俺とアヤが出演しているドラマ「薔薇の棺」の初回視聴率は、深夜のアイドル枠と呼ばれる時間帯にしてはかなり健闘していると言われた。しかし初回は様子見も兼ねて観る層もいるので、2話以降がどうなるのかが重要だ。
 1話目だけで切った視聴者が再び戻ってくることはない。


***


 ドラマ撮影の休憩中、自販機で缶コーヒーを買った俺の背後にはいつの間にかアヤが立っていた。ビビるくらいの至近距離でも完全に気配を消していて、まるで忍者だ。
「私も、コーヒー」
 自販機に向かってそう呟きながらアヤは投入口に小銭を入れて、俺とは違う種類の缶コーヒーのボタンを押した。執事の格好をした俺と、鮮やかな赤い着物姿のアヤが揃って缶コーヒーを買って飲む。ある意味面白い光景だ。
 廊下にある長椅子に並んで腰掛け、少しの間お互いに無言だったがやがてアヤが話を切り出した。
「私、水無瀬さん達の公演を観に行きます」
「へえ……いつ来るんだ?」
「明日の夜公演です」
 アヤがきっぱりと口にしたその日程は、俺が伊織の代わりにセンターを務める日だ。
 そして俺のポジションには篠原が入る。新人の篠原にとっては初めてステージに立つ、大切な日だ。
 毎日スタジオで自主練をする篠原を見て俺なりにアドバイスを送ろうとしても、まともに聞き入れてもらえない。無節操な男好きという誤解に加えて、更に偉そうだと思われているのか。とにかく理由は分からないが、俺は篠原に嫌われているようだ。
「寺尾さんが、明日の夜公演は是非私に観てもらいたいと言ってました」
「何で……?」
「水無瀬さんが、伊織さんの代わりにセンターをやるそうですね。私も興味があります」
 以前、寺尾が招待されていたシトラスのライブに色々あって俺が代わりに行くことになった。そこで俺は、アンコールの頃にはまともに立てないほど疲労していたアヤが、曲が始まった瞬間に笑顔で踊り出したのを最前列で見た。
 俺達研究生とは違い、歌もパフォーマンスも全てがまさにプロだった。特にセンターであるアヤは、アイドルになるために大きな代償を支払って今の地位にいるのだ。そんなアヤが、今度は俺達の公演に来る。
「撮影を重ねるごとに、水無瀬さんは演技に磨きがかかっている。私も油断できないくらいに」
「いや、でも俺よりあんたのほうがずっと役になりきってるよ。NGもほぼ出さねえし」
「でも私達の本業はステージの上で歌うアイドル。水無瀬さん、あなたのアイドルとしての技量を計れるのは、グループは違っても私と同じ立ち位置つまりセンター! そこしかない!」
 急に強い口調で言い切ったアヤの表情は、今まで見たことのない迫力があった。正面から俺を見据える目には、恐ろしい鋭さが宿っている。普段まるで電源が切れている機械のように静かなのは、いざという時に本気を出すためなのかもしれない。
 俺は研究生になってからずっと、センターはただ真ん中で踊るだけの役目だと思っていた。しかし初めて伊織の代役を任された時に短期間で振りを入れて、そしてリハーサルで他の研究生達と踊ってみて気付いた。センターとはグループの顔として後のメンバーを率いる、重要な存在であると。
 俺達の中では伊織が、シトラスではアヤがその大役を常に背負っている。
「そろそろ撮影再開です、行きましょう」
 心が鎮まらない俺をよそに、アヤは長椅子から立ち上がりスタジオに向かって行った。


***


『プレッシャーなんか感じてるわけないじゃん! 後ろで踊ってる奴らみんなが僕の引き立て役! センター最高だね!』
 こいつに改めて聞いたのが間違いだった。俺は得意気に語る伊織を適当にあしらい、電話を切ろうとしたが引き止められた。
 バラエティ番組の収録でホテルに泊まっている伊織に、明日の夜公演について良いアドバイスがもらえればと思い電話をかけたのだ。今まで以上に失敗できない公演なので、不安だった。
『僕の声が聞きたかったんじゃないの?』
「そんなベッタベタな理由で電話したんじゃねえよ」
『まあ、水無瀬にはそういうの全然期待してないけどさ。それにしてもわざわざ水無瀬がセンターの時にアヤを招待するなんて、寺尾さんも何を企んでんだか』
「自分のとこの研究生公演を見せたいだけなら、お前がセンターの時に呼んだほうがいいよな」
『確かに僕が出る公演のほうが見栄えもいいし盛り上がるけどさ。それとは別の目的なんだろ、きっと』
 こんな話をしているとますます緊張してきた。あの寺尾が何の考えもなしに、明日の夜公演のタイミングでアヤを呼ぶはずがない。伊織も明日は朝から仕事みたいだし、俺も公演に備えて早めに寝たい。
『あのさ、水無瀬は今の研究生ってか、キャプテン……』
「え?」
『何でもない! おやすみ!』
 途中まで言いかけて、伊織は急に電話を切ってしまった。何なんだ一体。
 やっぱり伊織も、今のキャプテンについて思うことがあるんだろうか。


***


 翌日の夕方、夜公演に向けたリハーサルの後で俺は篠原と階段ですれ違った。俺を見るなり不愉快そうに眉根を寄せて、相変わらず愛想は良くない。
「よりによって俺があんたの穴埋めとはね……」
「お前がとにかく俺を嫌いなのは分かったから、そうやって露骨に不満垂れ流すのやめろよ」
 なるべく冷静に対応しようと思っていたが、俺に対してはずっとこんな調子なのでさすがに苛立ってきた。
 俺に1曲だけセンターを奪われた時の伊織とは違う種類の、もっと根深い悪意を感じる。
「スキャンダルを踏み台にして有名になるような図々しい先輩の、どこを尊敬すればいいんですか」
「尊敬しろなんて言ってねえよ、お前の勝手な思い込みだ」
 俺は後輩の良い手本になるとは思っていない、むしろ反面教師のほうが近い気がする。
 ゲイ男優からこうしてアイドルになった俺は、過去を世間に知られてから色々なところで偏見の目を向けられる。そんな中で俺にできるのは、アイドルとして堂々と仕事をすることだけだ。反応していたらキリがない。
 自分が男しか愛せないゲイであることは事実で、そういう方面の男優をやっていた過去も後悔はしていない。前と変わらずに応援してくれている人や、最近ファンになったという人もいる。そんな気持ちには全力で応えていきたいと思う。伊織みたいな王道路線のアイドルにはなれそうにないが。
 篠原は無言でため息をつくと、ポケットからスマホを取り出していじり始めた。もう何を言っても無駄かと思った時、足元をよく見ていなかったらしい篠原が階段を踏み外し、バランスを崩した身体が傾いた。
 俺はとっさに腕を伸ばし、篠原の頭や身体を守るようにしがみついた。2人で一緒に階段を転がり落ち、その音を聞きつけたらしいスタッフが周りに次々と集まってくる。
 何とか守りきった篠原より先に起き上がろうとした俺の右足を、どこかで捻ったらしく強い痛みが襲った。
「水無瀬くん、大丈夫?」
「すみません、痛み止めとテーピングお願いします」
「その足で公演出る気!?」
 捻った右足を押さえている俺に、駆け寄ってきた女性スタッフが驚きの声を上げた。
 公演が始まる30分前、俺は応急処置のためにスタッフに肩を借りながら移動する。
 今日はキャプテンの真鍋がいない。正直言うと、もしいたところでこの状況がどうにかなるとは思えないが。そんな中で篠原が初めてステージに立ち、そしてあのアヤが観に来る。
 この公演、センターの俺が欠けるわけにはいかない。何がなんでも成功させてみせる。


***


 幕が開いたステージの上で眩しく熱い照明を浴びれば、俺はアイドルになる。
 伊織の代役はあれから何度かやっているので、振り付けはもう完全に頭に入っていて周りとも動きを合わせることができる。しかしそれは身体の調子が良い時だ。痛み止めを飲んでテーピングをしても、それは応急処置にすぎない。笑顔でごまかしているが、動くたびに右足に激しい痛みを感じる。
 客席のずっと奥、入口付近の壁にはアヤが背を預けて立っている。他の観客はステージに集中していてアヤの存在には気付かない。
 俺は歌でもダンスでも、アヤの足元にも及ばない。世間での知名度や人気も段違いだ。それでもステージでの熱意は負けていないと信じている。
 アヤの中に今も存在し続けている望月貴也も、今は俺を見ているんだろう? 俺はお前から見て、恥ずかしくないパフォーマンスができているか? 俺の足が何ともなかったら、もっとすげえやつ見せてやれたんだけど、今更こんなこと言っても仕方ないよな。
 荒削りでも全力で踊る俺の姿、最後まで目に焼き付けてくれよ。


***


 3曲目が終わり、ステージには次に披露する曲のユニットメンバーが残って数分のトーク、そして曲に入る。それが終われば次は、いつもなら俺がセンターを務めている唯一の曲だ。
 今日は俺のポジションに入っている篠原がセンターで歌う。新人には荷が重いという意見もあったが、お披露目にはちょうど良いという寺尾の一言で変更は無しになった。
 ステージ裏で別の衣装に着替えている間、俺の横にいる篠原が衣装を手にして立ったまま動かない。
「どうした、篠原」
「……っ、思い出せない、俺の振り付けが……急に分からなく」
 青ざめた篠原の、まだ身に着けていない衣装を持つ手が震えていた。今までこんな状態の篠原は見たことがない。異変を感じて周りに集まってきた他の研究生達も、今の篠原に動揺し始めた。
「おいどうすんだよ、センターが振り付け忘れるなんて! 出番まで時間ねーぞ!」
「水無瀬のアドバイス散々蹴っておいてこのザマかよ」
「こうなったら、水無瀬と篠原のポジ交代して……」
 次の曲まで1分です、というスタッフの声が聞こえた。研究生達のざわめきの中、篠原は更に震えが止まらなくなっている。同じ歳の伊織が並外れているだけで、少し前までは素人だった16歳の篠原がこんな状況で冷静に立ち回れるわけがない。
「篠原、振り付け全部忘れちまったのか?」
「サビの部分だけなら分かります……でもそれ以外は真っ白で」
「充分だ」
 俺は篠原の背中を軽く叩くと、研究生達のほうへ向き直る。曲の中で篠原の左右斜め後ろに立つのは俺と、藤村という先輩メンバーだ。実は俺がこの曲でセンターになった時に嫌がらせをしてきた先輩だが、今は和解している。
「藤村さん、俺達の立ち位置少し変更します!」
「え、俺?」
「篠原はこのままセンターで行きます、俺と藤村さんで協力すれば問題なくカバーできる!」
 曲が始まるぎりぎりまで打ち合わせをしている最中、俺達の中に流れていた重い空気がいつの間にか薄れて消えていた。




8→

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