劇場のロッカールームに入ると、夜公演に出る伊織が先に来ていた。しかも今まで見たことのない、学校の制服らしい紺のブレザーだ。
 その姿を見て俺は、伊織が高校生だということを思い出した。仕事が忙しくて毎日は通えていないみたいだが、伊織の学校は芸能活動をしている生徒向けのコースがあり、出席日数が足りなくても融通を利かせてくれるらしい。
「水無瀬ってばそんなに僕のこと見て、もしかして制服姿に欲情しちゃった?」
「何の話だよ」
「さあね……ところで今日は学校でテストがあってさ。ようやく解放されてすっきりしたよ」
 アイドルのイメージが強い伊織から、現役高校生らしい話を聞くのは珍しいことだった。
 ダンスや演技のレッスンを受けて仕事もして、更に学校生活まで送っている。俺は故郷を出てゲイ男優になるまでは普通の高校生だったから、それほどハードではなかった。
 テスト勉強の時間は取れているのかと聞くと、伊織は得意気な顔をして笑った。
「ま、テストのために勉強なんかしなくても、授業をちゃんと聞いていれば点は取れるんだよ。僕は忙しいから、休んだ日のノート見せてもらったりして埋め合わせしてるけど」
 一応授業には毎日出ていたが、たまに居眠りする上に勉強自体が好きではなかった俺は、もちろん定期テストで点が取れるわけがなかった。今でも、ドラマの台本でたまに難しい言葉が出てくるときつい。演技以前の問題だ。
 伊織は歌もダンスも顔も、アイドルとしての資質を全て持ち合わせている上に勉強まで出来るのか。嫉妬を通り越して素直に凄いと思う。
 俺も衣装に着替えようとしてロッカーを開けた時、伊織に腕を掴まれた。こちらを見上げて目を閉じている、間違いなくキスを待つ体勢だった。いつ他の研究生が入ってくるか分からない場所で、大胆すぎる。俺と伊織の関係は知られているものの、堂々といちゃついて良いわけがない。
 しかし結局誘惑に負けてしまい、誰も入ってこないのを素早く確認した後で伊織と軽く唇を重ねた。


***


 研究生になってから半年近くが経った頃、キャリアが1番下だった俺にようやく後輩ができた。先日行われたオーディションで選ばれた、篠原という16歳で、年齢的には高校生だが学校には通っていないらしい。俺も人のことは言えないが愛想はあまり良くなくて、初日から笑顔ひとつ見せずに黙々とレッスンを受けている。
 ある日、研究生同士2人1組になって課題のダンスを練習することになり、俺は篠原と組む流れになった。俺もまだベテランとは言えない立場で人に教える自信はなかったが、周りが次々と相方を見つけている中で篠原だけが孤立していたので、放っておけなかったのだ。
 俺が入ったばかりの頃、こういう時にすぐに声をかけてくれたのは当時キャプテンを務めていた藍川だった。今のキャプテンである真鍋はさっさと仲の良い同期と組んでしまい、それを見て俺は微妙な気分になった。
 向かい合った篠原は、改めて見ると俺より少し背が高かった。俺が自己紹介をしても、軽く頭を下げただけで何も答えない。
 まだダンスに慣れていないらしい篠原は、俺から見ても動きが硬くてぎこちない。俺も入ったばかりの頃はこんな感じで、毎日先生に怒られてはめげずに居残り練習をしていた。
「なあ、今のところ腰の動きはもう少し抑えめに……」
 そう言いながら俺が篠原の腰に触れた途端、素早く手を振り払われた。触るなと言わんばかりの勢いで、普通にダンスの助言をしようとしただけの俺はさすがに驚いた。
「俺、そういう趣味ないんで」
 低く、冷静な声で篠原が俺にきっぱりと言い放った。周囲がざわつく中で、俺はようやく拒絶されていることに気付いた。俺がゲイだというのはすでに世間に知れ渡っているので、どうやら男なら誰にでも手を出す節操無しだと誤解されているようだ。
「いや、別に俺は」
「おい! 何なんだよそこの新人!」
 組んでいた相方を放置して、ずかずかと俺と篠原のそばに来たのは伊織だ。篠原と組んだ俺を恨めしそうに見ていたので、いつかやらかしてくる予感はあった。
「水無瀬はお前に動きを教えようとしただけだろ、まさか自分が狙われてるとか勘違いしてんの?」
「よく見てますね、先輩こそ人のことばかり気にして集中してないんじゃないですか」
「はあっ!?」
 篠原に指摘されて、覚えがあったのか伊織は顔を真っ赤にして一瞬俺のほうを見た。やばい、お前負けてるぞ伊織。
「……ふふ、分かったよ。お前の相手、僕がしてやるよ。水無瀬とは組みたくないみたいだからさ」
「伊織、お前勝手にそんな」
「この僕がビシバシしごいてやる、泣いて降参するまで絶対許さないからな!」
 おかしな展開になってきた。篠原は伊織の宣戦布告にも表情ひとつ変えない。色んな意味で心配だが、レッスン中に黙って見守っているわけにはいかないので、俺は伊織が放置してきた相方と組むことにした。
 それにしても真鍋は、離れたところから成り行きを見守っているだけで何もしない。この状況で伊織と篠原の間に入らなきゃいけないのは、キャプテンの真鍋だと思う俺は間違っているだろうか。


***


 ソファーに腰掛けている寺尾は、俺の前で腕組みをしながら盛大にため息をついた。
「で、その後どうなったの?」
「宣言通りに伊織が散々篠原をしごきまくって、最後はふたりとも課題のダンスを完璧にこなしていました」
 呼ばれた事務所でこうして報告をしていると、まるで寺尾に雇われたスパイのような気分になる。特に伊織絡みで何か揉め事があった場合、事情を聞かれるのは何故かいつも俺だ。
 確かに伊織とはすっかり深い仲になっているが、保護者ではない。
 今日のレッスンが終わる頃、珍しく息切れをして疲れた様子の伊織のそばで、篠原は壁にもたれながらぐったりと座り込んでいた。身軽な伊織の細かい動きに、背のでかい篠原がついていくのは難しかったようだ。伊織から篠原への怒声が何度も上がり、常に研究生達の注目を集めていた。
「伊織はねえ……あのきつい性格と、協調性の無さには本当に困ってるの。アイちゃんも手を焼いてたみたいだしね」
「前から思ってたんですけど、寺尾さんって伊織のこと嫌いなんですか?」
「別に嫌いじゃないわよ、研究生の中では1番人気の稼ぎ頭だしね。たっぷり儲けさせてくれるもの」
 それだけですか、と言いそうになった。寺尾は伊織の人気や実力は認めているが、性格は好みではないようだ。確かに俺も伊織の第一印象は最悪で、関わりたくないと思ったくらいなので気持ちは分かる。
「みいちゃん、アイドルってのはね別に完璧じゃなくてもいいのよ。応援してあげたい、支えてあげたいってファンに思わせることが大切なの」
「でも、あいつはすげえ人気ありますよ」
「今は良くても、歳を取っていけば通用しなくなるわ。周囲に上手く溶け込む努力をしないと」
 卒業した藍川も、最後まで伊織を気にしていた。藍川は新しいキャプテンではなく俺に伊織を託すようなことを、前にかかってきた電話で言っていた。
 真鍋は伊織が苦手なようで関わろうとしないし、逆に伊織も真鍋を明らかに眼中に入れていない。藍川がキャプテンだった時のような信頼関係は全く見えてこないのが現状だ。キャリアの長さ以外に、真鍋が任命された理由が全く分からない。
 そもそも寺尾は、いかにも問題児な伊織の加入にはあまり乗り気ではなかったらしい。しかしプロデューサーの夏本が伊織をかなり気に入ったようで、寺尾の反対を強引に押し切る形で加入が決まったという。
 昔、素人の女子高生や女子大生を集めた大人数アイドルグループを手掛けて成功させた実績を持つ夏本は、寺尾ほどではないがそれなりの発言力は持っているようだ。
 夏本といえばスカウト後の『最終面接』で初めて顔を合わせた時、俺のゲイ男優の過去を知っても嫌悪感は特に示さず、夏本からの反応は「ふーん、なるほどね」の一言だけだった。意外なほどあっさり流されて、拍子抜けしたのをよく覚えている。
「ま、いつの間にかお揃いの指輪までしてる誰かさんが、伊織を教育してあげればいいんじゃないかしら?」
「俺のことですか」
「いやーね、今の若い子はほんとにもう恐れ知らずっていうか、何ていうのかしらね」
 呆れたように大げさに肩をすくめて見せる寺尾に、俺は苦笑いするしかなかった。




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