居酒屋の個室でグラスを軽く合わせた向こうにいるのは、まさかの藤村だった。
 アヤが劇場に来た後、帰宅しようとした俺は藤村に呼び止められた。一緒に帰る予定だった伊織が不満そうな顔をしていたが、藤村が「例の話だから」と言うと伊織は何故か急に納得して、1人で家に帰って行った。
 俺はようやく成人したということで、メニューの中から飲みやすそうな酒を注文した。21歳の藤村は慣れた様子で生ビールを頼んでいた。
 今は和解したとはいえ、以前は俺に嫌がらせをしていた先輩とこうして向かい合って酒を飲むなんて、想像すらしていなかった。不思議な感じだ。
「水無瀬、足はもう大丈夫なのか? もう公演出ちまってるし今更だけど」
「はい、ドラマの撮影以外はゆっくり休んでいたので」
「そうか……良かった。俺さ、やっぱりお前は他の研究生とはどっか違うって思うんだよ。あ、別に悪い意味じゃないぜ。あんなにお前を嫌っていた篠原のために身体張って、それにあいつが振り付け忘れた時に上手いアイディア出してさ」
「あれ、藤村さんに断られていたらどうにもならなかったんで、感謝してます」
「俺達みんな、お前に助けられたんだよ。シトラスのアヤも言ってたけど、あの日のお前は俺達研究生のキャプテンだった」
 ビールが半分残っているジョッキをテーブルに置いて、藤村は真剣な顔で俺を見つめた。
 正直戸惑っている。皆が思っているほど、俺が研究生のまとめ役に向いているとは思えない。多分、今のキャプテンに不満があって別の奴に代わってほしいという理由で、何となく目立っている俺が注目されているだけだ。
 今日の公演で、伊織が前に出すぎているのは俺も分かっていた。不動のナンバーワンと言われているパフォーマンスを、勝手な動きで観客にアピールしたがる伊織の悪い癖だ。しかしそれを注意しなきゃいけないのは、今日の公演にも出ていたキャプテンの真鍋で、俺の役目じゃない。今の関係なら俺が言えば伊織は聞いてくれるかもしれないが、それはキャプテンのメンツを潰すことになる。
「……みんなが俺を頼りにしてくれるのは嬉しいです。でも俺にキャプテンは荷が重すぎる」
 今でも、ゲイ男優だった俺を偏見の目で見ている研究生もいる。そいつらを上手くまとめられる自信はない。
「お前を困らせるかもしれねえって、分かってた。でもこれだけは……どんなに嫌がらせされても、周りが敵だらけでも、絶対にお前は折れなかったよな。強くてまっすぐなお前が、俺は羨ましかったよ」
 伊織も藤村も、篠原も。最初は俺に攻撃的だった。でも今はその時のことが夢だったように、俺を励まして支えてくれる。全員に好かれなくても、何人かが味方してくれればそれで充分だ。
 それから俺と藤村は、酒を飲みながら日付が変わるまで色々な話をした。これが大人の付き合いってやつなのか、今まで知らなかった世界を覗けた気がして楽しかった。


***


『水無瀬、今すぐテレビ観て!』
 朝早くかかってきた伊織からの電話で起こされ、俺はまだ完全に目覚めていない状態でテレビの電源を入れる。するとそこには、繰り返し瞬くカメラのフラッシュの中で記者会見を行っている寺尾が映っていた。
「今回の件について、すでに処分は決定しているのでしょうか!?」
「社長、何かコメントお願いします!」
 集まった記者達が次々と寺尾に質問攻めにする様子を見て、俺は一体どうなっているのか分からなかった。アヤが劇場に来てから2日が経ち、昨日はドラマ関連の仕事が入っていた俺は劇場には行っていない。その間に大変なことが起こったようだ。
「伊織、お前何か知ってるか」
『僕も、さっきテレビつけたらこの騒ぎになってたから……でもね、ネットで調べてみたら研究生の誰かが問題起こして、解雇処分になったみたいだ。まだ名前は出てないけど』
「解雇……!?」
 俺達が所属している事務所は、芸能界でもかなり幅をきかせている大手だ。だからプロとして正式にデビューしていない研究生という立場でも、以前の俺のように雑誌やテレビで大きく取り上げられる。
この後、劇場スタッフからメールが送られてきた。研究生に一斉送信されたらしいその内容は、今日から1週間程度公演は中止になり、研究生は劇場に近づかないようにというものだった。今、劇場周辺を取り囲んでいるマスコミへの対策のようだ。


***


「伊織の時もそうだったけど、アンタって本当に人のことに首突っ込むの好きよねえ」
 机の向こうに座っている寺尾の顔は、連日マスコミから追われているせいかどこか疲れ切っていた。
 公演が中止になっている間も俺はどうしても黙っていられず、まだマスコミが囲んでいる事務所の入ったビルに何とか入り込み、社員と共に電話の対応に追われていた寺尾に会うことができた。
 少しずつ明らかになった情報によると、解雇になったのはキャプテンの真鍋とその仲間3人、そして藤村だった。数日前は2人で居酒屋で語り合っていた藤村が、俺の知らない間に処分を受けて解雇になった。
 俺は藤村の連絡先を聞いてなかったので、研究生という繋がりが消えた今は個人的に話をすることもできない。
「自分が人を救える神様にでもなったつもり?」
「そうは思ってませんが、どうしても気になるので。先輩達が解雇された理由が」
「……みいちゃん、もしアンタが今まで通り普通にアイドル続けたいなら、このまま何も聞かずに帰りなさい。でないとアタシ、アンタが聞きたくなかったことまで喋るわよ」
 まるで脅しのような寺尾の言葉に、俺はぞくっとした。これで分かった、藤村達の解雇が俺に関係していると。しかし俺が聞きたくないと思われていることは多分、裏を返せば知らなくてはいけないことだと思う。
 俺に帰る気がないと伝わったのか、寺尾は重いため息をついた。そして衝撃の事実を語り始める。
「真鍋くん、アヤの件で恥をかかされてみいちゃんをかなり恨んでいたみたいね。だからどんな手段を使ってもアンタを陥れて、解雇に持ち込もうとしたのよ」
 キャリアの長い真鍋より、まだ新人に近い立場の俺がキャプテンにふさわしいと皆の前でアヤに宣言されたのだ。相当な屈辱だったに違いない。そうなる予感はしていた。
「その計画をロッカールームで偶然聞いたフジくんが、真鍋くん達を止めようとしたのよ。それで殴り合いの喧嘩が始まって、大騒ぎになった」
「藤村さんが……!?」
 研究生同士とはいえ、そんなに激しい喧嘩になればただでは済まない。しかも4人相手に、藤村はたった1人で立ち向かっていった。俺のために。
 初めて一緒に居酒屋に行った日、藤村はいつか絶対にプロとしてデビューしたいと語っていた。なのにその夢が壊れてしまった。他の事務所でやり直す道もあるが、喧嘩で解雇という経歴がある以上かなりの遠回りになるだろう。
 またどこかで顔を合わせた時、俺は藤村に何て言えばいい?
「さて、マスコミや世間からもかなり注目されているこの状態で、研究生のキャプテンの席が空いたわ。今だから言うけど、アイちゃんが辞めた後の本命のキャプテン候補はみいちゃん、アンタだったの」
「……俺が」
 藍川が前に電話で言っていたのは冗談だと思っていた、どう考えても有り得ない話だったからだ。
「でもみいちゃんはあの時まだ入ったばかりだったし、他の皆が納得しないと思ったからとりあえず繋ぎで真鍋くんを指名したのよ。その間にアンタがキャリアや実績を積んで、周りが納得する力を身に付ければ問題ないからね」
 やっぱり寺尾は、あの真鍋が本心からキャプテンに向いているとは思っていなかったらしい。全ては俺へ繋ぐための計画だった。急に心が重くなる。偶然だと思いたいが、結果的に真鍋や藤村は寺尾が立てていた計画の犠牲になった……正直、聞きたくなかった。あまりにも残酷すぎる。
「アンタは、キャプテンやる気はないんでしょう? 今の話聞いたら余計にそう思うわよね」
「少し、考えさせてもらえますか」
「あら、すぐ断ってもいいのよ?」
「劇場が閉まっている間に、行きたいところがあります」


***


『それで1度、実家に帰ることにしたんだ?』
「ああ、親にずっと連絡つかないまま結構経つし、今は外仕事も入ってないから。いい機会だと思ったんだよ」
 事務所から帰ってきて落ち着いたところで、伊織に電話をした。北海道のA市、それが俺の生まれ故郷だ。そこに帰って、たまにはアイドルである自分を忘れて過ごしたい。
 寺尾から色々と信じ難いというか、重すぎる話を聞いて今もまだ頭が上手く回らない。
 俺のせいで藤村の未来が台無しになった。
『そっか、気を付けてね』
「なあ伊織、キスしてやろうか」
『えっ?』
「お前、好きだろう。電話越しのキス」
 俺の言葉に伊織が動揺しているのが、顔を見ていなくてもしっかりと伝わってくる。何度も抱いた伊織の甘い声を聞いているうちに、少しだけいじめたくなったのだ。
『そっ……そんなの恥ずかしいから、いらないよ!』
 何故かそこで突然電話が切れた。この前自分から言い出した時は、やれだの早くしろだのうるさかったのに、俺から言うと急に恥ずかしがる。やっぱり変な奴だ。




12→

back