元読者モデルの篠原は、ガールズフェスタに来る女性客にはかなりの人気と知名度があった。
 研究生オーディションに受かったと同時に読者モデルを辞め、進学せずにアイドルの世界に飛び込んだ。
 篠原は確かに歌やダンスは未経験だったが、人前に出ること自体は慣れていたのだ。
 だから急病で出られなくなったメンズモデルの代わりを頼まれた時、問題なく役目を果たせた。それどころか文句なしの大活躍だ。
 センターである篠原が先に観客の関心を集めたことで、俺達研究生は後からステージに立ちやすくなった。歓声の大半は篠原に向けられたものだったが、3万人がこのステージに興味を持って見てくれた。
 3万人。いつかは俺達だけの力でこれほどの観客を集められたら。そう思いながら俺は全力で歌い、踊った。客席の1番後ろまで、この熱が届くように。


***


 スポーツ新聞各紙一面トップに、昨日のガールズフェスタが大きく取り上げられていた。
 若い女性向けのファッションショーとはいえ、海外からも注目されている大規模なイベントだ。有名モデルの他にも人気芸能人も多数出演していたので、注目度は高い。
 そんな中、いくつかの新聞では俺達研究生の記事も掲載されていた。『男前すぎる16歳! 元読者モデル、一夜限りの復活』という見出しの通りメインは篠原だが、ライブに出演した研究生全員の名前と顔写真も載せてくれていた。
 『研究生仲間の解雇という暗い話題を吹き飛ばす、15人のパワフルなステージ』、『新しいキャプテンと共に披露した、まだ荒削りだが息の合った熱いダンス』……思っていたよりも好意的に記事を書いてくれていて、嬉しかった。
 更にページをめくると、5大ドームツアーの開催が決まったらしいシトラスの記事があった。俺達が1歩前進する間に、シトラスは更に数歩先を行っている。アヤはその中の、不動のセンターだ。新聞を持つ俺の手が震える。
「ドームツアーね、シトラスならいつかやるだろうと思ってたよ」
 横から新聞を覗き込んできた伊織が、軽い調子でそう言った。まだ他の研究生達が来ていないレッスンスタジオで、スポーツ新聞を広げていたところに遅れて伊織が来たのだ。
「……今のままじゃ俺は、アヤに追いつくことすらできねえよ」
 聞かせるつもりはなかった俺の呟きに、伊織は一瞬目を見開いた後で突然笑い出した。
「何それ、本気で思ってんの? 頭大丈夫?」
「どういう意味だよ」
「シングルもアルバムも売れまくって、ドームツアーまでやるシトラスと、まだCDデビューすらしていない劇場メインの僕達研究生を、比べる方がおかしいんだよ。それに今の水無瀬がアヤに勝ってる要素なんて、1つもないよ。歌もダンスも、それに演技だってこの前のドラマで完全に食われっぱなしだったじゃん」
 言い方はともかく伊織の話に痛い部分を突かれ、俺は返す言葉が見つからなかった。
「それにさあ、研究生のトップにすらなれてないのに、アヤをライバル視なんて身の程知らずもいいところだね。その前に、キャプテンの役目をしっかり果たしたほうがいいんじゃないの?」
 ゲイ男優としての過去を暴露された後、雑誌インタビューを受けた時の夢は伊織を越えることだった。なのにアヤの存在や、アイドルになるまでの経緯を知って以来大きな刺激を受けて、いつの間にかライバルとしてアヤを強く意識していた。それからは色々な場面で、アヤとの差を思い知らされて自分が情けなくなっていた。
 アヤは俺個人を、研究生のまとめ役としては認めてくれていたが、アイドルとしてのパフォーマンスへの評価は散々だった。つまり俺にはまだアヤと張り合う資格すらない。
 勝負は同じ土俵に上がって初めて成立するものだと、ようやく思い知った。だから俺はまず、自分にとって1番近い壁を乗り越える。
「キャプテンの仕事をこなしながら、研究生のトップを目指せば文句ないよな」
「……みなせ?」
 俺の反応が意外だったらしく、伊織の顔から見下したような笑みが消えた。明らかに戸惑っている。
「勝負しよう伊織、俺とお前のどちらがトップにふさわしいか」
「そんな、急に……本気なの?」
「俺達は恋人同士の前に、アイドルなんだよ」
 普通に考えればすでに結果は見えている勝負だった。人気も実力もキャリアも、全てにおいて伊織のほうが上。俺はゲイビデオの元男優なのに色気の欠片もなく、かと言ってアイドルのオーラも持っていない。あるのはアイドルの頂上を目指したいという、強い気持ちだけ。
 俺の居場所はここしかない。
 とはいえ具体的にどうやって伊織と争えばいいのか困っていると、レッスンスタジオの出入り口のほうから誰かの足音がこちらに近づいてきた。いつからそこにいたのか、音の主は寺尾だった。
「みいちゃん、よく言ったわね。その勝負はアタシが仕切らせてもらうわよ」


***


 それから数時間後の夜公演で、事態は思わぬ方向へ大きく動いた。
 事務所社長である寺尾が公演のステージに現れるのは、本当に珍しいことだ。観客も研究生達もそれを分かっているから、そしてこれから何が起こるのか分からないから、この上ない緊張感に包まれている。
 マイクを握った寺尾はまず最初に観客への挨拶をすると、
「この場で皆さんに発表があります。現在行われている公演のセットリストを一新して、新公演を行います」
 驚きと喜びの声が上がったのも束の間、寺尾は更に衝撃の言葉を告げた。
「新公演でのセンター候補は2人。伊織、そして水無瀬」
 ここにいる誰もが、最初からセンターは伊織だと考えていたに違いない。なので伊織と共に俺の名前が挙がった瞬間、さっきとは違う種類のざわめきが起こった。
 客席にいる伊織ファンからの視線が鋭く突き刺さるようで、俺は見えない痛みに耐えながらステージに立ち続ける。キャプテン就任が発表されて間もないのに、次はセンター候補に選ばれたのだ。この気まずい空気は避けられない。
「そこでこの2人のどちらがセンターにふさわしいか、今回は日頃研究生を応援してくださっている皆様に決めてもらうことにしました」
 動揺が収まらない中で寺尾が説明した方法をまとめると、

・俺と伊織をセンターにした公演を、平日の夜限定でそれぞれ交互に5回ずつ行う
・俺達以外は基本的に同じメンバーが出演する
・期間中のチケットは当日販売のみ(先着順)
・期間中に、それぞれの公演を訪れた観客数の合計が多い方を勝ちとして、新公演のセンターになる

「そしてここからが重要です。伊織が出演する公演のチケット代ですが、いつもは4000円のところ、期間中のみその倍額の8000円にさせていただきます。これは水無瀬との知名度、そしてメディア露出の差を埋めるためのハンデとしてお考えください」
 俺がセンターとして出る公演は、通常料金の3000円で行われる。伊織が普段出る時は、それより1000円高い値段でも必ず満員になるので、そのままでは勝負にならないだろう。
 さすがに高すぎるのではと俺は思ったが、伊織ファンは当然伊織のほうの公演を観に来るので、あのチケット代で劇場の300席が満員になれば、ビジネス的に美味しいはず。
 伊織は1番の稼ぎ頭、という寺尾の言葉が俺の頭によみがえった。ハンデと言いながらも、伊織ファンの熱心さを上手く利用するつもりだ。
 センター争奪戦と名付けられた俺と伊織の勝負は、来月の1週目から行われることになった。初日にセンターに立つのは伊織だ。
 寺尾の説明が終わるまで、伊織はステージの上で暗い顔で俯いていた。
 俺の家族になると言ってくれた、今でも大切な存在の伊織と本格的に争う。人気や実力の差は明らかでも、俺は全力でやる。アイドルとして生きる日々を、そして伊織を愛しているからこそ容赦はしない。


***


 センター争奪戦が告知されてから、俺と伊織は挨拶以外の会話をしなくなった。
 電話やメールも交わすことなく、俺はレッスンと劇場公演に専念して、伊織はテレビのレギュラー番組や雑誌の取材や撮影など、外仕事で忙しい日々を送っていた。
 自分以外の気配がなくなったアパートの部屋は、ワンルームのはずなのにやけに広く感じる。
 争奪戦期間中のアンコール明けで、ガールズフェスタで披露した新曲をやってみないかと先輩方が俺に言っていた。実際、あのイベントに行けなかったファンからも見たいという声が上がっているらしい。
 俺がセンターを務めるのはあくまで公演曲のみなので、無関係の曲なら俺以外のメンバーがセンターをしても問題はないはずだ。ここは当然、篠原に任せる。
 ガールズフェスタ以降、篠原目当ての女性客が急激に増えた。アンコールだけでも篠原がセンターに立てば、きっと喜んでもらえるだろう。あとは、年齢の問題でガールズフェスタに参加できなかった中学生メンバーにも振り付けを覚えてもらって、公演では全員が踊れるようにしておく。
 キャプテンとして、やるべきことはたくさんある。もはや伝説のキャプテンとも言われている藍川は、これらの仕事をしっかりとこなしていた。俺も負けずに頑張ろう。


***


 いよいよ争奪戦が始まり、初日は伊織がセンターを務める公演で幕を開けた。
 ロビーのモニター画面で公演を観ようとして劇場を訪れた俺は、スタッフから聞いた話で思わず息を飲んだ。
 決して安くはない8000円のチケットは余るどころか、販売開始と共に伊織ファンの女性客がなだれ込み、短時間で完売したらしい。
 無茶だと思っていた値段設定は、何のハンデにもならなかったようだ。




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