劇場のロビーで見つけた「男性限定公演のお知らせ」と書かれた張り紙を前に、俺達研究生は動揺を隠せなかった。
 キャプテンの俺を含めて、ここにいる誰もが知らない話だった。最初はどういうことなのか理解できなかったが、来週末の日付と時間の下には「チケットのお申し込みは男性のみとさせていただきます」という文面があり、そこでようやくこの公演の意味が理解できた。
 いつもは女性客でいっぱいの客席が、この日だけは男で埋めつくされるというわけだ。
 うっかりその光景を想像してみると……正直、悪くない。思わず息を飲んだ。
 気が付くと、周りにいる研究生達が一斉に俺のほうを見ていた。
「え、何ですか?」
「まさかお前のリクエストじゃねーだろうな、おい」
「水無瀬先輩の個人的な趣味に、俺達まで巻き込まないでください」
「いや、俺にそんな権限ありませんから!」
 先輩研究生や、近くにいた篠原まで呆れた顔で俺を見てくるので慌てて否定した。
 そうしながらも実は、もし客席にいるのが全員男だったらという妄想をしたことがある。300人近い男の客に見られながら踊るなんて俺、テンション上がっておかしくなりそう。
 しかもそれが来週末の公演で現実になるのだ。出演メンバーはまだ決まっていないみたいだが、当日に他の仕事が入っていなければ是非出たい。
 今ここにいない伊織の顔が浮かんで複雑な気分になった、が。これは浮気とは違う。いつもとは違う客層の前で踊ることは良い刺激になる。そう、これは勉強だ!
「でもさあ、これ客入んの? 男の客なんていつも10人来るか来ないかって感じだろ」
「伊織が出ても定員割れ確実じゃね……?」
 俺だけ密かに舞い上がる中で、他の皆が不安になるのも無理はない。俺達研究生の公演を観に来るのは、9割が女性客だ。
 男性客からの需要が全くないわけではないものの、普段と同じくらい客席が埋まるとは考えにくい。俺達は正式にデビューしたプロではないが、閑散とした客席を前にするのは結構つらいかもしれない。
「何よアンタ達、ヤッてもいないうちから縮こまってんじゃないわよ」
 突然現れた声の主は寺尾だった。おそらくこの男性限定公演の企画を出した本人だろう。どこかへ行った帰りなのか、全面にスパンコールのついたド派手なハンドバッグを手に仁王立ちしている。
 そんな寺尾に研究生のひとりが動揺しながら、
「縮こまるも何も、これ絶対スベりますよ。こんな冒険なんかして……」
「アンタ達はこれからCDデビューすんのよ。そしたらここに通うような濃いファンだけじゃなくて、老若男女問わず色んな人の目に晒されることになるわ。この公演なら、出るだけで喜んでくれる女の子達とは違う目線で評価してくれるし、いい経験になるじゃない」
 寺尾がいつもの調子で毒を吐くのを聞きながら俺は以前、公演を終えたばかりの俺達の前に突然現れたアヤの言葉を思い出した。劇場に来るのは俺達のファンだけだから、盛り上がるのは当然。もし何の関心もない視聴者がテレビで見たら、ただのまとまりのない素人集団にしか思えないと。
 あの出来事をきっかけに、研究生の中でいくつもの波乱が起こったのだ。


***


 別の仕事が入っていた伊織が休演、しかも男性客オンリーという形で始まった今日の公演は、129人の観客が集まった。
 300人で満員になる客席の半分にも満たなかったが、普段の女性客とは違うノリで上がる男からの歓声が新鮮で面白かった。妙に一体感があるというか、とにかく「濃い」感じがした。
 俺のソロ曲のイントロで上がった勢いのある水無瀬コールがもう本当に、めちゃくちゃ嬉しくて興奮してしまった。そしてあっと言う間に最後のMCの時間になり、打ち合わせ通りに俺と篠原がメインで喋る。
「さて今日は水無瀬先輩が待ち望んでいた、男性限定公演でしたが」
「いやーもう、すごく盛り上げていただけて本当に幸せでした! このまま死ぬんじゃないかってくらいに」
「喪主は俺がやりますので、安心して死んでください」
「お前の歪んだ愛情、やばいな」
「俺、そういう趣味ないんで」
 容赦ない篠原の突っ込みで客席から笑いが起き、いい感じの流れで最後の曲に入った。


***


「水無瀬の喪主をやるのは僕だよ」
 移動中の車内で公演のライブ配信を観ていたらしい伊織が夜中に突然アパートを訪ねてきて、中に入るなり拗ねた調子でそう言った。
「お前まで何言ってんだ」
「先にお迎えがくるのは年上の水無瀬なんだから、当然だよね」
 篠原のはMC中の冗談だと受け流せたが、北海道に来た時に俺の家族になると誓った伊織が口に出すと本気にしか聞こえないので怖い。
 というかこいつは、俺が老衰するような歳まで一緒にいるつもりだろうか。
「それにしてもさー、何で僕と篠原がダブルセンターなんだろ。水無瀬と2人でやるならいいけど」
「俺とお前じゃ、並んだ時のレベルが違いすぎるからじゃねえの。見た目とか」
「そんなことより僕のモチベーションを優先して選んでほしいよね。篠原の奴、最近調子に乗ってない? 公演のMCでも水無瀬のこと散々いじりまくってるし、むかつくよ」
 今では俺を認めてくれたらしい篠原は、加入したばかりの頃のように俺を敵視することはなくなった。その代わり、さらっときつい突っ込みはしてくるが。それでも前に比べればだいぶ打ち解けた関係になっている。
 伊織は面白くないようだが、俺は気難しい性格の篠原が遠慮なく絡んできてくれるのが嬉しかった。
「水無瀬が死ぬ時は、僕が見送ってあげるからね」
「はいはい……」
 こいつまだ言ってんのか、と呆れながらも俺は目を閉じた伊織の誘いに負けて唇を重ねた。


***


『普段は伊織推しの女性客がギスギスしていて怖いので、今日は安心して楽しめた』
『男だけだと肩身の狭い思いをしなくて済む。またやってほしい』
『篠原の 水無瀬いじりが 止まらない』
 翌日、男性限定公演に来てくれた観客からの感想の紙が俺達の元に届けられた。『楽しかった』という一言だけのものから長文まで人によって様々だが、こういう機会はめったにないので興味深い。
 そして中にはもちろん厳しい意見もあり、特に多かったのは伊織がいないことで華に欠ける、ボーカルが弱いというものだった。やはり男性客から見ても俺達は、伊織あっての研究生と思われているようだった。
 伊織もいつか俳優の仕事が軌道に乗ってきたらプロデビューして、研究生ではなくなる。その後で残された俺達がそれまでとは変わらずに劇場に観客を集められるかと考えると、正直自信はない。
「これ、どう思う?」
 先輩研究生のひとりが、1枚の用紙を俺達に見せてきた。
『伊織の他にも、しっかり歌えるメンバーが欲しい。できれば伊織と声質が正反対のほうがいい』
 確かに伊織はダンスだけではなく歌も上手く、その実力は研究生の中でも明らかに飛び抜けている。が、伊織の歌声は甘くて少し幼いので、逆に低くて男らしい声のメインボーカルがいるとバランスが取れてちょうど良い。
 しかし伊織と釣り合うほどの歌唱力の持ち主となると、今の俺達の中には存在しない。
「せめて今も、藤村がいてくれてたらな……」
 別の先輩研究生がそう呟くと、皆が一斉に顔を見合わせた。きっと俺も含めて、同じ考えを持っていたのだろう。篠原だけは興味がないのか、相変わらず冷めた反応だったが。
「いなくなった奴のことをどうのこうの言っても、今更だろ」
「でも伊織と同じくらい歌えるのって、俺達の中じゃ藤村ぐらいだったよな」
「今の状態でCDデビューすんの、不安になってきたよ」
 藤村は、前のキャプテンである真鍋とその仲間を相手に殴り合いの喧嘩をした結果、全員が解雇処分になった。
 その理由を知っているのは、今残っている研究生の中では俺だけだ。それを俺に教えてくれた寺尾からは、他の皆には黙っていろと口止めされている。
 正直に言ったところで誰も得しないが、俺のせいだという罪悪感に似た感情は未だに消えていない。


***


 バーテンのバイトが休みの日に合わせて、俺は藤村をカラオケに誘った。あの4人一斉解雇の日から約半年経ち、久し振りに藤村の歌を聴くとやはり上手かった。
 ノリの良い曲もバラードも歌いこなす、はっきりと聴きやすい低音。今の俺達研究生には足りないものが、まさにここにある。
 この声が伊織と並ぶ主力として加われば、もうボーカルが弱いとは言われなくなる。
「お前は歌わねえの?」
 藤村の歌を聴きながら考え事をしていた俺はマイクを1度も握っていなかったので、怪しまれたようだ。
「あの、藤村さんってまだ新しい事務所決まってないですよね?」
「決まってねえけど……」
「思い切って言います、藤村さんに戻ってきてほしいんです。今の俺達にはないものを持っているから」
「は? お前本気で言ってんのかよ」
 唐突すぎる俺の言葉に藤村がそう反応するのは当然だ。かなりの無茶を言っていると自分でも分かっている。
 最初、藤村は俺への嫌がらせをしていたグループの主犯だった。藍川が用意した意見交換の場で口論になり、掴み合いになる直前で藍川に止められた。
 その後、伊織の代役をするためにセンターの振り付け10曲分を2日で覚えた俺を、仲間として認めてくれたのだ。
 お披露目公演で窮地に立った篠原を協力して救い、俺が成人したのをきっかけに酒を飲みに行って、夢を語り合った。
 分かり合えてから同じ研究生として過ごした日々のことを思い出して、俺は胸が苦しくなった。最初の目的だった歌唱力云々よりも、純粋にまた一緒に活動したいという気持ちでいっぱいになる。
 解雇された後はあのバーで働いていると聞いてからは、藤村が俺のために作ってくれた酒を飲みながら話をするのが週末の楽しみになっていた。
 道が別れてしまっても、先輩研究生の中では特に思い入れのある藤村の存在を忘れられなかったのだ。
「やっぱり俺、また藤村さんと同じステージに立ちたい……」
 俺の声はいつの間にか震えて、更に伝えたかった言葉が口から出てこなかった。
「まあ、お前の気持ちは嬉しいけどさ……喧嘩で解雇になった俺が戻っても周りは良く思わねえよ。テレビでは名前出されてなくても、ネットでは散々広まってるしな。それにCDデビューしたから都合良く戻ってきたとか思われるの嫌だし。大事な時期なら尚更、問題起こした俺はいないほうがいいんだよ」
「藤村さん……」
「前も言ったけど俺、後悔してねえから。水無瀬がキャプテンになってからはあの伊織も篠原も変わったみたいだし、何があってもお前がいれば研究生は大丈夫だ」
 そう言うと藤村は笑みを浮かべ、励ますように俺の肩を叩いた。新しい場所で諦めずに進もうとする藤村は、もう何があっても俺達のところには戻らないようだ。
 俺は研究生の今後のことばかり考えて、藤村にそれを押し付けようとしてここに連れてきてしまった。
 あまりにも俺は身勝手で、藤村が思っているような立派なキャプテンなんかじゃない。




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