『水無瀬先輩はいつから、どうして伊織先輩を好きになったんですか』
 篠原のお披露目公演が終わった後、右足の痛みが酷くなった俺に肩を貸してくれたのは篠原だった。楽屋から事務所が手配してくれた車まで、俺は篠原に支えられながら歩く。
 公演前まではあれほど俺を嫌っていたので、この展開が信じられなかった。篠原が自分から俺を車まで連れて行くと宣言した時は、楽屋にいた先輩研究生達もかなり驚いていた。篠原は長身で、更に体格もしっかりしていることがこうしているとよく分かる。
『好き、ってどういう意味で?』
『ロッカールームでキスまでしておいて、今更とぼける気ですか』
 いつかのあれを見られていたと思うと、耳まで熱くなる。
 もしかして会話まで聞かれていたのか? 劇場の中でまずい話は、少なくとも俺からは控えているはずだが、急に不安になった。
『俺は最初、あいつのことが大嫌いだった。考え方も何もかも合わないし、人をバカにした偉そうな態度が気に食わなかった。あいつを理解してやるのは一生無理だと思ってたんだよ』
『確かにあの人は浮いてますからね、研究生の中でも』
『……俺の過去が雑誌に載る前くらいに、あんなに自信満々だった伊織が、大切な仕事で失敗してへこんでたんだ。誰もいない場所で小さくなって、暗い目をして。ほっとけなくて、何とかしてやりたかった』
『それって、ただの自己満足じゃないですか。水無瀬先輩はかわいそうな人間に手を差し伸べた自分に酔っているだけ。伊織先輩が哀れですね』
『い、いや……確かにあの時のあいつはかわいそうだと思ったよ。でも本当にそれだけじゃねえんだ。同情だけでこんな気持ちになんか、俺は……』
 最悪なことに、矢野と別れて以来溜まっていた性欲が抑えられなかった。告白して付き合ったわけでもないのに、不意打ちのキスに負けた俺は結局伊織を家に連れ込んで、挿入する直前までいってしまった。
 ベッドの上で俺にしがみついていた伊織が、本当に可愛いと思った。もし、映画の役を降板させられた伊織を気にして会いに行かなかったら、あいつがあんなに甘い声で喘ぐことも、意外に健気で一途な部分も俺は何も知らないままだった。
 俺は初めて抱いたあの時から、少しずつ伊織を好きになっていたのかもしれない。
 眉間に皺を寄せてこちらを見ている篠原に気付いて、俺は我に返った。
『大体分かりました、もういいです』
『えっ?』
『ゲイのノロケ話聞いてるの、そろそろきついです。俺そういう趣味ないんで』


***


 出掛ける支度をして、俺はドラマの撮影が行われるスタジオへ向かった。今日は「薔薇の棺」を全て撮り終える日であり、俺の20回目の誕生日でもあった。
 ゲイ男優だった過去が世間に知られてから故郷の友達とは一切連絡を取っていないし、向こうからもメールや電話は来ていない。それより気になるのは、両親に電話をかけても通じないことだった。共働きなので忙しいのかもしれないが、いつ電話をかけても出ないのはおかしい。ずっと不安に思いながらも、まとまった休みがなかなか取れないので、直接様子を見に行くこともできずにいた。
 到着したスタジオの廊下で、アヤと顔を合わせた。
「今日で撮影、最後だな」
「はい、そうですね」
「ところで、この前の公演観に来てたよな。どうだった?」
「……正直に言っても、いいですか」
 淡々とそう言われて嫌な予感がしたが、自分から感想を求めた以上は拒めない。俺が頷いた途端に恐怖の時間が始まった。
「水無瀬さんは勢いだけで踊っているせいで、身体全体の動きが激しすぎます。振り付けは合っているのかもしれないけど、目が追い切れなくて見ていて疲れます」
「え、ああ……」
「それから公演曲全て、あなたは同じ表情で踊っていましたね。俺はこんなに頑張っていますという必死さが常に出ていて、暑苦しいです」
 アヤが無表情で俺にぶつけてくる指摘が胸に突き刺さり、これから撮影なのに挫けそうになった。やっぱりプロのアヤから見れば、俺はまだ素人だ。
 前に観に行ったシトラスのライブで、アヤは曲の雰囲気に合わせて表情も動き方も変えていたし、俺のような必死さも暑苦しさも感じさせなかった。俺達研究生の中で、まともにアヤと勝負できるのは伊織くらいだ。
「でも、サビで違う方がセンターになった5曲目あたりから、全員の一体感が増した。気持ちをひとつにしてステージを作り上げている、そんな気がしました」
 5曲目は篠原がセンターで歌った曲だ。直前で篠原が振り付けを忘れてしまうという緊急事態はあったが、俺の思いつきで何とか乗り越えた。あれは俺を信じてくれた、皆の協力があってこそ上手く行ったと思っている。
 俺自身に対する評価は散々だったが、最後に良い感想を引き出せたので安心した。


***


 瀕死の俺を抱きかかえたアヤが、正気を失って叫ぶというシーンの撮影で俺は薄目を開けたまま凍りついた。台詞がなくて良かったと心底思った。
 スタジオ中に響き渡るようなアヤの叫び声は、ただ大声を張り上げているだけではない。目を見開いてまるで本当に気が狂ったかのように、愛する執事を失いかけている主人公の佐和子を演じていた。
 寒気がしたと同時に、俺は絶望する。歌やパフォーマンスだけでも天地の差があるのに、本職ではない演技でも圧倒されているというこの現実。
 完全に飲まれた。俺の完敗だ。そう思いながら、脚本通りにアヤの腕の中で目を閉じた。


***


 撮影が終わってバス停に向かう最中、伊織から電話がきた。俺がドラマの撮影をしていたこの日、伊織は再び違う仕事で遠くに行っている。できれば今日は2人で過ごしたかったが、こればかりは仕方がない。
 確か今回は、2冊目の写真集の撮影だと聞いた。伊織は女の子受けするあの外見だから、グラビアの仕事が多い。俺のほうはビジュアル面にはそれほど期待されていないようで、そっち系の仕事は来ない。別にいいけど……。
『……撮影今日で終わったんだよね、お疲れ様』
「ああ、ありがとな」
『それから誕生日、おめでとう。会えないのは残念だけど、別の日にお祝いしてあげるからさ。だから……キスしてよ』
 電話の向こうから、伊織が無茶なことを言い出した。会ってもいないのに、電話でどうやってキスするのか俺には思いつかない。俺の困り具合が伝わったのか、呆れたようなため息が聞こえてきた。
『キスの音だけ聞かせてくれれば、勝手に想像するよ……ちゅっ、てさ』
「お前、言ってて恥ずかしくねえの……」
『うっ、うるさいな! ちょっとくらいサービスしてくれたっていいだろ! 僕は疲れてるんだ!』
 俺の誕生日に、何で俺が伊織にサービスしなきゃいけないのかと思ったが、幸い人通りの少ない夜道なので周囲の様子を窺いながら、俺は通話口に向けてそれっぽい音を立てて聞かせた。ああ、何やってんだ俺。
 さっきのため息とは違う、伊織のかすかな呼吸の音が繰り返し聞こえてくる。数秒の沈黙に胸がざわめく。
『……想像、しちゃった。水無瀬とのキス』
 それを聞いて俺まで同じ想像をしてしまい、恥ずかしくなってきた。実際にキスするよりずっと勇気を振り絞った。伊織とはもっとすごいこともしてきたのに、今更こんな気持ちになるとは思わなかった。


***


 バスを降りてアパートに着いた頃、矢野からメールが届いた。
 開いた画面に表示されたのは『20歳の誕生日おめでとう』という、たった一言だけ。セフレだった頃から矢野は、あまり長々としたメールは書かない男だった。単にスマホをまだ使いこなせていないだけかもしれないが、矢野自身もそれほど口数は多くないので、こういうところにも本人の性格が出るのかと思う。
 身体の関係がなくなっても、矢野はこうして俺を気遣ってくれている。早速返事を打とうとした時、何故か浮かんできた涙が止まらなかった。
 矢野に未練があるからではなく、アイドルとしても人間としても何の取り柄もない俺を支えてくれる人達がいることが、本当に嬉しかったのだ。




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