スカウトされた後で受けた最終面接を終えた俺は、先輩となる研究生達が集まっているらしいレッスンスタジオへと向かっていた。今でも俺は自分にアイドルとしての素質があるとは思えず、隣を歩く寺尾に改めて俺で良かったのかと尋ねてみた。
 すると足を止めた寺尾は俺に顔を近づけて、
『匂う、匂うわよ! アンタからは未来のスターの匂いがプンプンすんのよ! ごまかそうったってそうはいかないわよ、アタシにはお見通しなんだからね!』
 昨日シャワーを浴びたばかりなのに匂うと言われて、俺は思わず自分の腕のあたりの匂いを確認したが当然何も感じなかった。
『今はアタシにしか感じない匂いを、誰もが感じる確かなオーラに変えていけるかどうかは、今後のみいちゃん次第よ。アタシの仕事はそんなアンタの背中をちょっと押してあげるだけ……さあ、このドアを開けたらみいちゃんの新しい人生が始まるわよ。生まれ変わるつもりでしっかりやんなさい』
 みいちゃんはゲイビデオの男優からアイドルになるのよ。
 寺尾がそう言った直後に開かれたレッスンスタジオが、まだ戸惑い気味だった俺の心ごと飲み込んでいった。


***


 CDデビューの宣伝も兼ねて1人で出演した番組の収録を終えてスタジオを出て、楽屋へ戻る途中で偶然アヤに会った。別のスタジオでCM撮影をしている途中で、今は休憩中らしい。アヤはシトラスのセンターとして活躍していながらも、ソロでの仕事も多い。
「水無瀬さん、お久し振りです。CDデビューおめでとうございます」
「あんたも相変わらず忙しそうだな」
「どんなに忙しくても、こうしてお仕事をいただけるのは有り難いことです」
 白いノースリーブの衣装で露出した腕は、元は男だったとは思えないほど色白で細かった。いつ顔を合わせても、本当の女にしか見えない。
「あら、アヤさんじゃないの」
 俺達の前に突然現れたのは、白いパンツスーツを着こなした髪の長い女だった。アヤを見つめながら、満面の笑みを浮かべている。川島直子、という名前がすぐに浮かんだ。
 大手化粧品会社の女社長で、何年か前に起きた「美魔女ブーム」で有名になってから毎日のようにテレビに出ていたので、当時高校生で芸能界に疎かった俺でも知っている存在だ。
 40代後半という年齢だが外見にはかなり気を遣っているようで、若さを保つために何度も整形を重ねていると噂されている。
「アヤさんをCMに起用してから、新作ファンデの売り上げも好調でね。とても感謝してるわ」
「ありがとうございます」
 ニューハーフのアヤはアイドルグループに所属しているが、男よりも若い女性からの支持が高く、化粧品だけではなくファッションブランドのイメージキャラクターも務めている。
 モデル仕事もしている篠原とツーショットで雑誌の表紙を飾っていたが、お互いに興味がないのか特に会話はしなかったらしい。
 川島直子は俺の存在に気付くと、それまでの笑顔を消して急に嫌悪感丸出しの表情を浮かべた。眉根を寄せ、まるで露骨に汚いものを見るかのような顔だ。
「あなた最近よくテレビで見かけるけど、確かゲイの人よね? よく恥ずかしげもなく人前に出られるわね。男同士でセックスして、しかもそれを売り物にしていたなんて。ああー嫌だ、寒気がするわ。アヤさん、こんな汚らわしい人と関わっているとあなたの格が落ちるわよ」
 俺と同じ空気を吸いたくないと言わんばかりに、川島直子はスーツのポケットから取り出したハンカチを口に当てながら俺を睨む。こういう反応はもう慣れているが、ここまで凄いのは初めてだ。俺はこの女社長によほど嫌われてるようだ。
「格、ですか。なるほど」
 急に話を振られたアヤは、普段通りの低い声でぼそっと呟いた。そして顔を上げて川島直子のほうを向くと、
「それくらいで落ちる格でしたら、私には必要ありません」
 予想外の反応に呆然とする川島直子の横をさっさと通り過ぎて、アヤは撮影をしていたスタジオのほうへと戻っていった。
 靴の裏側が見えるほど踵の高いハイヒールで、よろけもせずに真っ直ぐに歩く後ろ姿はすでに大物の貫禄を漂わせていた。


***


 プロモーションビデオの撮影で、CDタイトル曲のメンバーに選ばれた俺達10人はバスに乗り航空自衛隊の基地へと向かっていた。リアリティを出すため、撮影前に実際の自衛隊と同じ訓練を受けるらしく、俺以外のメンバーも今から不安と緊張を感じている。
 そんな中で伊織は一番奥の座席で窓にもたれて眠っていて、篠原は音楽プレイヤーのイヤホンを耳に入れて、無言で外の景色を眺めていた。
『例え立ち位置が後列端になったとしても、俺は消えたり潰れたりするわけじゃない。伊織先輩がどうしてあそこまでセンターにこだわるのか、俺には理解できません』
 公演のラストでデビュー曲の立ち位置が発表された後、篠原と2人きりで話す機会があった。公演後すぐに雑誌の取材に行った伊織がいなかったので、俺1人で歩いていた帰り道で偶然一緒になったのだ。
『藍川さんはどの位置で踊っていても、誰よりも輝いていた。俺もあんなふうになりたいと思います』
 篠原が推していたメンバーは、ファンの1人だった頃から変わらずに藍川だった。研究生として加入した頃に俺を憎んでいた理由も実は藍川絡みで、篠原の藍川に対する思い入れは相当なものだと知った。
 篠原は立ち位置に関して投げやりになっているわけではなく、どこに置かれても自分は自分であり続ける強い意思の持ち主なのだ。
 俺も少し眠ったほうがいいかなと思っていると、斜め後ろの座席にいる先輩研究生達がスマホを手にして何か驚きの声を上げている。
「どうしたんですか」
「おい、これ見ろよ!」
 先輩研究生が差し出してきたスマホの画面を見て、俺は息を飲んだ。それはネットニュースの記事で、見出しには『恋愛禁止のシトラスメンバー、男性タレントと深夜デート』と書かれていた。
 シトラスといえば俺がすぐに頭に浮かぶのはアヤだが、その記事で報じられているのはユキノというメンバーだ。個性的なシトラスの中でも清純派キャラとして売っていることもあり、今回のスキャンダルはファンに大きな衝撃を与えたようだった。
 その記事にはすでに大量のコメントがついていて、その大半がファンの悲痛な叫びやアンチの煽りで埋めつくされていた。サングラスをかけた男とユキノが夜の街を歩いている、言い逃れのできない「熱愛」証拠写真までネットに流出している。
 シトラスはどこのマスコミが24時間見張っていても隙を見せることがない「スキャンダル処女」と言われていたが、ユキノの件でそれが破られた。今頃アヤはどう思っているだろうか。


***


 あれから日付が変わり、昼頃に事務所を訪れると来客スペースにアヤがいた。ローテーブルに置かれた紅茶には手を付けず、ソファに腰掛けたまま俯いて黙っている。そして普段はタフなアヤにしては珍しく疲れた顔をしていた。
「……大丈夫か?」
 向かい側に座った俺はそう声をかけたが、大丈夫ではないことは見れば明らかだった。
 ユキノのスキャンダル報道をきっかけにシトラスの事務所にはマスコミが押し寄せ、張本人のユキノの他にリーダーのナミやセンターのアヤも常に追いかけられているようで、心身ともに休まる場所を求めてここを訪れたという。
 何もかも知った上で、寺尾はアヤを受け入れた。
「なあ、ユキノさんはどうなるんだ? 確かあんたのところは恋愛禁止だったよな」
「ユキノはお咎め無しです。今回の件は、うちの事務所が仕組んだことです」
「仕組んだ、って……じゃあシトラスの事務所側が、わざわざあの写真を撮らせたってことか」
「ユキノが初めて出演する映画がもうすぐ公開されるので、そのための話題作りです」
 シトラスのファンではない俺から見ても、ユキノは個性の強い他メンバーの陰に隠れてあまり目立たない。そんなユキノを売り込むために、シトラスの事務所は恋愛禁止という鉄の掟を破らせてまでスキャンダルを仕立て上げた。
 清純派で売っていたユキノにとっては大ダメージに違いないのに。
「芸能界は綺麗事だけでは成り立たないと分かっています。それでも何だか……解せないですね、こういうのは」
 アヤは声を震わせながら言うと、膝の上に乗せていた両手を強く握り締めた。
 俺はこの時、いつもは淡々としていて無表情なアヤが感情を露わにしているところを初めて見た。
 やがてアヤが事務所を出た後、話を近くで聞いていたらしい寺尾が俺の元にやってきた。
「名前を売るためにスキャンダルを利用するのは、芸能界ではよくあることなのよ。可哀想だけど仕方ないわね」
「よくあること、なんですか」
「そうねえ、シトラスの事務所もアヤばかり目立ってる状況を打ち破ろうとしたのね。特にユキノのスキャンダルとなればマスコミも食いついて広めるから、名前と存在を世間にアピールできるし」
 確かに俺達研究生も、センターの伊織だけが知られている状況だと将来伊織が抜けた後が大変だ。だから寺尾は篠原にモデル仕事をさせ、俺を1人でバラエティ番組に出して、それまでは劇場公演しか仕事のなかった他の研究生達にもドラマの端役の仕事をまわしていくようになった。
 芸能界は綺麗事だけの世界ではない。俺が前にゲイビデオ男優の過去を雑誌で暴露された後、違う雑誌でも更に色々書かれて追い詰められるのではと思っていたが、そんなことは一切なかった。
 俺の過去について生々しい形では扱わないように、寺尾プロダクションが各メディアに圧力をかけたという噂もある。その噂が真実なのか、そしてどんな方法を使ったのか。今では全て闇の中だ。




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