夜公演が終わった後、僕は寺尾さんから電話で呼び出しを受けて事務所へ向かう。隅にある来客スペースのソファには寺尾さんが、大きな身体を沈めて僕を待っていた。
 挨拶をした僕は促されるままに寺尾さんの向かいにあるソファに腰掛ける。寺尾さんはさっきから口数がやけに少ないし、何だか妙な雰囲気だった。
「ねえ伊織、みいちゃんと今付き合ってるのってアンタよね?」
 真顔で問われて僕は言葉を失う。僕達の関係がバレているのはもう承知だけど、それを今ここで改めて確認されるとは思わなかった。しかもその言い方だと、反対されているわけではなさそうだ。
「はい」
「そう。じゃあこの写真の、渋くて素敵な彼とみいちゃんはもう何でもないのね?」
 寺尾さんは僕が来る前から、ローテーブルに伏せていた四角い何かを捲って僕に見せた。それは運転席の矢野さんと、助手席に乗っている水無瀬のツーショット写真だった。
 しかもラブホテルの駐車場から車で出てくるところがしっかり写っている。隅に印字されている日付はだいぶ前で、水無瀬が研究生として加入してすぐ辺りだ。この頃の水無瀬と僕は、まだ険悪な関係だった。
「これ、誰が撮ったんですか」
「前に、週刊文冬(ぶんとう)の記者がアタシのところに持ってきたのよ」
 それを聞いて僕は唇を噛んだ。水無瀬のセフレだった矢野さんは、こういう写真を撮られて水無瀬が困らないように別れを告げて身を引いた。なのに記者はそれより早く矢野さんと水無瀬の関係を嗅ぎつけて、これを撮ったんだ。
 矢野さんは厚生省で働いてる公務員だ。そんなお堅い職業の人が未成年の男と、なんて面白おかしく記事にされてしまうに違いない。
「記者はこの写真と、みいちゃんがゲイビ男優だった頃の画像を持ってきて、どちらかをスクープとして雑誌に載せると言ってきたわ。それでアタシは考えたの。叩かれても騒がれてもみいちゃんにはアタシがいるけど、一般人の彼のほうは誰も守ってくれない。だからね、みいちゃん1人を犠牲に……って言い方はあれだけど、アタシはみいちゃんの過去記事のほうを通したのよ」
 記事になるなら加入後の矢野さんとの関係よりも、加入前のゲイビデオ男優の過去のほうが、矢野さんを巻き込まない分だけ騒ぎを最小限に抑えられる。結果、矢野さんと水無瀬の写真はこうして寺尾さんの手に渡って、世間の目に晒されることはなかった。
 もし矢野さんが、アイドルになった水無瀬のことを何も考えずに付き合いを続けるような人だったら、僕は寺尾さんの判断は甘いと感じたかもしれない。でも実際はそんな人じゃなかったから、僕も納得できた。
 どちらの記事が出ても水無瀬が叩かれるのは一緒だけど、片方を必ず選ばなきゃいけないなら仕方がない。
「アタシはもしみいちゃんの過去が世間にバレても、最初からクビにするつもりはなかったの。ゲイのみいちゃんを男だけの研究生に混ぜるってことで、ハメをはずさないように釘を刺しただけよ。それに加入前のことならまだしも、加入後のラブホはちょっとアタシでもフォローが難しいのよねえ」
 確か『加入前の活動については、違法行為以外は不問にする』っていう発表をして、謹慎処分を受けていた水無瀬を復帰させたんだっけ。あの処分は、世間に対する表向きのケジメだったのか。
 水無瀬がゲイビデオの男優やってたの知っててスカウトしたくせに、ゲイがバレたらクビだなんておかしいと思ってたよ。
「この話、みいちゃんには内緒よ。アタシと文冬で取引して、終わったことになってるんだから」
「……分かりました」
 揺るがない真実でも、知らない方がいいことだってあるんだ。もしこの写真の存在を水無瀬が知ったら、矢野さんまで一緒に撮られたことを気に病んでしまう。
 寺尾さんは改めて例の、矢野さんと水無瀬の写真を手に取って眺めるとため息をついた。
「それにしてもみいちゃんって、この時は良かったのにねえ。男のシュミ」
 えっ、それってどういう意味……?


***


 水無瀬、知ってた? カツアンドヤスのカツってテレビではあんなに叫びながら大暴れしてるのに、普段は口下手で大人しくて、突っ込み役のヤスのほうが社交的でよく喋るんだよ。
 今日、水無瀬も前にゲストで出たカツヤスSHOW!の収録があったんだけど、その時カツヤスの2人が水無瀬のこと心配してて、僕に今の状態とか色々聞いてたよ。復帰したらまた共演しようねって言ってた。
 一緒に北海道ロケに行く約束してるんだよね? レギュラー番組10本の人気コンビを待たせるなんて、水無瀬はとんでもない大物だよね。早く目を覚まさないと、置いて行かれるよ。
 まだ眠り続けている水無瀬を大きなガラス越しに見つめながら、僕は心の中から語りかける。
 水無瀬のいない生活に慣れたわけじゃない。研究生の誰とも打ち解けないまま過ごしてきた毎日が、もうずっと昔のことみたいに感じるよ。あの時の僕は研究生の活動なんかさっさと終わらせて、1日でも早く俳優としてデビューしたかった。劇場公演の仕事しかないくせに、僕よりも歌やダンスの覚えが悪い奴らと同じステージに立つなんてバカバカしいって本気で思ってたんだ。
 でも水無瀬が現れてからは、僕のペースは狂いっぱなし。いきなり公演でのセンターは奪うし、僕に説教するし、強引にキスまでして……大したイケメンでもなくて歌もダンスも素人のくせに、他の研究生達にはない強烈な存在感を放つ水無瀬は、僕の心をがっちりと掴んで揺さぶった。
 水無瀬に出会ったのは運命だった。今でも僕はそう信じている。


***


『朝が来るまで、一緒にいよう』
 そんなキャッチコピーが添えられた僕の新しい写真集「土曜の夜、日曜の朝」は、新聞の全面広告、街頭の巨大ビジョン、そしてテレビのCM……発売日の今日まで、あらゆるメディアを使って告知された。
 今までの写真集とは比べ物にならないほどの派手なプロモーションに、僕まで圧倒されてしまった。ここまでしてもらって、もし売れなかったらっていう僕らしくない弱気なことを考えてしまうくらいだ。どのくらい予約が入っているかも、今回はあえて聞いていない。
 今回の写真集は水無瀬の分まで稼ぐために引き受けたものだけど、同時に僕の転機とも言える仕事だ。これまで肌の露出を抑えてきた僕が脱ぐことに抵抗を感じて、離れていくファンがいるかもしれない。でも僕だって男なんだよ、いつまでも『女の子みたいに可愛い伊織くん』ではいたくない。
 水無瀬みたいに腹筋は割れてないけど、アイドルとしてファンに見せられるレベルには達してると思うよ。身体は細くてもダンスのレッスンで鍛えてきたからね。
 初日の売り上げが発表されるのは明日の夜だ。ここまで来たらいい結果が出るように祈るしかない。


***


 次の日の夜に寺尾さんからかかってきた電話に、居ても立ってもいられなくなった僕はすぐに病院に向かった。
 今度はあの大きな窓ガラスがある部屋じゃなくて、普通の病室だ。エレベーターを待ちきれなくて階段を駆け上がって、教えてもらった病室に向かう。それでも一般病棟とは違う階にある個室だ。
 気持ちを落ち着かせながらゆっくり引き戸を開ける。すると中には寺尾さんと、そしてベッドから半身を起こしている水無瀬がいた。
「伊織……」
 こちらに気付いた水無瀬が驚いた顔で僕の名前を呼んだ。2ヶ月近く聞いていなかった懐かしいその声に、僕は入口に立ったまま涙を流していた。
 じゃあまた後で、と言い残して寺尾さんが病室を出た後、僕は我慢できなくて水無瀬のほうへと駆け寄ってその身体にしがみついた。記憶と同じように、温かい。
「み、みなせ……僕もう、水無瀬は目を覚まさないんじゃないかって思って、怖くて、つらくて」
「心配させちまったみたいだな、ごめん。ずっと寝てたせいであんまり上手く動けねえけど」
「大丈夫、ゆっくりでいいんだよ。何も心配しないで」
 2人きりになった病室で、僕の頭を優しく撫でる水無瀬の手が懐かしくて愛しくて、僕はしばらくの間このままで過ごした。水無瀬が目を覚ましたら伝えたいこと、聞いてほしいことがあったはずなのに、たくさんありすぎて思い出せないよ。


***


 病院に行く前、昨日発売された僕の写真集の初日売上がインターネットで発表された。
 強力なグラビアアイドル達の写真集やフォトブックを抑えての1位。大規模なプロモーションや、3種類の大型ポスターがランダムでついてくる特典のおかげもあるだろうけど、前作の倍以上売れていた。
 全国の書店や通販サイトではどこも売り切れか、品薄の状態らしい。嬉しいよ。
 これで水無瀬の入院費も大丈夫だよね。水無瀬への説明では、寺尾さんが入院費を立て替えたことになっている。本当のことは絶対に内緒にしてほしいって頼んであるからだ。
 数日後、復帰に向けてリハビリ中の水無瀬に例の写真集を見せに行った。これの存在自体はバレても構わないし、何よりも水無瀬の反応を見たかった。それに写真集の件では秘密にしていることがあっても、変に隠していた方が怪しまれるかもしれない。
 最後あたりのセミヌードまで来ると水無瀬は手を止めた。腰回りにタオルケットを被せて、この写真集を開いている「恋人」に向かって微笑んでいる僕の写真。タイトル通り、ページを最初からめくっていくと、土曜の夜から日曜の朝までの時間を僕と2人で過ごす気分を味わえるっていう構成になっている。これも制作に関わった女性スタッフが考えたものだ。
「どう? 綺麗に撮れてるでしょ」
「お前が仕事で脱ぐなんて初めてじゃねえのか」
「うん、でも新しいことに挑戦できて楽しかったよ。水無瀬がいない間に大人になった僕、抱きたくなった?」
「何が大人だよ、病室じゃ絶対しねえからな」
 水無瀬は呆れたように言うと、指先で僕の額を軽く押した。




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