「水無瀬の、濃いね」
 最近は劇場公演の他にもテレビの仕事も少しずつ増えてきていて、このアパートに帰ってくると抜く暇もなく倒れ込むように眠ってしまう。たまにハードスケジュールの時は帰ることもできず、移動中の車内や事務所のソファで眠る。
 前に共演したカツアンドヤスが俺を気に入ってくれたらしく、今度はお互いの故郷である北海道でのロケも計画されている。北海道と聞いて、失踪した両親をふいに思い出して胸が痛くなったが、毎日続く忙しさですぐに流されていった。
 俺より更に忙しい伊織とはなかなか会えない日々が続いていた。だからこうしてセックスをするのは本当に久し振りで、かなり溜まっていたようだ。いく直前で腰を引いて伊織の腹に飛び散らせた精液は、指摘された通りねっとりと濃いものだった。
 決して美味いものでもないのにそれを嬉しそうに味わう伊織は、まだ最中の余韻が残っているのかとろけそうな表情で俺を見つめる。妙に恥ずかしくなって思わず目を逸らしてしまう。
 本当は俺に攻められて恥じらう伊織を見てみたいが、かなり積極的で色々なプレイに興味を持つので叶いそうもない。俺の性器だけでなく、アナルビーズを挿入されたいと言われた時は驚いた。さすがに冗談だと思いたい。同じ道具でも、定番のバイブやローターを通り越していきなりそっちか。
「昔はゲイビデオの男優やってたのに、このくらいで恥ずかしくなっちゃうの?」
「あれは……仕事だから、別に」
「僕とのエッチは仕事じゃないもんね、だからそんなに意識するんだ? ふふっ……もっかい、する?」
「もう勃たねえって、今回はこれで終わり」
「ええーっ、せっかく会えたのに!」
 第2ラウンドを拒んだ途端に伊織はそれまでの余裕を消して拗ねた。こいつはどれだけセックスが好きなんだよ。
 伊織の新しい指輪をまた一緒に買いに行きたかったが、この調子だといつになるか分からなくなってきた。


***


 学園ドラマの生徒役は、新人俳優にとっての登竜門だ。台詞はなくても教室のシーンでは毎回テレビに映るし、そこから芽が出て大きな役を貰った俳優もたくさんいる。
 最近、今まで劇場公演以外の仕事がなかった研究生達が端役で学園ドラマに出る機会が巡ってきた。年頃も学生役にはちょうど良く、研究生達も初めてのドラマ出演に大喜びで張り切っている。
 以前なら伊織だけにオファーが集中していた仕事が、今では少しずつ他の皆にもまわってきていた。まるで何かに向けて、じわじわと動き始めたかのように。


***


 俺が1週間ぶりに出た夜公演は、珍しいことに伊織や篠原も揃っている。今日の公演は、普段よりチケットの抽選倍率が大きく跳ね上がったらしい。伊織が出るのでチケット代が1000円高くなっていても、その影響は全くない。更にモデルの仕事で、それまでアイドルに興味のなかった層にも研究生の存在をアピールしている篠原も出演するということで、今日の客席の盛り上がりはこちらが圧倒されそうなほど凄かった。
 最後の曲の前に入るMCの途中でマイクを持った寺尾が突然ステージに現れた。社長の寺尾がここに登場するということは、研究生全体にとっての重大な発表がある。俺達も観客もそれを分かっているので、緊張が走った。
 寺尾は観客に向けての挨拶を済ませると、
「ここで皆さまに発表がございます。寺尾プロダクション研究生全員で、この秋CDデビューが決定致しました」
 さらっとした調子で寺尾がそう言った直後に大きなざわめき、そして驚きの声が起こった。俺達はその名前の通りまだ研究生で、CDはプロとしてデビューした人間しか出せないものだと思っていた。
 それにCDを出すということは、歌番組にも出演する機会も与えられる、かもしれない。これがまさに、寺尾が前に言っていたシトラスと戦うための第一歩になる。
 今の時点で18人いる俺達研究生が全員で歌うのなら、もし歌番組に出る時はステージが大変な状態になるんじゃないのか。
 めったに感情を露わにしない篠原もさすがに呆然としていた。一方の伊織はやけに冷静にこの発表を受け入れていた。もしかしたら俺達より先に知っていたのだろうか。
 歌唱メンバーやポジションについては後日改めて発表すると伝えた後、寺尾はステージから去っていた。残された俺達は動揺したまま最後の曲を歌い、今日の公演は幕を閉じた。


***


『寺尾さんから発表があった時はビックリしたけど、すっごく嬉しかった! まだ詳しいことは分からないけど、みんな応援してね! みんなに支えられて僕は毎日頑張ってます☆』
 あの時の伊織はそれほど驚いたようには見えなかったが、俺が見抜けなかっただけか?
 研究生で唯一、公式の個人ブログを持っている伊織の投稿には早くも何百ものファンからのコメントがついていた。伊織はどんなに忙しくても、1日に1回は必ずこうして自撮り画像と共にブログを更新している。アイドルの鑑だ。
 公演の帰りに立ち寄ったバーのカウンター席で甘めの酒を飲んでいると、サラミやチーズが並べられた皿が目の前に置かれた。
「俺、頼んでないですよ」
「いいからいいから、俺からのお祝いだよ。CDの件、もうネットでも話題になってるぜ」
 カウンターの向こうから、バーテンの藤村がそう言った。夜はここでバイトをしながらダンススクールに通っている、俺の元先輩だ。
 藤村は歌声がいいので、あんなことがあって解雇になっていなければシングル曲でもボーカルのひとりとして活躍できたかもしれない。
「センター、誰になると思う?」
「それならきっと、普通に伊織になるんじゃないですか」
「いや、あの寺尾さんのことだから分かんねえぞ。伊織が今更センターになったところで、当たり前すぎて誰も驚かないだろ。公演でも散々見慣れてるんだし」
「まあ、そうですけど……」
 大切なデビュー曲で、いくら何でも寺尾が激しい冒険をするとは思わない。あまり知名度のないメンバーがセンターになる可能性は低いだろう。
 ガールズフェスタでセンターを務めた篠原なら考えられないこともないが、今でも篠原をあまり良く思っていない伊織がうるさそうだし、伊織を当然センターにと望んでいるファンも黙っていないはずだ。


***


 研究生のCDデビュー決定のニュースが全国に流れた翌日から、俺達に雑誌やテレビの取材が何件も舞い込んだ。研究生の中でも主に取材が集中するのは伊織と、そして篠原だ。
 劇場に通う研究生の濃いファンや、アイドルに詳しい評論家やライターの間では、いつか伊織が卒業した後のエース候補として篠原の名前が挙がっているらしい。
 誰が見ても伊織とは雰囲気も性格も正反対だが、『同じようなタイプを強引に祭り上げても、所詮伊織の劣化版にしかならない。それならあえて全く違う個性の持ち主がエースの座を継いだほうが良い』というある評論家の意見が、少し前に発売されたアイドル雑誌に載っていた。
 全ての決定権を持つ寺尾が次期エースについてどう考えているかは分からないが、近いうちに発表されるCDデビュー曲のセンターにその手掛かりが隠されているかもしれない。


***


「別に俺はセンターじゃなくても、どこだっていいです。立ち位置にこだわりはありません」
 劇場公演が終わった後で取材に訪れたテレビ局のリポーターに向かって、篠原はきっぱりとそう言った。
 確かに篠原はどうしても目立ちたい伊織とは違い、前列やセンターに対する欲が全くない。ガツガツしていないところがクールで良いというファンもいれば、やる気がない奴だと怒るアンチもいる。
 篠原がモデル仕事と並行してレッスンスタジオで遅くまで自主練する姿を見ている俺達研究生はともかく、淡々としていて努力を表に出さない篠原の言葉や振る舞いだけで、色々誤解している人間は大勢いるのだ。
「今日も絶好調だね、媚びない笑わない素っ気ない篠原ワールド」
 劇場ロビーで取材を受ける篠原を遠巻きに眺めていた俺の隣に、いつの間にか男が立っていた。小太りでメガネをかけた、スーツ姿の中年男。俺達研究生の公演曲全てを手掛ける音楽プロデューサー、夏本タダシだ。
 俺達だけではなく色々な歌手にも曲を書いているから暇人ではないはずの夏本は、たまにこうして劇場や事務所にふらりと現れては去って行く。まさに神出鬼没。
「あんな感じで、あいつこれから大丈夫ですかね」
「水無瀬くんの仕事は研究生達をまとめること、伊織の仕事は顔も歌もダンスも完璧なアイドルであること、そして篠原くんの仕事はクールなイケメンであること」
 俺の問いにそんな言葉を返してきた夏本は、更に続ける。
「あれだけ研究生がいるなら、ちょっと変わってる子がいてもいいんじゃない。伊織みたいなのがたくさんいても気持ち悪いしさ」
 じゃあね〜、と軽い調子で手を振りながら夏本は劇場を出て行った。


***


 今日の夜公演は普段ならアンコールで3曲くらい歌う時間を使い、CDデビュー曲の立ち位置が発表される。この日は出演予定ではなかった研究生も含めた18人全員がステージに上がり、端でマイクを持っている寺尾からの発表を待つ。
 寺尾の説明によると18人で1曲を歌うのではなく、CDのタイトル曲とカップリング曲の2つをそれぞれ約半数に分かれて歌うことになっているらしい。約半数、とあえて具体的な人数を濁したのが気になった。
 まずはタイトル曲、3列目で5人、続いて2列目の真ん中の位置で俺の名前が呼ばれた。観客の前で、呼ばれた順番に指定された立ち位置に並んでいくので、リアルタイムで観客からの反応がこちらにも伝わってくる。
2列目の3人が決定したところで、残っているのはあと1人……つまりこの曲の象徴となるセンターだ。ネットを始め、今日まで様々なところから注目されていたこの立ち位置。
 今の時点でまだ名前を呼ばれていない研究生が集まっている場所から、伊織のギラギラした強烈なオーラが漂ってくる。客席にいる伊織ファンも、祈るように両手を組みながらセンターの発表を見守っていた。
 今までよりも少し長く間を置いた後で、再び寺尾が口を開く。
「1列目センター、篠原」
 一瞬の沈黙の後、客席とステージ上の研究生達の間に動揺が走った。客席からは伊織ファンの悲鳴や泣き声が次々と上がり、ステージにいる研究生達も呆然としている。
 そしてプライドの高い伊織は自分がセンターとして名前を呼ばれる自信があったようで、観客の前でも構わずに床に両膝をついて項垂れた。前日かかってきた電話でも、『センターは絶対僕に決まってる』と言い切っていたこともあり、かなりのダメージを食らったようだ。
 そんな中でも篠原は表情ひとつ変えずに伊織のそばを通り過ぎて、センターの位置に立った。この場所に対する執着も憧れもなく、自分はどこでも構わないと断言していた篠原。だからこそなのか、客席から向けられる伊織ファンからの視線も厳しいものだった。
 俺とのセンター争奪戦では、チケット代が普段の倍の金額になっても伊織がセンターの日は満員か、それに近い状態が続いた。伊織のためならいくら金を出しても惜しくないという熱心なファンは大勢いるのだ。
 俺の位置からは篠原の背中しか見えないが、客席を占拠している伊織ファンを前にしても全く怯んだ様子はない。誰が何と言おうと、呼ばれたからこの位置に来た。真っ直ぐに立っている篠原の後ろ姿は、口に出さずともそう語っているように見えた。
 しかしこの発表には続きがあり、それはおそらく誰もが予想すらしていない展開になった。
「続いてセンター2人目、伊織」
 寺尾がそう言った途端、さっきまでとは違う意味で大騒ぎになった。名前を呼ばれた伊織はゆっくりと顔を上げ、まだ夢でも見ているかのようにおぼつかない足取りでセンターの位置へと歩き出す。
 各曲の人数が曖昧にされていた理由がこれで分かった。タイトル曲がダブルセンターになることを、この瞬間まで伏せるのが目的だったのだ。そして1人目に篠原の名前を挙げたのは、良くも悪くもこの場を盛り上げるためだ。
 伊織ファンが篠原に向けていた憎悪は一転して、もう1人のセンターとして名前を呼ばれた伊織への祝福に変わった。
「何1人で真ん中に立ってんのさ、どけよ篠原」
 すっかり調子を取り戻した伊織が、センターの位置にいる篠原に脅すような口調で言った。何も言わずにあっさりと位置をずれた篠原に、伊織は得意気に笑みを浮かべる。さっきは絶望の底に叩き落とされた顔をしていたのに。
 客席からの伊織コールは、しばらくの間ずっと止まることはなかった。
 そして残りの8人がカップリング曲を歌い、中学生コンビの片割れである佐倉が単独でセンターを務める。研究生の中でもあまり目立たず大人しい佐倉はダンスがあまり得意ではなく、それが理由で今よりずっと問題児だった伊織からレッスン中によく叱り飛ばされて泣いていた。
 途中で波乱はあったものの、俺達研究生はこれで新しい一歩を踏み出したのだ。


***


「佐倉にね、センターに立つ時の心構えについて聞かれたんだ」
 向かいの席に座っている伊織が、運ばれてきたばかりの温かい紅茶に口をつけてからそう言った。
 ここは伊織の担当美容師がよく仕事帰りに寄っているという、街の中心部から外れた場所にひっそりと存在している、静かなカフェだ。平日の夕方近いこの時間、俺達以外の客はノートパソコンをいじっている若いサラリーマンだけで、当然俺達……いや、伊織を見て大騒ぎして取り囲むようなファンはいない。
 伊織は時間が空いた時はここに来て、束の間の休息を堪能しているらしい。
「で、お前は何て答えたんだ?」
 まさか自分以外はみんな引き立て役!バックダンサー!とか佐倉に言ったんじゃないだろうな。
「自分はこのステージで1番注目されている主役だと思い込め、って」
「へえ、お前らしいな」
「だってセンターってのは、こんな自分が選ばれちゃって皆に申し訳ない〜みたいな気持ちで立っちゃだめなんだよ。それこそお客さんにも、他の研究生達にも失礼だからね」
 昔は自己中でやりたい放題だった伊織からは想像できないような言葉が出てきて、俺は心底驚いた。他の研究生に対して失礼だとか、そんな考えを持つようになったことが意外だった。
 そしてあんなに伊織を怖がっていた佐倉が、センターについての相談をしに行ったことも。
 夏に劇場で行った俺とのセンター争奪戦をきっかけに、伊織は今までの行いを他の研究生達に頭を下げて詫びた。それ以来、伊織は前よりずっと皆と自然に接して話すようになっていた。
 特に佐倉は苦手なダンスを克服するために、実力者である伊織から色々アドバイスを貰っているようだった。
「なんだか弟ができたみたいでさ、嬉しいんだ。今までは年下に頼られるってこと全然なかったから」
 伊織が心の底から佐倉を可愛がっているのが、言葉を通して俺にも伝わってくる。
 そういえば伊織自身の家族の話は全然聞いていない。興味がないわけではないが、本人がまるで避けるように頑なに語ろうとしないので何となく突っ込めずにいる。
 俺の家族になると言ってくれた伊織の、本当の家族は?
 やっぱり今日もそれを聞けないまま、伊織はこれから雑誌のグラビア撮影に行くと言ってテーブルに紅茶代を置くと、先に店を出て行った。




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