『伊織、お前の指輪買いに行くぞ』
 僕達研究生のデビュー曲のCDが発売される前日、夜公演を終えた後で水無瀬に突然そう言われた。
 確かにこの後は仕事入ってないから大丈夫だけど、いきなりだったので僕は着替え中の手を止めてしまった。しかも周りの研究生に聞こえないように耳元で囁かれたから、どきっとした。
 この前僕が水無瀬のアパートに押しかけた時は夜遅かったせいで、いつも間にか用意されてたアナルビーズでエッチして盛り上がって終わった。水無瀬も単独の仕事で忙しいみたいだし、指輪はもう少し先かなと思ってたよ。
『ネットで色々探してたら、前のとそっくりなやつ見つけたんだ』
『ほんと? じゃあ行こうよ』
 着替えて劇場を出た僕達は、早速タクシーに乗ってデパートに向かった。閉店まで後20分というこの時間、他のお客さんはほとんど店を出ているので僕達が歩いていてもそれほど騒がれなかった。
 ここのアクセサリー売り場かなと思ってた僕の予想は外れて、水無瀬は同じ階にある某海外ブランドの店に入っていった。
『え、ちょっと、本気でこのお店なの!?』
『伊織ほどじゃねえけど、俺も前よりは稼げるようになったからさ。金なら大丈夫だよ』
 心配する僕に対して水無瀬はやけに自信満々で、もはや何を言ってもダメっぽい。ここは年上の顔を立てて、全部任せるしかないか。
 ガラスケース越しに水無瀬が僕に見せたのは、前に僕達が一緒に買って贈り合ったものとそっくりな指輪だった。飾り気のないシンプルなものだし、デザインだけなら似たものはどこにでも売ってる。デザインだけなら。
 水無瀬は満面の笑みで店員を呼んで、例の指輪をガラスケースから出してもらう。プレゼントで! と店員に伝えた後で、肝心の指輪の値段を告げられた水無瀬は、2つ折りの財布から万札を1枚出したところで凍りついた。どうやらネットで調べた時に、値段を1桁読み間違えていたみたいだ。
 ああー、やっぱりこうなったよ……だから大丈夫なのかどうか確認したのに。いくら何でも間抜けすぎるよ。
 散々格好つけてた反動で放心してしまった水無瀬を何とか店の外に連れていくと、僕は大きなため息をつく。
『水無瀬、あのお店の指輪は1万円じゃ買えないよ』
『宝石もついてない指輪が10万とか……マジかよ、はあ……』
 あのブランドの相場が分かっていればそんなミス絶対しないはずだ。それに質のいいものなら、宝石がついてなくたってそれなりに高いんだよ。水無瀬はブランドに疎いからね……。
『僕はまだ16歳だし、そんな高い指輪もらっても困るよ。10年後くらいならいいけどね』
 さりげなく水無瀬との10年先の未来を予約した。ずっと僕のそばにいて守るって両親に誓ってくれたし、言わなくても分かってるよね?
 さっきの店を出た後でアクセサリー売り場に寄ると、僕は偶然目に留まった指輪を手に取った。これも前のと似てるし、水無瀬が持ってる1万円でお釣りが来る手頃な値段だ。
『ねえ、僕この指輪がいいな』
『それにするのか?』
『せっかくだから水無瀬も新しいの一緒に買わない? それ色褪せてるよ』
 水無瀬の指輪は前に僕が贈ったものだけど、あれからだいぶ経つしもう綺麗とは言えない状態だ。僕が自分の指輪を失くしてからも水無瀬はずっと着けているから。
『いや、俺はこれでいいんだ』
 水無瀬はそう言うと優しい目をしながら、自分の左手薬指をそっと撫でた。まるで僕自身がそうされたみたいで、頬が熱くなる。
 そしてほぼお揃いの新しい指輪を再び贈られた、これでもう心細い気持ちにならなくて済むんだ。子供の結婚ごっこだとかバカにされたって構わない。僕はいつでも水無瀬を感じていたいんだよ。


***


 大きなガラス窓の向こうで呼吸器をつけられた水無瀬が、ベッドで眠っている。怪我をしたらしい頭には包帯が巻かれていた。
 僕を叱って、抱き締めて、キスをしてくれた水無瀬がこんなにも遠く感じる。僕はここにいるのに、どうして目を覚まさないの?
 グラビア撮影の後で駆け寄ってきたマネージャーから水無瀬の事故の件を聞いた僕は、混乱したままスタジオからこの病院に向かった。今日の仕事はさっきので終わりだったから、すぐに来ることができた。
 僕が着いた頃にはもうここにいた寺尾さんが、ガラス越しに水無瀬を見つめている。
「みいちゃんが乗っていたタクシー、酔っ払い運転の車と衝突したの。タクシーの運転手は亡くなったそうよ」
「水無瀬は……まさかこのままじゃないですよね?」
「いつ目が覚めるかは、分からないわ。せっかくお仕事も軌道に乗ってきたのにね」
 まだ頭の中がぐちゃぐちゃな僕は、急にあふれてきた涙を止められないまま寺尾さんの大きな身体にしがみついた。眠り続ける水無瀬はこのまま寺尾さんに見放されて解雇になってしまうんじゃないかって、そう思って怖くなった。
「寺尾さん、水無瀬をクビにしないでください! アイドルのままでいさせて!」
「え、アタシは別にみいちゃんを解雇するつもりは……」
「僕が水無瀬の分まで一生懸命働きますから! お願いします!」
 寺尾さんは僕の言葉を聞いて急に険しい顔をすると、しがみついていた僕の両肩を掴んで押し返した。
「アンタ、今だってテレビやラジオのレギュラー仕事抱えてスケジュール埋まってんのに、どうやってみいちゃんの分まで働くつもり!? あの子の代わりにアンタが研究生のキャプテンもやるってこと? よくいるのよね、そうやって出来もしない綺麗事並べて自分に酔ってる人。虫酸が走るわ!」
 いつも冷静な寺尾さんが珍しく取り乱している。歌もダンスも素人で見下されていた水無瀬が、今では研究生を率いるキャプテンになった。加入したばかりの頃から水無瀬には特別な可能性を感じていた、寺尾さんの狙い通りに。
 これからは更に、水無瀬が研究生の枠を超えて活躍できるように推していくつもりだった。だからこそ、社長として公の場所では出せない濁流のような感情を僕にぶつけているんだ。
「綺麗事なんかじゃなくて、水無瀬のために出来ることをしたいんです。僕はずっと、水無瀬に支えてもらっていたからここまで頑張れた……だから」
 映画の役が降板になった時も、センター争奪戦の最終日に僕と篠原以外の研究生が来なくて、公演が中止になりかけた時も。水無瀬が僕を助けてくれた。数えきれないくらいたくさんのものを貰ったから、その恩返しをしたかった。今がその時なんだ。
 しばらくの沈黙の後、寺尾さんは涙が止まらないままの僕の名前を呼んだ。
「伊織、そこまで言うならアンタがみいちゃんの入院費を払いなさい。いつ目が覚めるか分からないみいちゃんの命を、全てを背負って働くのよ。学費や家賃も自腹で出してるアンタにそれができるかしら? さっきのが口だけじゃないってこと、アタシに証明してごらんなさいよ」
「やります! 僕が水無瀬の入院費も払います!」
 何も迷う理由はなかった。水無瀬の入院費を出すために今よりスケジュールがきつくなっても構わない。どんな仕事だってやる。
 もう僕は、水無瀬に助けてもらってばかりの子供じゃないんだ。


***


 水無瀬が昏睡状態だというニュースはテレビやネットを通じて広まり、ファンも研究生達も動揺していた。それでも公演は予定通り行われ、僕達は前よりも更に力を合わせて劇場を守った。ファンの心の支えになれるのは、水無瀬の仲間である僕達しかいない。
 そして水無瀬がいない間も、キャプテンの代理は立てていない。今の研究生の中で、水無瀬以外のキャプテンは考えられなかったからだ。僕は代理なんかいらないくらい早く、水無瀬が目を覚ましてくれると信じているから。
 この日の夜公演最後のMCで、「ファンの皆さんへのお知らせ」として僕が告知した仕事に、客席は騒然となった。
 水無瀬のために働くと決意した僕に寺尾さんが持ってきた仕事は、初めてのセミヌードを含んだ写真集だった。今まで僕が仕事で着た衣装はどれも肌の露出を最低限に抑えたもので、アイドルの仕事では珍しくない水着グラビアすら事務所からNGが出ていた。
 それは全て、寺尾さんが出す頃合いを見計らっていた僕のセミヌード写真集のためだったと、この前初めて聞かされた。
 僕の写真集もこれで3冊目になるし、今までと同じような方向性じゃ熱心なファンからも飽きられてしまう。水無瀬のことがなくても、ここで少し路線を変えるのもいいかもしれない。肌の露出が解禁になれば今までより仕事の幅も広がる。


 最後まで頑張るから見守っていてよ、水無瀬。




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