「今日は水無瀬が、初めて伊織のポジションに入る。何かあったら皆でサポートすること」 夜公演開始前、衣装に着替えた出演メンバーが楽屋で円陣を組みながら藍川の話を聞いている。 「それから今日の円陣は、水無瀬が仕切ってくれ」 「……俺がですか?」 「2日でセンターの振り付けを覚えた気合い、俺達にも分けてほしい」 円陣を仕切るのは普通、キャプテンの藍川の役目だ。活動期間がすでに残り少ない今、1度とはいえ俺に譲ってもいいのだろうか。 他のメンバーもみんな藍川の提案に賛成なのか、黙ってこちらを見ている。何人かが頷いたのを見て、俺は円陣の中心に向けて右手を伸ばす。それに続いて、他メンバーの手も次々と重ねられていく。 「俺達は孤独じゃない! 研究生、心をひとつに全力で……」 「行くぞ!」 手だけではなく俺の掛け声に続いて皆の声も重なり、ぐっと胸が熱くなった。 予想通り伊織休演による定員割れが起き、始まる前は6割程度の人数しか来ていなかったらしい。ところがキャンセル待ちの列に並んでいた藍川推しの観客が空席を埋め、開演時にはほぼ満席になった。 俺は最後まで大きなミスをすることなく、伊織の代役を務めた。伊織のようなキレのあるダンスにはならなかったが、悔いが残らないように力を振り絞って踊り続けた。 前日に受けた藍川からのアドバイスが、俺の心を楽にしてくれた。本当に頼もしい、懐の広いキャプテンだと思う。こんな人がもうすぐ居なくなってしまうのが、今でも信じられない。 翌日、昼公演の前にロッカールームで信じられない噂話を耳にしてしまった。 「知ってる? 伊織の奴、映画の役降ろされたってさ」 「へえー、あいつちょっと売れてるからって調子乗ってるから、天罰じゃね」 「同じ公演出るのもうざいし、消えてくんねーかな」 ロッカーが間に挟まっているので、誰かの声だけ聞こえている状態のまま俺は着替えの手を止めていた。あんなに俳優の仕事をやりたがっていた伊織が、まさか降板させられるなんて。 前に観たドラマのようによほど演技が酷かったのか、それとも他に理由があるのか。あの性格だから、共演者と揉め事を起こした可能性も考えられる。 昼公演が終わったら事務所に行って、寺尾に話を聞いてみようと思った。大嫌いなはずなのにここまで気になる自分は、どうかしているに違いない。 事務所が入っているビルの、屋上へ続く階段を上がっていくと伊織はそこにいた。めったに人の来ない、薄暗い場所だ。ひとりになるにはちょうど良い。階段の腰掛けてうずくまっていた伊織が顔を上げ、こちらを暗い目で見つめる。 「……大嫌いな奴が落ちぶれたから、笑いに来たのかよ」 「そんなんじゃねえ、気になったんだよ。俺と会った時は普通に撮影に行ってたんだろ? あの後か、降ろされたのは」 「そうだよ、カメラの前で笑えなくなって、台詞も出てこなくて……演技が、できなくなった」 伊織は再び階段に腰掛けながら、膝を抱える。今回の映画が最後のチャンスだと言っていた俳優志望の伊織にとって、役を降ろされるのは道を閉ざされたのも同然だ。 こんなに生気を失った伊織を見るのは初めてだった。ロッカールームで聞いた噂話を思い出し、伊織を見ているのがつらい。 嫌いな相手なら知らない振りをすれば良かったのに、わざわざ寺尾に詳しい話を聞きに行った俺は伊織を探してここまで来てしまった。 「やっぱり僕は、俳優には向いてなかったのかもしれない。歌やダンスを踏み台にして、名前を売ろうとしたからバチが当たったんだ」 「なに弱気なこと言ってんだよ、お前らしくねえ」 「僕のことなんか何も知らないくせに! こんな姿、水無瀬には見られたくなかったのに……追いかけてくるなんてバカ、無神経」 「俺に見られたくない? 何で」 そう囁くと膝に顔を伏せていた伊織の肩が、びくっと跳ねた。再び上げた顔はかすかに赤くなっていて、俺と目が合うと慌てて視線を逸らす。反応がものすごく分かりやすいが、気付かない振りをしていたほうがいいのか。 「も、もうほっといてよ! 僕のこと嫌いだって言ってたじゃないか!」 「それ、そんなに気にしてたのか」 「当たり前だろ、僕は今までずっと誰にも、あんなこと言われなかったから……他の研究生の奴らだってそうだ、僕にむかついてるくせに何も言ってこない。どうせ陰で悪口言いまくってるんだ」 以前の俺みたいにあからさまに嫌がらせを受けたり罵倒されるより、直接言わずにこそこそされるほうがダメージはでかい。 周囲に馴染もうとせずに自分だけが目立てればいい、そんな考えが露骨に出ている伊織は、研究生の間ではかなり反感を買っている。俺も最初の印象は最悪だった。なのに関わっているうちにこんな状況になった。 「ああ言わねえと、お前をめちゃくちゃにしそうだったから」 伊織の代役という山を乗り越え、気が緩んだせいか溜まっていた性欲を抑えられない。 俺の好みとは正反対の、年下で女みたいな顔をした生意気な奴。そんな相手でも、状況が許せばとにかく男とセックスがしたい。俺を気遣ってくれた矢野に申し訳なくて、泣けてくる。 「しても良かったのに……」 「できるかよ、誰が来るか分かんねえところで」 「誰も来ないところなら?」 「……お前、本気か」 意味深な雰囲気に動揺する俺に、伊織からキスされた。軽く唇が重なっただけで、俺の理性はあっけなく崩れていった。 俺が住むワンルームのアパートに着くと、伊織に誘われるままにシャワーを一緒に浴びた。まだ薄い陰毛を俺に触られた伊織は、気にしているのか上目遣いで睨んでくる。 全裸のまま俺達はベッドの上で膝立ちになって、お互いの性器を擦り合わせる。あふれてくる先走りで濡れた音を立てながら、身体を密着させて今度は深いキスをした。カリ部分が強く擦れた途端に伊織が短く声を上げる。 伊織の亀頭に触れ、尿道を指先で刺激してやると何度も喘ぎ、喉をそらす。 「だ、めっ、それ……いくっ」 「見ててやるから、いけよ」 「ひとりじゃ、やだっ、あ!」 追い込まれた伊織が身体を震わせ、射精した。俺の手や下腹を汚したのが気になるらしく、ちらちらとそこを見る伊織を抱きしめてベッドに倒れ込む。 「気にすんなよ、いいから」 そう言うと、俺の背中に両腕をまわしてきた伊織が頷く。 ここまでスムーズに行きすぎて、伊織も俺と同じで男が好きなのではと考えてしまう。演技の練習だかでキスを迫ってきた時点で、もしかしたらと思っていたが。まだこいつは15歳だっけ。俺も自分がゲイだと自覚したのはそのくらいだったかもしれない。 クラスメイトに雑誌の水着グラビアを見せられても、俺は全く興奮しなかった。皆が可愛いと言う女子にも興味がなく、俺は数学担当の若い男の教師を犯す想像をしながら、夜中に自慰をしていた。 「抱き合うだけで、何でこんなに気持ちいいんだろ」 「人間の身体って、そういうふうに出来てるらしいぜ」 「そっか……そうかも」 その後、指とローションで丁寧に伊織の尻穴を解して挿入しようとしたが、亀頭が埋まった時点で伊織がかなり痛がったので中断した。俺のものがそんなにでかいわけでもない。穴に押し当てた途端に伊織の身体は、がっちがちに緊張して硬くなっていた。 俺は予定を変更して、ローターを使って焦らしたり、シックスナインで舐め合ったりして快感を貪った。 最後まではできなかったが、甘酸っぱくてどこかくすぐったい、今まで経験したことのないセックスだった。 数日後、事務所が入っているビルから出た俺を待っていたかのように、ひとりの男が現れて絡んできた。 「よお水無瀬、元気そうじゃないの」 「……誰だお前、知らねえよ」 「デビュー作は、『濃厚雄汁まみれのド変態ゲイセックス10連発』……の端役、だったよな」 そのタイトルを聞いて足を止めた俺は振り返り、そこにいる男を睨んだ。 実は知らない相手ではない。ゲイ男優時代の事務所の人間で、俺はこいつに今でも忘れもしない屈辱の言葉を浴びせられ、クビになった。もう会うことはないと思っていたのに。 「早漏で下手くそで、使い物にならねえ俺に今更何の用だ」 「いやー、あの時は悪かったよ!うちも不況で色々厳しくてさあ、お前を切る時も正直胸が痛くてな。早い話、お前に戻ってきてもらいたいんだよ。やりたがってた外人との3P仕事も、今度こそまわしてやるからさ! それに元アイドルのゲイビデオともなれば話題にな……」 「戻るわけねえだろハイエナ野郎!」 街の中で怒声を上げた俺に、通行人の視線が一斉に集まる。 人を散々傷付けておいて、都合のいい時だけ利用しようとする汚い根性が見え見えだ。さっきからこいつがやってる歩き煙草も、いかにも下衆で腹が立つ。 男は咥えていた煙草を足元に捨て、靴底で踏んで火を消した。にやけた表情から一転して、眉間に皺を寄せながら舌打ちをする。 「いくらアイドルごっこでごまかそうとしても、お前が男とのセックス無しで生きていけるわけねえだろうが。日替わりで研究生をつまみ食いしてるから満足ってか?」 「うるせえ! 消えろ!」 「まあいいや、こっちはいつでもお前を潰せるんだからな。楽しみにしてろよ水無瀬くん」 こちらに背を向けた男は、手をひらひらと振りながら去って行った。 あんな野郎のところには戻りたくない。俺を絶望から救ってくれたアイドルとしての道を、これからも歩きたい。そう願った。 『あの有名事務所のアイドル研究生に衝撃過去!』と大きく書かれた記事を前にして、俺は全身から血の気が引いた。 これは、政治家や芸能人のスキャンダルを中心に扱う週刊誌だ。 名前は伏せられているが、目の部分に黒線が入った写真の男は完全に俺だと分かる。その他にもモザイク入りの全裸で男と絡んでいるものや、フェラの最中をアップにした写真も掲載されていた。 事務所内で鳴り響く電話の対応に社員達が追われる中、寺尾が無言で頭を抱えている。この混乱、全ては俺のせいだ。 「寺尾さん、俺は……」 「明日のアイちゃんの卒業公演、アンタの代わりに他の子が入るから。指示があるまで謹慎」 こちらに視線を向けることなく、寺尾は席を立つと奥の部屋へと歩いて行った。 この騒ぎに加えて、藍川の最後の公演にも出られなくなってしまった。鳴り止まない電話の音が、俺の頭の中で更に大きくなった。 |