レッスンスタジオにある鏡張りの壁に向かって踊る僕を、床に腰を下ろした水無瀬が真正面からじっと見つめている。
 まるで僕から何かを得ようとしている、真剣な目をしていた。人気も実力も研究生でナンバーワンの僕のパフォーマンスは勉強になるだろうから、別に見るのは構わない。それにひとりで踊っているよりも誰かの目があったほうが、気が引き締まる。
 正直、ベッドの上でもそれくらい熱い視線を送ってほしいよね。
 何曲か踊った後、僕は休憩も兼ねて水無瀬の前に座った。
「急に僕のダンスが見たいだなんてさ、どうしたの?」
「お前の代わりにセンターやることになった時、とにかく振り付け覚えて周りに合わせるだけで精一杯で、そこから先は全然考えてなかったんだよ」
「先? なにそれ」
「俺は公演曲全部、同じ顔で踊ってるんだってよ。しかも必死さが暑苦しいって」
 誰に言われたのかは知らないけど、僕は思わず笑ってしまった。確かに水無瀬はどの曲でも全力出しまくってますって感じで、勢いだけが先走ってるんだよね。そんな状態で、曲の雰囲気に合わせて表情を作れと言われても無理なはずだ。
「歌詞をただなぞってるだけじゃダメだよ。歌ってる僕達がまずその世界に入り込んで、お客さんを引っ張り込まなきゃ」
 僕は水無瀬にキス直前の距離まで顔を寄せて、視線を重ねた。公演中どころか最後のハイタッチでも観客とここまで近くなることはないんだけど、アドバイスを口実に本当は水無瀬といちゃつきたいだけ。
 写真集の撮影が終わった後、誕生日のお祝いもできないまま次の仕事が入ったりして、なかなかゆっくりできずにいた。僕も男だから色々溜まってたんだよ。
「明るい曲は笑顔で、バラードの時は切なく……公演中はお客さんと目を合わせて」
「ち、ちょっと、近いって」
「キスしてもいいよ」
「お前なあ……」
 大胆に迫る僕に呆れ顔になった水無瀬は、すぐに何かに気付いたかのように僕を見た。
「歌詞の世界には入り込めるのに、何で演技になると棒になるんだ?」
「そんなのこっちが聞きたいよ!」
 せっかく盛り上がっていたのに無粋な質問で水をさされ、僕は怒り任せに水無瀬の鼻を強く摘まんだ。


***


『アンタ達の言いたいことは、分かってるわよ』
 話は少し前の出来事になるけど、キャプテンの件で事務所に押しかけた僕と藤村、篠原の3人を威圧した後で寺尾さんはため息まじりにそう言った。
『要するに真鍋くんよりもキャプテンにふさわしい研究生がいて、彼をキャプテンにしたいんでしょ』
『……そういうことです』
『それが誰なのかは、まあ聞くまでもないわ。ただ、アタシはまだ「その時」が来ていないと思うから、指名しなかったのよ』
 寺尾さんはそれ以上詳しく語ろうとしなかったので、レッスンの時間が迫っていた僕達は事務所を出た。
 その時とはつまり、水無瀬がキャプテンとして正式に認められるタイミングだ。考えてみれば真鍋が就任してからそれほど時間が経っていないし、いくら明らかに向いていなかったとしても、突然別の誰かに交代させるのは筋が通らない気がする。それに研究生の中には僕達3人とは逆の考えを持つ「真鍋派」が存在していて、そいつらがとにかく厄介だ。
 それよりもっと大きな問題は、水無瀬自身にキャプテンをやる欲が全くないことだった。


***


 自主練の帰りに2人で立ち寄った店で買ったケーキを食べた後、僕達はベッドで抱き合う。
 ようやく水無瀬の誕生日祝いをする時間が取れた。お互いに何も言わずに自然に唇が重なり、離れていた時間を埋める。この、セックスの予感が濃厚になる瞬間が好きだ。
「水無瀬は今、僕以外の誰かとはエッチしてないの?」
「してねえよ、お前がいるから」
「……うん、分かった」
 僕の質問に水無瀬は、当たり前のことを聞くな、というような顔をしていた。一点の曇りもない、潔い答えが嬉しかった。
 じっくりと身体を愛撫されて、水無瀬の性器が僕の中に沈む。息を荒げた水無瀬が一気に腰を奥までぶつけた途端、強すぎる刺激で僕は早くも射精しそうになった。恥ずかしい声は出たけど、イクのは必死で堪えた。
「今、お前イキかけたよな」
 ごまかすように首を左右に振った僕の乳首を、水無瀬はまるでお仕置きみたいに指先で軽く引っかいた。
「っ、はあ!」
「何で我慢すんの」
「だって、まだ終わりたくない」
 震える声でそう説明するのがやっとだった。水無瀬を今まで散々早漏だとからかったくせに、その僕が挿入されてすぐにイクなんてかっこ悪いし。もう少し盛り上がってから出したい。
「こんなに濡らして、今更強がるなよ」
 先走りが溢れて止まらなくなっている僕の性器を、水無瀬は何度か扱いた。挿入されている最中なのにそんなにされたら、おかしくなる。
 扱き続けながらも、水無瀬は再び腰を動かして僕の中を激しく犯す。
 さすがにこれはだめ……ずるいよ。
 奥に打ちつけられるたびに喘ぐ僕を見下ろしながら、水無瀬が小さく笑った。今日はやけに余裕があるので怪しんでいたら、今使っているコンドームの色がいつもと違っていたことを思い出した。前は半透明だったのに、今日はどこか卑猥な黒だった。もしかして早漏を気にして、厚いものに変えたのかな。
 身体を前に倒した水無瀬が、僕に深いキスをする。舌を吸われて絡められて、その間にもどんどん追い詰められていく。
 最初は大嫌いだった。入ったばかりの新人のくせに、1曲だけとはいえ公演曲のセンターを僕から奪い取った水無瀬が。大したイケメンでもなければ歌もダンスも完全に素人だし、何が良くてあの寺尾さんにスカウトされたのか全然分からなかった……あの時は。
 でも今なら分かる。水無瀬は僕個人にも、そして研究生全体にとっても必要な存在だと。
 水無瀬の腰に両足を絡めて誘うと、これ以上ないくらい身体が密着して興奮した。
 1つ年を重ねて20歳になった水無瀬は、今までと特に大きく変わったところはないけれど、こうして会うたびに好きになる。僕の大切で、大好きな人。


***


 僕がセンターに立つ公演で、定員割れなんて有り得ない話だ。ここから見る客席はいつでも満員で、アイドルにとっては最高の景色を肌で感じながら今日もステージで踊る。
 みんながセンターの僕に注目するからパフォーマンスにも熱が入り、立ち位置が少しくらい前に出すぎても観客は盛り上がっているから何の問題もない。
 帰る観客を見送るハイタッチを終えて、私服に着替えた研究生達が劇場の出入り口へと向かう。するとそこを塞ぐかのように立っている、その人物を見てみんなが驚く。ドラマで共演した水無瀬や、芸能人なんか学校でも見慣れている僕以外の研究生にとっては、こうして生で見られる機会はめったにないだろう。
「……おい、あそこにアヤがいるぞ」
「シトラスのアヤだ、本物!?」
 ざわつく研究生達の中から1歩前に出たのは、今日の公演にも出ていた水無瀬だった。アヤを前にして、表情はどこか硬い。共演中に何かあったんだろうか。
「あんた、最近よく来るな」
「これで2回目です」
「で、今回も見たんだろ。俺達の公演」
「確かに拝見しました、最低の公演を」
 ……今、何て言った? 最低の公演? この僕が出ているのに、そんなわけがない。
「協調性のないセンター、それを抑えられないキャプテン、そして振り回されるだけの他メンバー。何の一体感もないあんな酷いステージで、よくお金を取れますね。楽な商売です」
「で、でもお客さんはあんなに盛り上がって……!」
 研究生の1人が放った反論に、アヤは冷めた目をして再び口を開いた。
「盛り上がっていた? 私以外はみんなあなた方のファンばかりですから、それは当然です。これがもし、何の関心もない視聴者がテレビで見たら、ただのまとまりのない素人集団にしか思えないでしょう」
 僕達の公演は、劇場に通うようなアイドル好きの濃いファンしか見ない。僕や水無瀬はソロでの仕事で雑誌やテレビに出ることもあるけど、研究生全員が揃ってテレビに映る機会はほぼなかった。水無瀬が加入したすぐ後で地元のローカル番組の取材が来たくらいの、地味な存在。
 いくら所属事務所が大手でも、活動の場が劇場の中だけじゃファン以外の目に留まらず、事務所に推されてソロの仕事を貰えなければ外の世界を見ることもできない。ファンの甘い評価だけを受けてきた研究生公演は、アイドル界のトップから見ればお遊戯会同然というわけだ。
「今のあなた方に必要なのは、決して揺らぐことのない屋台骨……つまり、本当に頼れるキャプテンです。このままだと成長もできずに沈んでいくだけ。可哀想に」
 慈悲も容赦もないアヤの言葉に、研究生達は怒りも反論も忘れて静まり返っていた。
「水無瀬さん、この前の公演を見た時はあなたがキャプテンだと思っていました。でも違ったようで残念です」
 それからアヤは何事もなかった顔で、あっさりと背を向けて劇場を出て行った。しかも最後に、とんでもない爆弾を落としてから。
 残された研究生達が動揺する中で、水無瀬だけが劇場の出入り口を眺めて立ち尽くしていた。
「……俺が、キャプテン?」
 そして気付いたのは僕だけらしい。ここから離れた場所で、寺尾さんが僕達の様子をずっと見ていたことを。




11→

back