャツにジーンズを合わせた、目つきの悪い男がひとりで誰とも会話をせずにスマホの画面を眺め続け、眉間に深い皺を寄せながら舌打ちをする。どう見ても誰もが気軽に声をかけられる相手ではない。
 怖そうな矢野を皆が避ける中で、俺は何となく興味を抱いて近づいた。それは俺が年上の大人の男が好きだという単純な理由だった。
 話しかけてみるとどうやら、携帯から機種変更したばかりのスマホを上手く操作できずに、短いメールの返信を打つだけで十数分もかかっているらしい。
 だめだ使いこなせる気がしねえ、と深刻なため息をつく矢野を可愛いと思った。
 俺はその場で、矢野が打ちやすそうな文字入力方式に設定してみたり、その他の疑問に答えたりしているうちに自然に仲良くなった。
 電話番号とメルアドを交換して、数日後に2人きりで会うと早速ホテルでセックスをした。
 こんな逞しい男を抱けるなんて夢のようだと興奮したものの、どうしても俺は早漏でテクニックもいまいちなので、矢野より先にさっさと俺だけイッてしまうという情けない結果になった。それでも決して俺をバカにしたりせず、以降も会うたびに相手をしてくれた。
 この先もう二度と出会えないと思うほど、俺にとっての矢野は運命的な相手だった。


***


 心の空虚が埋まり切らないまま、俺に試練がやってきた。
『明後日の夜公演、急に伊織が出られなくなったの。みいちゃん代わりに入ってくれない?』
 電話の向こうで寺尾があっさりと言ってきたが、それはとんでもない話だった。
 少人数のユニットやソロ曲などを除いた10曲全て、伊織がセンターを務めている。明後日の夜までに、その振り付けを全て覚えてステージに立てと言うのだ。
 しかも当日来るはずだった伊織目当ての客が来なくなり、定員割れが起きる可能性もある。空きだらけの客席に、俺と伊織の格差を嫌でも思い知らされるだろう。
『できるの? できないの?』
「……っ、やります!」
『あっそう、それじゃあ頼んだわよ』
 俺より上手く踊れる研究生は山ほどいるのに、どうして俺が指名されたのか分からない。




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