ダンスのレッスン中、俺の隣で踊っていた佐倉がバランスを崩して床に尻をついた。 研究生に2人いる中学生メンバーの1人で、俺よりキャリアは長いがダンスはあまり得意ではない。なのでダンスの先生に叱られているのを前からよく見かけていた。 実は佐倉が俺の隣に来てレッスンを受けるのは珍しいことで、普段はもう1人の中学生と並んで後列で踊っている。喧嘩でもしたのかと思ったが、それは俺の勘違いだと後から分かった。 「大丈夫か、佐倉」 「う、うん……」 「調子が悪いなら無理するな、先生に言って休ませてもらえよ」 俺がそう言った途端、佐倉は俺の胸にしがみついて大声で泣き始めた。異常な事態に他の研究生の動きも、そして音楽も止まる。俺が泣かせたようにも見えて、気まずかった。 皆が俺と佐倉の様子に注目している中、涙で濡れた顔を上げた佐倉が振り絞るような声で叫んだ。 「もう、伊織さんの公演には出たくない!」 このレッスンスタジオが一瞬で静まり返る。凍りついたという表現のほうが正しいかもしれない。 最前列の鏡の前で踊っていた伊織がこちらに歩いてきて、恐ろしいほどの無表情で佐倉を見下ろす。 「出たくないなら出るなよ! 僕もお前みたいな下手くそに足を引っ張られたくないんだ!」 「おい伊織、お前いい加減にしろよ!」 「ほら、こうやって庇ってもらいたくて水無瀬のそばに来たんだろ? 卑怯者!」 伊織の容赦ない言い方に、佐倉は明らかに怯えて俺にしがみついたまま離れない。口下手で大人しい性格の佐倉は、こうやってきつい言葉を浴びると何も言えなくなってしまう。 更に何か言おうとしていたが、見かねたダンスの先生に止められた伊織は不機嫌そうにレッスンスタジオを出て行った。 「あいつ、出たくないなら出るなって言ってたよな……?」 背後から聞こえた誰かの静かな怒りをにじませた声に、俺は妙な胸騒ぎがした。 リハーサルを終えた後、俺がセンターとして出演する4回目の公演が始まった。曲もMCも全て今まで通り順調で、今日のレッスンで感じた胸騒ぎを忘れるくらい充実していた。 しかしそれは、公演後のロッカールームで打ち砕かれた。俺が着替え終えたタイミングで、今日出演した先輩研究生達に声をかけられた。その中には佐倉ともう1人の中学生メンバーもいる。 「新しい公演のセンターさ、もう水無瀬がやれよ」 「え、でもまだ結果が出てな……」 「今日のレッスン中の伊織の態度見ただろ、俺達はあんな奴の後ろで踊るのはもう嫌なんだよ。どうせ自分以外のメンバーは引き立て役としか考えてないんだろうしな」 まさにその通りの台詞を前に伊織が俺に言っていたのを思い出して、反論できなかった。そして別の先輩研究生が話を続ける。 「俺達全員、明日の伊織の公演には出ないからな。そうすれば公演は中止でその日の観客はゼロ、争奪戦はお前の勝ちだよ」 「そんな……待ってください! 本気で言ってるんですか!?」 俺の問いかけにも答えず、先輩研究生達はロッカールームを出て行った。確かにこの争奪戦に勝って伊織を越えたいとは思っていたが、こんな形で勝っても意味がない。 翌日、劇場に行くとリハーサルの時間になっても研究生は伊織と篠原しか来ていなかった。伊織は他メンバーが今日の公演を放棄したことをすでに知らされたらしく、ステージの上でうずくまって動かない。 そんな伊織に篠原がそばで何かを言っているが、聞く耳すら持たない状況だ。 「みんなに対するアンタの態度、相当酷かったらしいじゃないの。伊織」 寺尾がステージの前から声をかけると、伊織はようやく顔をゆっくりと上げた。青ざめ、目は生気を失っていた。 「あと1時間で、チケット買ったお客さん達がここに入ってくるわよ。アンタと篠原くんだけで一体どうするの? このまま他の子達が来なかったら、チケット代返金して今日の公演は中止。2人じゃ公演は無理だもの」 自業自得とはいえ限界まで追い込まれた伊織に、寺尾は容赦なかった。この状況でも慰める気は全くないようだ。 「いえ、公演は予定通り始めてください」 スタッフや伊織達を取り巻く絶望的な空気を振り切るように、俺はそう言った。俺だけではなく皆のためにも、中止には絶対にさせない。 「みいちゃん、アンタまた人のことに首突っ込んで……!」 「人のことじゃなくて、仲間のことです。それからいつも通り、会員向けのライブ配信も最初からお願いします」 俺達の公演は、月ごとに決まった額を払えばパソコンやスマホでもリアルタイムで観ることができる。まだ来ていない先輩達の誰かがその方法で、今日の公演を観てくれるかもしれない。 そうやってネット回線を通じて、途中からでも来てもらえるように『説得』するのだ。ここにいる俺達が。1%以下の可能性にも、すがる価値は充分にある。 「分かったわよ……中止になるよりは、何とか続けてもらったほうがこちらとしては有り難いからね」 寺尾の許可を貰ったので俺はスタッフの人達にセットリストの一部変更を頼み、開演前のアナウンスをする伊織には俺がこれから紙に書くことをそのまま読み上げるように告げた。 「っ……水無瀬、僕は……」 「その泣いた顔、お客さんには絶対に見せるんじゃねえぞ。お前は8000円のチケットでもここを満員にできる、俺達研究生のエースなんだからな」 「……僕が、エース」 俺の言葉に伊織は涙を手で拭って、力強く頷いた。 開演前、観客に向けた伊織のアナウンスが流れた。定番の挨拶に加え、研究生の大半がこちらに向かう途中で渋滞に巻き込まれ、到着が遅れること。そして今日出演予定ではないメンバーが、今だけ人数合わせのためにステージに立つことの2つが告げられる。緊張と不安の中、いよいよ幕が開いた。 アナウンスで伝えていたものの、伊織や篠原とステージに立っている俺を見て観客がざわめく。本当なら、今日ここにいることはあり得ない存在だ。俺も分かっているが、緊急事態なので仕方がない。 セットリストの中の少人数ユニット曲やソロなど、俺達3人でも回していける曲を全て前半に持ってきた。合間のMCでは、何とか調子を取り戻した伊織が積極的に喋る。出しゃばりすぎている時は俺が抑えて、篠原にも話を振っていった。 やっぱり俺以外にも伊織をセーブできる誰かが必要だ。それがいなかったから、ここ数日間ずっと伊織が前に出すぎて暴走していたのだ。 俺がいない時でも皆をまとめられる、副キャプテン的な存在が欲しい。当然、伊織以外で。 努力の甲斐あって何とか観客は盛り上がっているが、開演からそろそろ30分近くが経つ。MCのネタも尽きてきて本格的にまずいと思ったその時、ステージ袖から次々と出てきた集団に俺は思わず全身の力が抜けそうになった。 ステージ衣装に着替えた、先輩研究生達だった。いつでも安心して戻ってきやすいように、観客には渋滞で遅れているという嘘の説明をして、ここまで引き延ばしたのだ。 「ごめん、俺達……その」 「やっと渋滞から抜けられたんですね。おかえりなさい、先輩方」 「っ……ああ、抜けてきたよ。お前らが力をくれたおかげでな」 一瞬戸惑いながらも、先輩のひとりが俺に話を合わせてくれた。涙を必死で堪えている伊織を見届けた後、 「それではここから通常の公演に戻ります。俺の役目は終わったので、抜けますね」 そう言って俺はステージ袖に向かったが、観客からの叫びで足を止めた。 「もっと居てよ、キャプテン!」 「久し振りにみんなで踊ってるとこ見たいよ!」 俺を必要としてくれているそんな声で、今度は俺が泣きそうだった。 立ち止まった足はまだステージ袖に向いている俺の腕を、歩み寄ってきた伊織が掴む。 「みんな、水無瀬に居て欲しいってさ!」 伊織の言葉に、先輩研究生達や篠原も頷く。再びステージ中央に戻る俺に、観客席からも歓声が上がった。 結局この日はセットリストの最後まで、俺は皆と一緒に踊った。久し振りの懐かしい感覚に、胸が熱くなる。 俺と伊織のセンター争奪戦、今日は伊織の番の最後ということもあってか300席全てが埋まっていた。 |