行きつけのヘアサロンでカットとカラーリングを済ませた後で外に出ると、待ち構えていたらしいマスコミ連中が僕に迫ってきた。タクシーを捕まえようとして数歩進んだだけでこの状態、うんざりする。 「伊織くん、仲間が解雇になって今の心境は!?」 仲間っていうか、キャプテンの件で目的が共通していた藤村はともかく、他の4人とはまともに会話すらした記憶がない。特に胸は痛めていない僕の心境を聞いても、期待してるような答えは出てこないよ。 とはいえ群がってくる連中がしつこすぎるので、僕は隙を見て逃げた。街の中なら人も建物もたくさんあるから上手く逃れられると思っていたら大間違いで、向こうも必死なのか執念深く追いかけてくる。 更に走っている間に僕のファンの子達にまで見つかり、結局追っ手が増えてしまった。隠しきれない僕のアイドルオーラが悪いのか。 それはともかく信号待ちというピンチまで襲いかかり本格的にやばいと思った時、横断歩道のそばに1台の黒塗りの車が停まった。そして助手席側の窓が下り、中にいる男が僕に声をかけてくる。 「追われているんだろう」 「……えっ」 「乗れよ」 いくら窮地に立たされていても、知らない男なら僕は無視をしていた。でもその顔には見覚えがある。 前に偶然通りかかった喫茶店で見かけた水無瀬の元セフレ、矢野という男だった。 矢野さんも1度見ただけの僕を覚えていたらしいけど、直接話をしたことはない。水無瀬の情報によると、彼は25歳のサラリーマンで、水無瀬とはゲイが集まるオフ会で知り合ったらしい。ということだけ。 運転席でハンドルを握る矢野さんは、見た目の印象は完全にヤクザの若頭だった。常に眉間に皺を寄せていて、気軽に話しかけられる雰囲気じゃない。スーツに包まれていても、がっちりとした体型なのが分かる。 「お前も俺をヤクザだと思っているのか」 ドスのきいた低い声。僕の考えを見透かした、短い言葉の中にも妙な重みがある。 「ヤクザじゃなくて、サラリーマンだって聞いています」 僕がそう言うと、ちょうど信号が赤になり車を停めた矢野さんは、黒い表紙の手帳のようなものを懐から取り出し、中を開いて僕に見せてきた。そこには矢野さんの顔写真と名前、生年月日、そしてその横には『司法警察員 麻薬取締官』と書かれていた。 僕は驚きで少し震えた。この人、水無瀬には自分をサラリーマンだと言っていたらしいけど、本当は違う。略してマトリと呼ばれる、厚生省に所属している国家公務員だ。しかも少数精鋭の超エリート。 何でここまで知っているかというと、僕が初めて端役で出たドラマの主役が、まさにこの麻薬取締官だからだ。拳銃も使うし、張り込みもする。 「水無瀬には言うな」 「どうして」 「あいつの前では、ただの男でいたいんだよ」 再び動き出す車の中で、僕はまだ呆然としていた。矢野さんはあまり多くを語らないけど、セフレじゃなくなった今でも水無瀬を大切に想っている。もし研究生になって僕と出会わなかったら、水無瀬は今頃矢野さんと……。 やがて車は僕が住むマンションの前に停まり、矢野さんは「あまり1人で出歩くな」と言い残して去って行った。 水無瀬が故郷の北海道に行ってから3日が経った頃、僕は寺尾さんに呼ばれて事務所へ向かった。ビルの周りには相変わらずマスコミ連中が張り付いているので、外部の人間には知られていない裏口からこっそり中に入った。 「ねえ伊織、ちょっとみいちゃんの様子見てきてくれない?」 机の向こうから寺尾さんが僕にそんなことを言ってきた。水無瀬が寺尾さんに里帰りをする話をした時、妙に思い詰めたような暗い顔が気になったらしい。 そういえばずっと両親と連絡が取れないって言ってたっけ。あれからちゃんと会えたのかな。 「僕も北海道に行くってことですか」 「そうよ、アンタのスケジュールはその間空けておくからよろしくね。ハイこれ必要経費」 寺尾さんは机の引き出しから白い封筒を出して、僕に手渡してきた。中身をちらっと覗くと、諭吉が20枚近く入っている。飛行機や電車を使うとはいえ、こんなにかかるものなのか。水無瀬のためならこの程度の金額は惜しまないらしい。 「足りなかったら後で請求してよ」 「……分かりました」 僕は事務所を出てタクシーを捕まえると、早速家に帰って飛行機の手配をした。3日間、水無瀬から僕への電話やメールはなかった。きっと久し振りに家族水入らずで過ごしているのかと思って、僕からも連絡はしなかったんだけど。 寺尾さんに言われてから急に不安になる。早く水無瀬に会いたくなってきた。 北海道のA市にある空港まで、飛行機で約1時間半。更にそこから交通機関を使って水無瀬の実家に向かった。肌寒いイメージがあったけど、意外に暖かくて僕は上着を脱いで歩く。 寺尾さんから貰ったメモを見ながらたどり着いた水無瀬の実家を見て、おかしなことに気付いた。確かに住所はここなのに、その小さな一軒家には人が住んでいる気配が全くない。 カーテンもないベランダの窓から中を覗くと、人どころか家具すら置かれていなかった。 更に玄関のほうへ回り込んだ途端、僕は息を飲んだ。 「……なにこれ」 ドアやその周辺には、雑誌のページを破り取ったものが何枚も貼られていた。前に水無瀬がゲイビデオ男優の過去を暴露された時の記事で、載っている荒いモノクロ写真には裸の水無瀬が男にフェラをしていたり、絡み合っている様子が写っていた。黒い線で目の部分だけ隠されていても、明らかに水無瀬だと分かる写真だ。 しかも何度も貼られては剥がしていたのか、セロテープの跡がいくつも残っている。 「伊織?」 僕の名前を呼ぶその声で我に返り、後ろを振り向くと水無瀬が立っていた。最後に会った時に比べて、かなり疲れた顔をしている。 「お前、何でここに」 「寺尾さんに、水無瀬が心配だから様子見てきてって言われたんだ」 「そうか……悪いな、こんなものまで見せちまって」 そう呟くと水無瀬はドアに貼られている記事を破り取る。その手がかすかに震えていたのを、僕は気付いてしまった。全部剥がした後も、僕に背を向けたまま動かない。 「うちの両親な、俺の過去が週刊誌に載ってから、近所からすげえ嫌がらせされてたみたいだ。毎日それが続いて、かなり前にどこかに引っ越したって」 水無瀬の一家とは古い付き合いで、嫌がらせをされてからも近所では数少ない味方だった初老の夫婦が教えてくれたらしい。両親の行き先は周囲の誰にも告げていなくて、新しい連絡先も分からない。この3日間、水無瀬は手掛かりを求めてひたすら歩き回っていたという。 「俺のせいで、親を辛い目に遭わせて……捨てられても当然か。俺がいなきゃ幸せになれるなら、それで」 声まで震えてきっと泣きそうになっている水無瀬の背中を、僕は強く抱き締めた。 「僕が……ぼくが、水無瀬の家族になるよ! だから自分をそんなに責めないで」 血の繋がりのない僕が代わりになれるわけがないとは分かっている。でも、今にも崩れてしまいそうな水無瀬を見ていると黙っていられなかった。 「1人じゃないよ、僕がずっとそばにいるから」 水無瀬からの返事はなかったけど、僕はその広い背中をしばらく離さなかった。 僕と水無瀬は小さなホテルに一緒に泊まることにした。建物は年季が入っていて古い感じでも、トイレと風呂は各部屋についている。2人でいられるなら、どこでもいい。 ベッドのそばに荷物を下ろすと、今度は水無瀬が僕を後ろから抱き締めた。 「本当に、俺の家族になってくれるのか」 「なるよ」 水無瀬の両手が僕の服の中に入り込み、胸元に触れた。さっきから落ち着かない心臓の鼓動が、ばれてしまいそうだ。望んでいるところにはなかなか触ってくれなくて、もどかしくなって僕は身をよじる。 直接の刺激はなくても、いつの間にか硬くなっていた僕の乳首を水無瀬が軽く摘まむ。 「っ、ひ……あっ」 「あそこでお前に会うなんて、夢かと思った。伊織」 熱い囁きを耳に感じて、興奮が更に高まる。早くこのベッドで水無瀬に抱かれたくて、我慢できない。僕は自分からベルトを外して、穿いていたジーンズを足元に落とす。下着越しでも性器がもう勃ち上がっているのが分かる。僕は前よりずっと、いやらしい身体になっていた。 ローションがなかったので、唾液で濡らした水無瀬の指が僕のアナルに埋まる。中の弱いところを押されるたびに、僕はみっともなく喘いで性器から先走りを漏らす。そんな僕を無言で見つめながら僕の中を拡げていく水無瀬の股間も、硬くなって上を向いている。 今日はいつもより口数が少ない水無瀬が、何を考えているのか読めずにいた。そういえば1度もキスをされてない。 じっくりと解した後、水無瀬はそこから指を抜いた。今日は普段よりずっと感じやすくなっているから、アナルに押し当てられた、水無瀬の濡れた亀頭の感覚だけでぞくぞくした。 「このまま繋がったら僕、すぐにイッちゃうかもしれない」 「いいよ、全部見ていてやるから」 「うん……」 ゆっくりと水無瀬が中に入ってきて、コンドームで遮られていない生の熱さを感じる。太いもので奥に向かって拡げられている間、僕は息を乱しながら水無瀬と視線を重ねる。もう限界まで来ていた。 両足を抱え上げられ、挿入の角度が変わった途端に水無瀬は腰を引き、奥を強く突いてきた。 「ああっ、いくっ……いっ」 僕の性器から何度も精液が噴き上がって、下腹を汚した。力が抜けた僕の身体が、今度は水無瀬に跨る体勢に変えられる。腕を引かれるままに身体を倒して水無瀬とキスをすると、イッたばかりの僕の中を再び水無瀬が下から犯す。ねっとりと舌を絡ませ、濃密なキスの合間に僕はすすり泣くような声で何度も喘ぐ。 「みなせ、すごい……気持ちいい」 「お前の中きつくて、俺もイキそう」 「僕の中に、出して」 「いいのか?」 「だって僕達、もう家族なんだよ」 水無瀬の左手薬指には、今の僕と同じように指輪があった。離れていても、ずっと一緒だったんだ。 男同士だから籍は入れられないけど、いつかは2人で同じ家に住みたい。そうすれば言葉だけの約束じゃなくて、本当の家族になれる気がした。 何度も激しく腰を打ちつけられた後、僕の中に熱い塊が注ぎ込まれた。身体の奥から水無瀬でいっぱいになって、幸せだった。 帰りの飛行機の中で、僕は隣の水無瀬が起きているのを確かめてから声をかけた。 「ねえ、キャプテンのこと……断ってもいいよ」 「どうした、急に」 「今の水無瀬に、他の研究生のことまで背負わせるのはきついと思うから。自分のこと、ちゃんと優先して」 水無瀬は僕の肩を抱き寄せると、そのまま何も言わずにいる。それでも返事を待っていた僕は、水無瀬の腕の中でいつの間にか眠ってしまっていた。 余ったお金を返しに事務所へ行くと、先に水無瀬が来ていて寺尾さんの正面に立っていた。僕は少し開けたドアの隙間からこっそり様子を窺う。キャプテンの件かもしれない。 「決めました、俺」 「あら、考えてきたのね」 「キャプテン、やります。俺にやらせてください」 ここまではっきり聞こえた水無瀬の言葉に、僕は驚いてお金の入った封筒を足元に落としてしまう。 どうして、という僕の問いは胸の内で渦巻いたまま、あの広い背中には届かなかった。 |