「すみませーん、ここの劇場の人ですかー?」 土曜の昼公演が終わった後、着替えて劇場を出るとそこにいた女子高生の集団が俺に声をかけてきた。茶髪も黒髪もいるが、3人全員に共通しているのは化粧が濃いことだ。いつも公演を観に来ているファンの子達とは雰囲気が違う。 「あ、はい」 「私達、さっきまでやってたコーエン?を観に来たんですけどー、当日いきなりだと入れてもらえなくて」 「ここのチケットってどうやって買うの? スマホでも予約できる?」 そういえば高校の頃、クラスにこういう派手で目立つタイプの女子グループいたよな。 俺は女子高生達に公演チケットの買い方を説明したが、抽選に当たらないと買えないと言った瞬間に「えーっ」という不満の声が一斉に上がった。それでもとりあえず納得してくれたようで、礼を言うと帰って行った。その去り際の会話がここまで聞こえてきた。 「ねー、今の人も研究生なのかな」 「スタッフじゃね? だってアイドルのオーラ全然なかったもん! 顔もフツーだし」 「あれがアイドルだったら、寺尾プロダクションまじ終わってるわ〜」 女子高生達の1人が持っていた雑誌の裏には、最近よく聞く『東京ガールズフェスタ』という文字がでっかく載っていた。テレビも雑誌もネットでも、とにかく色々なメディアがそれを取り上げて騒いでいる。 何かのイベントの名前らしいが、俺は一切興味がないので調べる気も起きなかった。 「来月行われる東京ガールズフェスタですが、今回もうちの研究生の出演が決まりました」 翌日レッスンスタジオに行くと、集められた研究生に向かってダンスの先生がそう言った。 またお前かよ、東京ガールズフェスタ! 先生の説明によると年に2回開催される若い女性向けのファッションショーらしく、その中で今話題の歌手やアイドルも出演してライブを行う。外国のテレビ局まで取材に来るほどの、とにかく大規模なイベントだ。 前回出演したのは伊織1人だけだったようで、それなら今年もそうなると思っていたが、先生が予想外のことを言い出した。 「今回は出番が夜8時以降なので、労働基準法により15歳未満の研究生を除いた全員が出演することになります」 俺達の中で15歳未満の研究生は2人、ということは残りの16人が出演可能というわけだ。有名なイベントに出られるチャンスに先輩達がざわめく。俺にとっては未知の世界なので不安だったが、経験者の伊織がいるなら心強い。ところがそんな俺の想いはすぐに打ち砕かれた。 「それから今回は別の仕事が入っている伊織が不参加になりますので、その代わり当日は篠原くんにセンターを務めてもらいます。これは事務所ではなく、主催側からのオファーによるものです」 今度は別の意味で騒ぎになった。一般知名度も高い伊織が不参加で、しかも当日のセンターはまだ加入して日の浅い篠原だ。確かに篠原は長身で顔立ちも整っているので、アイドルファン以外の女性客にもウケるかもしれない。だからこそ主催側も、モデルに近い雰囲気の篠原をセンターに指名したのか。 篠原本人はこの決定に、驚くどころかやけに冷静だった。いつもの劇場とは違う大きな会場で、約3万人の前でセンターとして踊らなくてはいけないのに。 「ガールズフェスタか、僕もまた出たかったなあ」 仕事帰りに俺のアパートに立ち寄った伊織が、濡れた髪をタオルで拭きながら風呂場から出てきた。Tシャツとハーフパンツは俺のを貸しているので、伊織の身体には少し大きめだ。ベッドに腰掛けてテレビを観ていた俺の横に来た伊織からは、俺が使っている石鹸の香りがする。肩を抱き寄せてキスしたい気持ちを、今日は何とか堪えた。 「お前は他の仕事で出られないんだろ、ガーズズフェスタってやつに」 「ガーズズじゃなくてガールズだよ、まーた噛んでるよ……水無瀬はおじいちゃんだから片仮名に弱いんだね」 「言いにくいんだよ!」 今までの自分とは無縁のイベントだ、もし参加が決まらなければ口に出すこともなかった気がする。 「ところで水無瀬って、今日までガールズフェスタのこと何も知らなかったんだよね? レッスン終わってから僕がここに来るまで、自分でもイベントの詳しい内容調べてみた?」 「いや、どういう内容かはレッスンの時に先生が言ってたから……女の子向けのファッションショーだろ」 「はあ? それだけ? それでいいと思ってんの?」 急に伊織がきつい口調で俺を責めてきたので戸惑った。眉間に皺を寄せ、かなり苛立っているのが分かる。 俺はスマホを手にして、ガールズフェスタについて初めて検索した。そこから公式サイトに飛び、伊織に言われるままに前回行われたショーの動画を再生する。すると、俺が今まで知らなかった世界がそこにあった。 派手なBGMや、目まぐるしく動く照明と共に登場する女性モデル達。客席に向かって伸びた縦長のステージ(伊織いわくランウェイというらしい)を、高い踵の靴で堂々と歩く。 しかもただ歩いているだけではなく、目線や表情は常に観客を意識していて、ウインクや投げキッスなどそれぞれの個性を出すのも忘れていない。 テレビで観たことのある人気タレントがモデルとして現れると、その瞬間に歓声が更に大きくなった。 違う。俺が研究生として立っている劇場のステージとは、規模はもちろん雰囲気も何もかもが。プロのモデル達が歩いていたこのステージで、約3万人の前で、まだ正式にデビューもしていない研究生の俺達が歌う。アイドルファンではない女性客にも受け入れてもらえるんだろうか。それどころか、白けるかもしれない。 「顔、真っ青だね」 スマホを握り締めながら動画を見ていた俺に、伊織が薄く笑みを浮かべながら言った。 「もしこれを見ないままステージに立ったら、どうなっていただろうね。そんなふうに青ざめながら、上手く踊れるかな」 「……っ、それは」 「水無瀬が今までこういうイベントを知らなかったのは仕方ないよ。でもね、僕達はお金をもらって仕事をしている以上はプロなんだよ。興味はなくても、これから自分が関わる仕事先のことを調べておくのは当然だと思う。それに水無瀬は、もうキャプテンなんだから」 伊織が真剣な顔で俺を見つめる。伊織は年下だが、芸能界での経験値は俺とは比べ物にならないほど高い。 俺にはアイドルとしてのプロ意識が足りていなかった。今日の女子高生達にも、オーラがないと言われても当然だ。それに、名前ばかりのキャプテンとは思われたくない。 服のブランド別に分かれているショーの動画を、それから俺はずっと見続けた。そんな俺のそばで、仕事で疲れていたのか伊織はいつの間にかベッドで眠ってしまっていた。 外はますます暑さを増し、レッスンスタジオに着いた時にはTシャツはすでに汗で湿っていた。身体を動かす前に水分不足になりそうだったので、ロビーにある自販機に向かうとそこには先に着いていた篠原がいた。 「おはようございます、水無瀬先輩」 「お、おはよう」 あれから俺達は通常の公演やレッスンに加えて、ガールズフェスタに向けた準備も始めていた。披露するのは1曲だけだが、公演曲ではなくイベント用に夏本が書き下ろした新曲だった。振り付けはかなり複雑で、それ以上に15人の呼吸を合わせるのが難しい。皆をまとめなくてはならない俺も、自分の振り付けを覚えるだけで精一杯だ。 センターを務めることになった篠原は、ダンスの先生から特に厳しく指導されていた。元々ダンス経験がなかったこともあり、かなり苦労しているようだ。毎日遅くまでスタジオに残って自主練している。 「毎日暑いよな、俺もう夏バテ寸前」 「まあ、夏なんで仕方ないですね」 何とか沈黙を破りたくて話しかけたが、篠原に素っ気なく返されてしまった。気まずい。 「覚えてますか、俺が初めて公演のステージに立った日。あの頃の俺は先輩のことが大嫌いだったけど、俺を2度も助けてくれた。階段から落ちそうになった時、そして出番直前でセンターの振り付けを忘れた時」 「懐かしいよな。お前のお披露目公演、絶対成功させたかったんだ」 「とんでもなくお人好しすぎて、先輩を憎んでいた気持ちが全部消えました。今度は俺が、先輩に恩返しをする番です。ガールズフェスタでのライブは絶対に成功させます、俺がその足掛かりになる」 最後の言葉が、力強く俺の胸に響く。篠原はセンターポジションや厳しいレッスンに弱音を吐くどころか、自信と落ち着きを感じさせた。 ガールズフェスタ当日、楽屋前の廊下では女性モデル達がテレビや雑誌の取材陣に囲まれて、どこも賑やかだ。 俺は会場の広さやステージの大きさに圧倒されながらも、最後のリハーサルを終えて他の研究生達と出番まで楽屋で待機していた。やっぱりイベントの雰囲気を動画で知っておいて良かった。伊織の言った通り、何も知らないままリハーサルに入っていたら、かなり動揺していたと思う。 楽屋に設置してあるモニター画面では、ガールズフェスタ会場の様子がリアルタイムで映し出されている。スマホで見るより大きな画面なので、迫力がある。 楽屋には今、篠原の姿はなかった。少し前にスタッフに連れられてどこかへ行ってしまい、そのまま戻ってこない。主催側から指名されたセンターなので、何か特別な打ち合わせがあるのだろうと思っていた。 「……なせ、水無瀬!」 先輩研究生に声をかけられ、俺は我に返った。先輩は明らかに慌てている様子で、俺の肩を掴んでいる。何かまずいことが起きたのか。 「どうしたんですか」 「いいからモニター見てみろよ!」 すでに他の研究生達が集まって騒いでいるモニター画面を見上げると、凝った造りの黒いスーツを着た男が客席へと歩いてくるところだった。男の顔がステージの大画面にアップで映し出された瞬間、俺は驚いて言葉を失った。 客席からは何度も大きな歓声が上がり、「おかえり!」、「大好き!」という叫びも聞こえてくる。 『ガールズフェスタでのライブは絶対に成功させます、俺がその足掛かりになる』 以前レッスンスタジオで俺にそう宣言した篠原が今、画面の向こうでモデルとしてランウェイを堂々と歩いていた。 篠原は研究生になる前、高校生や大学生に混じって複数の雑誌で活躍していた人気の読者モデルだったことを、俺は後から知った。 |